餅つき
所司代の屋敷では、庭に餅つきのための臼が置かれ、杵を持った酉貴が餅をついていた。
葵亥は庭が見える広い座敷に椿嬉、雪笹、五姫婆を案内した。
使用人の女性たちもここから庭の様子を見ながらくつろいでいる。
酉貴や菊守はここでも女性たちの注目を集めているようだ。
葵亥は庭に出て行くと、酉貴が杵を菊守に渡して交代するところだった。
「葵亥、菊守殿が終わったら交代してくれ。
実はもうだいぶできてきてる」
「結構早いですね」
葵亥が感心していると、酉貴が菊守の方を見て言った。
「最初、菊守殿が杵をなかなか離さなくてね。
随分と一生懸命にやってくれたんだよ。
本当に楽しそうで見ているこちらまで気分が良くなるな」
「ああ、なんか想像つきます」
確かに、菊守が餅つきを始めると周りの者も楽しそうに盛り上がっている様子だった。
「ああいう武将は強いぞ。軍の士気が高まる」
「はは、さすがにそんな危険な真似はさせられませんけどね」
「武の力の話ではなく、民を統べる力の事だ」
「民を統べる力?」
「ああ、そうだ」
酉貴はそれ以上何も言わず、ただ口元に優しい笑みを浮かべて菊守を見ていた。
それからふと、葵亥の方を見て思い出したように口を開いた。
「ところで葵亥、お前香袋でも持っているのか?
京の都へ来てからお前からほんのり沈香のいい香りがする」
「椿嬉殿からいただいたんですよ」
葵亥は懐から香袋を出して見せた。
「洒落た贈り物だ。
それにしても尾木で私が何度勧めても着物に香を焚くのを拒否していたのに。お前も変わったな」
「酉貴兄が『女性の気を引く』とか何とか言うから胡散臭くて嫌だっただけですよ」
「胡散臭いとは失礼だな。
追風用意と言って、立ち去る時に風とともにほのかに香りを残すのは、武士のたしなみの一つなんだ。
そして匂いというのは無意識的な記憶に残りやすい。
何かの折にそれと同じ香りを嗅いだ時に、その人物が思い出されるという効果がある」
「はあ」
「今ちゃんと人の話聞いてなかっただろ」
「いえいえ、聞いてましたよ」
「まあ、いい。そろそろ菊守殿と交代してこい」
葵亥が菊守の方を見ると、確かに菊守は楽しそうではあるがもうずいぶんばてていた。
葵亥は急いで菊守の方へ杵を受け取りに行った。
皆が餅を食べ終わってしまうと、座敷では各々が自由に過ごしていた。
葵亥と酉貴は菊守と義巳が将棋を指すのを観戦していたし、椿嬉と導仁と雪笹は独楽回しで競っていた。
葵亥は、元旦というのはこうでなければいけないと思った。
「義巳殿、少し良いかい?」
菊守が義巳に勝ち将棋盤を片付けていると、五姫婆が真面目な顔で言った。
確かこちらに来る前に、五姫婆は義巳に話があると言っていた。
「実は真朝隊の事で、少し情報があるんだよ」
五姫婆の口から真朝隊の名がでるとは思わなかったので、葵亥は少し驚いた。
「真朝隊の事ですか。それはどのようなお話でしょうか?」
義巳も真朝隊と聞き、姿勢を整えて座りなおしていた。
気が付くと葵亥以外にも、皆が自然と義巳と五姫婆の周りに集まって座っていた。
「古い記録をあさっていたらたまたま見つけたんだ」
五姫婆は一冊の古い本を取り出した。
「100年ほど前に一度壊滅したという真朝隊についての記録だ」
五姫婆はぱらぱらとページをめくり、該当の箇所を指さした。
「これは⋯京の都の地図ですか?」
義巳が言う通り、本には確かに古い京の都の地図らしきものが描かれていた。
真ん中あたりに宮廷があり、この所司代の屋敷はその南西に位置する。
「ああ、これは昔の京の都の地図だ。
そしてここが現在の葉香園の場所だ」
