20 悪竜ファブニル
竜杯が発動したと同時にギーベルは笑い始めた。
声は震えて二重に重なる。
ギーベルの体が黒い鱗で覆われ始め、首筋に黒い鱗が見えた。彼の金の瞳が縦に裂けていく。
「く、く、……久々だ。ようやく本来の私に戻れた」
ギーベルの声が響いた。まるで地底から湧き上がる存在感を放っていた。
「お前は……」
胸のざわめき、今までにない恐怖にクリスは頭の中で正体を探った。
「悪竜?」
その問いにギーベルは否定しない。
「そうだ、私はファブニル! 貴様の祖先が倒したファブニルだ!」
クリスは剣を構えて、ギーベルに切りかかった。ギーベルは自身の剣でそれを弾いた。黒い気を放ち、クリスは圧倒されて扉の方へと吹き飛ばされた。
「閣下!」
ヴィクター卿が辿り着き、クリスの方へ近づいた。
ヴィクター卿は手拭いを取り出してクリスの左手首を巻き止血した。
「何なんですか、あれ……コンスタン公爵ですよね」
ヴィクター卿の首筋からびょこんと雷獣が顔を出した。結界の影響で力が縮小され、手のひらサイズになっていた。戦いの足しにならないが、ヴィクター卿の死角を確認するくらいはできるとメドラウトがヴィクター卿に持たせたのだ。
「悪竜ファブニルだ!」
「っ! あの伝承の?」
「間違いない! 母から聞いた悪竜……それなら女神対策も理解できる。あれは女神が誕生する前から存在する原初の生き物で、本来ならば恐怖の神に昇格するはずだった」
つまり女神と同格、それ以上の存在ということになる。
「何でそんなすごいのが、悪竜のままで閣下の祖先に退治されたのですか?」
「わ、わからん」
雷獣は急にしょぼんと情けない声をあげた。
もう存在しない奴だし興味を示さずに好き放題遊びに出かけていた日々を思い出した。
こんなことになるなら母の昔話にもう少し付き合えばよかった。
「閣下! 厄介な敵で、応戦を呼びましょう」
屋敷内では騎士団はまだ人形のような使用人や騎士たちと戦っている。どれだけ斬っても彼らは止まることなく襲いかかってきた。
彼らがこちらに来るには外の応援が必要だ。
シャルコット公爵家、リオネス公爵家の騎士団の力が。
「それまでは待てない」
もしここで撤退すれば、負けを認めることになる。そうなれば残されたヴィヴィアは悪竜にどんな目に遭わされるか。
想像するだけでおぞましい。
「私は戦う」
剣に魔力をかける。
彼の手から溢れる太陽の気が剣を包み込んだ。
灼熱の炎をまとうのは太陽の女神の加護を彷彿する。
結界の影響でクリスの能力「太陽の手」も弱体化している。それでもクリスは体全身を奮い立たせて、悪竜に立ち向かう武器を呼び起こした。
「閣下!」
悪竜に駆け出すクリスを見て、ヴィクター卿は仕方ないと剣を握りしめた。
「わわ、お前らじゃ敵わん!」
ヴィクター卿にしがみつきながら雷獣は泣き叫んだ。
「わー、右右! かかさまたすけてー!」
悪竜の気配に蹴落とされながらも雷獣はそれでも与えられた仕事はこなさなければと、悪竜の動きをとらえて二人のナビゲーターを務める。
「メドラウト、早く結界を破れよー!」
相変わらず結界で能力が弱体化したままの二人では勝てない。
クリスの太陽の手も、ヴィクター卿の雷獣の能力もそれほど効いているように思えなかった。
このままでは体力は無駄に消耗されて二人は悪竜にぺろりと食べられてしまう。
だからといってここで見捨てるわけにもいかない。
これでも雨の女神の愛し子「雷獣」である。自分が加護を与えた人間を見捨てるなど自分のプライドが許さなかった。
