探視
看護ステーションへ戻ると、花音と紗綾は急いで更衣室へ入り、すでにびっしょりと汗で濡れてしまった制服を脱ぎ、それぞれロッカーから予備の清潔な制服を取り出して、手際よく着替えを済ませた。
「花音、先に弁当を温めてきて。私は今すぐ遠山さんの主治医に連絡して、退院について相談したいというご意向をお伝えするわ。」
「うん、わかった。」花音は頷いて受け止め、弁当箱を手に取ると、休憩室へと向きを変えた。
そのころ、紗綾はさっと自分のデスクのパソコンの前に座った。彼女は慣れた手つきでキーボードを叩き、すぐに遠山さんの電子カルテを開いた。
見ていると、画面右下に今日の予定を知らせるポップアップが表示され、そこには患者さんに来訪予約があることが明記されていた。来訪者の名前は蕭珊雅、関係欄には「ルームメイト」と記され、予約時間は午後三時ごろに設定されている。
「そうか、今日は遠山さんに来客があるのね。」青木紗綾は小さくつぶやき、続いて壁掛け時計を見やる。針は十二時四十分を指していた。
彼女は素早く頭の中で時間を計算し、低い声で言った。「遠山さんと退院の話を二時ごろには済ませておいたほうがよさそうね。でないと、後の来訪の予定に影響が出てしまうかもしれないわ。」
そして、カルテの主治医の欄に目を落とすと、「真島美佳子」と記されていた。
「真島先生に急いで会いに行かなきゃ。」彼女はすぐに立ち上がり、三階にある真島先生の診察室へ向かった。
そのとき、診察室では真島先生が俯いて熱心に報告書を読んでいた。報告書には、病院の特殊病棟で原因不明の機器トラブルが多発し、さらに玄関の電子ロックシステムも断続的に機能不全を起こしていると記されていた。特別な患者たちの安全確保のため、院内では患者を予備の病室へ移し、設備の点検・修理を行うことになったのだ。
「特殊病棟の設備でこんな大規模なトラブルが起きたのは初めてだ。いったいどういうことなのかしら……」
ドンドンドン――。
急なノックの音が響き、真島先生の思考を中断した。彼女は報告書を引き出しに押し込み、「どうぞ」とドアに向かって声をかけた。
青木紗綾がドアを開けて入室し、真島先生の机のそばへ進むと、遠山さんの退院希望と午後に訪れる方の来訪予定について、簡潔に説明した。
「真島先生、遠山さんには午後三時に来訪の予約があります。もし可能でしたら、二時までに退院に関するお話をしていただけませんでしょうか。時間的に重ならないようにしたいので。」
「そうだったのね。」真島先生は話を聞き、手元の報告書をひとまず脇へ置くと、振り返ってMacの画面を開いた。ディスプレイが点灯すると、遠山凛さんの電子カルテを素早く呼び出し、直近の各種生理データや検査結果をざっと確認した。そして頷きながらこう言った。「数値を見る限り、遠山さんの回復状況は確かに安定しているわ。ただ、念のため、今日はもう一度再検査を実施して問題がないことを確かめましょう。それでOKなら、明日正式に退院手続きを進めることにします。」
確認を終えると、真島先生は紗綾に向けて言った。「具体的な段取りは二時までに遠山さんと直接話すわ。あとは私にお任せくださいね。」
「わかりました。それでは、お忙しいところ失礼いたします。」
返事を受け取ると、紗綾は診察室を出て看護ステーションへ戻った。
休憩室の前を通るとき、花音が温めたばかりの弁当をテーブルに並べているのが見えた。彼女がようやく腰を下ろしたところで、青木紗綾が看護ステーションに戻ってきた。
「紗綾、戻ってきたの?真島先生とはうまく話せた?」
「真島先生は、今日はまず一通りの再検査をして、その結果次第で退院できるかどうか判断しましょうって。検査が順調なら、遠山さんは明日には帰れるはずよ。」
「それはよかったね。遠山さんが無事に回復して、一日も早く退院できますように。」
紗綾は軽く相槌を打ち、自分のデスクへ向かって腰を下ろそうとした。すると、パソコンの前に開封されたヨーグルトが置いてあり、中にシリアルが混ぜてあって、とても気遣いを感じるものだった。
「あ、これは私の用意したヨーグルトよ。」花音はそれを見て慌てて説明した。「私の弁当が水で濡れちゃったから、あなたが自分の弁当を譲ってくれたでしょ?だから、私のヨーグルトを少し分けてあげようと思って、それにシリアルもちょっと加えてみたの。」
紗綾は胸が温かくなり、微笑んで言った。「ありがとう、花音。」
ちょうどそのとき、休憩室にいたほかの看護師たちも次々と席を立って部屋を出ていった。花音が壁掛け時計を見上げると、針は十二時五十分を指し、昼休みの終わりまであとわずか十分しか残されていない。
