杀戮
「あなたが虚界の少女なの?」鞠子はその結論に信じ難さを感じ、思わず問いかけた。
「ええ、私は虚界の少女……。まさか、あなたも虚界の少女だったなんて」美空はどこか悲しげな表情を浮かべ、やはりこの事実を受け入れがたい様子だった。「正直言って、あなたの偽装は本当に完璧だったわ。包帯と偽の血痕で、一瞬は私を騙すところだったけど、授業中の振る舞いが身元を暴いてしまったのね。
右手で書こうとして何度か手を変えそうになったのに、バレるのが怖くて無理に我慢していたでしょう? それに、右手を使うときだって、ずっと痛がる素振りひとつ見せなかった。あれだけ大量に出血した傷があったら、痛みがないはずがないもの。それで最初から疑いを持っていたんだけど、竹内先生に当てられて答えようとしたとき、少し動作が鈍くなって、やっと気づいたみたいな反応を見せたでしょ。そこで確信したの。あなた、本当はケガなんかしてない。あの包帯も血痕も、全部隠すための小道具だったって」
「どうして……」美空の推理を聞き終えて、鞠子は力なくうなだれた。自分では隙のないつもりだった偽装も、こんな些細な点で見破られてしまったのだ。
「私の時間はもうほとんど残っていない……母のために……生き延びなければ」突然、美空がそう口にした。
鞠子は青ざめた。美空の言葉は、彼女が生きるために自分に手をかけることを意味している。今や鞠子の目には、美空はもう好きな女の子ではなく、人を喰らう野獣にしか見えなかった。
「どうして、戦いたくないよ! 好きなんだ、一緒に生きていけるじゃないか! 逃げた人たちを探そう!」鞠子は最後の抵抗を試みながら、美空に懇願した。
「私もあなたが好きよ、鞠子。きっと……私たち、とてもいい友達になれると思ったのに……」美空は、すでに角が一つしか残っていない黄色い印を見せて言った。「でも、私の印はもうほとんど残っていないの。あと少しで死んでしまう。もう時間がないの」
「私にとって、そして私の母にとって、これはどうしてもやらなければならないことなの!」
「私にも妹がいる! 私にも死ねない理由があるんだ!」鞠子は泣き叫んだ。
「そうね……」美空は切なげに言った。「誰も死にたくない。でも、王が定めたルールだから、私たちは互いの印を奪い合い、自分だけ生き延びるしかないの。もしかしたら、それが私たちの宿命なのかもしれない」
そう言うと、美空は虚界を呼び出す呪文を唱え、世界は一瞬にして歪み、ほどなく二人は別の世界へと移された。そこは元の世界と何も変わらないのに、静けさが不気味なほど際立っていて、遠くの歩行者たちはまるで透明人のように姿を消していた。
鞠子は、自分と美空の手にそれぞれ短剣が現れていることに気づいた。どうやら、二人とも狩人であるらしい。
「もし二人の狩人が出会ってしまったら、もう命がけの戦いになるわよ」と、紫髪の女の声が鞠子の耳元で響いた。鞠子は何かを悟った。自分と美空には、二人を狩人に変えてしまった共通の何かがあるのだ。
それは“執念”――この世での未練のことだ。美空は母への思いを抱え、鞠子は妹への想いを抱える。どちらも、相手のために生き延びたいと願っている。その“執念”こそが“王”に利用され、命を賭けた狩りのゲームが始まったのだ。
今、戦いはまさに始まろうとしていた!
美空は短剣を手に鞠子めがけて突進し、虚界の静寂を切り裂く鋭い音が響いた。鞠子は後ずさりしながら短剣で身を守る。美空の澄んだ瞳には涙が滲み、鞠子の心は絶え間なく出血していた。
なぜだ? まだ出会ったばかりで、お互いに好意を抱き始めたばかりなのに、今や生存のために互いに戦わなければならないのか? どちらかが倒れるまで?
