9 夢の中のおとぎ話
深い深い森の中、ヴィヴィアは無意識に歩いていた。
確かゴーヴァン公爵家でノエルの添い寝をしていたと思うのだが。
傍にはノエルはいない。
どこへ行けばいいのかわからないまま森の奥へと進むと美しい湖が広がった。
そこの岩の上に黒いローブの男が座り込んでいる。物語で見た古めかしい杖を操り、ちょんちょんと湖の水面に波紋を作って遊んでいた。
「ああ、ようやく会えたね」
穏やかな男の声がした。
若い声、それなのになぜか老人のようにも思える。
不思議と怖いとは感じない。
ローブのフード部分を外して見えるのは見事な金の髪。無造作に伸ばした髪でありながらそれは何かの規則性があるようにもみえる。
紫の瞳でヴィヴィアの姿を映し出し柔和な笑みをこぼす美しい男であった。
その紫の瞳は光の加減で赤にも青にもなる虹色に輝く不思議な瞳であった。
伝承で聞いたことがあった。
この男は魔術師で、きっと膨大な魔力を持っている。複数の能力を持った存在であろう。
「はじめまして、ヴィヴィア」
男はヴィヴィアのことを知っていたようだ。
「あなたは……」
少し警戒しながらも男の伸ばした手に触れる。
ふわっと岩の上まで上げられて湖一面を見下ろせる。
「綺麗……、まるで妖精の湖のよう」
「そうだよ。ここには妖精が棲んでいた。この国の大地を支える神様の五人の愛娘たちだ……うち四人は女神となった」
それは聞いたことがある。
大地の神は湖で四人の娘を作った。
はじめは妖精だった娘は女神に昇格し、1人は太陽を、1人は雨を、1人は風を、1人は土をつかさどる権能を得た。
これが天候となり、植物の起源となり、国は少しずつ豊かになっていった。
建国記以前から伝わる神話伝承である。
「五人……?」
ヴィヴィアは数に疑問を覚えた。
それに男はこくりと頷いた。
「娘は五人いたのさ。五人目は権能を持っていなかった……だから、土の女神の手伝いをして生きていた。権能なしの娘――美しい赤髪の乙女だったよ」
それを聞き妙に他人事とは思えなかった。
ヴィヴィアも長らく無能者と呼ばれていた。しかも自分と同じ赤髪となると彼女の悩みは何となくわかってしまう。
「そう……君ならわかるかもしれないね。だって彼女には権能が全くなかった訳ではないから」
「何故権能がないと言われていたのです?」
「毒の権能だったから」
毒は人を苦しめて命を落とす不気味なものだった。
きっと人々は毒の権能を持つ娘に憎悪を向けるだろう。
しかも、娘の魔力は驚くほど少なかった。きっと自分の身は守れないだろうと彼女を愛する土の女神がずっと娘を隠し続けた。
「だから長らく娘は隠された……しかし、表に出る時がきた」
人間の子供が毒にやられてしまった。毒を消す為に薬が必要だ。
娘は子供の毒を操り、無毒化させた。
これで娘は魔女となった。
女神ではなく、毒の魔女に。
人々は不気味な存在に距離を置いた。だが、怪我をした時、病で苦しんだ時、毒にあてられた時は彼女の能力がよく効いた。
都合の良い奴らだ。
だが、娘は求められれば能力を使って人々を救った。
時には魔力が足りずに倒れることもある。
治った人々は倒れた娘に目もくれずそそくさと立ち去った。
土の女神が帰ってくると放置された娘をみては怒り出して地震を引き起こした。
地震で目を覚ました娘は慌てて姉を宥めた。
「心優しい娘だった」
「その娘はどうなったの……」
続きが気になるヴィヴィアは男にせがんだ。
男は優しくヴィヴィアの頭を撫でて髪を梳いた。
親にすらこんな風に触れられたことがない。何だかくすぐったい気分であった。
「ああ、続きはまた今度……君の子供がお乳が欲しいと泣いているからね」
男がそういうとすぅっと透けて見えた。
「待って」
そういうがヴィヴィアはどんどん男と湖が遠ざかっていくのを感じた。
そして目を覚ますと、隣で泣きじゃくるノエルがいた。
