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四月二十九日(土・9)。一難去ってまた一難。

 山岡何某。彼が千霧をストーキングしていた理由については完全に不明だが、どんな正当な理由があろうとも、女の子を執拗に追い回した事実は消えないし許されない。俺の知らない所で俺の知らない女の子を付け回すだけなら、俺が口を挟めた義理ではないし、義理があっても関わる気はないのだが……。千霧は既に俺の知り合いだし、それに千霧のみならず詩乃梨さんや真鶴佐久夜まで標的になっている可能性もある。事によっては綾音さんもか。


 口を出さねばなるまい。口だけではなく拳も出したい所だけど、実力行使はあくまでも最終手段だ。だってそれやっちゃうと、俺の方が警察のご厄介にならんといけなくなるし、山岡が逆上して報復を企てたりする可能性もあるしで、あんまり上手くないからね。それにもし報復されるとしたら、その対象はきっと正体不明の益荒男ではなく、身元が割れてる上に女の子な詩乃梨さん達になってしまうだろうから、この案件への対処は徹底して慎重と万全を期する必要がある。


 慎重に、相手の神経を逆なですることなく、山岡のストーキング対象から俺の知り合いの女の子達を外す。それが俺のやるべきことだ。


 願わくば、山岡のストーキング行為の理由が、個人的な事情の介在しない事務的なものであってほしい。私的な理由で執着しているということであったなら対処は困難を極めるだろうし、それに詩乃梨さんがそういうねっとりとした感情を向けられる対象になっているとなったら俺の心も穏やかではいられない。


 ストーカー行為に正当な事情があったなら、それを聞き出して内容次第で対応を考える。けれどもし、本物のストーカーであったなら……、事を荒立てたくないという千霧や真鶴佐久夜の願いには反するけど、お上に頼ることになるだろう。


 ――ともあれ。とにもかくにも、まずは山岡に接触してみないことには話は始まらない。


 そう結論した俺は、まだこの辺りにいるのかもわからない、ろくに特徴すら知らない少年の姿を探して、ぶらぶらと表をほっつき歩いているわけなのですが。


「………………やっぱ、いねぇな……」


 住宅街に満ちている弛緩しきった空気の中には、ストーカーのような劇物が混入している気配はまるで無し。ていうか人影自体がやっぱりまばらである。


 つか、もうちょっと山岡何某の特徴を聞いてから出てくるべきだったな……。単独で行動してて、外見的にそれほど気持ち悪くなくて、でもコミュ障っぽい雰囲気があるかもしれない、高校生くらいの少年で、名前はたぶん山岡。……これだけわかっていれば十分な気もするけど、ストーカーが山岡とは別人である可能性もあるからアテにならないかもだし、それに数多の少年の中から個人を特定するための決め手となる情報が欠けている。


 まあ、わざわざ探し回らなくても平日になれば確実に接触することは可能だから、本腰を入れて捜査をする必要も本当は無いっちゃ無いんだけど。でもその場合は、女の子達に直接の対応を任せることになってしまうので、できれば今日中、それが無理でも明日明後日あたりまでに俺が話をつけたいところではある。


 そんなことを考えながら、現場百編ってわけでもないけど、とりあえず山岡と千霧の足取りを逆に追っていく。


 アパート周辺を蛇行しながら練り歩き、住宅街を順調に抜けてしまって、成果も無いまま最寄り駅まで到着。


 大して大きくない駅だけど、さすがにここまでくると行き来する人の数がそこそこ多くなってきた。まあ、あくまでもそこそこだ。


「……………………」


 俺は、東口と西口を繋ぐ吹き抜け状の巨大なアーチの真ん中まで進み、駅に入っているスーパーに背を向けて、改札口方向を眺めた。


 ここらへんには特に面白い物も無いし、上る人も下る人もこの駅は通過駅としてしか認識していないんだろう。改札に飲まれる人も吐かれる人もほぼ百パーセント地元民のみのようで、皆すっかり慣れきった動作でそれぞれの行き先を目指している。


 当然、ストーキング対象の女の子を探してきょろきょろしてるような、挙動不審な少年の姿は無し。挙動不審な少年を探してきょろきょろしている挙動不審なリーマンはいるけど。はい俺のことですね。


「――ん?」


 きょろきょろしてたら、ふと横合いから視線を感じた。


 振り向いてみたら、視線の主は俺の動きに合わせるようにしてすっと目を逸らし、改札口の方へぼんやりとした顔を向けてしまった。俺に対して特別な興味を抱いたような様子はなく、たぶん、俺の挙動不審な行動が視界に入ってなんとなく気になっただけなのだろう。


