冬のある日は緑豊かな恋模様 その3
放課後、一色は部室に行く前に漫画コースの教室に向かっていた。
手紙の送り人に会うためだ。
部室では何故か既にその事実を知られているのだ、しかし当の本人にはそれを知る方法はない。
……しかしながら、一色は微妙に緊張をしていた。
何しろ生まれてこのかた、女性と話したことはあれど、あのような手紙を貰うことなどなかったのだ。
基本はクールな一色であろうと、人の子である。緊張は全力でするものだ。
「やぁ、一色くん」
「わ、渡邊先生……」
ここで一色千尋、このタイミングで一番会いたくない人に出会う。
一色の漫画コースの担当教師である渡邊玲は、この手の色恋沙汰に興味を示す人種だ。
更にその対象が親しい生徒の一人である一色であれば、余計なお世話を焼くことは想像することが容易い。
というか一色は、確実に面白がってからかってくる自信があった。告白という事実自体を悟られるわけにはいかない。
――ここまでを刹那に思考し、そしてその対応策を頭の中で組み上げる。
この時間、驚異のコンマ1秒。
……全く以って才能の無駄遣いである。
「漫画教室に何か御用かな?」
ここで忘れ物など分かりやすい嘘をつくと、看破されることは間違いない。
「いえ、渡邊先生に少し用がありまして」
嘘ではない。
向日葵学生コンクールの作品制作に集中したいため、漫画コースの追加の課題を断るという目的はある。
「作品を早く提出して、追加で出された課題のことです」
「ああ、あれだね。短編読み切り、是非一色くんのを読んでみたいんだ」
「それなんですが、やらないといけないことがあるので、またの機会に出来ませんか?」
既に教室に目的の人がいるのかはわからないが、この廊下で渡邊に会えたことはついている。
さっさと渡邊を自然に振り切り、教室に行かねばならないのだ。
「といっても説明は必要だよね」
「向日葵学生コンクールに、水無月と合作で作品を出すことになったんです。それで……その、絶対に金賞を取りたいから、そちらに集中したいんです」
「……そっか。わかった、もちろんそちらに集中して構わないよ――楽しみにしてる」
まるで一色たちがそのコンクールに挑戦していることを知っていたかのように、渡邊は微笑んだ。
「じゃあ僕はこれで――ちなみに漫画教室に二年生の子がもういるから、早くいってあげなよ」
「はい、わかりまし――は?」
「それじゃあ僕は保健室に用があるから、また明日ねー」
「ちょっと、先生、待って……」
廊下にポツリと取り残され、一色は開いた口が塞がらない。
……まるで全てを知っているかのような発言、表情。
――可能性の一つとして、漫画コースの二年生の生徒が、渡邊と親しいことは普通だ。
さらに自分の気になる人への相談を、優しい先生するのも自然だである。
つまり簡単に、渡邊は女生徒に相談を受けて、全てを知っていたというわけだ。
「……ラスボスは、言い得て妙だ」
なんとなくだが美月や雪彦が渡邊のことを恐れる意味を、一色は癪に思いながらも共感した。
なんだが少し変な気分で、一色は漫画教室の扉を開いた――そこには、少し緊張した様子で一色をじっと見つめる女生徒がいた。
●○●○
「千尋のプライベートだ。聞きたきゃ自分で聞けば良いだろ」
さぁ、修羅場を迎える美術部では、雪彦の圧倒的正論が突きつけられていた。
一色の告白騒動を聞きつけた女子部員は三者三様の反応だ。
美月は「虹というものがありながら」などと意味不明に憤り、水無月は普通に突然の状況に焦っている様子。
初香は……謎に怖い表情をしていた。
「お、おま……そ、そんな正論でここがまかり通ると思っているのか!?」
珍しくも強気な雪彦の態度に、美月は少しばかり狼狽した。
――少し脅せばすぐにボロを出すとでも思っていたのだろう。
