21 リリアの娘
それはずっと昔のこと。
建国記の時代、伝承の通りエムリスが長い眠りにつく頃だ。
彼は拾い集めたリリアの残骸の中に残された宝石を見つけ出した。
深い緑の宝石だった。
もし、あの時のリリアの中に、お腹に子供がいた場合はリリアはどうしていただろう。
少しでも守ろうとしただろう。
それが緑の宝石として形を残した。
「馬鹿な子」
エムリスのもとに一柱の女神が現れた。
瞼が赤く腫れていた。亜麻色の髪に、エメラルドの瞳の美しい女神であった。
「これは、お初にお目にかかります。土の女神エアリア」
リリアの姉・エアリア。
土の権能を持つ神、リリアを長く庇護していた者。面差しがリリアに似ている。
「申し訳ありません。眠気が強くてもう起き上がれず」
このままで失礼とエムリスは寝台に眠ったままだった。
「眠る前にそれを返して」
エアリアが指を指す。
「これは女神のものではありません」
「いいえ、私のリリアが残した子よ」
「それならこれは私の子です」
リリアの腹の中にいた子、父親は誰か考えなくてもわかるだろう。
エムリスの言葉に土の女神は面白くなさ気に睨みつけた。
「あの子ったら……何であなたみたいなのを好きになったのかしら」
「それは私が良い男だからでしょう」
「軽口を叩くな。悪魔め」
土の女神は切り捨てた。
エムリスは悪魔と人間のハーフだった。だから、人以上の魔力を持つ。
リリアは知っていただろうか。知っていても好きになっていたかもしれない。
「馬鹿なリリア。こいつのために、子供のために力を使い果たして……少しでも自分を守れれば残った宝石はあなただったのに」
そうすれば時間をかけて元の姿に戻せた。
残されたのは意味をなさない残骸、塵芥。子供の魂が変化した宝石のみ。
「それでもあの子が守ろうとしたものね。だから私が守るわ」
ようやく守るという言葉が出て、エムリスは土の女神に宝石を渡した。
「私に譲るの?」
先程の問答は何だったのか。
「ええ、あなたが叩き壊すのではと心配でしたが……大丈夫みたいです」
「私がそんなことするわけないじゃない」
土の女神は拗ねたようにいい、宝石を受け取った。拗ねた顔はリリアに似ているなとエムリスは目を細めた。
そして宝石は何百年もかけて土の女神が守り続けた。そして宝石の器に相応しい器を見つける。
ルフェル子爵夫人の腹の中の胎児であった。まだ魂は入っていない。このまま放置すれば、胎児は流産で失われるだろう。
土の女神は悩んだ。
リリアが死ぬ原因になった聖女の末裔になどに大事な宝石を預けることに。
彼女は自分の罪を認めるどころか、リリアに罪をなすりつけてしまった。
許しがたい女だ。
だから土の女神は聖女ルフェルの末裔への加護を与えるのをやめた。他の者に加護を与えたり、賢者に助言を与えて治癒魔術を学問として体系化させて、ルフェル子爵家以外に優れた治癒魔術師が誕生するようになった。
時代と共にルフェル子爵家の力は少しずつ弱まっていく。
彼らはそれを認めようとせず見苦しくあがき、ついには悪事に手を染めていった。
――こんな家に子を預けたくない。
悩む土の女神を説得するために他の女神が声をかけた。
「でも、早くしないと次はいつ器が出てくるかわからないわ」
「その間に宝石が小さくなったらどうするの?」
確かに手の中の宝石は500年前に比べて小さくなっていった。このままではいずれは消失してしまう。
なかなか決めきれない土の女神に雨の女神が提案した。
「ルフェルの末裔に贖罪の機会を与えましょう。宝石の子を大事にして、いつか自分たちの罪に向き合えば許してあげるのよ」
聖女ルフェル自身の罪までは無理でも、今自分たちが背負う罪に向き合えばよしとしよう。
そうしてルフェル子爵夫人の胎内へ預けられた宝石は人として誕生した。
それがヴィヴィアだった。
