雪笹の訪問者
寒空の下、架橋神社の鳥居の前で葵亥は遠くからやって来る二人の影を見つけた。
二人とも優雅な足どりで近づいて来る。
葵亥は二人に挨拶すると美しい色の風呂敷包みを持つ端正な顔立ちの青年に向かって声をかけた。
「導仁殿。もしかして雪笹殿に用事ですか?」
「はい、私はここで留守番します」
導仁はいつもの爽やかな笑顔で答えたが、葵亥はなんとなく今日の導仁の笑顔にはぎこちなさを感じた。
最近の雪笹は以前と比べるとあまり導仁に対して厳しくなくなっていたが、もしかしたらまた何かあったのかもしれない。
「椿嬉殿を迎えに行きましょう!」
導仁と共にやって来た、切れ長の目の美しい顔の青年が言った。
「菊守殿、やる気満々ですね」
菊守の軽やかな足取りと歌うような声色と、極めつけに誰もが見惚れてしまいそうな笑顔を見て、葵亥の口元にも自然と笑みがこぼれる。
「もちろんですよ。昨日は楽しみで眠れなかったんですから」
近くの神社に出かけるというだけなのに子どものようにはしゃいでいる菊守を見ると、不思議と葵亥まで浮かれそうになってしまう。
「それはよくないですね。寝不足は長旅には向かないですよ」
社務所へ向かって歩き出しながら、葵亥は冗談交じりで言った。
「大丈夫です。やる気だけは人一倍あります」
三人で社務所に行くと椿嬉が社務所の外で待っていた。
葵亥たちの姿を見て、椿嬉は気まずそうに口を開いた。
「あー…導仁様、雪姉は社務所の中ですから早く行ってください」
椿嬉の言い回しは明らかに不審で、葵亥は何があったのだろうと思っていると、導仁は黙って足早に社務所に入って行った。
「何かあったのですか?」
葵亥がたまらず椿嬉に尋ねると、椿嬉は少し困ったような表情を見せた。
「丸坂喜太郎様がいらっしゃっているんです。
最近よくいらっしゃるのですけど、毎回少しお話されて帰られるだけなので雪姉も断りきれないのでしょうね」
「ちょっと待ってください。
丸坂殿は新年祝賀会にも来ていた方ですよね」
「はい、いらっしゃいましたね」
「それなら導仁殿の顔を見たら驚かれるのではないですか?」
「そうですね」
「よいのですか?」
「たぶん」
椿嬉は別に気にすることは無いとでも言うように飄々と言ってのけた。
「大丈夫です、導仁殿は丸坂殿がいると知っていて来たんですよ」
菊守が面白がるように言った。
それから葵亥は椿嬉と菊守と共にしばらく黙ったまま社務所の外で待った。
するとすぐに導仁、雪笹と喜太郎の三人が社務所から出てきた。
新年祝賀会の時に見た印象の通り、喜太郎は背が高くとても品のある顔つきの青年だった。
だが導仁の方が男前だと葵亥は確信した。
雪笹は難しい顔をしているが他の二人は笑顔で会話している様子だ。
「お会いできて大変光栄です。それでは私はこれで失礼します」
喜太郎は導仁に丁寧に挨拶をして去っていた。
喜太郎が架橋神社の鳥居をくぐって遠くへ消えていくのを確認してから、導仁が口を開いた。
「なかなかの好青年ではありませんか」
導仁は懐から紙を取り出した。文のようだ。
「酉貴殿からの情報と合致しました。
わざわざ文で丸坂喜太郎殿について詳しい情報を書いてよこしてきました。彼には気を付けろと忠告しているんです。
それから彼と雪笹殿から目を離すな、と」
導仁の最後の話に雪笹はぎょっとして、導仁の手から文を奪おうとしたが、導仁は不自然なほどの笑顔で文を持つ手をさっと上に掲げてそれを防いだ。
「だめですよ。色々と機密情報が書かれていますから」
そして導仁は笑顔のまま文を懐へしまい込んだ。
その様子を見て葵亥はふとある人物との文のやり取りを思い出した。
「そうそう、私も尾木の国からひとつ、面白い文を受け取ったのですよ」
「ほう、どんな話ですか?」
菊守の声には隠しきれない興味の色が出ていた。
「新年祝賀会の鬼の面の弓の女性を覚えていますよね。
あの話を私の幼馴染の男に文で書いたところ、その男もかなり興味を持ったのです。
そして居ても立っても居られないのですぐに京の都へ赴くという返事をよこしました。
その男とは、尾木の国一の弓の名手、佐治三木ヱ門です」
「あの佐治三木ヱ門殿が京の都へ来るのですか?」
菊守が興奮した様子で聞いた。
葵亥が菊守の反応に満足していると、菊守の背後から、とさりと地面に物を落とす音が聞こえた。
菊守と導仁が振り返り、葵亥と椿嬉も二人の背後を覗き込むと、花月が慌てて風呂敷包みを拾い上げているところだった。
椿嬉が花月の方へ駆け寄って行った。
「わあ、花月じゃない!
