四月二十九日(土・10)。幸峰詩乃梨のヒロイン力。
山岡くんと一旦別れ、重い足取りでアパートへと引き返した俺は、詩乃梨さんの部屋を訪ねた。
だが、チャイムもノックも呼びかけも、悉く返事はもらえず。「おや?」と首を捻りながら、もしかしてと思って自分の部屋に戻り、玄関の扉をがちゃりと開けてみた。
「あ、琥太郎くんお帰り-。ごめーん、またおじゃましてるよー」
こたつにもぐって気怠げに頬杖をついていた綾音さんが、ちょっと気まずさの滲んだ笑顔でふりふりと手を振ってきた。
俺は『全然おじゃまじゃありませんよー』という思念を乗せて手を振り返し、廊下を抜けて居間兼寝室へ。俺に背を向けて座っていた詩乃梨さんの両肩にぽんと手を置き、ぐるりと一同を見渡した。
席順も面子も昼食の時と一緒。ただ、こたつの上に乗っているのは焼きそばでもチョコレートでもコーヒーでもなく、教科書にノートに筆記用具等々の勉強道具が三人分。
左を見れば、凄まじい集中力でノートにシャープペンを走らせている真鶴佐久夜。右を見れば、頬杖を突きながら参考書をぺらぺらと意味もなくめくっている綾音さん。
そして真下を見れば、そこには無垢な瞳で俺を見上げてくる詩乃梨さんのお顔があった。
「こたろー、どこ行ってたの?」
「ん……、ちょっとストーカーに――っていうか山岡くんに会いに行ってた。で、詩乃梨さん達はどうしてここに?」
俺は訊ねながら、その場にあぐらで座り込み、詩乃梨さんの脇の下へ手を差し入れた。
詩乃梨さんのおへその前で両手を重ね、ぐっと力を込めて、詩乃梨さんの軽い身体を俺の胴体へ引き寄せる。すると、詩乃梨さんは抵抗することなく、お尻をちょっと浮かせながら身体を寄せてきて、俺がかいた胡座の中にぽすんと着地。
俺は詩乃梨さんのあたたかさと重みを学校の制服越しに感じながら、ちょっとずつじりじりと前へ移動して、二人で一緒にこたつに入り直した。
俺と、俺のあごの下に体育座りで収まった詩乃梨さんが、同時にほぅっと弛緩した息を吐く。
「……詩乃梨さん、髪引っ張られてない? 大丈夫? あとおっぱい触っていい?」
「髪はだいじょぶだけど、おっぱいは…………………………だ、だ、だだ、だっ、め。……で、でねっ、わたし達は勉強するためにここに戻って来ましたっ!」
「……いや、勉強するために詩乃梨さんの部屋行ったんでしょ?」
「んー……。……わたしの部屋じゃ、まともに勉強にならなかったよ……」
詩乃梨さんは疲れ果てたように全身を脱力させ、俺の胸板にくったりと寄りかかってきた。
俺は股間のエベレストを詩乃梨さんのお尻にしれっと押し当てながら、それについては敢えて言い訳も言及もせずに、詩乃梨さんの発言の意味について綾音さんに目線で問いかけてみた。
綾音さんはなんだかすごくだらしない微笑みで俺と詩乃梨さんを眺めていたが、俺の視線に気付いて居住まいを正し、こほんとわざとらしく咳払い。
「詩乃梨ちゃんのお部屋はね、佐久夜ちゃんが拒絶反応起こしちゃうし、香耶ちゃんが過剰反応しちゃうしで、もうお勉強どころじゃなかったよ」
拒絶反応に、過剰反応。俺がその二つのワードに疑問を持つことはお見通しだったのか、綾音さんは軽く笑いながら解説してくれた。
「佐久夜ちゃんにとって、詩乃梨ちゃんのお部屋はもう地獄の勉強部屋ってことで刷り込まれちゃってるんだろうねぇ……。部屋入った瞬間からもうそわそわし始めて、教科書開いてもそっち見ないで詩乃梨ちゃんの顔色ばっかり気にして、そんなだからケアレスミスや覚え間違い連発しちゃって、詩乃梨ちゃんに何か言われそうになるとさっと頭を押さえてきゃうんきゃうんって悲壮に鳴くの」
俺のあごの下で、詩乃梨さんがそろ~っと顔を逸らす気配がした。
俺は詩乃梨さんを一瞬だけ強めに抱き締めて「あうぅ」と悲鳴を上げさせてから、真鶴佐久夜にちらりと目をやった。
「……そんな哀れな仔犬状態だったわりには、今はやたら元気いっぱいでお勉強してませんか? 俺が帰って来たのすら気付かず熱中してるみたいですし」
「気付いてるよ! こたちーお帰り! しのちーのおっぱい触る時は声かけてね、うちめっちゃガン見するから!」
