↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚界少女  作者: sara
復生の影
44/102

玩耍

エレベーターはゆっくりと上昇し、天城由美と詩花は前後に並んで乗っていた。


天城由美は両手で詩花の肩を支え、体を安定させてやる。一方の詩花は、クッキーの包装をほどき、おいしそうに頬張っている。


このとき、エレベーターの中には二人だけ。静けさが際立ち、わずかなモーター音と、詩花がクッキーをかじる小さな音だけが、密閉された空間にそっと響いていた。


階数表示は音もなく7、8、9……と進み、ついに14階に到着したとき、詩花のクッキーも食べ終えた。彼女はスカートについたクッキーのかけらをぱたぱたとはらい、「お姉ちゃん、着いたね」と言った。


「そうね」と天城由美は答え、詩花の小さな手を引いてエレベーターを降り、自宅の玄関へと向かった。


「お姉ちゃんのお家って、ここなの?」と詩花は小首を傾け、瞳には未知の世界への好奇心と期待がきらめいている。


「そうよ」と天城由美は優しく答えた。


「中、見てみたいなぁ」と詩花は由美の手を軽く揺らし、どこか甘えたような口ぶりだ。


天城由美はほほ笑み、バッグから鍵を取り出してドアの鍵穴に差し込んだ。しかし、鍵が回りきる寸前――その瞬間、彼女の動きがぴたりと止まった。


自分の部屋は、今も散らかり放題。脱ぎっぱなしの服、広げたままの本、食べ残しのテイクアウトの容器……無頓着に暮らしてきた痕跡が、いまさらのようにまばゆい“証拠”となって目に飛び込んでくる。


少し気まずそうに顔を上げて、詩花に告げた。「詩花、ちょっと待っててくれる? お姉ちゃんの部屋、ちょっと乱れてるから、先に片づけてくるね」


「うん、お姉ちゃん」と詩花は素直にうなずき、手を離して、そっと傍らに立った。


そのとき、天城由美はふと不安に襲われた。視線が、マンションの八階某室の窓へと吸い寄せられる。


窓の向こうは真っ暗で、特に異常はない。それでも胸騒ぎが消えず、周囲に何の警戒もしていない詩花を見て、連日報道される失踪事件のことを思い出し、彼女は一瞬迷った。


だがすぐに、詩花の安全に比べれば、部屋が多少散らかっていてもなんのそのと決意する。急いで詩花の手を引いて言った。「詩花、やっぱり一緒に中に入ろうか」


「わかった、お姉ちゃんの言うとおりにするね」と詩花は特に問いただすこともなく、従順に由美のあとに続いた。


ドアを開けると、室内はやはり由美が出ていったときと同じようにぐちゃぐちゃだった。脱いだコートがソファの背にもたれかかり、医学雑誌がカーペットの隅に散らばり、ティーブルには飲みかけのビールが半分残ったまま。


けれど詩花はそんなことなど気にしない。まるで不思議の国に迷い込んだアリスのように、室内の家具や家電を興味津々で見つめていた。退屈な病院の個室で人生の最後の日々を過ごしてきた子にとって、柔らかなソファも、大きなテレビ画面も、自動製氷機能付きの冷蔵庫も――すべてが新鮮な驚きだったのだ。


天城由美は部屋の惨状を眺め、少しばかり複雑な気持ちになった。照れくさそうに言う。「ごめんね、詩花。ちょっと散らかってるから、片づけてからまた遊ぼうね」


すると詩花は首を振って、ソファのそばへ駆け寄り、由美が投げ出したシャツを拾い上げると、まだあどけない声で言った。「お姉ちゃん、一緒に片づけよう!」


真剣な小さな顔を見つめ、天城由美は思わず手を伸ばし、詩花の頭をくしゃりと撫でて言った。「いいよ」


そして二人は、ほっこりとした“大掃除”を始めた。天城由美が散らかった衣類を一枚ずつ拾い上げて畳み、詩花が折りたたんだ服をバスケットに運ぶ。


寝室を片づけるうち、詩花は自分にとってひときわ珍しいものを見つけた。黒いレースの女性用ブラジャーだ。


彼女はそれを手に取り、くるくると裏表を返しながら眺める。もちろん、これが何なのかまるでわからない。でも、新しいおもちゃを見つけたかのように、化粧台の前に駆け寄って、椅子にぎこちなくよじ登ると、思いついたようにそのブラジャーを頭に載せた。鏡越しに自分の姿をのぞき込み、愛らしい猫耳をつけたお茶目な子猫そのものに見える。


