冬のある日は緑豊かな恋模様 その4
一色家でのディナーも終わり、それからは当然の如くサプライズに向けての作業が始まる――ことはもちろんなかった。
むしろそんな順調に事が進んでいれば、彼らは家にまでサプライズを持ち込んで作業をするなんて選択肢は取るはずもない。
――親しい学友の家で、夜に集まる。高校生にもなれば誰かの家での集まることは実は少なく、故に水無月と初香は……どうしているかは言うまでもない。
「ここだ! ファイナルフィニッシュ!」
「はつかちゃん、あまい」
「か、神回避だ……か、和那ちゃん強いっ!」
――リビングでテレビを前に、コントローラーを手にして格闘ゲームに興じることになるのは目に見えていた。
「……まあこうなるとは思っていましたけどな」
一色はソファーに座りながら白い目で三人を見ながら、諦めたような声を出していた。
何しろ一色が洗い物から帰ってくると、すでに全ての準備が終わっていたのだから、止めることもできなかった。
テーブルの上には人数分のジュースとたくさんのお菓子が広げられている。
……最初から一色家での時間を堪能するつもりであったことは火を見るより明らかだ。
「海老名先輩、和那はびっくりするくらい強いですよ」
「そ、それは! てい! わかってるよって、うわっ!」
初香はゲームにのめり込み過ぎて、コントローラーを操作するたびに擬音を口にしてしまう。
なおテレビ画面では和那が操るキャラクターが初香の攻撃を紙一重で全て避けて、カウンターを的確に放っていた。
っというより、初香は一度たりとも和那に触れることさえできないのである。
「……ダメだこりゃ」
一色は作業の二文字を完全に諦めており、静かに最近愛読している漫画の束に手を伸ばした。
つい最近発売された、とある漫画作家の読み切り集である。
「一色くん、何読んでるの?」
するとそれまでテレビ画面を見ていたはずの水無月が、いつの間にか一色の隣のソファーに座っていた。
「渡邊先生の読み切り集。本屋に行ったらちょうど発売してたから」
「あ、それ私も買おうと思ってたやつだ!」
二人にとってはとてもお世話になっている恩師、渡邊玲の漫画は、世間一般でも評価されている。
今は講師に集中しているためか週刊誌で連載はしていないが、高クオリティの読み切りをいくつも掲載されたためか、こうして読み切り集が発売されることになったのである。
「やっぱりあの人の漫画は面白いよ。特に巻末の描き下ろしは連載漫画として出しても良いレベルで面白い」
「すごいよね、先生しながらこうして本も出すって」
「――背景とトーンを手伝わされたけどな」
「え、プロの先生のお手伝いしてたの?」
それは授業中の時であった。
課題を早々に終わらせて残りの時間をのんびり過ごそうとしていた一色に、渡邊はニコニコとした笑顔を浮かべ、そして何枚かの原稿を一色の差し出してきたのである。
無論、その原稿は渡邊の読み切り原稿であり、一色は課題という名目で渡邊のアシスタントを知らぬ間にしていたのだ。
なおその事実を知ったのは、読み切りを実際に手にとった時であった。
「普通に頼まれたら手伝うのに、なんであの人はああも回りくどいんだろうな」
「んー、渡邊先生の原稿を手伝うって、普通だったらめちゃくちゃ緊張しちゃうと思うけどなー」
水無月は苦笑いを浮かべながら、漫画に目線を向ける。
渡邊のペンネームは日下部霊であり、過去に週刊誌や月刊誌で連載していた漫画家で、それらの漫画は知る人ぞ知る名作として知られている。
密かに一色も憧れるほどに漫画としての面白さ、そして作画力は桁外れで、現在も新しい漫画を待ち望まれているのである。
「一色くんは、プロの漫画家を目指してるよね」
「――それは考えたことなかったな」
水無月がさも当然のようにそうたずねると、一色は目を丸くした。
プロの漫画家。つまり週刊誌や月刊誌で、絵でご飯を食べていくということである。
今まで一色にとって漫画とは、幼馴染との思い出のものであった。
好きか嫌いか、そう言われればもちろん好きである。