美空や案内人が語る“王”とはいったい何者なのか? なぜこんな残酷なルールを定めたのか? 無辜の少女たちを、なんの意味もない殺し合いへと追い込むのはなぜなのか? 彼はどこかで、自らが仕掛けたこの悲劇を愉しみながら眺めているのだろうか?
「どうして! どうして私たちは殺し合わなければならないの! なぜ必ずどちらかが死ななければならないの!」鞠子は掠れた声で問いかける。涙で視界がぼやけ、握る短剣の手は震えながらも、どうしても美空へ刃を向けられない。
「ごめん……!」美空は攻撃の合間に叫び、頬を伝って涙がこぼれた。「ごめん、鞠子! 好きだけど、私は生き延びたいの。母のため、自分のために! だからあなたを殺さなきゃいけないの!」
言葉が終わらぬうちに、彼女の短剣は鞠子の防御を切り裂き、腕に深い切り傷を刻んだ。血が腕を伝って広がり、鞠子が握っていた短剣は“カランッ”と地面に落ち、半身が制御不能になって膝をついた。
美空は一撃で決着をつけようと狙う。そのとき、鞠子は妹のことを思い出した。自分が死んだら、優子はどうなるのだろう?
生きる望みが痛みを忘れさせ、美空の短剣が振り下ろされる寸前、鞠子は左腕で短剣を拾い、横へと転がった。美空の攻撃は空振りに終わり、勢い余って彼女自身が転倒する。
鞠子はその隙を逃さず、美空を押し倒す。アドレナリンが全身を駆け巡り、右腕の傷から血が止まらずに流れても、痛みなど感じない。右手の前腕で彼女の首を押さえつけ、左手の短剣を掲げる。主導権はすでに鞠子の手にあった。
殺すつもりはない。だが、すでに負傷し、体力はどんどん失われている。早く戦いを終わらせなければ、倒れるのは自分だ。もう選択肢はない。美空を斬るしかない。
彼女は美空の顔を見ることができなかった。そこに浮かぶのは、自分の死への哀しみか、それとも鞠子に敗れた怒りか?
鞠子は目を閉じ、空中に掲げた短剣を美空の胸へと突き刺した。彼女の体がぴたりと動かなくなるのを見届けて、ようやく目を開ける。
美空は最後に鞠子を一瞥し、その瞳には憎しみの色はなかった。彼女は手を伸ばし、鞠子の頬をそっと撫でた。
「さよなら、鞠子……」美空の声はほとんど聞こえないほど微かだった。「どうか……どうか……生きて……」
言葉が尽きると、美空の手は力なく垂れ、体はすっかり冷たくなった。
美空は死んだ。かつて最も好きだった少女を、鞠子自身の手で殺してしまったのだ。
鞠子はその場に跪いたまま、茫然と涙を頬に流す。今の心境は果たして何だろう? 生き延びたけれど、それは美空の死と引き換えだった。
鞠子は立ち上がり、呆然と美空の亡骸を見つめる。まだ現実を受け止めきれていないようだった。
「美空、ごめん……ごめんなさい……」鞠子は美空のそばにひざまずき、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。
突然、美空の亡骸が動き出した。魂の抜けたその身体は、まるでゾンビのような奇妙な仕草でゆっくりと立ち上がり、校門の方へと一歩ずつ歩いていく。
鞠子はその異様な光景に驚き、本能的に二歩後退した。しかし、“復活”した美空は鞠子を襲おうとはせず、ただ硬直したまま前に進むだけだった。
恐怖に満たされながらも、鞠子は思わずその後を追った。次に何が起こるのか、確かめたくなったのだ。
美空の亡骸は学園の裏門へとゆっくりと近づいていく。その目は虚空を見つめ、歩き方は極めて不気味だった。左足を先に出し、右足をゆっくりと引き寄せる。一歩ごとにひどく重たげで、まるで苦しそうだ。亡骸は徐々に裏門へと近づき、鞠子は数十メートル離れた位置でその後を追う。
夕陽が西に傾き、裏門のそばには二人の少女の影が佇んでいた。一人は小柄な少女で地面にひざまずき、もう一人は背の高い黒髪の少女だ。
鞠子は木の陰に身を潜め、幹で姿を隠しながら、そっと頭を覗かせて目の前の光景を注視する。美空の“亡骸”が二人の少女へと近づくと、小柄な少女がその崩れそうな影にいち早く気づき、慌てて立ち上がって美空の“亡骸”を支えた。意識を取り戻そうと、必死に揺さぶる。
