菊守の考察
「というわけで、三人で落語を聞きに行きませんか?」
久しぶりに五姫婆の屋敷で集まって独楽をしながら、葵亥は菊守と椿嬉に向かって言った。
「落語ですか。面白そうですね!」
菊守の声色から、やはり菊守も落語は聞きに行ったことがないらしかった。
それもそうだろう。
皇族が庶民の落語など見る機会は普通無いはずだ。
「椿嬉殿は寄席に行ったことはありますか?」
葵亥が期待を込めて聞いたが椿嬉は意外にも困ったような表情で首を横に振った。
「実は私も行ったことがないのですよ」
「そうですか」
葵亥ががっかりしていると、椿嬉が急にあっと声をあげた。
「そう言えば先日、花月が落語を聞きに行ってきたって言っていたような」
「それなら花月殿に話を聞いてみましょうか。呼んでいただけますか?」
菊守がそう言うと、椿嬉は花月を連れてすぐに戻ってきた。
「花月殿にお伺いしたいことがあるのですが。
寄席に行ったことがあるというのは本当ですか?」
花月が部屋にやって来るやいなや菊守が質問すると、花月はふっと自然に笑顔を浮かべた。
「はい。先日、十夜と二人で行ってきたばかりです」
花月の口から十夜の名が出るのを聞いて、葵亥はこっそり傷ついた。
十夜の事を呼び捨てにし、二人で寄席に行くくらい仲が良いということまで知りたくはなかったが、ここは一旦そのことは置いておいて肝心の寄席についての話を聞かなければいけない。
「私たち三人で行ってみたいのですが、要領が分からずどのようなものかと思いまして」
今度は葵亥が質問した。
「葵亥様と菊守様も行かれるのですか?それなら…色々と準備が必要ですね」
花月が葵亥と菊守の事を眺めてから、考え込むように言った。
「準備が必要、なのですか?」
葵亥は確かに寄席には行ったことはなかったが、ただ行って座って話を聞くというものではないということなのだろうか。
「椿嬉さんはともかく、お二人は…目立ちますから。寄席に行くには着物が上等過ぎますし」
「そうなんですか?」
菊守が自分の着物を眺めながら聞いた。
「寄席は庶民の集まるところですから、上流の御方はまず変装して身分をお隠しになっていらっしゃっていると聞きます」
「確かに、望月殿もそうおっしゃっていました」
葵亥は望月姉妹の言った事が少し分かってきた。
上流の者が身分を隠して見に行くというのは、つまり庶民に変装して目立たぬようにするということだ。
しかし十夜だって普通よりは十分上等な着物を着ているはずだ。
「十夜殿も良い着物を着ていますが、十夜殿も変装するのですか?」
「いいえ、十夜は商家の息子ですから多少目立つのは良いのです。
それに葵亥様たちの着物の方が十夜の着物よりはるかに上等なものですよ。見る者が見れば一目瞭然です」
一目瞭然、そんなに違うのだろうか。
葵亥にはそこまでの知識は無い。
「私のこんな地味な着物でも分かるのですか?」
葵亥の質問に花月は口元に手を当てて微笑した。
「ふふ、色味や柄の派手さは質とは関係ないのですよ」
「それでも見るだけで分かるとは、花月殿は着物に詳しいのですね」
葵亥には着物の事は大雑把にしか分からない。
明らかに高価そうなものと安物との区別ならつくが、今葵亥の着ている地味な何の特徴もないような物は分からない。
「実家が商家ですから、それくらいの目利きならできます。
それに、葵亥様と菊守様が庶民のふりをするとなると、着物をどうにかするだけでは駄目だと思います。
葵亥様は市井でもまあまあ顔が知られていますし、菊守様のようなお美しい方は目立ちますし…」
花月の実家は商家だということを葵亥は初めて聞いた。
それなら同業の十夜と交際があるのも不思議ではないのかもしれない。
「十夜さんに相談したらどうにかしてもらえないかしら?」
椿嬉が提案した。
葵亥はここで十夜に頼るのはなんとなく心地よくなかったが、そうするより仕方がない。
「そうですね。十夜ならなんとかできると思います」
「それなら早速、梅立商店へ行きましょう!花月、口をきいてくれるかしら?」
「はい、お任せください!急に出向いたら十夜驚くかしら」
花月が楽しそうにそう言うのを葵亥は複雑な思いでやり過ごした。
花月と梅立商店へ行くのはものすごく気が進まなかったが、これも真朝隊の情報を得るためと割り切る努力をすることにした。
花月と椿嬉が出かける準備をしに行ったところで、葵亥の苦悶の表情に気が付いた菊守が小声で声をかけてきた。
「葵亥殿、安心して下さい。私の調べたところでは、恋物語では主人公の恋敵が必ずと言っていいほど登場します。
しかし何かしらの出来事が起きて主人公は意中の相手と結ばれるんですよ。
恋敵が現れたということは今のところ順調だということです」
菊守は自信満々に謎の理論を並べているが、葵亥には菊守の話が全く掴めずにいた。
まずどこから質問したら良いのだろうか。
「…あの、ありがとうございます。
しかしその、菊守殿はどこでそんな事を調べたのですか?」
菊守は笑顔で袖から一冊の本を取り出し、葵亥に渡した。
「こつこつ勉強しています。二十冊以上読みましたから、だいたい分かってきました。
これは葵亥殿に差し上げますからしっかり読んでください」
葵亥が菊守から押しつけられた本には『万屋の縁結び』と題が書かれている。
「あっ、私がこっそり本を買っていることは導仁殿には内緒ですよ」
導仁がなぜ菊守から本を取り上げるのか葵亥は分かった気がした。
しかし目の前の無邪気な笑顔の菊守は本当に憎めない人物だ。
「菊守殿はいつも本を持ち歩いているのですか?」
「まさか。今日は出かける前に読んでいたら、導仁殿が急に部屋にやってきたので急いで袖に隠したのがそのままだっただけですよ」
「なるほど。しかし残念ながら菊守殿の考察は私には役に立たないかもしれません。
私は主人公という器じゃありませんから」
「何を仰っているんですか。
人生とは皆それぞれが主人公の物語なんですよ」
それはなんだか聞いたことのあるような無いような話だ。
「それなら私のは主人公の個性が地味過ぎて面白くない話になりそうですね」
葵亥の自虐に菊守は笑うことなく真面目な顔で答えた。
「葵亥殿はそれをお望みなのではありませんか?
実力や素質はあってもなるべく脚光を浴びたくない質でしょう」
菊守の言葉は図星すぎて葵亥には返す言葉が思いつかない。
「…それも二十冊の本から得た考察ですか?」
「いいえ、これは葵亥殿の友人として得た考察です。
葵亥殿には私という友人がいるじゃないですか。
主人公の友人らしく支えになりますよ」
菊守の理論ははっきり言ってめちゃくちゃで何の参考にもなりそうにないのだが、葵亥には目の前のこの美男子が何故か頼もしく見えた。
「不思議ですね」
「何がですか?」
「なんだか自分が主人公らしい感じがしてきました」
「だから初めからそのように言っているじゃないですか」