あれ、気付かれてた。でも相変わらず俺にも詩乃梨さんのおっぱいにも一瞥もくれず、ひたすら問題集や参考書に視線を走らせてはノートにペンを走らせ続けて居る。
そんなに高速で一体どんな問題を解きまくってるのかと軽く覗いてみたところ、俺驚愕。
「……………………おい、真鶴佐久夜。なんで歴史の勉強で、そんなに計算が必要なんだ? 計算っていうか……お前それゲームのサブイベントじゃねぇか。え、何書いちゃってんの?」
「あ、こたちーもこれやった? イカすよねー、ロデオ伯爵のちゃらんぽらんな弟ディーマルクが大国ディッフフェルトの王太子と友誼を結んで月銀鋼鉱石を融通してもらい伯爵領内における月銀鋼不足による戦力の急激な低下とそれに伴う獣害の激増にギリギリの所で歯止めをかけたのにディーマルクはその功績はひとえに王太子の温情ゆえのものであり自分は何もしていないと言って聞かずロデオ伯爵は劣等感からディーマルクをより一層嘲るんだけど王太子と民衆はディーマルクの粗野な外面の下に隠された誠実な人柄に惚れ込んでいく――」
「待てや。待てや真鶴佐久夜。俺もディーマルクさん好きだけど、待て。リアルの歴史にディーマルクさんは関係無い。なぜ歴史上の重要語句を一つ覚えるのにゲームのシナリオを長々と書き出す必要があるんだ」
「そうやって関連づけて覚えた方が、すっごく楽しいからですっ!」
真鶴佐久夜、満面の笑みで即答。
俺は言葉を失い、楽しそうにお勉強へと戻っていったわんこを呆然と眺めることしかできませんでした。
……まあ、あれだ。果てしなく効率悪そうな勉強法だけど、本人めっちゃ楽しそうだし、いいよね、うん。俺はいけない遊びなど教えてはいない。俺は悪くない!
喉元を頭でごんごん小突いてくる詩乃梨さんをぎゅっと抱き締めながら、俺はずっと見て見ぬフリをし続けていたものに目を向けた。
「で、千霧は何やってんだ。お前、詩乃梨さんの部屋の何に過剰反応してノックダウンしちゃったの? なんか聞くまでも無い気もするけど」
「…………………………じゃあ聞かないでくださいよ……。……あと、べつにいいんですけど……、私と佐久夜ちゃんの呼び方、『きみ』から『お前』にグレードダウンしちゃったんですね……」
「だって貴女達、女の子っていうよりあほの子なんだもの……」
真鶴佐久夜は、俺の予想の斜め上にすっ飛んで行ってお星様になっちゃったし。千霧も、夜眠れなくなるほどに楽しみにしていた詩乃梨さんのお部屋訪問を果たせて、耳の先まですっかりのぼせてこたつにぐでんと突っ伏しちゃってるし。
俺は愛すべきあほの子達を胡乱な目つきで見やりながら、詩乃梨さんのお尻にナニかを擦りつけつつ溜息交じりに口を開いた。
「……そうだな。きみらを女の子扱いして変にフェミニストしちゃうと、俺の未来のお嫁様に申し訳も立たないし。どうせだから、きみらのことはこれからは少し雑に扱うよう頑張ろうかと思う。……いいか?」
「……………勝手にすればいいんじゃないですかね……。ていうか、むしろ望む所です……」
「うちも望む所だよ! うちとしのちーの友情にひび入れるとか、しのちーとこたちーの愛情にひび入れるとかしたくないもん!」
俺案、満場一致で可決。しかけた所で、綾音さんが瞳をきらきらと輝かせながらぴょっこぴょっこと挙手してきた。
「ね、ね、私は? 私は? 私も雑に扱ってくれたりしないの? なんで私と話す時だけ五年も六年も敬語のままなの? 私にもタメ口でいいのよ? もっとお前とかあほとか言っていいのよ、ねえねえ?」
「……え、なんでそんな雑に扱われたがってるんですか……? 綾音さんは、マスターから預かってる――勝手に身柄を預からせて頂いている大事なだいじなお姫様なんで、俺は精一杯フェミニストしたいと思います」
「ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……………………」
え、意味わかんない。なんで優しくするって言ってんのにそんなものすんごい残念そうに項垂れてるの? 箱入り娘は日頃溜めてるストレスのせいでチョイワルに憧れてしまうものだったりするの?
