18 ロト地方の惨状
ベザリーとのお茶会から2週間、ヴィヴィアはメイドの世話を受けギーベルとの食事を強要された。
体力が落ちたらいざとなった時にクリスの足手纏いになる。
何とか食事をしようにも、ギーベルの金の瞳に観察されながらは食欲が失せる。だからといって食べないとギーベルがヴィヴィアの口に肉を突っ込んでくるので無理して食べるしかなかった。
このまま何もしないまま過ごすことに不安と恐怖を覚えた。
部屋の中で何とか逃げ出す糸口が掴めないかと模索していたが、考えが思い至らない。
扉の向こうにも、窓の下にも見張りの騎士が待機していて下手なことができない。
メイドに眠り薬を飲ませて、毒魔術で強化してその衣装を拝借しようと考えたが失敗に終わった。
まるで毒も薬も意味を為さない体のようだ。
もう死んでいるとか?
その考えに至り首を横に振った。
ベザリーが来れば新しい情報を得られたかもしれないが、彼女の姿はあの時から認めなかった。
ギーベルに行方を聞こうにも、もういないとだけいうし。
逃げ出したの?
そんな様子は見られなかったけど。
ヴィヴィアはため息をつき、右足を引き摺りながら窓際まで歩いた。あのリュカリオン山脈を超えたら、クリスがいる王都があるのに。
窓の向こうに見える何かにヴィヴィアは目を凝らした。
あれは軍隊?
さらに凝らすと軍旗の色が見えた。
青の生地の軍旗で、ヴィヴィアは淡い期待を抱いてしまう。
先頭が日の光にあたり眩い白い光を放っていた。
それを見つめると何故か心が落ち着いた。
クリス……。
ゴーヴァン公爵家のサンヒル騎士団の軍旗は青をベースに太陽と剣の紋章である。
「来てくれた、の」
もし本当にクリスなら自分の居場所をどうやって知らせたらいいか。
あの白い輝きは白い竜杯? 本当に持ってきたの?
その時、ヴィヴィアは冷や汗をかいた。
二つの竜杯が同時に騎士の血で満たされたら悪竜が復活する。
クリスはそのことを知っているのか。
知らなければ伝えなければならない。
いくら私を人質にされたとしてもギーベルの言う通りにさせてはいけない。
血を大量に失った状態で悪竜に対抗できる訳がない。いくら悪竜退治の騎士ルヴァンの末裔でも、この国の英雄でも。
絶対に白い竜杯を、クリスの血で満たしてはいけない。
その為なら私は――
部屋の中にある鋭利なものを見つけた。
ランチで出されたナイフを何か使えないかとくすねていたのを思い出した。
それを首筋にあてる。ここを切れば、失血で死ねる。
ヴィヴィアが死ねば、無事でないならクリスは自分の血を満たす必要はない。
怒りのままギーベルと戦うことになるかもしれないが、竜杯に血を満たされて悪竜が復活するよりもましだ。
私がいなければ――
クリスは戦える。
脳裏に浮かぶのはまだ乳飲み子の可愛いノエル。本当にいい子で手がかからない子で――もっと抱っこしてあげたかった。絵本も読んであげて、こぐま騎士の続きも描いてあげたかった。
そして自分を優しく抱きしめてくれるクリス。大丈夫だ。今の世界ならクリスはノエルを守ってくれる。この世界ならノエルはあの小説のような末路は遂げない。
「ごめんね。クリス、ノエル」
それを呟きヴィヴィアは手に力をかけた。
◆◆◆
場面は変わり、クリスがここまでに至る道中を語る。
クリスは竜杯を手にして騎士団を連れてヴィヴィア救出に向かった。
ロト地方に入り込み、出没すれ魔物の数が増していく。強さもどんどん増して行った。
各地に点在している護符が安置された祠はほとんど機能していなかった。地方に住む人々も山脈に隔たれた向こう側を知らずに生きているものがほとんどで諦めている様子だった。
サンヒル騎士団で倒せるが、このままだとコンスタン公爵家の屋敷がある街、カークまで辿り着くのに何年かかるか。
クリスは道中報告書を国王に送り、応援要請を出した。リチャード王太子、シャルコット公爵家、リオネス公爵家にも手紙を書いた。