 そりゃ気になりもするか。改札口に正対するようにして備え付けられたベンチにきょろきょろしながら歩いて来て、座りもせずにぬぼっと突っ立ったままさらにきょろきょろ、きょろきょろ。そんな挙動不審な男と間近で二人きりにされてしまえば、貸し切り状態のベンチで優雅に寛いでいた彼としては気になるというか気が気でないだろう。


 彼。俺の見下ろした先にいるのは、一人の少年だった。


 膝に乗せた紙袋に縋り付くようにして背を丸めて、不安と焦燥の滲んだような面持ちでじっと改札口を眺めている、見た目高校生くらいの少年。こざっぱりとした服装に髪型、ちょっと気が弱そうではあれどそれなり程度には整った顔の造詣。

 気が弱いのは顔立ちに限った話ではないらしく、こうしてまじまじと観察し続ける俺に文句を言ってくることもなく、それどころか若干申し訳無さそうに俯きながら俺が座るためのスペースをじわじわと空けてくれた。


 べつに空けてくれなくても、大人一人が収まることができる程度の余裕はあったんだけど……。あ、これもしかして俺への気遣いというより、単に俺から距離を取りたかっただけですか?


「……どうも」


 俺は一応お礼の言葉を口にしながら目礼し、彼とは逆サイドによっこらしょと腰を下ろす。


 彼は「いえ」という短い返事と小さな愛想笑いを返してくれて、ほんの少しだけ緊張を緩ませた様子で再び改札口の観察へと戻っていった。


 彼は、観察し続ける。たぶん、待ち人が来るのを待っているのだろう。でも誰かと待ち合わせをしているだけにしては、表情がネガティブに過ぎるし、目線がやたら小刻みに動きすぎている気もする。



 ――それはまるで。互いに待ち合わせをしている相手ではなく、自分の前を素通りしてしまうかもしれない誰かを見逃さないようにと必死になっているかのようだった。



「…………………もしかして、きみ、山岡くん?」


 単独で行動してて、外見的にそれほど気持ち悪くなくて、でもコミュ障っぽい雰囲気があるかもしれない、高校生くらいの少年。それは話に聞く山岡の特徴であり、また、俺の隣に腰掛けている少年にも見事に合致する特徴であった。


 俺が半ば独り言のように漏らした呟きを拾って、少年はびくりと跳ねてこちらへ振り向いた。


「……え……、今、ぼくの名前……?」


 確定。少年は、ストーカー野郎山岡でした。


 俺は平静を装いながら、内心で盛大に安堵した。意外とあっさり問題のストーカーと接触できて、しかもストーカーの正体はやはり山岡で合ってて、その上話も普通に通じそうな雰囲気。


 思わず緩んでしまった気持ちを、しかし俺はすぐさまぐっと張り直す。山岡くんがまともな人間であろうとなかろうと、もし詩乃梨さんとお近付きになりたいなどという戯けた野望を胸に抱いているのであれば、それだけで俺にとっては仇敵となる。気を緩めていい道理など無い。……俺はこの感情と同じ物を千霧にもぶつけてあげるべきなんだろうけど、ぶつけて『あげるべき』とか無意識に気遣っている時点で既に無理っぽい。ごめん、千霧。


 顔には程良く朗らかな微笑みを浮かべ、心ではいつでも抜き打ちできるように身構えて、俺はきょとんとした顔の山岡くんに軽いトーンで語りかけた。

 

「やっぱり山岡くんだったか。人違いじゃなくて助かったよ。……あ、俺は土井村っていいます。きみ、千霧香耶、って知ってるよね? 俺はあの子の……知り合い、みたいなものです」

 

「……ち、千霧さんの……?」


 俺の口からその名が出てきたことが予想外だったのか、山岡くんは頭の中が真っ白になってるような様相で目を瞬かせた。


 やがて正気を取り戻した山岡くんは、腕の中の紙袋で身体をガードするように――あるいは全身で紙袋をガードするように若干身体を丸めながら、なんかもういっぱいいっぱいの形相で唇を無理矢理動かした。


「あ、あの、ぼ、ぼく、ちっ、ちがくて、違うんです。ちぎり、さんを追い回そうとしたとか、そういうことじゃなくて、こ、声、かけ、かけるの怖くて、それだけで、で、でも千霧さんだから怖かったんじゃなくて、ぼくっ、ぼく普段からこうなので、あのっ、ただ、落とし物、だかっら、お大人の人、ご、迷惑、そういう、け、けけ警察とかは、どうか許して――」