絶句する俺の喉元に、こんこんと頭突きしながらおねだりしてくる少女有り。
「こたろー。綾音にも、もうちょっとくだけた感じで接してあげれば? 浮気はだめなんだけど、ずっと敬語なのは、ちょっと距離遠すぎる。……あ、あとあれだよ? こたろーは、わ、わたっ、わた、わたしだけ、おひめさまあつかいすれば、いいのでは、ないでしょーかねー、みたいな説も絡んでたりするかもしれないわけでしてね……」
言ってて恥ずかしくなっちゃったらしく、尻すぼみの台詞の後半は完全に消失。
う、うぅん。どうしよう。千霧と真鶴佐久夜を雑に扱うのもけっこうしんどいのに、その上お菓子の国のお姫様にまで横柄な態度で接するとか心労がマッハです。王女様相手に『お前』呼びとか何様だよ。王様かよ。俺様だよぉ!
でも、詩乃梨さんがとっても可愛くこんなこと言ってるし、綾音さんが俯きながらちらっちらっと期待の眼差しを向けてきてうざかわいいし、千霧と真鶴佐久夜も意地の悪いしたり顔で俺を見つめてきてうざかわいいし、そんな可愛い女の子達の要望に応えて、フェミニストな俺は詩乃梨さん以外の女の子達をなるべく雑に扱うよう鋭意努力しようと思います!
「……………………………綾音。お前、本当にあほだな」
硬い咽から捻り出した台詞はがっちごっちに固まりまくっていたが、それを受けた綾音さんはとってもしあわせそうにとろんと蕩けた笑みを浮かべた。
「………………いい。……なにこれ、すごくいい。……琥太郎くん、普段は砂糖菓子そのものだから、そういうビターな態度ってなんだかぞくぞくしちゃう……」
変態爆誕。俺はまたしても女の子にいけない遊びを教えてしまったようだ。もう俺様キャラもうやめたいでごわす。精神衛生上よろしくないし、マスターに生命活動を停止させられてしまう危険までありますので。
くっそ、女友達なんてこれまでいた例し無いから、どう接したらいいものやら全く見当が付かん。完全に迷走の様相を呈し始めている。しかも女友達っていうか嫁の友達で、しかも嫁は焼きもち妬きで、俺はフェミニストという名のヘタレで、そういう色んな要素が相俟って迷路の出口が見つからなくなってしまっている。
この件は一時保留だ。今は、早急に話し合うべき議題について提示させて頂こう。
「――閑話休題、だ。場も程良く温まってきた所で、ちょっとストーカー問題についての結果報告と、そこから進化した別件について話し合いたいと思う」
俺は詩乃梨さんのお腹をブレザー越しにゆるゆると撫でながら、キリッとした顔で皆を見回した。
唐突な話題転換に、みんな虚を突かれたように呆けたお顔。そんな中でいち早く俺の言葉の意味を理解したのは、つい今さっきまでいけない遊びに興じていたはずの綾音さんだった。
綾音ことサトリは、頬に人差し指を当てて、俺にコールドリーディングを仕掛けながら言葉を紡いでいった。
「山岡くんに会いに行ってたーって言ってたし、ストーカーはやっぱり山岡くんだったんだよね? で、琥太郎くんがそんなに落ち着いてるってことは、山岡くんは実の所ストーカーですらなかったと。……でも香耶ちゃんを追いかけてたのは事実だから、やむにやまれぬ事情があった。けれど、その事情はきっかけや前振りにすぎなくて、山岡くんにとっての本題は『別件』の方であったのだ、どーん! ……これで合ってる?」
「サトリさん解説あざぁーす。ちなみにやむにやまれぬ事情っていうのは、千霧が落としたハンカチを返したいっていうものでした」
ハンカチという単語を聞いて、千霧が「あっ」と小さく声を上げた。
「……確かに、昨日失くしました。帰ってから気付いたんですけど……」
「放課後、昇降口の所で落とす現場を目撃したんだとさ。で、その後……は、いいや」
ハンカチを落としてから、自宅近くの駅まで――否。おそらく自宅まで――ずっと男に尾行されていた。のみならず、今日はずっと待ち伏せまでされていた。そんな事実を言葉にしてしまったら、千霧をいたずらに怯えさせることになってしまう。
俺は敢えてその部分をスルーして、殊更陽気な笑みを浮かべながら千霧を見つめた。
