8 騒動の後の帰宅
トランはヴィヴィアの方へと近づき、頭を下げた。
「この度、我が家門が後見する王女の不祥事お許しください。夫人にはせめてもの慰謝料として我が領地内のコーン海の真珠養殖の利権を譲渡いたします」
急に出た慰謝料の話にヴィヴィアは首を横に振った。
「い、いりません。そんな大事なもの!」
「いいえ、姪が誘導したあなたへの悪評は私でも吐き気を催すものでした。当人のあなたからすれば苦痛はいかばかりか。これは私と父のせめてもの謝罪として受け取り下さい」
どう返事すればいいものか悩む。
「でも、王女は今年成人する身。責任は、あなたたちではなく王女がとるものでしょう」
「そうですね。その為に教育を今から頑張らねば……」
トランははぁと深くため息をついた。
まさかここまで姪が我儘王女になっていたとは思わなかった様子だ。
「王女のけじめはまだお待ちください。せめてもの慰めに受け取っていただきたい」
「そんな大層なものをもらっても私は管理できません」
「管理はそこにいる夫が用意すればいいのです」
トランはちらりとクリスへ視線を移した。
「受け取っておいた方がいいです。ここでリオネス公爵家のメンツを守れば、後々無理を通しやすくなりますし」
「慰謝料を受け取った上にそんなことって」
「はい、それで構いません。私は今後あなたの良き友人として付き合いたいと思いますので」
トランの言葉にヴィヴィアはうーんと悩んで、そこまで言うのならとリオネス公爵家からの慰謝料を受け取ることとした。後で書類と弁護士を用意するとトランはいう。
「それよりも随分早く来ましたね」
確かに。
リオネス公爵家領の都市から王都までは馬で10日以上かかるはずだ。
「ええ……突然目の前に賢者が現れて、私をひっつかんで王都まで送り届けた時は死ぬかと思いました」
げっそりとした様子で口にした。
賢者というとメドラウトのことのようだ。
メドラウトは空間移動の魔術も使えるようで、何度かその場面を遭遇したことがある。
彼に魔術で移動させられると三半規管がやられてしばらくきつくなると聞いた。
一緒に移動したいのであれば鼓膜内の保護魔術を使えるようにならなければならないと教えられてヴィヴィアは一生彼と移動することはないだろうと思った。
「メドラウト様がどうして……」
「王太子殿下とエレノアだろう」
二人が学園長室へ訪問してメドラウトに助力嘆願したのだ。直接の弟子となったヴィヴィアの危機だと知り、メドラウトは仕方ないと空間移動を駆使してリオネス公爵家へ訪れた。
「そうだったのですね……エリーと殿下に感謝を伝えなければ」
王宮だし、王太子への拝謁のお願いをしなければ。
「ああ、殿下は今リオネス公爵家領屋敷にて寝込んでいるのでお礼の挨拶は10日後にすることをお勧めします」
そういえば、メドラウトがリオネス公爵家で話をまとめられる器量があったか微妙なところである。話のまとめ役としてリチャード王太子がメドラウトの空間魔術で移動したのだろう。
そして三半規管がやられて寝込んでいるという。
リチャード王太子殿下。あなたの三半規管の犠牲は忘れません。
ヴィヴィアは遠い場所にいる彼を想った。
「そして陛下」
クリスは国王の方へと再び声をかけた。
「この件はどうされるのです?」
「どう、とは……既にイボンヌ王女の処分も、夫人への慰謝料の話も出たではないか?」
「それはリオネス公爵家の采配でしょう。まさか一国の王たる叔父上が何の責任もとれないとなると嘆かわしいことです」
クリスは深くため息をついた。
「元々あなたがイボンヌ王女殿下を可愛がりすぎて騒動が大きくなりました。あなたがイボンヌ王女を抑えて、厳正な調査をしてくれれば済んだ話」