「落ち着け落ち着け、俺別に怖い人じゃないから。きみがちょっとばかり引っ込み思案なだけの普通の子だっていうのは、真鶴佐久夜から聞いてるよ。……ちょっと缶コーヒーでも買ってくるから、しばらく深呼吸しながら言いたいことまとめておいて。……あ、きみコーヒーでいい? それともお茶?」


「……………………うぇっ、え、あ、じゃ、じゃあ……、コー、ヒー、で……?」


「了解した、任せとけ。……あーっと、あとさ。一応、警察やら学校やらには連絡しないって方針になってるから、とりあえずそこは安心しといていいよ。じゃあいってきます」


 軽くひらひら手を振りながら言い置いて、俺はのんびりとした動作で近場の自販機を目指して歩いて行った。


 程なく目標地点へ到着し、ラインナップをさらっと眺めながら、山岡くんが発した台詞について思い返してみる。


 あくまでも自己申告ではあるが、やはり山岡くんはストーカーではなさそうだ。彼にはそういうことをする意図があったわけではなく、そういうことができるほど剛胆でもない。俺みたいな威厳も威圧感もまるで無いダメな大人を前にしただけで、あの凄まじいビビりようである。もし警察に通報してたら、うっかり心停止させちゃってたかもしれない。


 キーワードは、『落とし物』、か。それにあの、やたら大事そうに抱えてる紙袋。大して考えるまでもなく、全ての要素がひとつの線に繋がってしまった。


 俺は今度こそ気持ちを緩めて、適当な缶コーヒーを二本買ってベンチへと戻った。


 多少落ち付いた様子で俺を見上げ来る山岡くんに、硬貨一枚分だけ高価な方の缶を差し出す。


「ほれ。奢りだから、感謝して飲んでくれ」


「……あ、ありがとうござ――っあ、い、いえ、払います、お金……」


「いいよ。忘れ物、届けに来てくれたんだろ? なんだか随分苦労させちゃったみたいだし、手間賃と迷惑料と謝礼の一部だとでも思っといてくれ」


 俺は山岡くんに半ば強引に缶を受け取らせてから、やや距離を置いて隣に腰を下ろし、自分の分の缶をさっさと開けて口を付けた。


 くぴくぴ飲みながら、戸惑いの表情を浮かべる山岡くんに『きみも遠慮なくどうぞ』とアイコンタクト送信。


 山岡くんはしばし逡巡した後に、戸惑ったまま「ありがとうございます」と呟いて会釈し、微妙な表情で缶を開けてちびちびと啜った。


 戸惑いに、微妙。その表情の理由がわからず首を捻る俺に、山岡くんは躊躇いがちに答えを与えてくれた。


「……土井村さん、で、いいんですよね? ……あの……、千霧さんの、ご親戚……とかですか……?」


「……ああ、いや。俺は千霧とは今日知り合ったばっかだ。俺はどっちかっていうと……、早合点で千霧をお持ち帰りしちゃったお姉さんの知り合い。きみも見たでしょ?」


「ああ、あのすごい足速いお姉さんですか」


 山岡くんの声音は、得心と感心が合わさったような明るいものだった。表情からもようやく訝しむような色合いが抜けて、カフェイン効果も相俟ってほどよくリラックスしてくれている様子。


 俺も肩の力を抜いて背もたれに体重を預け、軽く笑いながら会話を繋げた。


「で、そっからの流れで俺とお姉さんがばったり遭遇して、千霧とも繋がったってわけだ。……あ、でもそっからさらに、詩乃梨さんを間に挟んでの繋がりも生まれたんだけど」


「しのりさん? …………………………え、まさか、幸峰さんですか……?」


「え? うん、そう。幸峰詩乃梨。ていうか俺、あのお姉さんの知り合いでもあるけど、主に詩乃梨さんの知り合いなんだよ。……え、なにその顔。俺なんかマズった?」


 山岡くんは先程までのリラックスもどこへやら、全身を完全に硬直させて呆然としていた。


 ……あ、そっか。詩乃梨さんって、学校では色々ないことないこと噂されまくってて不良扱いになってるんだっけ。山岡くんみたいなビビり体質の子にとっては、心臓に悪い存在なんだろう。


 と納得しかけたんだけど、山岡くんはどうやら違う理由で呆けていたらしい。


「……あの、土井村さんって、もしかして……、幸峰さんの、『旦那様』、ですか? ……『わたしは、あの人の子供以外産む気なんか無い』って――」


「よぉしちょっと黙って? 確かに俺は詩乃梨さんの未来の旦那様なんだけど、なんできみそれ知ってんの? 昨日の放課後の話なのになんでもうそんなに広まっちゃってんの?」