「とりあえず、別件っていうか本題について話したいんだけど、香耶ちゃんの心の準備はいいかなー?」
「……か、香耶ちゃん……」
ミスった。陽気を心がけてたら、なぜか馴れ馴れしく香耶ちゃん呼ばわりしてしまってドン引きされてしまった。言いかけて途中でやめた台詞については完全に有耶無耶にできたみたいだけど、ちょっと俺の望んでた方向性とは異なります。ちくしょう。
俺は詩乃梨さんの体温に意識を集中することでどうにか平常心を保ち、真鶴佐久夜のいやらしい目と綾音さんのあたたかい目に見守られながら、改めて千霧に語りかける。
「……千霧」
「……な、なんですか、いきなり真面目ぶった顔して」
「……ん……、いや、ちょっと真面目な話だからさ……。で、本題なんだけど……。なんていうか……。……あのさ……、……その……」
……まいった。せっかくここまで漕ぎ着けたのに、どこから話を切り出していいものだか全然わからない。
『ハンカチを届けに来た』っていうのは千霧に会うための口実にすぎなくて、山岡くんの真の目的は貴女に愛の告白をすることなのです!
……俺が、伝えるのか、それ。この子には、恋慕している相手がいるってわかってるのに? この子の恋敵である俺が、この子に他の男を紹介するような真似をするのか?
なんか、それは……、やっぱり、不誠実だと思う。一応言っておくと、山岡に対してじゃなく、千霧に対してだ。
告白云々は伝えず、単に山岡が呼んでいるとだけ伝えるとしても、やはり気が進まない。俺は既に、山岡の狙いを知ってしまっている。それを隠したまま千霧を誘い出すのは、不誠実通り越して最早卑劣だろう。
……それに俺は、山岡という人間に対して、良い印象を抱いていない。というか、有り体に言って、俺はあいつが嫌いだ。
まあ、それは山岡に責任があるのではなく、俺の側の問題ではあるけど。とにかく、自分が好ましく思っていない男を、自分が気に入っている女の子に紹介するなんて、考えただけで気が重いしうっかりゲロ出そう。
「………………………………」
言葉が、出て来ない。俺がそんなだから、他のみんなも口を開くことが出来ない。
千霧の表情に、不安の色が差し始める。真鶴佐久夜が、捨てられた仔犬みたいな顔で俺と千霧をきょろきょろ見比べる。
困り果てた笑顔の綾音さんが、ひとまず場を和ませようと口を開きかけて――
「こたろー、苦しい、苦しい。ぎぶ、ぎぶ」
知らず腕に力が籠もりすぎていたようで、詩乃梨さんがお腹に回された俺の手をぺちぺちと叩いてきた。
俺は慌てて力をゆるめ、詩乃梨さんのお腹を優しく撫でた。
「ごめん、大丈夫だった? 俺との子供、ちゃんと作れる?」
「……こたろー、それせくはら……。……これくらいで、作れなくなるわけないじゃん。ばーか」
詩乃梨さんは特に怒ったり恥ずかしがったりする様子も無く言い放って、俺の手の上に自分のお手々をそっと重ねてきた。
二人で一緒に、たいせつなおなかをゆるゆると撫でながら、しばらく無言の時を過ごす。
俺の心に詩乃梨さんのぬくもりが染み渡った頃、詩乃梨さんは他の女の子達をぐるりと見渡して告げた。
「みんな、耳塞いで」
あまりにも唐突且つ端的すぎて、意図が全く見えないお願い。
千霧と真鶴佐久夜はきょとんとした顔をするだけだったが、綾音さんは穏やかな微笑みを浮かべながらこくりと頷いた。
両耳に手を当てた綾音さんは、他の子達にもアイコンタクト。それを受け取った千霧と真鶴佐久夜は、よくわかっていない顔を見合わせて、とりあえずといった感じで顔の両横に手を持って行った。
聞かざる・言わざるになった皆が、詩乃梨さんと俺を見る。
詩乃梨さんは、見えないはずの方向にいる、見えないはずのものを見つめながら、何の気無しな声音で問うてきた。
「こたろー、なんでねがてぃぶっちゃってるの?」
「……………………ん……、ネガティブってるって、わかっちゃう?」
「わかるよ。だって……、さっきまで、お尻に当ててきてたやつ、萎れちゃってるじゃん」
だから俺のナニの起動率でメンタル測るのやめてもらえませんかね? こんな以心伝心、素直に喜べません!