しかし雪彦は毅然とした態度で、さも「当たり前だろ」と言いたげな顔をしていた。
しかし雪彦とてちゃんと先輩だ。後輩の色恋事情には些か好奇心はあるが、しかしそれを誰彼構わず言い触らすような男ではない。
「そ、それはそうですけど……で、でも!」
水無月は少し頰を紅潮させて、雪彦に上目遣いでまとまらないようだが声を出した。
――雪彦はその可憐さに少し口が開きそうになるが、舌を噛んでそれを留める。
「お兄ちゃんが虹ちゃんの上目遣いに耐えるなんて……本気なんだねぇ」
「うるへぇ」
雪彦は舌を噛んだ激痛に表情を歪ませながら、初香を睨んだ。
「良いから吐け、雪彦ぉ!!」
「はっ、今日ばかりはお前の暴力には屈しねぇぞ、美月!!」
雪彦は飛び付いて来る美月を華麗に交わした。更にそこから首を羽交い絞めにして、逆に美月の身動きを取れなくする。
その光景に、水無月が戦慄していた。
「す、すごい……っ! 渡邊先生以外に美月ちゃんを武力で止められる人がいるなんて……っ」
「うん、妹的にあんな華麗なお兄ちゃんを見たことがないかも」
美月がジタバタと逃れようとするものの、雪彦の絞め技は完全に極まっていた。
「うぐぐぐぐぐっ! 雪彦の癖に、雪彦程度にぃぃ!!」
「お前の中の俺は、どんな評価なんだよっ! 良いから、静かにしてろ!!」
――文化部である美術部の部室は、非常にカオスである。
戦う男女に、それを観戦する部員二人。そして……
「――いや、あんたら何やってんですか」
その光景を白い目で見る、一色であった。
……一色は初香から事情を事細かに聞く。
「まぁ、普通に貴音先輩が悪いんですね」
「確かに海老名先輩に何の非もないよね……」
「後輩思いだしねぇ」
「――な、何故だ……」
「いや必然だろ――あぁ、しんどかった」
一色が部室に訪れたことにより、騒動が一応落ち着いた。
そして事の詳細を聞いた一色は、客観的にそう判決を下したのである。
「雪彦先輩、すみません。俺のせいで色々ご迷惑をおかけしてしまって」
「いや、普通に女子三人が空回っただけだから、お前は何も悪くねぇよ――ま、あとはこってり絞られるこったな」
雪彦は一色の肩をポンと叩き、意気消沈している美月の首根っこを掴んで、部室から出て行く。
今日もバンドの練習があったのだろう。珍しく雪彦が美月を引っ張る形となっているのが物珍しい。
……そして残された一色たち。
一抹の静けさの後、一色は水無月と初香の方をぐぐぐっと顔を向けると――
「んじゃあちひろん、お話、聞かせてね?」
「っっ!!」
「いや、その……」
初香のニッコリ笑顔のお願いに、水無月はうんうんと首を縦に振っていた。
「別に、同じコースの先輩と自分の漫画について感想を聞いてただけですよ」
「――嘘だね。ラブレターをもらったってネタは上がってるんだよ、ちひろん」
「嘘なんてついてもばれるんだよ! さぁ一色くん、本当のことを教えて!」
「いや、だから……」
初香や水無月が嘘やら何やら言っているが、一色は嘘偽りは話していなかった。
事実、一色は漫画教室で田中夢見と名乗る女子生徒と自己紹介を軽く済ませた後、一色の描いた漫画の感想を聞いてだけなのだ。
拍子抜けするほどにそれだけで、最後に連絡先を聞かれて教えたものの、愛の告白などは彼女からはなかった。
……当の本人、田中夢見は自身が告白をしていなかった事実を、家に帰ってから気付くのは、また別の話である。
――ただし一色にはそれを証明する方法がない。
「そもそもこれがラブレターっていうのかも疑問です」
一色は鞄の中から貰った手紙を出してひらひらとさせながら二人に見せる。
「うん、どう見てもラブレターだね」
「男子に送る手紙にハート柄のシールなんてラブレターに決まってるよ!」
これは一色、非常に厳しい言い分であった。自分でもそれは理解できるからである。
