大吉
前回来たときと同じ立派な庭に面した部屋で、葵亥は望月姉妹と面会していた。
彼女たちのおかげで真朝隊への接触に成功したことのお礼を伝えに来たのだ。
「お役に立ててよかったです。
私達は情報を集めるのが趣味のようなものです」
淡い桃色の着物の沙弥は扇で口元を隠してはいたが、その声色から嬉しそうに笑っているのが想像できた。
どうやら彼女たちは情報を集めるというよりも噂話の種を集めるのが好きなのだ。
「それでは今は次の新月までただ待つしかないのですね」
沙弥は内緒話でもするような抑えた声で言ったが、ここは望月家の屋敷内であるため、もちろんそんなことをする必要はない。
沙弥のきらきらした目は葵亥の真朝隊潜入調査を面白がっているようだ。
「念のため、京の都内の物流で不審な点がないか調べてみようと思います。
真朝隊が何を企てているのか分かるかもしれませんから」
葵亥の言葉に今度は淡い黄色の着物の天紀が応えた。
「それくらい私達がお調べいたしますわ。
京の都内のことならお任せください。
何か分かり次第、文を送りますわ」
天紀は姉の沙弥よりも楽しげな様子を隠すこともせずに言った。
「そんな、お手を煩わせては…」
「葵亥様、私達退屈しているのですよ」
沙弥も天紀も葵亥のためというよりも、自分たちが楽しむために調査を引き受けたいらしい。
「では、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
葵亥は姉妹二人に向かって微笑み感謝を伝えた。
姉妹は互いに目を合わせてくすくすと笑い合ってから、沙弥がとうとう扇をたたんでから言った。
「他にも何かお知りになりたいことはありませんか?」
葵亥は腕組みをして目を閉じて考えてみた。
すると急にとても気になっていた事があるのを思い出した。
目を開いて笑顔の沙弥を見つめて葵亥は話し始めた。
「それなら、もう一つ。
新年祝賀会で鬼の面を付けた凄腕の弓の人物のことが気になっているのですが、何かご存知ではありませんか?」
「あの方については私達も知りません。
しかし葵亥様のために調べてみることにしましょう。
あれだけの弓の腕ですから調べてみれば何か手がかりはつかめるでしょう。
ふふっ、おもしろくなりそうですね」
京の都の望月家の情報網をもってすれば、分からないことのほうが少ないだろう。
「ありがとうございます」
葵亥が座ったまま礼をしてから顔を上げると、沙弥と天紀がこそこそ何か話していた。
内緒話が終わると天紀が葵亥の方へ向き直って言った。
「私達からもひとつお願いがあるのですけれど」
葵亥は自分ばかり色々と頼んで申し訳無いと思っていたので、逆に何か頼まれるならその方が気が楽だと思った。
「私にできることならお力になります。
何でもおっしゃってください」
「京の都へ佐治三木ヱ門様がいらっしゃったら、一度お会いしたいのです」
「え?」
思いがけない『お願い』だったため葵亥は沙弥と天紀の顔を交互に見つめてしまった。
「えーっと、それくらいお安い御用です。
三木ヱ門が京の都へ来たらお連れします。
でもなぜ三木ヱ門に?」
葵亥は率直に疑問をぶつけた。
「あら、三木ヱ門様は容姿端麗な弓の名手と有名ですから、一度はお会いしてみたいと思うのは普通のことですよ」
幼い頃から三木ヱ門を見ていて見慣れている葵亥にはよく分からないが、言われてみれば確かに目鼻立ちは整っているような気もしなくもない。
「うーん、弓はともかく、容姿端麗ですか。
三木ヱ門が世間でそのように言われているとは知りませんでした」
花月だけでなく望月姉妹まで三木ヱ門に会いたいと言い出すなんて予想外だった。
三木ヱ門という人物は悪いやつではない。
いや、むしろはっきり言っていい奴なのだが、だからといって三木ヱ門ばかりがこんなにもてはやされるというのは葵亥には少々納得がいかない思いもあった。
「ふふふ、三木ヱ門様にお会いできるのを楽しみにしていますわ」
天紀の言葉に葵亥はふと我に返り、自分が眉間にしわを寄せていた事に気がついて慌てて笑顔を貼り付けた。