樹の下で恐れおののく鞠子。
ほどなく、美空の亡骸は崩れ始め、形が溶けていき、地面に広がる一握りの砂へと変わっていった。美空には鞠子への恨みはなかったが、潜在意識の中にはなお生きる望みが残っていた。その執念が死後も亡骸を操ったものの、魂の支えのない肉体は長くは保たず、やがて散りゆく砂へと還っていく。
鞠子は眼前のすべてを眺め、恐怖と罪悪感に完全に飲み込まれた。
口を手で覆い、できるだけ音を立てないようにしながら、少しずつ後退していく鞠子。だが、うっかり木の枝を踏みつけてしまう。
「バキッ」
静まり返った虚界に響く枝の折れる音。悲嘆に暮れるショートヘアの少女は気づかなかったが、長い黒髪の少女の傍らに浮かぶ魔法の本はその気配を察知し、素早く向きを変え、鞠子の隠れる方向へと目を向ける。黒髪の少女も音に反応して振り返った。
鞠子は慌てて頭を引っ込め、教室の方へと走り去る。足音が廊下に響く。
彼女は、その黒髪の少女に自分の顔を見られたかどうかはわからない。ただ、一度見れば忘れられないほど美しい顔――しかし、その瞳は冷たく凍るように鋭く、人の魂を凍りつかせそうな印象を与えた――それをしっかりと記憶してしまった。
鞠子は裏門へ行き、美空が落とした水晶の腕時計を見つけた。さっきの戦闘で、美空の腕から外れてここに落ちていたのだ。ガラスの蓋板も割れている。
時計を拾い上げると、針はすでに止まっており、時間が永遠に、美空を殺したあの瞬間に留まっていた。
「美空、ごめん、ごめんなさい、本当にごめん……」
鞠子は、かつて“傷”を包帯で隠していた教室に戻り、口の中で何度も謝罪を繰り返す。美空を殺してしまった。友人になり得たはずの良き少女を、しかもあんな惨めな死に方で――遺体すらきちんと残せずに――葬ってしまったのだ。
だが、鞠子も美空も求めていたのはただ一つ――生きること。家族のため、自分のため、ただ生きること。その三文字は簡単に聞こえるが、今やあまりにも重い意味を持つ。生きるために人を殺す――同じく生きたいと願う少女たちを、殺さなければならないのか?
「殺しなさい、殺しなさい!」近くでそんな声が響いたが、鞠子は周囲を見渡してもその出所がわからない。
「殺しなさい、殺しなさい! 生きるために、私を見るために、殺しなさい!」
声はなお響き渡る。鞠子はふと悟る。それは紫髪の女が語っていた“王”――虚界の少女たちが最後まで戦い抜いたときに目にする“王”だ。
手の黄印と美空の残した腕時計を見つめ、鞠子は理解した。すべては“王”のせいなのだ。鞠子と美空の悲劇的な運命を刻んだのは、生命を賭けの道具とし、二人を互いに殺し合うよう仕向けた、どこかに潜む“王”だったのだ!
「もうたくさんよ! 人命を賭けにして、虚界の少女たちを煽って殺し合いをさせるなんて、あなたは悪魔なのよ!」鞠子は暗がりに潜む“王”へと激しく訴えた。
「あなたはもう死んでいる。第二の人生を与えられるのは私だけよ。死ぬのが怖くないの?」
「もう十分よ! もうあなたの楽しみのために人を殺したりしないわ!」鞠子は叫んだ。
「ふん、勝手にしなさい」と“王”は鼻で笑い、そのまま沈黙した。
鞠子は美空の残した腕時計をそっと手に取り、ゆっくりと立ち上がる。水晶の表面を撫でると、まるで美空の手に触れるような温もりを感じた。
彼女は生きたい。でも、生きることは殺すこと――絶え間ない殺戮を意味する。美空は死ぬまで抵抗しなかった。もしかすると、最期の瞬間には悟ったのかもしれない。繰り返しの殺戮は解放をもたらさない。真の解脱は、終着点たる死へと至ることだと。
「もし、どうしても死という終着点へ行くのなら、大好きな人の手によって死ぬのもまた幸せなのかもしれない」――美空の最後の思いは、そんなものだったのかもしれない。
だが、彼女がどれほど解放を求めても、自分の妹・優子はどうなるのか? この世で一番大切に思う存在が、自分に手を離されたら、一体どんな未来が待っているのだろう?