しかしつい先刻、漫画の感想で好きとは言われたものの、一色自身のことを好きとは彼女は言っていなかったのだ(本人もその事実には気付いていないが)。
何か言い訳を考えようとする一色に、水無月は一色に詰め寄る。つい一色はその圧に負け、手に持っていた手紙を床に落とした。
すかさず水無月はそれをキャッチして、マジマジと便箋を見つめる――恋する乙女だから分かる。これは本気の恋文であると。
故に手紙を強く握り、一色の顔をジッとまるで睨み付けるように見つめた。
――水無月虹、初恋に心を染める年頃の女の子である。
そんな中、意中の男の子に女の影がありようものなら、それなりに心が揺さぶれるものだ。
既に彼女の頭の中には、これから一色に起こるかもしれない未来が浮かんでいた。
今回告白してきた女子生徒とお付き合いをして、そして初デートには少しお洒落をして繁華街に行くだろう。カラオケ、ボーリング……色々なところで遊んで、時には喧嘩をして――そしていつか、その誰かと添い遂げるかもしれない。
そして二人の名前から一文字ずつ取って、子供に名前を――そこまで妄想して、そして……
「いいいいいいいい、一色くん!!」
暴走した。
「な、なんだよ……俺、ただ手紙を渡されただけで」
「問題! これはゆゆしき問題なの! 一色くんはこの重大な問題を軽視しすぎなの!」
「いや、でもこれの中身は」
「――みなくてもわかるの! 乙女の勘でわかるの!」
ちなみに水無月の言い分は全て正解だ。一色の認識よりも水無月の認識の方が女子生徒の想いをより代弁していた。
「そそそそそ、それで一色くんは! もしかしてその先輩と……………………つ、付き合ったちゃうの?」
……水無月は、恐る恐る聞いた。
――怖いのだ。一色が……好きな人が他の誰かと付き合ってしまう可能性が少しでもあることが、たまらなく怖いのだ。
今まで一色には美術部以外の交友があまりなく、油断をしていたのが余計に恐怖心が増してしまう。
水無月にとっての初恋。まだ始まったばかりの初恋が、こんなに早くに終わってしまうのがたまらなく怖い。
――そんな乙女心を知らない一色は、ただ目の前で暴走して、なんなら泣きそうな顔になっている水無月にかける言葉を考えていた。
何故こうなっているのかは分からないが、一色は水無月の涙には弱い。
つい先月の彼の行動を鑑みれば如何に一色にとって水無月が特別な存在かが良く分かった。
「つ、付き合わない」
実際には告白はされてはいないが、もしも告白されたとしても、一色は最初から断るつもりでいた。
「誰かと交際するとか、そんなことは今の俺には……考えられないし、それに良く知らない人とは付き合えない」
「そ……そっかぁ~」
一色の嘘偽りのない返答に、水無月はホッと胸を撫で下ろした。
「それに本当に告白はされてないんだ。緊張した俺が拍子抜けだ」
「――なんのためにちひろん、漫画教室に呼び出されたの」
「俺が聞きたいです」
――言ってやるな、初香。
それはラブレターを送った田中夢見が誰よりも思っていることなのである。
まさか事情を知っている渡邊玲も、告白することを忘れているなどとは思いもよらないだろう。
無論、漫画の感想を聞けたことは一色にとってはかなり嬉しいことであり、その点は手紙を貰って嬉しかったのだが。
……なお、お気づきかもしれないが、田中夢見とは一色のクラスメイトの田中花楓の姉である。後日、一色は彼女にこのことについて深く追求されるのであるが、本人は知る由もなかった。
●○●○
部活動を終え、一色と水無月と初香は当初の予定通り、一色の家へ向かっていた。
美月と雪彦への卒業サプライズの作品作りのためである。
「晩御飯、どうしましょうか」
一色のこの一言で、三人はスーパーで買い物をして晩御飯の準備をしていた。
「おにぃちゃん、今日はご飯なーに?」
「なにかなー?」
