17 ヒロインの消失
コンスタン公爵家の廊下を歩きながらベザリーは過去を思い出した。
――寒い冬の季節、少女は母に連れられて修道院へ入った。
「いい子にしているのよ」
「お母様はいつ迎えにきます?」
「大丈夫よ。お金が集まったら迎えにくるわ。そしたらあなたのドレスを買うわ」
そのやりとりをして、母は去っていく。
小太りのいやらしい手つきの男に肩を抱かれて。
「いや! お母様、私も行く」
少女は叫んだ。
このまま、母は別の何かになるのではないか。
迎えにこなくなるのでは。
少女は母の方へ駆けつけようとするが、修道女が押さえつけた。
一度だけ母は少女に振り返ってさた。
脂ぎった手で母に触れていた男は彼女の耳元に囁く。
「お前の娘を連れて来てもいいのだよ。きっとお前に似て美人になるだろう」
その言葉に母はゾッとした。
首をただ振り、男に早く行こうと馬車へ急がせた。
「お母様! お母様!」
その後、少女の苦痛の日々が続いた。
「がっかりだよ。治癒魔術が使えると聞いていたのに、かすり傷程度を治癒することしかできない」
ただでさえ人手不足なのに。
それでもいくらか力になるだろう。手作業でも働いてもらおう。
「傷薬を塗りますね」
修道院に併設されている治療院で少女は傷病者のケアに励んだ。
「ちっ、何で治癒魔術が使えない女が担当なんだよ。ぱぱっと早く治してほしいのに」
悪態をつく兵士。
少女はグッと抑えて笑顔でケアを続けた。
ようやく仕事が終われば、シシリアをはじめとした治癒魔術を使える令嬢が少女に汚れた衣類の山を渡してきた。
「これ、綺麗に洗濯してね」
「全部ですか?」
治療で汚れた衣類は分担して洗う決まりだったはずだ。
「あら、当然でしょう。私たちは多くの騎士たちに治癒魔術を施したのよ。あなたは何人治癒できたかしら」
「あぁ、その程度? そんなの1時間で終わらせたわ」
「じゃ、頑張ってね」
令嬢たちの嘲笑う中、少女は笑顔を作った。
「あの子、没落した伯爵家令嬢と聞いたわ。それなのにたいした能力をもたなかったのね」
「しょうがないわ。母親は卑しい売春婦よ。あのガストロ男爵の愛人になる為にあの子を捨てたのよ」
「うげ、あの気持ち悪い暴力男よね。いくら没落してもそこまで落ちれないわ」
「愛想よくしているけど、あいつ傷病兵士を誘惑して遊んでいるらしいわよ」
「うわぁ、売春婦の子は売春婦よね」
くすくすと陰口を叩く修道院の孤児たち。
彼女たちも治癒魔術が使える為、少女より良い待遇を受けていた。
「! な、何よ」
部屋の扉を開くと少女が立って、孤児たちを睨み付けていた。
「盗み聞き? 気持ち悪い」
「なんで」
少女の口からもれる声、その声を聞いて孤児たちは喉の奥から湧き上がるものを感じた。
「何でそんなことを言われないといけないの!」
その瞬間、孤児の口から赤黒い液体が溢れてきた。口以外に、目、鼻、耳とあらゆる穴から赤黒い液体が溢れ出る。
苦しみながら孤児たちは生き絶え、少女は強い疲労感と眠気で倒れた。
目を覚ますと修道女マリアナの部屋で寝ていた。
「素晴らしいわ。あなた」
マリアナはうっとりと少女を見つめた。
「あなたの能力は特殊なもの、少しの治癒魔術と強力な呪い。治癒魔術がわずかばかり存在していたから呪いに気づかれにくかった。でも、今日あなたは呪いの能力を開花させた」
それから少女の生活はいっぺんした。
マリアナは、少女に色んなことを教えた。少女の能力を買い、支援してくれる高貴な方がいると言われて。そのおかげで少女は色んな道具を開発した。
魅了の呪いを仕込んだ薔薇の化粧水、ブレンド紅茶もそれである。薬剤をいれるとうまく効能をあげることができた。必要な薬剤は高貴な方が仕入れてくれて困らなかった。
研究成果で判明したことはベザリーは呪いで人の命をとりこめばより強い力を得られることだった。
それを知った高貴な方は処分可能な命を提供してくれた。そのうちは政敵が含まれていた。
その情報を確認していくうちに、高貴な方がコンスタン公爵家だと気づくのに時間はかからなかった。マリアナは少女の賢さを誉めた。
少女は1年であっという間に魔力の底上げをして、治癒魔術を強力なものにできた。
治癒と呪いを使い分け頭角を表し、暗躍して、ゴーヴァン公爵家の奨学生制度に潜り込めた。
「よくやったわ。あのお方も喜んでいます。褒美を与えたいと言っていたわ」
何がいい?