「よしよし」
ヴィヴィアはノエルを抱き上げて、自分の胸を差し出した。ノエルはきゅうっとヴィヴィアのお乳を吸い始めた。
あたりをみるとまだ夜は明けない頃合い。窓の外はまだ真っ暗であった。
「今の夢は……」
はじめての感覚。そしてとても懐かしくて心がじんわりとする。
まるで長らく会えなかった家族にようやく出会えたような心地であった。
ぽたぽたとヴィヴィアが涙をこぼす。
「ヴィヴィア」
ノエルを挟んだ形で眠っていたクリスは起き上がってヴィヴィアの頬に流れる涙を拭った。
「何かあったのですか?」
「いいえ……」
ヴィヴィアは首を横に振った。
怖い夢を見たわけではない。安心してほしいと。
「そうか。ほら、私の胸に背中を預けて……」
クリスはヴィヴィアを自分の胸元に誘導した。
「これではあなたが眠れませんよ」
「大丈夫……」
とんとんとクリスはヴィヴィアの肩を叩いた。
安心できる胸元……クリスの鼓音を耳にしながらヴィヴィアは瞼をゆっくりと閉ざした。
腕の中にいるノエルが落ちないようにクリスは両手で支えてやった。
ようやくノエルが落ち着いた頃に、クリスはてきぱきとヴィヴィアとノエルを横たわらせた。
明朝、気になってヴィヴィアはノエル=アンジェに持ってきてもらった神話伝承の本を読んでみた。
この国の成り立ち、大地の神が湖で作った娘は四人。はじめは妖精であり、のびのびと湖で生活して権能を得て女神へと成長したと書いてある。
間違いなく大地の神の娘は、四人と記載されている。
あの夢ではどうして五人目とあるのだろう。
五人目の毒の権能を持った娘、魔力が少なく女神ではなく魔女と呼ばれた。
毒の魔女――どこかで聞いた単語だったな。
どこだっただろうかと思い出すと、そろそろノエルがミルクを欲しがる時間が近づいてきた。
ベッドで寝ていたノエルはむずむずとしている印象で、ヴィヴィアは立ち上がった。
決まった時間にノエルはミルクを欲しがってくれるのでだいぶ楽であるが、どうにも我慢している仕草がみられる。
口をぱくぱくして不機嫌そうにしてそれでも泣かないのは良い子なのだが。
「よしよし、ミルクをあげようね」
ヴィヴィアはノエルを抱き上げて椅子に腰をかけた。
「本当に若様は手がかかりませんね」
ノエル=アンジェは不思議そうに呟いた。
「そうなの?」
「はい、孤児院にいる赤ちゃんはもっと不定期に泣きます」
確かに決まった時間帯に泣くのは珍しいかも。時々、それ以外で泣くこともあったが。
「もっと我儘に振舞ってもいいのよ」
ヴィヴィアはつんとノエルの頬に指をつけた。ぷにぷにとした表情が愛らしい。
「そういえばシエルは今どんな感じなの?」
お乳を与えている間にふと思い出して尋ねてみる。
「兄ですか? ようやく基礎訓練に慣れてきた頃ですね」
ノエル=アンジェの双子の兄・シエルは今年の春から騎士団に見習いとして入団していた。
騎士、従騎士のさらに見習いの見習い……、基礎訓練をして騎士の世話をする従騎士の手伝いをしている。
空いた時間ができれば剣を見てもらっているとか。
ヴィクター卿の元に置いても良かったのではと思ったが、色々経験を積みたいというシエルの希望もあった。
一応面倒をみてくれている騎士はヴィクター卿の顔なじみで良い方のようである。
ヴィクター卿も安心してほしいと言ってくれたので、あとはシエルが無理をしすぎないで欲しいと願うばかりである。
「10年お待ちください。兄は奥様と若様を守る騎士になると目標を掲げています」
確かに騎士になるならばそれくらいはかかるかも。人によってはさらにかかる場合もあるが、ヴィクター卿が結構褒めていた為思った以上に早く目標を達成できるかもしれない。
「そうね。その時が楽しみだわ」
その頃にはベザリーの件が落ち着いて、それで私とノエルが無事に過ごせていればいい。
ヴィヴィアはノエルの頭を撫でてやった。