神社に来るなんて珍しいわね、どうしたの?」
「えっ?…あ、えーっと」
花月はぎこちない手つきで拾い上げた包みについた砂を払った。
「五姫婆にお使いを頼まれて。
これを神社の方へ持っていくように言われたんです」
「そうなの。社務所に置いておけばいいわ」
「ありがとうございます。…それでは、失礼します」
花月はそう言いながら、少しためらいがちに葵亥の顔をちらちらと見ていた。
「花月殿、もしかして私に何か用があるのではないですか?」
以前片栗から釘を差されていたおかげで、葵亥は花月の視線に無駄な期待をせずに返すことができた。
花月は一瞬驚いた表情をして、すぐに顔を赤らめて恥ずかしそうに話し始めた。
「あの、先ほどのお話ですが、たまたま聞こえてしまって。
佐治三木ヱ門様が京の都へいらっしゃるのでしょうか?」
花月が三木ヱ門の事を聞いてきたのは予想外だったので、葵亥は少し面食らった。
何故、花月がそんな事を聞くのだろうか。
「はい。十日ほどすれば来ると思いますが⋯
花月殿は三木ヱ門をご存知なのですか?」
佐治三木ヱ門は弓の名手としてその名を知るものは尾木の国を留まらない。
しかしそれでも武芸とは関わりのない一般の民にはそれほど知られてはいないはずだ。
「佐治様はとても有名な御方ですから、ちょっと気になってしまっただけで⋯」
花月の顔が益々赤くなっていくのを葵亥は不思議に思って見つめていると、椿嬉が割って入ってきた。
「こほん。葵亥様。ここは私が説明いたしましょう。
花月は以前、佐治三木ヱ門様を京の都で一度だけお見かけしたことがあるのです。
それからというもの、花月は佐治様の大ファンなのです」
「⋯!」葵亥は驚きのあまり言葉を失ってしまった。
「ちなみに!花月の部屋には佐治様の姿絵が飾ってあります。
それから⋯」
「あーっ!椿嬉さん!やめてください!」
花月が椿嬉の口を押さえて必死に暴露を止めようとしていた。
「あー、あの、花月殿。三木ヱ門は私の幼馴染です。
三木ヱ門が京の都へ来たら花月殿が会える機会を作りましょう」
葵亥の言葉に花月は椿嬉との揉み合いを止め、葵亥に詰め寄るように駆け寄ってきた。
「ほ、本当ですか!?」
花月の嬉しそうなきらきらとした瞳に葵亥はどきりとしたが、すぐに花月のそれは葵亥に向けられたものではない事を思い出した。
「任せてください」
「葵亥様、ありがとうございます!
それでは、私は仕事に戻ります!失礼します!」
花月が踊るように社務所の方へ行ってしまうと、ずっと黙っていた導仁が、葵亥の方へ静かにやって来てそっと肩に手を乗せて憂いの眼差しを向けた。
「葵亥殿、あなたはとても損な性分ですね」
「言わないでください」
葵亥の残念な気持ちが十分声に滲み出ていた。
「それでも、あんなはっちゃけた花月はなかなか見られませんよ。本当に嬉しそうでしたね」
椿嬉が面白がるように言った。
花月が嬉しそうであればあるほど、葵亥にとっては残念なのだ。
しかし今葵亥は椿嬉がさっき暴露した話が気になっていた。
「椿嬉殿、さっきの姿絵の話は本当なんですか?」
「本当ですよ。何故そんな事を聞くのですか?」
葵亥がどうでもよい質問をしたとでも言うように、椿嬉は少し興味無さそうに聞き返した。
「何故って⋯姿絵を飾るなんて、変な感じではないですか」
「そうですか?」
菊守が珍しく悪戯な笑みを浮かべている。
「妹の和子の部屋には葵亥殿の姿絵が飾ってありますよ?」
「はっ!?」
全く予想していなかった事態に、葵亥は状況が理解できなくなってきた。
自分の姿絵などというものがある事に驚いたが、それ以上にそんなものを飾られていると考えると恥ずかしすぎる。
「な、何なんですか?それって普通のことなんですか?」
葵亥は自分の姿絵が飾られた部屋を想像して冷汗が出てきた。
「まあまあ有ることなんじゃないですか?」
椿嬉が言うので妙に説得力がある。
そういうことなのかもしれない。いや、そんなはずはない。
葵亥の頭は既に混乱状態だった。
「椿嬉殿はどなたかの姿絵を飾っているのですか?」
菊守がいらぬ事を聞いている。
これ以上変な話は聞きたくない。
「私はそういう趣味はありません。
相撲の番付なら飾ってますけど。普通ですよ」
「もう何が普通か分からなくなってきました。
誰か花とか富士の絵とか飾ってくれませんかね」
葵亥はとうとう頭がついていかなくなり手で額を抑えた。