少女がこたえたもの。それはある男の命だった。
薄暗い部屋の中、少女は男が入ってくるのを待ち望んだ。
「おお、愛らしいの。はじめは怖いだろうがじきによくなる」
猫撫で声の男。脂ぎった手が、下着同然の少女のドレスに触れた。肌にまとわりつく感触が気持ち悪い。
「しかし、お前はどこかで見たことがあるな。どこだったか」
「嬉しいです。おぼろげにでも覚えてくれて」
少女は甘えた声で、男の首にうでをまわした。耳元で囁く声に男は気をよくしていた。
「はてさてどこで会ったかな」
「お前がなぶり殺しだ女の娘だよ」
どすのきいた声に切り替わった瞬間、男はもがき苦しみ始めた。
「苦しい? お前に両手両足の骨を折られて風呂に沈められたお母様はもっと苦しかった」
「うご、ごぼ」
赤黒い液体を口から吐きながら男は全身にまわる苦痛にもがき続けた。
「まだ足りない。もっと苦しめっ!」
少女の暗い瞳でさらに男は歪み捩れていく。
ぐしゃぐしゃになり息絶えた男をみて少女は笑った。
「お母様っ、私がんばったよ! がんばったの!」
どこにもいない虚空に呼びかける。
もうこの世のどこにもいない母に。
「だから、早く迎えにきて。お母様、お母様」
少女から溢れる涙。
できることなら母の元へ今すぐ行きたい。
だが、そういうわけにはいかない。
死んでも母の元へ行ける保証はない。
少女の希望は、竜杯にあった。
ゴーヴァン公爵家に伝わる、竜杯。
その竜杯を手に入れたら好きに願いをしていいと言われた。
願うことならば、母といっしょにいたあの日々へ帰りたい。
実家が没落し、父が病死して貧しい中生きてきた日々。
今の私なら、母を助けられる。
こんなクズに見受けしなくても良い。
そう思ったのにクリスの願いのせいで、戻りたい時期に回帰できなかった。
回帰した瞬間は、あのチューリップの咲く庭園でのこと。――
ああ、昔のことを思い出すなんて最悪。
記憶から戻ったベザリーは体のいたるところが痛みながらも何とか自室へと戻れたのを確認した。
ベッドに横たわり、ベザリーは露出の低いドレスの袖をまくりあげた。
手首から体の中心まで黒く変色していた。
ヴィヴィアを誘拐する為にさらなる魔力の底上げをした。呪いを使いたくさんの命を奪った。悪竜の呪いにも手をつけた。
高頻度の呪いの対価、悪竜の呪いの副作用が信じられない速度でベザリーの体を蝕んでいた。
「あのクソ悪竜」
何が竜杯で願いを叶える許可を与えるだ。
すでにベザリーの体がどうなるかわかっていただろうに。
まぁ、仕方ない。
体の負荷を感じながらも呪いを使い続けたベザリーにも責任はある。
「ああ、悔しいな」
もう少ししたらヴィヴィアの悲鳴を聞けるのに。クリスの慟哭をあざわらえるのに。
まぁ、いいや。前回ので十分堪能させてもらった。
私はここで退場、呪いの淵で見物させてもらうわ。
少しずつベザリーの体が崩れていく。
黒い痣が現れてぽろぽろと剥がれていく。
「ああ、愉快愉快」
その時脳裏に浮かぶのはヴィヴィアの言葉。回帰の記憶を取り戻した後のこと。
――「それでも痛いでしょう」
敵でありながら心配するヴィヴィアの言葉にベザリーは笑った。
「ええ、とても」
そして彼女の全てが崩れた。
ベッドに残されたのはベザリーの着ていたドレスとそれに合わせたように散らばる消し炭のような残骸のみだった。
ヴィヴィアの気づかぬところで『小公女ベザリー』のヒロインは消えていった。




