4 憎悪の感情
休憩をはさみヴィヴィアはノエル=アンジェと共に庭園へ散歩に出かけた。
「若様は私が抱えます」
段差のあるところもあるため心配になってケイトが声をかけるがヴィヴィアは首を横に振った。
「もう少ししたらお願いするから待って」
もう少しチューリップをみるノエルの反応を間近で眺めたい。
ノエルは落ち着いた様子でチューリップを眺めていた。
手を伸ばすこともなく、ただじっと。
大人しい子だと思っていたが、もしかすると本当に大人びた性格なのではないか。
少し心配になる。
「ノエル。チューリップを部屋に飾らせてくれるって。どの色がいい?」
そういっても彼は首を傾げてヴィヴィアの方を見つめるだけだ。まだ花を選べるわけないか。ヴィヴィアは笑った。
「あーっか、きいろ、……ノエルは何が好き?」
何度も尋ねながらヴィヴィアは庭師に気に入った一輪を指で示した。
「奥様」
久方ぶりに聞く声であった。ヴィヴィアは少し動揺した。
本当に同じ敷地内にいるとはいえ、彼女に遭遇することはほとんどなかった。
クリスとモリス秘書官が色々と根回しして彼女が本館にあがっても一部しか利用できないようにしてある。
このチューリップの庭園に訪れる際も、彼女はメイド長に相談してから来る必要があった。
「久しぶりですね。モカ令嬢」
ベザリー・モカ。
ヴィヴィアが前世で読んだ小説のヒロイン。神様に愛された聖女。
しかし、その小説はクリスの回帰前の出来事であり、実際はクリスを洗脳してゴーヴァン公爵家を破滅へ導いた。
ヴィヴィアは警戒しつつも、ここで変に距離を置いては気取られると察した。平静を装い挨拶をした。
「はい。奥様、遅れてしまいましたがご出産おめでとうございます。なかなか会えず心配でした」
「そう。ありがとう。子育てに、色々と頭が回らなくて部屋にいることが増えて」
「存じています。他にも色々と忙しいようで……絵本制作なども大盛況ですよね。私、あの絵本が大好きで……」
そして手に取りだしたのは綺麗な装飾がされた化粧瓶であった。
「これは私が作った香水です。ヒヤシンスの甘い香りが自慢で……もし宜しければ奥様の育児の合間、休憩に楽しんで欲しいと用意しました。絵本のルカ姫をイメージして作ったので是非受け取ってほしいです」
香水と聞いてヴィヴィアは警戒した。
彼女の作る香水には覚せい剤が混ぜ込まれている。同時に呪いも。
それを手に触れることに少し恐怖がある。
うぅん、瓶を触るだけなら大丈夫。
いざとなればブレスレットもあるしすぐに解毒できるわ。
ここで拒絶するわけにもいかない。
堂々としていればいいのだ。
そう自分に言い聞かせてベザリーから瓶を受け取ろうとした。
「ぎゃぁああっ!!」
ノエルが突然泣き出した。今までこんな泣き方をしたことがなかったのに。
その瞬間、バチッと雷が走りベザリーの手がはじかれて持っていた香水瓶が落ちていった。
雷の影響で瓶はこなごなに割れてしまう。
「え……」
今の雷って雷獣のよね。
一体どうしたのだろう。
どうしよう。
今の私が手を払ったように見えた?
これで何か起きたらどうしよう。
ベザリーが悲劇のヒロインさながら涙ぐむのを警戒するが、ベザリーは茫然としていた。目を大きく見開きあたりを見渡す。
「モカ令嬢……大丈夫?」
「はい」
気のない返事に心配になってくる。
「ごめんなさい。折角用意してくれた香水を……」
「いいのです。私が不注意で落としたので」
ベザリーはにこりとほほ笑んだ。
「静電気ですよね。この時期にも発生するなんてびっくりしました」
雷獣の雷をそのように解釈したようだ。
「香水はまた作り直します」
そういい彼女は割れた香水瓶に手をかけようとしたが、ヴィヴィアが止めた。
「やめなさい。手を怪我したら大変よ」
そういうが、彼女は割れた香水瓶を触れて指を切った。
「大丈夫です。治癒魔術ですぐ治しますから」
何のこともないという彼女の言葉にヴィヴィアは伝えた。
「それでも痛いでしょう」
彼女のことは怖い。自分の破滅へのトリガーになる少女だから。
それでも目の前で怪我をされていい気分はしない。
ベザリーは視線をよそに向けた。
「ここはメイドに片づけてもらうから部屋に戻って。すぐに医者を向かわせるわ」
気をきかせてお茶を誘えればいいのだろうが、まだ泣き続けているノエルのことでそれどころではない。
「……それでは奥様。ご機嫌よう」
ベザリーはカーテシーを披露してその場を立ち去った。
立ち去った後に残されたヴィヴィアはケイトに声をかけた。
「瓶の破片が残っていないか確認をお願い……あと、香水を回収できるかしら?」
瓶は全てベザリーが持って行ってしまったが、まだ破片は残っているだろう。うっかり誰かが怪我をしては大変だ。そして香水については後日メドラウトに相談して解析をしてもらおう。
「微量でもいいなら回収は可能と思います」
未だに泣き続けるノエルにヴィヴィアは抱き直してよしよしとあやしてあげた。
「雷獣様」
少し落ち着いた頃にヴィヴィアは雷獣を呼ぶ。雷獣は空中からふらっと姿を現した。
「ベザリーにどうして雷なんて」
「嫌悪感かな。あれはかなりやばい感情を振りまいている。一緒にいるだけで息がつまりそうな程の感情を……ノエル坊はそれにあたってしまったのだろう。だから近づけさせるなと雷をちょっと」
「ちょっと……」
「ほんの静電気レベルだ。あいつも言っていただろう」
一応手加減はしてくれたようだ。そしてノエルの為に動いてくれた為非難することはできない。
ヴィヴィア自身彼女に対して恐怖を抱いていたのだから。
「一応感謝します。それで、ベザリーの感情というのは」
「ああ……あれは」
何というかなと雷獣は思い起こした。人間の感情を言葉化することに慣れていない為すぐに単語が出てこない。
「憎悪だ」
ようやく出てきたという言葉にヴィヴィアは少し薄気味悪さを感じた。
◆◆◆
ベザリーが部屋に戻るとヴィヴィアが言っていた通り医者が訪れてきた。
傷の手当てをしてくれてベザリーは笑顔で対応する。
「ありがとうございます」
内心これくらい治癒魔術ですぐに治せるのにと思うが、それでも手当してくれた医者にお礼を述べた。
医者が退室した後、先ほどの言葉が思い起こされる。
――痛いでしょう。
ヴィヴィアの声を思い出してベザリーは表情を暗くする。
「ええ、とっても痛い」
両手で顔を覆う。まるで幼い少女が泣きださんという勢いで。
しかし、彼女から出たのは嗚咽でもない。心の奥から沸き上がるどす黒いものであった。
「だから許せないのよ。あなたが、全部が……」
部屋に備え付けられた机から便箋を取り出す。それをさらさらと書いて、ベザリーは明日の登校鞄の中に入れた。