「こちらこそ、お二人に友人を紹介できるのを嬉しく思います。
それではこれから別の用事がありますので、そろそろ失礼します」
望月家の屋敷から出て葵亥は早足で目的の八百屋を目指した。
八百屋の近くまで来て、葵亥はふと足を止めた。
少し離れたところから様子をうかがえるように、八百屋の向かいの店の脇にでも身を隠しておいたほうがいいだろうか。
それとも普通に八百屋の前で待ってみようか。
そのようにして葵亥が一人で色々と考えていると、とうとう八百屋に一人の女性がやって来た。
椿嬉の情報通り、今日は花月がひとりで買い出しに出る日だった。
花月は八百屋の主人に必要なものを頼むと、主人に少し待つように言われて店先で立っていた。
「花月殿」
「あっ、葵亥様」
葵亥の存在に気づいた花月が丁寧にお辞儀して挨拶した。
「素敵なお召し物ですね」
望月家に行くために少しよそ行きの着物を着てきたのだが、花月に言われるとちょっと照れくさい。
「ちょうど用事を済ませて帰るところだったのです。
五姫婆の屋敷までお持ちします。
ところでもしよければ葉香園に寄りませんか?」
例によって葵亥が野菜を受け取って、歩いていると花月が話し始めた。
「最近、五姫婆のお屋敷の使用人皆で独楽が流行っていて。
葵亥様たちがあまりにも楽しそうにやっていたので、私たちも皆独楽を買いに行って遊んでいるのですよ」
一緒に並んで歩くのも二回目となれば花月も慣れてくれた様子で話してくれるようになった。
「そうなんですか?
それなら今度皆でやりましょう。饅頭でも賭けて」
「ふふ、盛り上がりそうですね」
「そうだ。三木ヱ門が来たら、独楽大会しますか。
まあ、あいつは渋いやつですから饅頭よりは干し芋とかの方が喜びそうですけど」
葵亥は幼馴染の顔を思い浮かべ、思わずくっくと笑った。
すると横を歩く花月が独り言のようにぶつぶつ言っているのが聞こえた。
「…三木ヱ門様は干し芋が好き…」
「ところで、花月殿はいつ三木ヱ門と会ったのですか?」
「会った、と言うと大げさですけれど…。
数年前、尾木の国から京の都へいらっしゃった三木ヱ門様が、私と十夜が習っていた弓道場へ足をお運びになったのです。
そこで三木ヱ門様を拝見したというだけなんです。
もちろん直接お話もしたことはありません」
「たしかに三木ヱ門は京の都へ行ったことがありましたね」
「三木ヱ門様の弓の技術に私たちは圧倒されて…
三木ヱ門様は憧れの存在なのです」
花月が目をきらきらさせている。
「花月殿も弓道をやっていたということは、弓が引けるのですね」
葵亥の問いに花月は慌てて首を左右に振って否定した。
「いえいえ!とんでもないです。
私はあまりにも下手すぎてそれからすぐに辞めました。
剣術の方がいくらかましで…」
「えっ?剣術?」
葵亥には花月が弓道やら剣術やらをやっている姿は全く想像がつかなかった。
「私も西倭道場で十夜と一緒に剣術を習っていたのです。
商家というのは盗賊に狙われる性ですから、護身の為にそれくらい身につけておかなければいけないという両親の考えで。
実際商家の子は商家に嫁ぐことが多いですし」
商家は商家に嫁ぐ、か。
葵亥が何か言おうと口を開きかけた時、花月が道の行く手に何かを見つけて急に表情を明るくして言った。
「あっ!大吉!」
大吉とは誰であろうかと葵亥は前方の人々を当てもなく見渡した。
ちょうど葉香園の前に寝そべっていた猫が起き上がって伸びをしている。
葵亥の驚いたことに、猫は花月の方へまっすぐ歩いて来た。
葵亥は一歩後ろに下がり様子を見ていると花月は猫に何か話しかけて抱き上げた。
「ひょっとして大吉とはこの猫の名ですか?」
花月が抱きかかえた猫を撫でるのを見ながら葵亥は質問した。
「はい、私が付けた名です。
この子とってもかわいいですよね。私、猫って大好きなんです」
「縁起の良さそうな名ですね」
とりあえず葵亥は無難な返事をしてから心の中で呟いていた。
『…花月殿は猫が好き…』