何か方法はないかと雷獣はあたりを見た。
自分の能力を高めるものが少しでもないか。
「あ、あれは!」
はた、とヴィヴィアの手を見た。
黒の花嫁衣装に身を包んだヴィヴィアの右手首には紫水晶のブレスレットが見えた。
いつぞやの狩猟祭でクリスが勝ち取った大賢者のアーティファクトだ。あれに護身用に雷獣が魔力を注ぎ込んでいたのを思い出した。
結界の影響で、ただの静電気程度にしかならないかもしれない。だが、これを打開する方法は思い至らない。せめてヴィヴィアに呼びかけられないか。
「ええい、考えても仕方ない!」
雷獣はありったけの魔力を呼びかけて、ブレスレットを発動させた。ピクンとヴィヴィアの体が震えた。
◆◆◆
暗闇の中、ヴィヴィアは泣き続けた。
こんなに泣いたのはいつぶりか。
まだ両親にわずかな期待を持っていた幼い頃ぐらいだろう。
「いや、いやだ」
このままだとクリスは死んでしまう。
何とかしたいのに体にどろどろした黒い泥が絡みつき動けなかった。
――無駄だ。お前はここで大人しく待てばいい。
――全てが終わればお前は私のものだ。
響いてくる悪竜の声にヴィヴィアは首を横に振り続けた。
何とかしないといけないのに。それなのに、私はなんて無力なの。
昔から指をさされて言われた無能者という呼び名が耳にこびりつく。
私ではクリスを助けられない。
ヴィヴィアは涙をこぼした。
涙がこぼれ落ち泥に落ちていく。
すると、火花が出現した。
バチバチ!
どこかでみなことがある雷の華。
今はそれを鑑賞する気持ちにはなれなかった。
「ヴィヴィア」
後ろから女性の声がした。女性というより、若い少女の声のようにも思えた。
抱きしめてくる存在にヴィヴィアは首を傾げた。悪竜とは違う、優しくて温かい存在。抱きしめられるとひどく落ち着く。
「あなたの毒魔術を使いなさい。以前、メドラウトが教えてくれた呪いを毒で包み込むのよ」
優しい声で言われるが、ヴィヴィアは首を横に振った。
「無理よ。私の魔力は少ないの。悪竜の呪いを何とかできないわ」
やる前から諦める声に少女はそれでもと言い続けた。
「このままだとクリスが死んでしまうわ」
それでもいいの?
意地悪ではない。たしなめるような言葉にヴィヴィアは泣きそうになった。
そんなこと嫌に決まっているじゃない。
ヴィヴィアが言うと少女は笑った。
「大丈夫、私も一緒にいるから。だから頑張りましょう」
少女にあやされるように言われてヴィヴィアは魔力をかざした。はじめは小さな波紋を作る程度。
後ろの少女は手を伸ばしてヴィヴィアの手に触れた。白くて綺麗な手。そこから出てくる魔術を見てヴィヴィアは思わず口にした。
「あなたも毒魔術を使えるの?」
自分やメドラウト以外で毒魔術を使える存在にヴィヴィアは親近感を覚えた。
彼女に手を添えられて再び魔力をこめると泥が一部包み込まれているのを見た。
確かにメドラウトが教えてくれた内容だ。資格化されるとこんな風に見えるのか。
「私でも、できるのかしら」
魔力は少ない。悪竜に対抗できるとは思えない。
不安気なヴィヴィアの言葉に少女は優しく言った。
「できるわ。だってあなたは私の娘だもの」
それを言われてヴィヴィアは振り向いた。
そこに立つのは自分より幼さが残る赤髪の少女だった。
彼女を見てすぐに思い出す。
大賢者エムリスが愛した毒の魔女リリアだった。
彼女は愛し気にヴィヴィアを見つめた。
その瞳は優しかった。
まるで母にようやく会えたような喜びに胸が締め付けられそうになった。