……でも、やっぱ嬉しい。詩乃梨さんが、俺の心にある『目に見えないもの』を、きちんと見つけてくれたことが。
俺は起動率をちょっとだけ持ち直させながら、詩乃梨さんに甘えるように身体を押しつけた。
「……俺、今ちょっと頭ん中ごちゃごちゃしてる」
「ごちゃごちゃ。なるほど。言え、ぜんぶ」
「……………………了解っす。……ありがと、しのりん」
俺は詩乃梨さんに深い感謝と愛情を送り、詩乃梨さんから愛情と優しさを送られながら、瞳を閉じて己の中に凝っていたものを手当たり次第に吐き出していった。
「……俺、山岡にナメられた。たぶん、そういうことなんだと思う」
「……ふぅん?」
「ナメられたっていうか、俺が下手に出すぎだった。……コーヒー奢って、笑顔作って雑談して、千霧へのストーキングにあえて触れないで、『きみが内気なだけの普通の子だっていうのは聞いてる』とか、『ハンカチ返しに来てくれてありがとう』とか言って、綾音さんが千霧を連れて逃げたことも『早合点』ってことにして、とにかく山岡を逆上させないようにって気を遣いまくってた」
「……なんで? ……やまおかに、嫌われたくなかったから?」
俺は首を横に振った。目に見えずとも、気配と心眼で詩乃梨さんには伝わっているだろう。
「……下手に刺激して、本当に千霧のストーカーになられたら困るから」
「……刺激すると、ストーカーになるの?」
「……正直、わからん。わからないから、怖かった。怖かったから、最悪を想定して、ひたすら穏便に済ませようと努力した。……その結果、つけ上がられて、本来頼まれなかったはずの『千霧さんに愛の告白をしたいから呼び出して欲しい』なんて厚かましいお願いをされた。……山岡には、そんなつもりも自覚も無かっただろうし、きっと悪いやつでもないんだろうけど……、俺の被害妄想グセは、詩乃梨さんも知っての通りです」
詩乃梨さんは、何も言わない。何も言わず、俺の手と一緒になって、いつか俺との子を宿すであろう場所をゆるゆると撫で続ける。
俺は、まだ見ぬ娘や息子を思いながら、重い溜息を付いた。
「俺、たぶん、子供を叱れない父親になるかも……」
「な、なんで、いきなり?」
「……俺が、山岡にきちんと、『どんな理由があっても、女の子を追い回して怖がらせていいわけがあるかっ!』って怒鳴れる奴だったら、あいつはぬけぬけと告白だなんて戯けたことぬかさないで、ハンカチだけ渡して大人しく帰ったと思う。……要するに、俺がへらへらして、ナメられたから、こんな……、千霧にとって酷い仕打ちをする羽目に……」
「……ひどい仕打ち……? 告白の取り次ぎって、そんなにひどい? すーんごい煩わしくはあるけど、こたろーがそんなに落ち込む必要はないと思う」
――あ、やべ。
「俺ってば生粋のネガティバーなのでね、まーそこはいいじゃないか。それよりしのりん、今すぐ子作りしない? 俺が叱れる父親になれるかどうか実地で確かめようぜ!」
「確かめません」
「ですよねー」
俺は乾いた笑みを浮かべながら、閉じていた眼をゆっくりと開いていった。
話はひとまず終了。そんな意図を伝えるために、詩乃梨さんから心持ち距離を取り、重ねられた手も離そうと――
したのだけど、がっちり捕獲されてしまいました。
詩乃梨さんは、捕獲した手を楽しそうに弄びながら、ちょっと自慢げに鼻を鳴らした。
「こたろー、相変わらずのねがてぃばーだね。きっと、わたし以外の女は、こたろーを受けとめきれないよね。性根がすっごく重くて暗くて、その反動みたいに普段はすっごく激甘。ちょー尖ったおとな、どいむらこたろう。まじうける」
「……ウケてもらえて、なによりだよ。……俺は、詩乃梨さんに受けとめてもらえるなら、それだけで一生頑張れる。……だから、詩乃梨さん――」
