特別と孤独
葵亥達が梅立商店へ戻り、無事目的を果たしたと知った十夜はほっとした表情を見せた後、すぐに真剣な顔で自分に何かできることはないかと聞いてきた。
「ありがとうございます。今はとりあえず、この変装に使った着物を買い取らせていただきたいです」
葵亥は脱いだばかりでまだ床に落ちたままの着物を指して言った。
「それはぜひそのままお持ちください。
お金をいただくような品ではありません。
それに葵亥様のお役に立てるなら私としても嬉しいです。
ところで万願寺へはお一人で行けれるのですか?
私でよければお供いたします」
十夜は手際よく葵亥と菊守が脱いだ着物を畳みながら言った。
「十夜殿、本当にありがとうございます。
しかし腕の立つ家臣を一人連れていきますし、叔父にも待機しておいてもらうつもりですから、お供までは必要有りません。
お気持ちだけありがたく受け取っておきます」
「左様ですか。それでは何か有りましたらお声がけ下さい」
十夜の言葉は葵亥に強力な安心を与えた。
味方がいるというのはこんなにも心強いものなのだと葵亥は改めて思い知った。
「十夜殿はなぜそんなに私に協力的なのですか?」
葵亥の質問に十夜は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「葵亥様には信じてもらえないかもしれませんが、これは決して梅立商店の利益のためなどではありません。
西倭道場でのご様子や、花月の話から、葵亥様の人となりを知って、葵亥様のお力になりたいと思ったからです」
葵亥は花月の話というのがどんな話なのか気になったが、それは今は置いておく事にした。
「ありがたい言葉です。
私も十夜殿の人となりを知っていますからとても信頼しています。
今日は大変お世話になりました」
葵亥と菊守が元の姿で梅立商店の奥から店前に出て行くと、椿嬉が待っていた。
「変装も良かったですけど、やっぱりお二人はこちらの方がしっくりきますね」
「ささ、葉香園へ行って明日の作戦会議ですよ」
十夜に改めて礼を言って別れると、菊守が嬉しそうに歩き出したので、葵亥と椿嬉もそれに続いた。
三人で葉香園へ向かいながら今日聞いた落語について話していると、葵亥の驚くべき事に椿嬉は一度聞いただけの話を完全に覚えていた。
椿嬉の記憶力が並外れていることは知っていたが、一言一句違わずに覚えている様子だ。
椿嬉が今日聞いた落語を完璧に再現しているのを聞いて菊守がぼそりと呟くように言った。
「椿嬉殿の記憶力には驚きを通り超えて圧倒されてしまいますね」
「よく言われます」
そう言って椿嬉は遠くを見るように葵亥と菊守から視線を外した。
「初めはみんなそうやって褒めてくれたり、うらやましがったりしてくれます。
でも人は異様なものを怖がるものです。そして排斥したくなる。
こういう能力はどうしても孤独と表裏一体なのです」
「確かにとんでもない能力ですが私は椿嬉殿を尊敬していますし、なんというか、かっこいいと思っています。
椿嬉殿、私はあなたを排斥なんてしません。
私の大切な友人ですからね」
菊守が嘘偽りのない尊敬の眼差しで椿嬉を見た。
「私も菊守殿と同意見です。
人は特別であればあるほど孤独になりやすいというのも一理あります。
しかし私たちは椿嬉殿を孤独にはさせませんよ」
菊守と葵亥の言葉に椿嬉は少し驚いたような顔をして、それから思い出したように笑った。
「ふふっ、そんなに面と向かってはっきり言われるとさすがに恥ずかしいですね。
それに葵亥様は分かっていて私を補佐役にと仰ってくれたのでしょう」
「もちろん椿嬉殿の優れた能力を買っているというのもありますが、抜きん出た人間というのは孤立しやすいですからね」
葵亥は幼い頃から自分の武術の腕が他を圧倒する為に孤立してきたものだった。
ただし尾木の国には片栗や三木ヱ門といった葵亥を特別にさせないでくれるような、葵亥に劣らない程の優れた者たちがいてくれた。
もちろん、武術以外の分野に優れた者もたくさんいて、彼らの存在が葵亥を異質な存在にはしなかった。
「尾木の国にはそういう特別な人を集めています。
周りの人間も特別ですから、その人々の中にいれば特別な人間ももう特別ではなくなります。
そうすると孤独にはならないのです」
「葵亥殿が言うと説得力がありますね」
菊守が感心した様子で言った。
葵亥はこのなかでいちばん特別な存在である菊守に言われたことが可笑しくて自然と口元が緩んだ。
菊守にはそういうところがあるといつも思っていた。
「なんだかんだ言っても菊守殿がいちばん特別な方ですけど、菊守殿は皆に慕われ絶対に孤独にはならないすごい方ですよ」
「分かります」椿嬉も首を大きく縦に振っている。
菊守は葵亥の言葉の意味がよく分からない様子で首を傾げていた。




