予感
八百屋の前を通りがかるとき、葵亥は花月の姿を探していた。
いつ買い出しに行くのかわざわざ聞くのはさすがによくないと思い、たまたま出くわすのを期待していたからだ。
そして今、まさにそのたまたまが巡ってきて、花月が買い物をしているのを見かけた。
前回、荷物持ちを引き受けた時から少し経っているし、今声をかけてもきっとしつこいとは思われないだろう。
葵亥は荷物持ちを買って出ようと、意気揚々に声をかけようとした。
「か⋯」
花月の名を呼ぼうとしたが、花月の隣に背の高い男がいることに気が付き葵亥は躊躇った。
男は花月の肩に手をのせて、親しげに話しかけているように見えた。
花月の方もそれに対して迷惑そうな素振りはなく、笑顔で会話をしている様子だ。
遠目から見ても男が市井の一般的な人々よりも、上等な着物を着ているのが分かる。
どこかの金持ちの若者なのだろう。
男は花月の代わりに八百屋の主人から野菜を受け取った。
花月と男は五姫婆の屋敷の方へ向かって相変わらず楽しげに話しながら歩き始めたが、その男の横顔を見て、葵亥はそれが梅立十夜だと気が付いた。
二人の間に割って入るなどできるはずもなく、葵亥は仕方なくその場を離れることにした。
十夜には西倭道場で出待ちするほどの親衛隊がいるということを花月は知っているのだろうかと、葵亥は余計な心配をしながら一人さびしく葉香園へ向かうことにした。
葵亥がとぼとぼと葉香園にたどり着くと、店の前に見慣れない猫がいた。
身体は全体的に白いが頭の部分だけ黒い毛が生えていて、人間の前髪の様にも見えてなんとも妙だ。
猫は平皿に盛った餌を夢中で食べている。葵亥は猫の気を惹かぬようにそっと避けるようにして店の中へ入っていった。
「いらっしゃいませ」今日も四葉が明るく接客をしている。
案内された席に座り、周りを見渡すと、店内にはぽつぽつと客が座っていた。
一人は新年祝賀会で椿嬉が葉香園で見たと言っていた男だと分かった。
確かにあの男は以前にも見かけたことがある。
葵亥はふと向かいの壁に一枚の絵が飾ってあることに気が付いた。
右側に大きな満開の桜の木が描かれていて、左側には木よりも少し遠くにある神社の一部が描かれている。
神社の大きな赤い鳥居、その奥に石でできた柵のような物と、さらに奥に建物(おそらく拝殿だろう)が描かれている。
どこの桜の木なのか、どこの神社なのかはわからない。
その風景に見覚えはなかったが、葵亥は何故か懐かしさを感じた。
四葉が茶と豆菓子を持ってやってきたので、葵亥は絵について聞いてみることにした。
「あの壁に飾ってある絵はなかなか良い絵ですね」
「ああ!あれはお得意様からいただいたんですよ。素敵な絵ですよね」
「はい。どこの風景なのかご存知ですか?」
四葉は頬に手を当てて少し考えてから言った。
「それは聞いていないので分からないですけれど…絵は尾木の国で買った物と聞いた気がします」
「なるほど、尾木の国ですか。
なんとなく懐かしい感じがしたのは、そのせいでしょうか」
「葵亥様はあの場所をご存知なのですか?」
葵亥は首を左右に振った。
「それが知らないのですよ。なのに何故か懐かしい。
その理由が気になってしまって」
「特に尾木の国らしい風景というわけでもないですよね?
何故葵亥様には懐かしく感じるのでしょう。不思議ですね」
四葉はじっくりと絵を観察しながら言った。
「本当に」
葵亥はもう一度絵を見てみたが、特に尾木の国を特徴づけるような建築は描かれていない。
葵亥は自分がこの絵の何に気を惹かれているのか分からなかった。
「不思議ですけど、なんだか良い予感がしませんか?」
四葉の声が明るい調子に変わっていた。
葵亥が目線を絵から四葉の顔へ移すと、四葉は微笑みを浮かべていた。
「良い予感、ですか?」
葵亥が聞くと、四葉は自信たっぷりに胸を張って答えた。
「ええ。だって、懐かしいって気持ちが悪いものなはずありませんから」
四葉の言葉を聞いて葵亥は思わず微笑んだ。
「確かにそうですね。
四葉殿は人を幸せにする言葉を使いますね」
「えっ?私がですか?そうなのかしら?」
「はい。私はもうあの絵を見るたびに良い予感を感じるでしょうから。あの絵は私にとって幸運の絵になったのですよ。
四葉殿の言葉のおかげです」
「あら、葵亥様こそ人を幸せにする言葉がお上手ですよ。
もしあの絵のことで何かわかったらお伝えしますね」
四葉が行こうとしていたが、葵亥はもう一つ聞きたい事があったことを思い出した。
「あっ、四葉殿。もう一つ聞きたいのですが」
「なんでしょうか?」
「店先に猫がいたのですが、あの猫は葉香園で飼っている猫なのですか?」
葵亥の質問が意外だったのか四葉は少し笑ってから答えた。
「ふふっ。あの猫ですね。
あの猫は野良猫だったのですけど、やせ細ってかわいそうだと父が餌をやったら、そのままここに居着いてしまったんです。
私達も猫は好きですし、看板猫にもぴったりだということで自然と飼うことになった形なんです。
とってもかわいくてお客様にも大好評なんですよ。
どなたか、大切にしてくださる方がいればお譲りしようと思うのですけれど。
葵亥様、よかったら抱っこしてみますか?」
四葉の提案に葵亥は慌てて両手を振った。
「いえいえ!それは大丈夫です。
少し気になっただけなので。
仕事の邪魔をしてしまいすみませんでした」