思いの外早く動いてくれたのはリチャード王太子であった。王の軍隊を準備するには時間がかかるため、先にシャルコット公爵家のグラシア騎士団が派遣される。
彼らが到着してから一気にクリスはカークまで駆け出した。
ここで新たな問題が発生する。
「やはり俺は入れないようだ」
コンスタン公爵家がどれだけの準備をしていたか。カークに入る目前でメドラウトは語る。
エムリスの塔の賢者が入れないように結界が張られているようだ。大賢者でもカーク内にいるヴィヴィアの夢へ自由に渡り歩けないと聞いてから予測はされていたが。
結界の解析をしながらメドラウトは続きの報告をした。
「しかも、女神の加護が通りにくくなっている」
クリス含めた騎士たちの能力、魔術が弱体化される。これから出現する敵は今まで以上に厄介なものになるだろう。
これだけの結界を、賢者に気づかれないように張り巡らしていたことに驚かされる。何百年も前から土台を作っていたのか。コンスタン公爵家の執念深さを思い知らされた。
「結界を解除できそうか?」
メドラウトは不機嫌な表情を浮かべた。
できなくはないが時間がかかる。
他の賢者にも来てもらう必要性がありそうだ。
メドラウトはここから離脱することになる。
それに騎士、兵士らは不安を隠せずにいた。魔術師たちもだ。
ここから先は自分の魔力、能力は期待できず、武術だけが頼りになる。魔術師たちもどこまで彼らをサポートできるか悩んでいた。
しかも、賢者メドラウトの離脱はいたい。
「ここから先は私一人で行く。お前たちはこの周辺で魔物討伐にあたってくれ」
元から一人で行くつもりだった。
コンスタン公爵家の目的は白い竜杯とクリスの血なのだから。
「私に何かあったら、ノエルを頼む」
ゴーヴァン公爵の証である指輪を騎士団長に預けようとしたが、彼は首を横に振った。
「私は閣下と共にカークに入ります。それは、賢者様に預けた方が確実でしょう」
長らく戦場を共にしていた老将は、主君と共に命ある限り戦う覚悟だった。
それを聞いて不安な表情だった騎士たちはお互いの顔を見合わせて奮い立たせた。
「閣下! 私たちも一緒にカークに入ります」
「しかし、これは私個人のことだ。誘拐された妻を救出したいという」
ヴィヴィアを軽んじるものはここにいないのはわかっている。だが、自分の命を捨てる程のことを強要できない。
「実は、うちの娘がファンなのですよ。奥様のこぐま騎士の」
へへ、と一人の騎士が笑う。
「娘はずっと言葉を喋れずノイローゼ気味だった妻が感謝していました。奥様にはどうか続きを書いて欲しく」
「それなら私も……奥様は私が育った孤児院の建て直しをしてくださいました。恩師の肺病の治療費も支援してくださり、奥様は私の恩人です!」
「俺も奥様に助けられました」
命を捨てる覚悟はあると彼らはいう。
ヴィヴィアは自分が無能者と低い評価を受けて長らく自信がなかった。クリスの元へ嫁いだ時も頼りない夫人だと侮る者もいたがクリスが全て黙らせた。ヴィヴィアはただ自分のそばにいればそれでよい。そう思っていた。
だが、彼女はこの数年変わった。
自分の足で動き、仕事にも積極性を出し、自分だけの物語を紡いで知らぬうちに人々の心を繋いでいた。
クリスはメドラウトに指輪を預けた。
「よし、全てが終わったら分解して研究資源にしよう」
受け取ったメドラウトの言葉にクリスはずり落ちそうになる。こんな時に何を言い出すのか。
「だから取り返しにこい」
柔らかい笑顔だった。
幼い頃に教示を受けていた偏屈男がいつの間にこれだけの表情を浮かべられるようになったのだろう。
クリスは無言で頷きカーク内、中央にあるコンスタン公爵家へと視線を移した。
懐に持つ、白い竜杯は眩い光を放ち続けていた。
この光がヴィヴィアの視界に入っているだろうか。見えているなら少しでも彼女の不安を和らげて欲しい。




