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虚界少女  作者: sara
復生の影
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东乡

天城由美は看護師長とともに病院の長い廊下を足早に進み、まっすぐ救急センターへと向かっていた。


「患者さんは東郷天美さん、16歳。非常に稀で重篤な複合性心疾患を抱えており、数々の名だたる大病院でも手立てが見つからず、現在当院へ転院されたばかりです……」


看護師長は天城由美のすぐ横を歩きながら、手にしたカルテを素早くめくり、速やかに状況を報告する。「彼女の症例はかなり複雑なので、院内各科の専門医が合同でカンファレンスを開いています。場所はA棟の循環器内科カンファレンス室です」


天城由美はその説明にじっと耳を傾けつつも、足を止めることなくカンファレンス室へと急いだ。


そのとき、一人の壮年の女性が急ぎ足で近づいてきた。彼女は天城由美を見つけるなり、まさに救世主に出会ったかのように駆け寄り、両手でしっかりと由美の手を握りしめた。目尻には瞬く間に涙が浮かび、唇は小刻みに震えている。


そして彼女は「バタン」と膝を床に打ちつけ、冷たい地面に激しくぶつかる鈍い音が響いた。突然のその行動に周囲の視線が一斉に集まるが、彼女はまるで気にも留めず、声を震わせながら懇願した。「あなたが天城先生ですね?どうかお願いです、どうか私の娘を助けてください!彼女は私にとって唯一の娘なのですから……」


あまりにも思いがけない出来事に、天城由美も一瞬言葉を失ったが、すぐに彼女をそっと支え起こし、穏やかな口調で言った。「安心してください。必ずお嬢さんの命を救います」


「うちの子はいろんな病院を回って、やっとここに辿り着いたんです。どうか、どうか助けてあげてください!」彼女は最後の頼みの綱でも掴むように、天城由美の手を強く握りしめた。


「こちらの方――」傍らで様子を見守っていた看護師長が、まだ動揺のさめやらぬ彼女に静かに声をかけた。「天城先生は今からお嬢さんの容態を確認されるところです。あとは先生にお任せください。まずは隣の待合室でお待ちいただけますか。先生のカンファレンスの邪魔にならないよう、お願いしますね」


そう言いながら、看護師長は天城由美へひとつの合図を送った。東郷さんの母親が少し落ち着いている今のうちに、さっさとカンファレンス室へ向かうよう促しているのだ。天城由美もその意図を察し、足早に会議室へと向かった。一方、看護師長は東郷さんの母親を優しく介して家族用の待合室へと案内した。


医療部の会議室では、すでに各科のトップクラスの専門医たちが集まり、東郷天美さんの治療方針について徹底的に議論していた。それぞれが異なる視点から意見を述べ、提案を重ねた結果、全員が一致して「患者の病状は極めて重篤であり、心臓移植が必要である」と結論づけた。


そしてこの手術の執刀医こそ、卓越した技術と豊富な臨床経験を持つ天城由美に託されることになったのだ。ただし、適切なドナー心臓が見つかるまでの間、東郷天美さんは厳密な経過観察と細やかなケアを受けなければならない。


院長室では、佐藤院長が分厚いカルテの束を天城由美の前に押しやり、眉をひそめながら告げた。「天城さん、先ほどのカンファレンスで東郷さんの件は話し合いましたが、やはり予後は決して楽観できません。それに加えて、いま何より重要なのは彼女の心理状態です。先ほど看護師から報告がありましたが、彼女は強心薬の服用を拒否しているそうです」


「天城さん、あなたの腕はこの病院随一。これまで幾多の“死刑宣告”を受けた患者を、死の淵から引き戻してきました。その実力は誰もが認めるところです。しかし、16歳の少女にとって、これほど難治な病に冒されるということは、精神面への打撃も計り知れません。この経過観察期間を最大限に活用し、患者とじっくり向き合ってください。身体的な状態はもちろん、心の動きにもしっかり目を配りましょう。患者と医師との信頼関係を築き、前向きで健全な気持ちで手術に臨んでもらうことが、その後の成功にとっても極めて重要なのです」


「わかりました。定期的に患者さんと面談し、心理的なサポートも行っていきます」


「もういくつもの病院を渡り歩いてきた彼女にとって、あなたは最後の希望です。すべてをお願いします、天城さん」そう言って、院長は天城由美の肩を軽く叩いた。


「はい、任せてください、院長」


院長室をあとにした天城由美は、東郷天美さんの病室の扉をそっと押した。室内は静かで、ベッドに身を寄せた東郷天美という少女は、憔悴しきった表情で虚空を見つめ、瞳には深い虚無が宿っていた。


「こんにちは、東郷天美さん」天城由美が中へ入ると、彼女はゆっくりと顔を向け、「主治医の天城由美です」と自己紹介した。


少女はその声に反応し、ちらりと由美を見やると、淡々とした口調でこう言った。「先生、私はもう余命いくばくもないんです。無理な治療なんてしないでください。この手術がどれほど危険か、私はよくわかっています。母は私を救うために本当にたくさんの病院を回ってくれたのに、これ以上あの人にわずかな望みのために苦労させたくないんです」