「早くお昼食べないと、午後は子どもたちの定期健診があるからね。」花音はそう言いながら弁当箱を開け、手際よく食べ始めた。
紗綾もにっこりと頷き、スプーンでヨーグルトをすくって口へ運んだ。
二人はあっという間に昼食を終え、制服を整えてから、一緒に小児病棟へ向かった。
ほどなくして午後二時になり、青木紗綾は主治医の真島美佳子先生を伴って遠山凛さんの病室へ到着した。
真島先生は遠山凛さんに最近の体調を丁寧に尋ね、特に傷口周辺の痛みについて、程度や頻度、ほかに何か違和感はないかなどを詳しく確認した。
その後、真島先生の合図で紗綾が胸に巻かれた白い包帯をほどき、真島先生は身をかがめて傷の状態をじっくりと観察した。
しばらく様子を見たあと、真島先生はしばし考え込むようにしてから、こう述べた。「ここまでの回復経過と先ほどの診察から判断すると、最後の抜糸を行ってもよさそうです。」
真島先生の言葉を聞いて、遠山凛さんは心底安堵した。
「ありがとうございます、真島先生。」彼女は感謝の気持ちを込めて言った。
「ただし、万全を期すために」と真島先生は続けた。「今日は退院前の総合的な再検査をもう一度受けていただきたいと思います。この検査では、身体の主要な各機能の回復状況を改めて系統立てて評価します。すべての項目で異常がなければ、明日正式に退院手続きを進めることが可能です。自宅では激しい運動を避け、傷口が裂けてしまわないよう注意してください。」
「はい、わかりました、真島先生。」
「では、ほかに何もなければ、これで失礼いたします。」そう言って、真島先生は病室を後にした。
病室は再び静けさを取り戻し、紗綾は治療用ワゴンから新しい包帯や消毒綿を取り出し、遠山凛さんの傷口をきれいに再包帯した。
巻き終わりながら、彼女は遠山凛さんにこう告げた。「こちらの処置が終わったら、私が直接検査部門へ行って、再検査の具体的な手配を進めてきます。今のところ、再検査の日時は本日午後四時と決まっています。それまでは、ここでゆっくりと安静にしていてくださいね。」
紗綾はあっという間に包帯を完了させ、手際よく包帯やテープ類をワゴンへ戻した。
最後の仕上げもきちんと終えたことを確認すると、彼女は遠山凛さんに向き直って言った。「今日は午後に一人の女性がお見舞いに来られます。あなたのルームメイトだそうですね。名前は蕭珊雅さん。以前に病院の規定に従って面会申請を提出し、承認を受けています。おそらくあと少しでいらっしゃるはずです。」
「わかりました、青木さん。本当にご迷惑をおかけしてしまって……」
紗綾はほほ笑みながら続けた。「遠山さん、安心してくださって結構です。検査部門とのやり取りは私がしっかり調整して、あなたとお友だちのお会いになる時間が遅れないように努めますから。」
そう言うと、青木紗綾は治療用ワゴンを押しながら病室を後にした。
そのころ、病院近くの街では、蕭珊雅が人波の多い商店街を足早に歩き、手には上質な包装の果物の箱を抱えていた。
目立たないよう、彼女はいまやすっかり装いを変え、長い髪を二つの三つ編みにまとめ、鼻筋には厚めの透明の眼鏡をかけ、頬には雀斑シールをいくつか貼っている。今では「月野ウサミ」という普通の女の子に見事に扮していた。
ひっきりなしに流れる人々の間を巧みに縫いながら、彼女は周囲を警戒するように見渡していた。
「あの人が近くにいませんように……」心の中で祈りながら。
いつの間にか彼女は信号交差点に差し掛かった。人々は整然と赤信号を待っている。蕭珊雅は道端のカフェに視線を向け、明るいガラス張りの扉越しに店内をのぞき見た。
そのとき、店頭で接客していたのは別の女性スタッフだった。彼女は肩まで伸びる髪をひとつに束ね、毛先にわずかなカールを残し、忙しくホールを行き来していた。動きはまだ少しぎこちなく、どうやら来たばかりの“インターン”らしい。
「原田さんは今日はいないのかしら?」蕭珊雅は思った。
信号が青に変わり、群衆が動き出すと、蕭珊雅は視線を外し、歩道の人波の中に溶け込んでいった。
病院の正面玄関に到着すると、蕭珊雅は一目散に一階の女子トイレへ向かった。彼女は慣れた手つきで個室に滑り込み、鍵を内側からかけ、バッグから小さな鏡を取り出して、素早く着替えを始めた。顔の雀斑シールを剥がし、視界を遮っていた透明眼鏡を外し、きつく結んだ三つ編みをほどいて肩にさらりと垂らした。
こうして素早く身なりを整えると、冷静で落ち着いた本来の蕭珊雅が鏡の中に姿を現した。服装をひととおり整え、隙がないことを確認してから、ドアを開けて個室を出た。
