小さな彫刻
「葵亥殿と椿嬉殿へ渡したいものがあるんです」
菊守が架橋神社へ来るやいなや、嬉しそうな顔をして懐から小さな物をとりだし、葵亥と椿嬉の手にそれを一つずつのせた。
葵亥の掌の上の物は、組紐の先に小さな四角い木製の物が付いていて、根付のようだった。
葵亥が四角い木の部分を指で摘んで顔の前でよく見てみようとしていると、椿嬉が隣で急に飛び上がった。
「菊守様!これは!一体どうしたんですか?!」
「私が作ったんですけど、どうでしょうか?」
菊守が椿嬉の顔色をうかがうように聞いた。
「すごくかわいいです!もらっても良いのですか?」
椿嬉があまりに嬉しそうに飛び跳ねるので、小さな土煙が立つほどだった。
しかしそんな椿嬉にも負けないくらい、菊守もとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
「もちろんです。気に入ってもらえてうれしいです」
二人のはしゃぐ様子を横目に、葵亥はやっとその木製の四角いものが何なのか分かったところだった。
「これ、百度石と文字が彫ってありますね。
菊守殿が彫ったのですか?」
「はい。ちゃんと四角い形もあの百度石に似せて削って、そこに文字を入れたんです。
結構苦労して練習したのですよ」
菊守が直々に木を削って作っている様子は想像できなかったが、こんなに小さな文字を彫るのはとても難しいだろう。
「これはすごいですね」
「そして組紐も私が編んだのですよ」
菊守が木製の小さな百度石に付いている組紐の部分を指さした。
「これもですか?とてもきれいに編んでありますね。
菊守殿は手先が器用ですね」
葵亥が感心して菊守の作った百度石を観察した。
「以前、椿嬉殿に私は完璧主義だと言われた時から、それを何か活かせないかと考えていたんですよ。
丁寧に自分の気の済むまで作りこむというのが性に合っているようです」
「しかし彫刻なんてよく思いつきましたね」
「元々は和子からの提案だったんです。
私に神仏の彫刻の作り方の本を渡してきて、作れるようになってくれと言われたのです」
「和子殿は神仏の像を集めていらっしゃるのですか?」
和子がそんなに信仰心の深いとは知らなかったと思っていると、菊守が目を細めて怪しげな微笑みを浮かべていることに気がついた。
「いいえ。上手く作れるようになったら、葵亥殿の像を作ってくれと頼まれているんです」
「なっ、なんで私の像なんですか?!」
全く予想していなかった展開に葵亥は急に冷汗をかいてしまった。
「憧れの御方を自室に飾るためでしょうね、普通に」
椿嬉が至極当前のように言うが、葵亥には全く理解できなかった。
「ふ、普通に?」
葵亥は頭の中をやっとのことで整理して、菊守に対して絶対にそんな物は作ってくれるなという気持ちを言葉にしようとした結果、出てきた言葉はこれだった。
「…それで、作ったのですか?」
「作ってませんよ。まだ」
「まだ、とは…?」
菊守が美しい笑顔で黙っているのが葵亥にはとても怖かった。
「さあさあ、今日は記念すべき百日詣の百日目ですよ!」
椿嬉の顔にも不敵な笑みが混じっているのを葵亥は気がついていた。
手水舎で柄杓でとり心身を清めて柄杓を元の場所に置いた。
龍の口から出る水が水盤に注ぐ様子は、ずっと見ていられる気がする。
「私はこの龍の手水舎、気に入りました」
葵亥は手拭いで手を拭きながら呟くと、そばで椿嬉が微笑んで頷いた。
「私もこの龍は好きです。特にこの口元がかわいくて」
椿嬉はこの強そうな龍がかわいいらしい。
しかしそんな椿嬉の独特な感性も、葵亥には椿嬉の魅力的な個性と思える。
「椿嬉殿らしいですね。
でもなぜ手水舎にいるのは龍なのですか?」
菊守が柄杓を置いて手拭いで手を拭きながら聞いた。
「龍は水を司る神とされているからでしょう。
神社によっては吐水口が龍ではないこともありますけど」
「龍ではないということは、他の霊獣ですか?」
菊守が興味津々な眼差しで聞いた。
菊守は今度はこの手水舎の龍の彫り物でも作りそうな勢いだ。
「龍が多いですけど、ここからすぐ近くに亀の吐水口の手水舎がある神社がありますね。
私も生まれ育った土地と京の都しか知らず扇土の国からは出たことがないので、書物から得た知識でしかありませんが、他の生き物や、生き物でない場合もあるみたいです」
「亀の吐水口、見てみたいですね」
葵亥も思わず口を挟んでいた。亀の吐水口なら少し興味がある。
椿嬉が満足げに微笑み菊守と葵亥の顔を見て言った。
「それならさっそく今度見に行きませんか?
百日詣は本日で終わりです。後で説明しようと思ったのですが、明日からは別の事を色々とやってもらいます。
その一つとして、他の神社に行ってみましょう」
「次の段階というわけですか。
それにしても他の神社に行くのは少し楽しみですね」
葵亥はそう答えてから菊守の顔を見ると、菊守は葵亥が思っていた以上に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「はい、楽しみです。集合場所はここで良いでしょうか?
近くの神社とはここからどれくらいの場所ですか?馬はいりませんか?」
菊守が今まで聞いたことのないくらい早口で一気に話すのを聞いて、葵亥と椿嬉は思わず顔を見合わせ、それから二人で吹き出した。
「菊守殿、わくわくしすぎですよ」
葵亥が笑いながら言うと、また椿嬉が余計に笑い出した。
「そうですよ。ふふっ。
それに私、馬なんて乗れませんし。
大丈夫です、近いので歩いて行けますよ」
椿嬉がなんとか言い終えると、菊守が照れ笑いしながら言った。
「すみません、ちょっと浮かれすぎました」
「道中、お団子屋さんがありますから、帰りにでも寄っていきましょうね」
椿嬉の言葉に菊守がまた顔一面眩しい笑顔になった。
「それは良いですね!」
菊守の素晴らしく眩しい笑顔にもやられないでいられる椿嬉に葵亥はこっそり感心していた。