嬉しくなって椅子から飛び降り、リビングへ走り、本棚を整理していた天城由美に見せびらかす。「お姉ちゃん、見て、私、子猫!」


振り向いた天城由美は、そのおかしくも可愛らしい姿に思わずくすりと笑った。幼い詩花にしてみれば、頭に乗せているものが何なのかなんて知る由もない。純粋な彼女の世界では、ただの“猫の耳”に変身できる面白い道具なのだ。


「わぁ、かわいい子猫!」と天城由美は心から褒めた。


褒められてうれしそうに微笑んだ詩花は、風のように再び天城由美の寝室へ戻り、また“探検”を始めた。


二人はその後も部屋を片づけていくが、作業の大半はやはり天城由美が担う。詩花はしばらく片づけをしても、すぐに別のことに気を取られてしまう。外の夜景を眺めたり、由美の化粧品に強い興味を抱いたり。


やがて、二人は二つの大きなバスケットいっぱいの衣類を片づけ終えた。天城由美はきれいな服を一つひとつ畳んでクローゼットにしまい、着ていた汚れた服はまとめて洗濯機へ。バスケットが空になると、洗剤を投入し、スタートボタンを押した。


洗濯機が低く唸り、ドラムがゆっくりと回り始める。詩花は床にしゃがみ込み、ガラス越しに渦巻く水流をじっと見つめる。中で衣類が次々と攪拌され、翻弄される様子は、新鮮で面白そうだ。


天城由美はそばで、詩花の集中する姿を穏やかに見守り、目尻に慈しみの色を浮かべた。


洗濯が終わると、天城由美と詩花は一緒に脱水後の服をハンガーにかける。ベランダでは、天城由美が一枚一枚服を吊るし、詩花が良き助手として、バスケットから洗濯バサミを取り出しては、姉に渡していく。


ほどなく、干し物の作業も完了。腰を伸ばした天城由美は、服でいっぱいのハンガーを見やり、嬉しそうに詩花に告げた。「やっと終わったね。明日は太陽さんが全部乾かしてくれるよ」


詩花は空を見上げた。夜空には太陽はなく、代わりに丸い月が静かに浮かんでいる。今日は旧暦十五夜、最も満月がまん丸な日だ。


「残念だなぁ、今は太陽さんじゃなくて、月のお姉さんだけだね」


「月のお姉さんと太陽さんは、実は同じような存在なんだよ」


「同じような存在?」と詩花の小さな頭には疑問符がたくさん浮かぶ。


天城由美は天上の皓々たる月を指さし、童話でも語るように説明した。「うん、月っていうのは眠っている星だから、自分で光ることはできないの。太陽の光を反射してるだけで、輝きの源は太陽にあるんだよ。だから月を見ているときも、実は間接的に太陽を見ているってことになるんだ。光の正体は同じだからね。月は大きな鏡みたいなもので、夜になって太陽の光が見えなくなった人たちに、その光を届けてくれてるの。それに、太陽の光は眩しすぎて直接見られないけど、月の光は清冽で、じっくり眺められるでしょう?」


話を聞いた詩花は、よくわかったようでよくわからないような顔をしてうなずき、月光が一面に広がるベランダの床へ駆け出す。顔を上げて、真剣な口調で言った。「じゃあ私は月の光の中に立って、月が自分を照らし、お姉ちゃんも照らしてくれてるのを見たいな」