「わかったから。結婚するから。子供いっぱい産むから。専業主婦やるから。いい加減耳にたこができそうなので、いちいち言わないでください。……あ。あと、わたしにも一個言わせてくださいな?」
詩乃梨さんは、俺の腕の中で身体をもぞもぞと捻った。最終的に、お姫様抱っこみたいな形で俺の脚と腕の間に収まって、はにかみ笑いで俺を見上げながら宣言する。
「こたろーが子供叱れなかったら、わたしが叱るよ。だからこたろーは、わたしと子供達に、甘~いの、いっぱいちょうだいね?」
――俺は、言葉が出なかった。
気付いたら、詩乃梨さんの唇に思いっきり自分の唇を押しつけていた。そりゃ言葉が出ないはずだ。言葉の代わりに涙を出しながら、詩乃梨さんの舌に己の舌と唾液を激しく絡ませる。
「ん、んぷっ、ん、ん、しのり、さん、舌、もっと出ひて」
「も、もう、ぜんぶ、だひてる、ん、っ、ぷ、あぷっ」
なんだと、これでもう精一杯だというのか。これ以上引っ張ると舌引っこ抜けちゃう? じゃあ唾液で我慢しよう。
俺は詩乃梨さんの口の中を舌先で蹂躙しまくり、詩乃梨さんの唾液をすくい取って自分の口の中へせっせと運んだ。
「ん、んくっ。……んくっ……。もっほ、もっとくれ」
「む、むひ、むり、かわく、くちかわいひゃう。もうなひ、おわり、おふぁり」
なんだと、これでもう終わりだというのか。これ以上吸っちゃうと口干からびちゃう? じゃあやっぱり唾液の出番だね。
俺は自分の口の中から唾液を集め、詩乃梨さんの舌に向かってとろりと垂れ流した。
詩乃梨さんは驚いたようにぴくりと震えたが、むせることもなく、俺の生み出した粘液をこくり、こくりと飲み下していった。
詩乃梨さんが一仕事終えたようにはふりと吐息を吐き出し、重なっている唇を離そうとする。
俺は詩乃梨さんの背中を支えていた腕にぐっと力を込めて、離れかけた詩乃梨さんの身体を無理矢理引き戻した。
詩乃梨さんの、唇を貪る。引っ込みかけた舌を、もう一度引っ張り出す。再度、詩乃梨さんの唾液を音を立てて啜る。
「んー! んーっ! やら、やだっ!」
「やだじゃなひ。まらやる。もっほやる。んぷ、ぷっ」
「んーっ! んんーっ! こふぁろー、はうふ! はうすっ!」
俺は、じたばた暴れる詩乃梨さんを抱きすくめ、ひたすら味と匂いと体液の交流を求めた。更なる交わりを、まぐわいを求めて、がっちがちに屹立したロリコーンを詩乃梨さんのお尻にくいくいと押し当てる。
ふと、詩乃梨さんが一切の抵抗をやめて、全身の力をくったりと抜き、ぼそりと呟いた。
「こたろー、こわい」
「……………………………………………………………………」
ロリコーン死亡。しかけたけど、詩乃梨さんが呆れ笑いを浮かべながら俺の胸板をぽんぽんと叩いて慰めてくれたので、なんとか一命を取り留めた。
詩乃梨さんは、全身をもぞもぞと動かして、俺のあご下に体育座りですっぽりと収まるスタイルへと戻った。更に、ふらふらしていた俺の両手を掴んで、自分のお腹へ持って行き、むふんと満足の鼻息を漏らしながら一言。
「こたろー、ちょろい」
「……ねえ、怖いってやつ、冗談抜きでうっかり自殺したくなるレベルで傷つくから、なるべくやめてもらっていいかな? 胸、壊れそうなほどに、痛い」
「……ごめん。……でも、やだって言ってるのに、やめてくれないから……」
「………………うん、俺も、ほんとごめんな。……今のは、おあいこってことに、してくれると助かる」
詩乃梨さんは、安堵したように「ん」と短く呟きながら、こくりと首肯してくれた。
俺もほっと胸を撫で下ろし、もたれかかってきた詩乃梨さんに対抗するように覆い被さる。そのまま、二人で仲良く身体をゆ~らゆ-~らと左右に揺らす。
心地良い振動に眠気を誘われ、思わず欠伸をかきながら、ふと周囲へ目線を向けた。
そして時間は硬直した。