だが将来、それを職にしようと思ったことは正直なところ、なかった。
「俺にとって漫画は描くことが当たり前になってたから。プロとか考えたこともなかったよ」
「そうだったんだ。なんか意外だなー」
「そんなに意外か?」
「そりゃそうだよー。だって、一色くんは絶対に漫画家になるって思ってたんだもん」
無論、水無月が簡単に言うような甘い世界ではない。
漫画で食べていけるのは、ほんの一握りの才能ある人々だけだ。
漫画一本の作家もいれば、例えば渡邊のように他の仕事をしながら絵の仕事をしている作家もいる。
――もちろん水無月もそれは重々承知している。
それでもなお、信じてやまないのだ。
一色千尋は、すごい漫画家になる。
「一色くんの漫画は人の心を動かす力があると思うから、絶対に渡邊先生にも負けない漫画家さんになるよ」
「……そう、か?」
「そうだよ! この前読ませてもらった漫画だって、みんな号泣しながら読んでたでしょ?」
一色が課題で書き上げた読み切り「世界の最果てで、幸せを」は、水無月だけでなく美術部の面々も既に読まれている。
その内容に雪彦は泣き、美月も泣きし、初香に至っては号泣であった。
「あの作品って確か賞に投稿するんだよね?」
「あ、ああ。俺のは渡邊先生もお世話になっている大手出版社に投稿するけど」
「……あの作品だったら、きっといい評価が貰えるはずだよ――一色くんは絶対にすごい漫画家さんになる。私はそう信じてるよ!」
水無月の力説に、一色も頬を赤くして彼女から視線を逸らした。
……なにぶんこんなにも真っ直ぐ褒められることには慣れていないのだ。
――だが、これまで人生において夢という夢がなかった一色にとっては寝耳に水であった。
「…………そうか」
「うん、そうだよ――って、私が漫画家になった一色くんを見たいだけなんだけどね」
水無月は悪戯な笑みを浮かべながらそう言うが、しかしその何気ない会話が一色に一つの目標を持たせたことを、彼女は知る由もない。
一色は胸中が熱くなるのを感じていた。
初めてできた目標――その熱意が彼の心を静かに燃やしていた。
「……頑張るよ。水無月の期待に応えられるように」
「――うん! 楽しみにしてる!」
水無月の快活な笑顔を見て、一色の心まで暖かく感じた。
――ほんのひと月前までなら考えられない笑顔だ。
水無月は心を疲弊し、大好きな絵が描けない苦しみに絶望のどん底にいた。
誰にもどうしようもできない状況下で、一色は彼女のために動き続けた。
そして今、笑顔で筆を持ち、真っ白なキャンバスに絵を描くことができる。
それは当たり前にできることだが。水無月にとってはもう二度と絵が描けないと半分諦めていたことで……
「…………よしっ」
――だからこそ、彼女が一色に熱烈な恋心を抱くことは当たり前で、それ故に1センチメートルでも近づきたくなるのは至極当然のことであった。
水無月は意を決したような声を上げて、勇気を出して一色の肩に自分の頭を乗せた。
「……み、水無月?」
「か、和那ちゃんも初香先輩が気付くまでだけ……ダメ、かな?」
「お、お前な…………和那にバレても知らないぞ」
水無月の勇気の行動に、基本クールな一色も平静ではいることが出来ない。
しかし彼女を拒否することはなく、彼女から視線を外してゲームに夢中になる二人を見つめた。
……同じ空間に、なんとも奇妙な空気感が漂う。
ただ一つ、一色はあることを静かに察する。
「――今日は何も出来ないな、これ」
彼ももはや作業をするような気分にはならず、ただ水無月から伝わる温もりにどこか居心地の良さも感じるのであった。
――なおこの数分後、二人は和那によって発見されてしまうことは言うまでもない。
●○●○
…………それから更に数週間が経ち、その日は年の瀬であった。
美術部の面々は水無月家で集まり、今年最後の忘年会に興じていた。
今日は和那も遠慮をしていて、正真正銘、美術部の面々で過ごす。美月と雪彦にとっては高校生最後の忘年会だ。
年越しそばを食べ、パーティー用のお菓子を広げて騒ぐこと午前0時前。
――1日を通して騒ぎ続けた美月と雪彦、そしてあの初香までもが寝落ちしていた。