いま宮野鞠子は、罪深い黄印を前に、美空への果てしない後悔と自己嫌悪に浸っている。一方、病院のベッドで漫画を読む妹・宮野優子は、もうすぐ最後のページへと辿り着こうとしている。しかし、鞠子はまだ悪夢から醒めきれない。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」小さな手が鞠子の肩をそっと揺らした。
「あっ、優子。」鞠子は気を取り直して、優子に声をかけた。
「お姉ちゃん、何か悩んでるの? ここ何日か、会いに来てくれるときもずっと心配そうにしてるよ?」優子は澄んだ瞳で鞠子を見つめた。
そのまっすぐな視線は美空とどこか似ていて、鞠子は思わず目をそらした。あの瞳を見つめる勇気もなく、自分の罪悪感とも向き合うことができなかった。
「大丈夫、ただ貧血がちょっとひどいだけだよ。」
「右手、何かあったの? お姉ちゃん、いつも右手ばっかり見てるけど?」優子が黄色い印の残る鞠子の右手に手を伸ばそうとした。
鞠子は慌てて右手を引っ込め、苛立ったように優子を怒鳴った。「もう、大丈夫だって言ったでしょ! あなたはここで先生や看護師さんの言うことをちゃんと聞いてりゃいいの!」。
優子はその勢いにびっくりして、ベッドの端に座り込み、目にうっすら涙を浮かべた。
「お姉ちゃん、怖い……!」
鞠子は口にした途端、言い過ぎたと気づき、すぐに立ち上がって優子をぎゅっと抱きしめ、小さな頭を優しく撫でた。
「優子、怖くないよ。お姉ちゃんがいるから、怖くない、お姉ちゃんがいるからね。」それは鞠子が子どもの頃、優子が怖がるたびに何度も繰り返してきた言葉だった。優子が不安で泣き出すたび、こうやって落ち着かせてきたのだ。
しばらくすると優子も静かになり、鞠子は優子の肩にそっと手を添えて、穏やかに言った。「お姉ちゃん、別に何も問題はないの。ただ最近、定期テストがあって、ちょっとプレッシャーがかかってるだけ。あなたはここで先生や看護師さんの言うことをちゃんと聞いてね。彼らに心配かけたり、迷惑かけたりしないように、いい?」。
「大丈夫、お姉ちゃん。ちゃんとお利口にするよ。」
「そう、ありがとう。」鞠子は微笑み、優子の無邪気で明るい瞳を見つめながら、ふと胸が痛くなった。自分の時間はもうあまり残されていないのに、果たしてあとどれくらい優子にマンガを読んであげられるだろう?
そう考えた鞠子は、ポケットに手を入れてバッジを取り出そうとしたが、中は空っぽだった。
「おかしいな、確かここに入れてたはずなのに……?」
「お姉ちゃん、またどうしたの?」
「なんでもないわ。もう定期検査の時間でしょう? お姉ちゃん、先に行っちゃうね。」
「バイバイ、お姉ちゃん。それから、マンガ持って来てね!」
「分かったわ、明日新しいのを持ってくるからね。」鞠子は優子に別れを告げると、病室を飛び出し、急いで病院の出口へと走り出した。
バッジはきっとどこかに落としてしまったに違いない。あの女の子の弁当をぶつけたときに、うっかり落としてしまったのかもしれない。急いで戻れば、まだ見つかるかもしれない――。