トイレを出ると、蕭珊雅は一階の受付へ向かい、そこに座っていた看護師が顔を上げて尋ねた。「こんにちは、何かお手伝いできることはございますか?」
「こんにちは、お見舞いに来ました。遠山凛さんを訪ねています。」
看護師は彼女の様子をじっくりと二秒ほど眺め、指先でパソコンのキーボードを軽く叩くと、ほどなくして遠山凛さんの患者情報が画面に表示された。
「蕭珊雅さんですね?こちらの記録では、午後三時の面会予約が確認されています。」
「はい、そうです。」
看護師は話を聞くと、横のボックスから青い臨時来客カードを一枚取り、専用のケースに入れて差し出した。
「蕭珊雅さん、お客様のご案内は以上です。面会時間は三十分間です。お帰りの際には、カードを受付の回収ボックスへお戻しくださいね。」
エレベーターを降りて病室の前へやって来た蕭珊雅は、そっとドアをノックした。
中から「どうぞ」という声が聞こえた。
蕁珊雅がドアを開けた瞬間、遠山凛さんがベッドのヘッドボードにもたれて漫画本をめくっているのが見えた。
遠山凛はドアの外に立つ蕭珊雅を見て、そっと漫画を閉じ、「こんにちは、蕭珊雅さん。どうぞ中へ入って」と声をかけた。
「はい、それでは失礼いたします。」蕭珊雅はそう答え、ドアを静かに閉じると、持参した果物をベッドサイドテーブルに置いた。
「今日は体調はどう?」
「まあ、ずいぶん良くなってきたわ。」遠山凛は答えてから、ふと表情を引き締め、「蕭珊雅さん……」と言った。
蕁珊雅は即座にその意味を悟り、廊下をちらりと見て誰も通っていないのを確かめると、声を潜めて言った。「今朝のニュースのことでしょう?」
「ええ。」遠山凛は頷いた。
「クマの死体の状況を見る限り、きっと蝕刻の姫の仕業よね。」
「この怪物たちはもう人間だけを狙うのではなく、動物まで狩り始めて、自分たちの殺戮欲求を満たそうとしているの?」
「彼らには私が何とかするから、安心して。」蕭珊雅は落ち着いた口調で、遠山凛をなだめようとした。
「ところで、最近またあの特殊な蝕刻の姫に遭遇したことはある?」遠山凛は少し不安げに尋ねた。あの蝕刻の姫は狡猾で再生能力まで備え、蕭珊雅の力だけでは到底太刀打ちできないだろう。
「まだ出会っていないわ。」蕭珊雅は首を振った。「もしかしたらまだ復活していないか、あるいは完全に消滅してしまったのかもしれない。」
遠山凛は服の上から自分の胸元をそっと撫で、「先生によれば傷の治りは順調だし、今日の再検査で問題がなければ、早ければ明日には退院できるそうだけど、戦闘能力を取り戻すにはまだまだ時間がかかるみたい」と語った。
「今はとにかく体をしっかり養生することが最優先よ。体が回復してから、また一緒に次の対策を考えましょう。」蕭珊雅は励ました。
しかし遠山凛はなお不安で、左手の甲に隠れた印をじっと見つめ、蕭珊雅に問いかけた。「蕭珊雅さん、世の中には私たちのように蝕刻の姫に立ち向かえる仲間がほかにもいるのかしら?もし見つけられたら、勝算も少し高まるかもしれないのに。今のところ、私たち二人だけじゃ蝕刻の姫たちを全部相手にするのは無理だし、毎日たくさんの人が彼らの手によって命を落としているのよ。」
蕁珊雅はしばらく沈黙したあと、口を開けて言った。「私も確信は持てないわ。でも、今のあなたにとっていちばん大切なのは、まず体をしっかりと養生すること。これからのことは、明日退院してからじっくり考えましょう。」
「わかったわ。」遠山凛は蕭珊雅をこれ以上不安がらせないよう、とりあえずその言葉を受け入れた。
以降、二人はあえて軽い話題で会話を弾ませたが、蝕刻の姫の脅威は常に頭上に覆いかぶさり、消えることがなかった。話しているうちに自然と話題は途切れた。
三十分間の面会時間はあっという間に過ぎ去り、看護師さんが再検査の準備のために部屋へ入ってきて、遠山凛さんにその旨を告げた。蕭珊雅は遠山凛の再検査を邪魔しないよう、そそくさと退出の準備を始めた。
病室のドアの前でふと立ち止まり、彼女は改めてこう付け加えた。「日花さんはシンガポールへ出張中なの。社会実践の授業に出かけることを彼女には伝えておいたから、明日帰ってきたら電話して、怪しまれないように気をつけてね。」
「うん、覚えておくわ。」遠山凛はそれを聞いてほっと胸をなでおろした。いま自分が蕭珊雅と一緒に、誰にも知られずにこんな危険なことをしているのだ。もし叔母さんに胸の傷が見つかってしまったら、一体どう説明すればいいのか、まったく思いつかない。
「それじゃ、まずは失礼するわ。しっかり休んでね。」
「わかったわ。気をつけてね。」
遠山凛は手を振って、蕭珊雅の姿がドアの向こうへ消えていくのを見送った。