その言葉は、天城由美の胸の奥にあるどこか柔らかな部分を鋭く刺した。


「あなたは……死ぬのが怖くないの?」思わず口にしてしまった問いに、少女は少し肩をすくめ、答えた。


「もし死が誰にでも訪れる終わりだとしたら、それが少し早まっても別に構わない気がするわ」


まったく同じ言葉――。目の前の十六歳の少女の口から、そんな言葉が飛び出したとき、すべてを諦めてしまったかのような彼女自身が、まるで自分の分身のように感じられた。


だが、東郷さんの状況は確かに厳しい。それでもなお、完治の望みはある。医師として、彼女が生きる希望を捨ててしまうのを黙って見過ごすわけにはいかない。


「違うわ!人の命はひとりひとり、かけがえのない貴重なものよ。それをこんなに簡単に諦めてしまっていいはずがない!」


すると東郷さんはただじっと由美を見つめ、ふいに逆に問い返してきた。


「じゃあ、天城先生は死ぬのが怖いですか?」


「私は……」天城由美は一瞬言葉に詰まった。答えが出せないままだった。


「迷ってらっしゃるんですね、天城先生」少女は静かに続けた。「きっと先生はこんなこと考えたこともないでしょう。毎朝、目が覚めたときまず確かめるのは『自分がまだ生きてるかどうか』じゃないですか。私にとっては、目を開けるたびに、もう死後の世界にいるんじゃないかと思うの。看護師さんがドアを開けてくれて初めて、今日もまた一日耐え抜いたんだって気づくの。寝るときはいつも、明日目が覚めるかどうかを賭けているようなものなんです。


そんな日々の繰り返しが、病そのものよりもずっと息苦しい。先生はきっと、手術さえ受けられれば新しい人生が待っているって言うでしょうね。でも知ってますか?手術台の上では、一分一秒が命がけ。自分があの世に行ってしまうのか、それとも目を覚ますのか、その瀬戸際で勝負してるんです。天城先生、あなたの手腕は私も知っていますし、名医としての評判も聞いています。でも、あなただって手術台に上がるたびに、運次第の賭けをしているんですよ。どんな小さなステント埋め込みだって、手術中の思わぬトラブルで失敗に終わる可能性があるんです。あなたが積み重ねてきた栄光も、結局は運が味方してくれたおかげかもしれません。もう私は、そんな賭けはしたくありません。死が誰にも避けられない運命なら、それが少し早まってもいいんじゃないでしょうか」


天城由美は黙って目の前の少女を見つめた。彼女の境遇は、自分のそれとあまりにも似すぎていた。つい「わかるわ」と口に出しそうになる。


けれども、その言葉は喉元でぐっと飲み込んだ。もし口にしてしまえば、どうしても向き合わざるを得ない問題が待ち受けていたからだ。「あなたは死ぬのが怖い?」東郷のように、はっきりと死を恐れない自分を認められるだろうか?


慰めの言葉を並べることもできた。「怖がらないで、私を信じて」「あなたのことを心配している人たちのことを考えてみて」――でも、それらはいずれも本題から目をそらすための方便でしかなかった。


「コンコンコン」と三度のノックが聞こえ、天城由美が振り返ってドアを開けると、看護師が点滴車を押して立っていた。東郷さんの主治医が天城由美だと事前に知っていたのか、彼女は病室での光景に驚く様子もなく、そのままベッドの脇へと進み、静かに告げた。


「東郷さん、点滴の時間ですよ」


「わかった」東郷は小さくうなずき、薄桃色の細い腕を布団から差し出した。その手の甲には青紫に染まった注射痕がいくつも残り、絆創膏の跡も絡み合っている。


看護師は慎重に適切な静脈を探し、しばらくしてようやく一本を見つけた。針が皮膚を突き刺す瞬間、東郷はまばたきひとつしなかった。慣れた感覚なのか、あるいは痛みすら感じ取る気力を失ってしまったのか。


やがて看護師は点滴をセットし、液がゆっくりと滴り落ち始めた。器具を片付け終えたところで、天城由美がまだ病室に佇んでいることに気づいた。


看護師は彼女のそばへ歩み寄り、小声で囁いた。「天城先生、東郷さんは今、点滴中で安静にしていただく必要があります。どうぞ、ほかのお仕事へお戻りください」


「ありがとう」天城由美は頷き、看護師とともに東郷さんの病室を後にした。


自室へ戻ろうとしたそのとき、看護師の青木紗綾が急にやって来た。


「天城先生、4号室の患者さんの容態が急変しました」


天城由美は何も問わず、すぐに踵を返して病室へと急いだ。青木は後ろから足早に状況を報告する。「慢性閉塞性肺疾患の既往歴10年のある患者さんですが、突然重度の呼吸困難に陥りました……」


ドアが開くと同時に、ベッドの上で患者が激しい苦痛に喘ぎながら身を起こしていた。額には冷や汗が滲み、唇は紫がかった灰色になっている。胸郭は鞴のように激しく動き、か細い息遣いしかできていない。