和那が台所にひょっこりと顔を出すと、続けて初香も和那を抱き上げて台所に入ってくる。
料理当番はもはや恒例で一色と水無月である。もちろん初香は器用なため、ある程度は料理を出来るが……一色と水無月の足元にも及ばない。
そもそも初香は食べる専門であり、逆に作ることが好きな一色、水無月とは好相性である。
「煮込みハンバーグを仕込んでいたので、それとスープとサラダです」
「足りなかったらもう一品作りますよ!」
「ハンバーグとサラダかぁ――あ、なんかじゃがいも料理が食べたい」
「あ、それなら簡単で美味しいレシピがあります!」
そう言うと水無月は一色家にある調味料を吟味する。一色が凝った料理もするためか、それなりのスパイスが置いてあり、水無月は慣れた手つきでスパイスを選んだ。
一色はすかさず冷蔵庫からじゃがいもと、そしてバターを取り出す。
「あれ、なんでバター出してくれたの?」
「たぶん使うと思ったんだ」
一色は水無月がスパイスを選んでいた時点で何を作るのか大体予想が出来た。
「あ、ありがと……スパイスを利かせたじゃがバターを作ろうと思ってたんだよ」
「やっぱりな」
「――以心伝心だね、二人とも♪」
初香はニヤニヤと笑いながら二人をからかう。
……水無月は心が通じたことに内心大喜びをしているのだが、しかし手放しに喜んでしまえば和那の目が怖かった。
こと兄が関係すれば人が変わる妹、和那。水無月もまた和那の可愛さに惚れこんでいるため、彼女の目の前では下手なことは出来ないのである。
――水無月虹の恋愛は、実に前途多難である。
「ほら、馬鹿言ってないで向こうで待っててください」
「そんな照れなくてもいいのにねぇ~、ね、和那ちゃん?」
「――なにがー?」
「ひっ……な、なんでもないよ? ほら、あっちでアニメ見ようね和那ちゃん!」
……和那の笑顔に、初香は世にも珍しい悲鳴を小さく上げるのであった。
「何をあの人は和那にビクついてるんだ?」
「……はは、一色くんはあの怖さを知らないんだね」
兄を愛する妹の前では、彼を下手に弄ることは許されないのである。
――ふと一色は、水無月の髪の毛に糸くずがあることに気が付いた。
「水無月、糸くずがついてる」
「え、ホント? どこだろ」
水無月は髪を触って糸くずを取ろうとするが取れなかった。それを見た一色は特に気にすることなく水無月の頬の近くの髪の糸くずを取る。
その時、一色の手がほんの少し、水無月の頬に触れた。
「…………水無月?」
――水無月は頬に手が触れた瞬間、彼の手を握ってしまう。
「……ほ、ほら、また手の震えが止まらなくなっちゃったら困るからさ――ちょっとだけ、手を握ってても、いいかな?」
無論、そんなものは方便だ。
ただ頬を触れられた嬉しさと恥ずかしさがこみ上げて、でも好きな人に触れたい気持ちを誤魔化しているだけだ。
そんな水無月のお願いに、一色は視線を逸らして……手を握り返した。
「……こんなので止まるなら、いくらでも」
「うん――ちょっとだけ」
そんなちょっとだけが、もっと続けば良いと思いながら――水無月は一色のちょっと冷たい手を、握った。
「一色くんの手、冷たいね」
「……冷え性なんだよ」
「そっか――私の手、いつも温かいから……また冷たくなったら、い、いつでも握ってあっためてあげる……っ!」
――恥ずかしさがこみ上げながらも、水無月は自身の好意を隠そうとしなかった。
一色からすれば普段のコミュニケーションとさして変わらない……そうは思ってみても、やはりこれはいつもとは違う。
……これまで何度か手を繋いだことがあるから、慣れてはいた。
それでも心は高鳴るし、顔を熱くなる。
「……気が、向いたらな」
「――うん! いつでも、気が向いたら言ってね?」
彼女のひたむきな好意に、一色はいつものように思った。
――本当に、水無月虹には敵わない。