これはイボンヌ王女の采配が原因だが、彼女がまだ幼いというのであればその責任は親の責任であろう。
「それでどうなりました? 私の妻は、この王宮で何と悪しざまに言われていたか。部屋でどんな尋問を受けたのか。3日間入浴も許さず、食事は貴族が食べるにはあまりに粗末なもの……無実の貴族夫人に対してあまりに酷い仕打ちでしょう」
その言葉を聞き、国王は目を泳がせる。
「これを我が母が見ては何と思うか」
そこまで言われると国王は何も言えない。
有名な話であるが、国王は姉――クリスの母のディアンヌ王女を敬愛していた。体が弱い生母の代わりにディアンヌ王女が国王を守ってきていたからだ。
彼女が嫁ぐまでの間、国王としての地位を固め、さらに臣下とのつながりを強めるためにディアンヌ王女は当時のゴーヴァン公爵の夫人となった。
正義感が強く、虐げられる令嬢をみると許せないと剣を振るう勇ましい王女だったという。
残念ながらクリスが幼少期に命を落としてしまい、国王はディアンヌ王女に生き写しのクリスをことのほか可愛がっていた。リチャード王太子、ウルリケ王妃が複雑な気持ちになる程に。
「す、すまなかった。ヴィヴィア・ゴーヴァンよ」
国王は改めてヴィヴィアに頭を下げた。
この国の王に頭を下げられるなど思っていなかったヴィヴィアは逆に恐縮してしまった。
「い、いいえ。陛下、どうか頭を上げてください」
雲の上の存在に頭を下げられると逆に困る。先ほどはイボンヌ王女を可愛がるだらしない父親だと思っていたが、よくよく考えなくてもこの男はこの国の王なのだ。
「というわけであともうひとつ。3年後、私を戦場へ再度投入しようとした話はなしで」
はじめて聞いた話でヴィヴィアはついクリスの方を振り向いた。
「しかし、それは困るぞ。今は落ち着いているがいつまた戦争が起きるかわからん。魔物の被害も……」
「このままじゃあ、妻子を置いてなどいけませんよ。王家がまた暴走してしまうとも限りませんし」
「そ、そんなことはっ」
「現にこの3日間、妻はどのような生活を強いられていましたか?」
「あうぅ……」
「国境に関しては陛下と外交官の手腕に頑張っていただく他ありません」
ここまで言って良いのだろうかとヴィヴィアは不安になる。
ヴィヴィアはどうしたものかとクリスを見ると、クリスはちらりと目配せした。
彼の意図を掴んだヴィヴィアは思わず笑みをこぼした。
「ふふ、……あなた。国の大事にそれは現地の方々が気の毒です。どうか、民の為にここは心を広くもってください」
ヴィヴィアがそういうとクリスは笑った。
「ええ、あなたがそこまで言うなら仕方ありませんね。ですが、長期遠征は考えさせていただきます」
全てはヴィヴィアの気持ち次第だということを示して、国王は潤んだ瞳でヴィヴィアを見つめた。
「夫人よ。感謝する……そして今回のことはすまなかった」
これで一応国王にも貸しを作った形になるだろう。
3日の間どうなることかと不安であったが、これでようやくノエルの元へと帰れる。
「ノエル、ただいま!」
ヴィヴィアは急いでノエルの方へかけつけた。丁度、ケイトの腕の中でうとうとさせていたノエルはヴィヴィアの声を聞き目を大きく見開いた。
寝ようとしていたのなら静かに帰ってくれば良かったかな。ヴィヴィアは後悔した。
「うぁあああっ!!」
ノエルは両手を広げて泣き叫んだ。手足をばたばたさせてヴィヴィアの方へ向かいたいが、ケイトに抱かれていて移動できない。
ヴィヴィアがノエルの方へ近づくとノエルはするりとヴィヴィアの方へ腕を回してどんどんとヴィヴィアの肩を叩いた。
「いたた……うん、ごめんね。ノエル」
ただいま。
それを口にするとついつい目が熱くなってしまった。