研修看護師の緒方花音は両手で患者の腋をそっと支え、半座位にして少し前傾姿勢を保たせ、肺への負担を和らげるように努めていた。


「もう少しだけ、がんばってください!先生がすぐ来ますから!」


天城由美は急いで駆け寄り、素早く肺音を聴診した。


「緒方、非侵襲的陽圧換気装置の準備を知らせて!患者には即座に酸素吸入が必要です!青木、バルーンマスクを持ってきて!」天城由美は背後の緒方花音と青木紗綾に指示を飛ばした。


「はい、わかりました、天城先生!すぐに手配します!」青木は即座に返事をし、病室を飛び出した。


「了解です!」名前を呼ばれた緒方花音も、すぐに動き始めた。


天城由美は差し出されたバルーンマスクを受け取ると、片手でEC法で固定し、もう一方の手でバルーンを押し始めた。


ほどなくして看護師たちは人工呼吸器と酸素マスクを抱えて病室へ駆け込み、彼女は迅速に患者に非侵襲的マスクを装着。さらに花音へ命じた。「ネブライザーを非侵襲的換気ラインに直列接続して、換気しながら噴霧も行いましょう」


患者は最初、マスクを嫌がったが、天城由美は身をかがめて肩を支え、「協力してください。これで少し楽に呼吸できるようになりますよ」と諭した。


ようやく患者もマスクを着けるようになり、二分ほどで呼吸数は徐々に正常に戻り、唇の紫がかった色も薄らいだ。


患者はなんとか危機を脱し、天城由美はモニターを最後にもう一度確認すると、青木紗綾に告げた。「蘇生措置の時間と投薬内容を記録しておきなさい。15分ごとに血中酸素濃度と呼吸数を再チェックすること。意識レベルの低下や呼吸数が再び35を超える兆候があれば、すぐに私を呼んで」


青木は指示を受け、カルテに素早く記録を書き入れた。


患者の状態が安定したのを見届けた天城由美は病室を退出し、花音が息を切らせて追いついてきた。


「て、天城先生……患者さんが……患者さんが……」花音は焦りながら状況を尋ねた。


「もう落ち着いたわ、緒方」天城由美は彼女の肩をそっと撫でながら励ました。


「天城先生、すみません……」花音は目にうっすら涙を浮かべ、深々と頭を下げた。「検査をしてたはずなのに、突然呼吸困難になって……私、その場で何も対処できなくて……幸い、ちょうど通りかかった紗綾が、すぐに体位を調整して症状を緩和するよう指示してくれて、彼女自身が先生に連絡してくれたんです。もし彼女がいなかったら……」


そこまで考えるのは辛すぎて、花音は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。「ごめんなさい、天城先生……私、本当にダメですね」


「そんなに自分を責めないで。患者の急変は看護師なら誰もが経験すること。大事なのは、私たちがいち早く気づいて対処できたってこと。しかも患者さんに深刻な影響は出ていない。これ以上の成果はないわ」天城由美は泣きじゃくる子どもの頭を優しく撫でるように、花音の肩をぽんと叩いた。


「でも、私……」花音は天城由美的慰めを受け入れきれないようで、深い自己嫌悪に沈んだままだった。


「私もかつて大きなミスを犯しそうになったことがある。それでも今、私は医師として手術台に立ち、人の命を救うために全力を尽くしています」


「ありがとうございます、天城先生。以前からずっと憧れていたんです。でも、自分はこの仕事に向いていないんじゃないか、また失敗してここで居場所を失ってしまうんじゃないかって、すごく不安なんです」


「誰にだって間違いや失敗はある。大切なのは、それを糧にして成長すること。そこで立ち止まってはいけないのよ。あなたたちにはまだまだ長い道のりが待っているのだから」


花音はその言葉に少し気持ちが落ち着き、満ち溢れる感謝の気持ちを込めて天城由美へ深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、天城先生。頑張ります!」


そのころ、青木紗綾も記録を済ませ、病室を出ようとしていた。ちょうど廊下で天城由美と花音の姿を見つけた彼女は、急ぎ足で二人のもとへ歩み寄った。


「天城先生、患者さんの記録は終わりました」そう報告すると、今度は花音に向けて告げた。「花音、さあ、B棟の病室へ検査に行きましょう」


「はい、ぜひ!」花音は涙を拭いながら元気な声で返し、「天城先生、では引き続き検査に行ってまいります」


「わかった、行っておいで」


二人は踵を返し、B棟の病室へと向かった。


「花音」――数歩進んだところで、背後から天城由美の声がふいに響いた。「私、あなたのプレゼント楽しみにしてるからね。実習、しっかり頑張ってよ」


天城先生が二人の小さな約束を覚えていてくれたことに、花音の胸は一瞬で温かくなった。


「はい!実習、絶対にがんばって、先生をがっかりさせません!」花音はにっこりと笑い、青木紗綾とともにB棟へ向かって足早に歩き出した。

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