 詩乃梨さんが、食い下がってきたしつこい男をフる際に叩き付けた台詞。耳の早い生徒なら入手していてもおかしくない情報だが、学校が休みな上に事が起こってから二十四時間も経ってないという状況で、山岡くんのような社交性が低いタイプの人間にまで知れ渡っているのは流石におかしい。


 もしかしたら、若者の情報拡散能力を甘く見すぎていたのかもしれない。どの程度甘く見積もってしまっていたのか見当も付かず、なんだか意味も無く背中に冷や汗が流れ始めた。


 半笑いで固まった俺を見て、山岡くんは慌てて口を開いた。


「ぼく、直接現場を見ちゃっただけですから。千霧さんの後を追いかけてたら、偶然」


「……………………………………あ、そすか」


 実にシンプルな解答であった。胸を撫で下ろしていいんだか、悪いんだか。ていうかシンプルすぎて一瞬スルーしかけたけど、今重要な情報が飛び出さなかったかね?


 俺が聞き返すより先に、山岡くんはばつの悪そうな顔で自ら言葉を付け足した。


「……昨日、昇降口に、幸峰さんと千霧さんがいて……、ぼく、後ろの方で場所が空くの待ってたんですけど、そしたら千霧さんがハンカチを落としたんです。……二人が居なくなってから、それ拾って、後を追いかけて……」


「……え、なぜ居なくなってから拾う? その場で普通に声かければ?」


「………………………ぼく、昔から、人に声かけるの苦手で……。それに、相手が女子ですし……」


 ああ、そういえばそういう子でしたね、山岡くん。今普通に会話できてるからすっかり忘れてた。


 ともかく、これでようやく今回のストーカー騒動の全容が明らかになったな。ストーカーの正体は、ただ極端に内気なだけの親切な少年でした。終わり。


 話の流れから察するに、彼の膝の上に乗ってる紙袋の中身は、千霧が落としたハンカチということか。……そのわりにはやたら袋がデカいんだけど、なんでだろう?


「……ねえ山岡くん、その袋、ハンカチ入ってるんだよね? 他に何か入ってるの?」


 コーヒーで喉と心を少しずつ潤していた山岡くんは、俺の問いを受けて再び表情を沈ませてしまい、緩慢な所作で首を横に振った。


「……中身は、ハンカチだけです。……ただ、厳重に梱包したら、大きくなりすぎちゃって……。……返すまでに、一晩以上間が開いちゃったので、これ使って変なことしてたとか、絶対、思われないようにって……」


 ……………………………………うむ。


 女子のハンカチで変なこと。……うむ。なるほど。……うむ。うむ。


「……気持ちは、痛いほどよくわかる。千霧にもわかってもらえるよう、僭越ながら俺も口添えさせていただこう」


「……ありがとうございます……!」


 山岡くんは涙を流さんばかりに嬉しそうな表情を浮かべ、深々と頭を垂れた。


 俺はうむうむうむうむと共感の頷きをひたすら返しまくりながら、頭を上げた山岡くんに向かって何の気なしに訊ねる。


「それ、きみから直接千霧に返す? それとも、俺が渡してこようか?」


 折角ここまで頑張ったのだから直接返すのが良かろうと思う反面、山岡くんの性格を考えるとそれはちょっと厳しいんじゃないかとも思う。


 決定権を委ねられた山岡くんは、俺の予想した以上に迷いを見せた。迷いを通り越して、懊悩と呼んでいいほどにうんうんと唸っている。


 その唸りは、俺と山岡くんがコーヒーをすっかり飲み終えてしまうまでひたすら続き、俺が山岡くんから缶を回収してゴミ箱に捨てて戻って来ても続いていて、再びベンチに腰を下ろした俺が『もうこのまま昼寝すっかな』と思いながらうとうとし始めた頃にようやく終わった。


「土井村さん、お願いがあります」


「……ん、お、おう。お願い?」


 どこか決然とした響きを含む声音が、俺をまどろみからとまどいへとシフトさせた。


 間抜け面を晒す俺を、山岡くんは真摯な瞳で見つめてきながらこう告げた。


「……土井村さんと、千霧さんがよければ、でいいんですけど……、千霧さんを、どこかに呼び出してもらえませんか?」


「……え、そりゃいいけど……。え、なに、そんな改まった空気で」


 絶賛お間抜け中の俺とは反対に。山岡くんはひたすら真剣な面持ちで、腕の中の紙袋から勇気を貰ったかのように、心の裡を曝け出した。



「――ぼく、千霧さんに、告白したいんです。……い、いちおう……、愛、の、告白、に、なり、ます」

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