天城由美はその愛らしい姿を見て、奥の部屋から小さな踏み台を取り出し、詩花を乗せる――そうすれば月光をよりたっぷり浴びられるからだ。


詩花は月の清らかな輝きを感じながら、遠くに広がる東京の夜景を眺める。遠くの東京タワーは色とりどりにきらめき、無数の高層ビルのネオンが織り成す光の海は、初めて見る光景に詩花の目はくらくらするばかり。華やかでありながら静謐な夜の世界に、彼女はたちまち夢中になり、抜け出せなくなってしまった。


「なんか、すごく静かだね」と詩花は小さな声でつぶやく。


「うん、こんな時間だし、みんなもう家に帰ってるんじゃないかな」と、後ろから天城由美が答える。


すると詩花はふいに振り返り、にっこり笑って言った。「でも、これならお姉ちゃんと二人っきりの時間が邪魔されないね」


「そうね」と天城由美も微笑む。月明かりに照らされた詩花の純粋な横顔を見つめ、彼女はこの奇跡のように巡り会えた小さな女の子との一分一秒を、これからますます大切にしようと心に誓った。


そのとき、夕暮れの風がふっと吹き、詩花の耳に挟んでいた小さな花を遠くへと飛ばしてしまった。


「あっ! 私の花!」と詩花が叫び、手を伸ばして花をつかみ直そうとするが、漆黒の夜空では狂風が荒れ狂っている。可憐な花は、暴風の爪に引き裂かれ、壊れた夢のようにあっという間に崩れ去り、細かな花びらとなって舞い散り、深い闇へと溶けていく。


天城由美は宙に浮いた詩花の手をそっと引き戻し、優しく握って慰めた。「悲しまないで、詩花。明日また新しい花を摘みに行こう。今夜は風が強すぎるから、まずは部屋に戻って、風邪を引かないようにしようね。一緒にテレビでも見よう、いい?」


「うん」と天城由美に振り向き、詩花は素直に提案を受け入れた。


二人はソファに座り、天城由美がテレビをつけて、以前から詩花が大好きだったアニメのチャンネルをすばやく合わせる。途端に詩花の目がぱっちりと輝き、彼女は天城由美の腕にそっと寄り添い、二人で奇想天外なアニメの世界に浸り、リビングには時折、二人のくすくす笑いが響いた。


夜が更けていくなか、天城由美には睡魔が忍び寄り、詩花も小さく欠伸を漏らす。壁の時計の針はいつしか十一時四十七分へと滑り、窓の外では遠くのビルのネオンも一つまた一つと消えていった。


「詩花、お風呂に入って、早く寝ようか」


詩花は素直にうなずき、二人で浴室へ。天城由美は丁寧に一日の疲れを洗い流し、温かな湯が二人の体をすすぎ去るたびに、悩みも不快感も一緒に流れ落ちていく。入浴を終えると、二人は着心地のよいパジャマに着替える。天城由美はクローゼットの奥から、以前に詩花のために買ったキャラクター柄のパジャマを取り出し、サイズが今でもぴったりだと気づいて、思わず微笑んだ。


そして二人はふかふかの大きなベッドに横たわる。枕元の柔らかなナイトライトの下で、天城由美は詩花にそっと囁いた。「おやすみ、詩花」


詩花は子猫のように天城由美の腕をぎゅっと抱きしめ、小さな声で応えた。「おやすみ、お姉ちゃん」


暖かな布団の中で、天城由美の意識はやがて闇へと沈んでいく。甘美な夢の世界へ――そこでは彼女たちの未来が、笑いと幸せに満ち、病も別れも二度と訪れない。眠りについた彼女の顔には、久しぶりのほほ笑みが浮かんでいた。


隣で眠らないのは詩花だ。夜の闇の中で目を覚まし、熟睡する天城由美の微笑みをじっと見つめ、規則正しい呼吸の音に耳を澄ませる。まるで由美の夢を感じ取ったかのように、彼女はそっと手を伸ばして由美の頬に触り、つぶやいた。


「お姉ちゃん、私たち、もうすぐずっと一緒になれるね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。