五姫婆が指し示した場所には『茶屋、真朝隊集会所』と記載がある。
以前義巳が言っていた、葉香園の建物が真朝隊の拠点であったという話と合致する。
「以前、真朝隊の三人組が葉香園の建物を買い取りに来たそうだね」
葵亥は地図をもう一度よく見てみた。
現在の葉香園、すなわち地図上の『茶屋、真朝隊集会所』は、所司代の屋敷の少し東にある。
尊皇派の真朝隊は幕府からやって来た所司代を目の敵にしていたはずだ。
それなのに結構近い距離に拠点を置いている。
しかし同時に宮廷の南東に位置するとも言える。
真朝隊にとっては支持したい宮廷の近くに陣取るのはおかしくない話だ。
また、五木婆がページをめくる。
「そしてこの記述。『真朝隊約八十人が所司代屋敷に襲撃』
当時の幕府は真朝隊の存在を危険視していたから、所司代の屋敷の警備はかなり厳重だったとも書いてある。
普通に襲撃しても幕府の武士達が相手では、一人も門の中に入ることはできないだろうね。
しかしここには、真朝隊が門を通らずあっさりと屋敷の塀を越えて内側に到達したと書かれている。
結局それでも真朝隊の者は捕らえられたが、これには幕府側も少し苦戦したようだ」
「外の守りを固めていたのに内から攻められたとなると、さすがにひるみますからね。
しかしそんなに簡単に塀を越えられてしまうとは。
ここの塀はかなり高くて梯子を使わないとさすがに登れません。
当時はもっと塀が低かったんでしょうか」
義巳が葵亥が思ったのと同じ疑問を口にした。
「いや、塀は昔も同じのはずだ。
理由はこれだよ。『真朝隊は集会所から所司代の屋敷まで、建物の屋根を伝って侵入した』」
「屋根?」葵亥は思わず声をあげた。
五姫婆は先ほどの京の都の地図が描かれていたページに戻した。
確かに真朝隊集会所から所司代の屋敷までは建物がぎっしりと連なっている。
そしてそのことは現在の京の都でも同じだ。
「なるほどな。真朝隊が葉香園を買い取り来た理由はそれか」
酉貴が言った。
「やはり葉香園をやつらに取られるのはまずいな。
引き続き警備の者を配置しておこう。
五姫婆、ありがとうございました」
義巳はお礼を言うと早速部下の者たちのところへ行くと言って立ち去った。
「さて、あたしは帰るとするよ」五姫婆も立ち上がった。
「私達も御暇するわ。今日はごちそうさまでした」雪笹が言った。
「それではまた私がお送りします」
葵亥が立ち上がると、椿嬉がくすくすと笑って言った。
「葵亥様は花月が目当てなんでしょう?」
「そういうわけでは⋯」
「花月?五姫婆の屋敷の使用人だな。私も知っているぞ」
酉貴がにやりとして言った。
「葵亥様は今日の餅つきに花月を誘ったんです」
椿嬉がまるで葵亥の悪事を言いつけるように酉貴に言った。
「ほほう」
「俺は使用人の方皆を誘ったんです」
「ほほう」
「その返事鬱陶しいのでやめてください」
「葵亥、お前にしてはなかなか上手く誘ったな。
だがもう少し仲良くなってからの方がよかったんじゃないか?」
酉貴が葵亥の肩に手を置き、励ますような慰めるような口調で言った。
「俺のことはいいです。
だいたい、酉貴兄だって人のことは言えないでしょう」
「はは、それもそうだな」
酉貴はこれでいて本命には奥手なのを葵亥は知っている。
「葵亥様って家では俺って言うタイプなんですね」
椿嬉に言われて、葵亥は酉貴と話しているうちについつい素が出ていたことに気がついた。
「あ、すみません。つい酉貴兄の悪ふざけに乱されてしまいました」
「葵亥殿の素も見られたことですし我々もそろそろ帰りましょうか。
明日の新年祝賀会の準備もありますし」
導仁の言葉で皆は所司代の屋敷を出た。