ルフェル子爵家はヴィヴィアを大事にしなかった。突然現れた異物のような赤髪に苔を彷彿する緑の瞳は嫌悪感を抱いていた。
見かねた土の女神が貴婦人に化けてルフェル子爵夫人に忠告を与えた。少しましになったが、しばらくしてヴィヴィアへの待遇は戻った。それはヴィヴィアの毒魔術の鑑定が終わった後だ。
禍々しい毒魔術はヴィヴィアを追い詰めていった。
ルフェル子爵家は自分たちの零落を誰かのせいにすることしかしない。
土の女神はついにルフェル子爵家を見放した。
◆◆◆
何故、呪いに囚われたヴィヴィアの目の前にリリアが現れたのか。
ヴィヴィアの中にリリアの残骸が残されていたのか。
リリアを愛する土の女神が僅かに加護を与えたのか。
雷獣を伝って雨の女神の加護が流れてきたのか。
全てが重なり見せた幻に過ぎなかったかもしれない。
だが、リリアであれば娘の危機に駆けつけただろう。
「待って!」
リリアの姿が消えるのを見てヴィヴィアは叫んだ。
――大丈夫よ。私はあなたを見ている。だから頑張りましょう。
優しい言葉で包み込まれて、ヴィヴィアは唇を結んで魔力を放出した。悪竜の呪いは強大である。だけど、ここでくじけてはならない。
クリスの元へ、ノエルの元へ帰るのだ。
◆◆◆
長い戦いの中、ヴィクター卿が膝をついた。
まだ立っているクリスもボロボロだった。
「くく、私を燃やした騎士の末裔が何という姿だ」
あまりに滑稽とギーベルは笑った。
「ようやくだ。ようやく悲願が叶う。お前を殺して、私は手に入れる」
陶酔した表情でギーベルは剣を握りしめた。
クリスはなおも応戦するが、足がもつれて動きが遅れてしまう。
ギーベルの剣がクリスを貫こうとしていた。
――時間が止まったように感じられた。
今まで耳障りな笑いをしていた悪竜が止まった。
クリスも目の前に現れた光景に声を失った。
ポタポタと血が落ちていく。
するりとその上に黒のベールが落ちた。
それはクリスの血ではなかった。
ヴィヴィアがクリスの目の前まで走り、盾になった。
「ゴホッ」
腹を刺されたヴィヴィアはあまりの痛みにむせた。
目からは赤黒い血が流れている。鼻や口の端にも。
それは剣で刺されたからではない。
悪竜の呪いに立ち向かった代償で体の孔から痕跡が流れたのだ。
腹に刺された部分から瑞々しい赤い血が流れ落ちた。
「何故、なぜだ。リリア!」
ギーベルは叫んだ。
何故こんなになってまでその男を守ろうとする。
体を傷つけるのも厭わず、何故!
「何故って……」
痛みに耐えながらヴィヴィアは両手を伸ばした。触れる先はギーベルの右手首。
そこには先程竜杯に血を注ぐために切った痕がある。まだ血は流れ続けていたのをヴィヴィアは認めた。
ここなら私の魔力をよく通せる。
「私がクリスを愛しているから」
そう言った時、ヴィヴィアは自分の毒魔術を発動した。自分の力を全身で絞り上げる。
毒は悪竜の血を通り、彼の力の根源、心臓へと到達した。悪竜の呪いが逆流してきてヴィヴィアはさらに口から赤黒いものを吐き出した。
大丈夫! お母様ができたなら私もできる!
毒で呪いを包み込む。同時に悪竜の力も。
ようやくギーベルの力を封じ込められたと感じて、ヴィヴィアは後ろへと下がった。
ギーベルの剣から抜かれた腹の傷から大量の血が飛び散る。それが、赤い髪のヴィヴィアをより美しく引き立てた。
「ああっ!!」
クリスは震える足で立ちあがり、ヴィヴィアの体を受け止めた。体制を崩したギーベルはヴィヴィアを奪われまいと身を乗り出した。
クリスは剣に太陽の気をまといギーベルの胸につきだした。
ヴィヴィアが弱らせた根源部分・心臓を貫き通した。
その瞬間、ギーベルの体が灼熱の炎に包まれた。
「ぎゃああああ!」
地がふるえるほどの断末魔が響いた。聞いたものが不快になるそればリュカリオン山脈で戦う騎士たちの耳にも届いた。