「――初詣、みんなで行くって約束してたのにね」
「ほんとにな。でも、初香先輩も寝落ちするのは意外だ」
初香はソファーの上で猫のように丸まって眠っていた。
意外にも無防備な姿をあまり見せることのない初香の珍しい姿に、一色は物珍しさを感じる。
一色は初香に毛布を掛けると、ソファー近くの床で雑魚寝をする美月と雪彦を白い目で見つめる。
「……この二人はこのままで良いだろ」
馬鹿なので風邪を引くはずもない、と心の中で思うのであった。
――水無月家の近所の神社に初詣に行く予定だった。しかし一色もこんなにも気持ちよさそうに眠る三人を起こす気にはなれなかった。
そしてそうこうしているうちに、年が明けた。
「あけましておめでとう、一色くん!」
「あけましておめでとう。新年もよろしくな」
「「…………あはは」」
定番の挨拶を交わす二人は、どちらともなく笑ってしまった。
「こうして年の瀬を一緒に過ごすのは初めてなのに、あんまり初めてって感じがしないね」
「同じこと思ってた――去年はびっくりするほど濃い一年だったから」
「……そうだね。本当に、いろいろなことがあったよね」
水無月は去年を思い出して、懐かしいような表情を浮かべた。
――二人にとって、ただ楽しいだけの一年ではなかった。
時にはすれ違い、喧嘩をした。何度だって心が潰れそうになった。
4月に文化祭で二人は出会い、それからほとんど毎日のように顔を合わせ、多くの会話をしたのだ。
一年にも満たない時間だが、二人にとってそれ以上の時間の長さを感じていた。
「……俺は、今年を去年に負けないくらい楽しく過ごしたい」
「うん。私も――だってやりたいことがたくさんあるから。向日葵学生絵画コンクールに、文化祭。夏には合宿で、それ以外でもうんといっぱい遊びたい!」
「――水無月、一つ提案がある」
すると一色はコートに手に取った。
「今から、二人で初詣に行かないか?」
「――ッッッ!? も、もちろん、二人で行こう! うん、すぐに行こう!!」
一色からのまさかの提案に、水無月はひどく動揺をしながらも、普段の動きから考えられない速度で身支度を開始。
3分後には外出用のおめかしをした水無月がそこにいた。
「……そんなに急がなくても」
「え、えへへ……でも早くしないとみんな起きるかと思って」
なぜ皆を起こしたくないかの理由については明白であった。
――神社は水無月家から徒歩五分ほどの近場にある。
人影はちらほらとある程度で、出店は数えられるほど出ていた。
「でも意外だね」
「何が?」
「一色くんが二人で誘ってくれるなんて」
「……気まぐれ。他意はない」
水無月がくりっとした大きな目で覗き込むと、一色は少し気恥ずかしそうな顔をした。
プイッと顔を逸らすと、水無月は楽しそうに微笑む。
――新年一番を一緒に過ごすのが、想い人なのだ。平静を整っているが、内心では胸が高鳴っていた。
「(……一色くんと二人きり、やっぱり落ち着くなぁ)」
それとは裏腹に、水無月は一色が傍にいることに安堵心も感じていた。
11月のあの日、一人で閉じこもっていた水無月を一色が連れ出した。
一色は自分が全色盲であることを告白し、そして秘めていた想いを水無月に真正面からぶつけた。
そして水無月もまた、本音の全てを一色にぶつけ――そうしてようやく二人は前に進み始めた。
向日葵学生コンクール。複数学生による合同制作の絵画コンクールへの挑戦。
一色が線を描き、水無月を色を塗る。まだまだ完成には程遠いが、しかしその過程は本当に楽しいものだった。
……あの日のことを思い出すと、水無月は一色に出来ることなら人目をはばからずに抱きつきたくなる。
だけどそれをすれば一色が困り果てるから、控えめに手を握るのだ。
「(私は、一色千尋くんのことが好き)」
――だけれど、その気持ちはまだ大切に育てたい。
悠長だと言われても、水無月は現段階で一色と恋人のような関係になることは望んでいない。
……いや、望まれれば、きっと二つ返事に恋人になってしまう。それほどの熱はある。
――このもどかしくも心を温かくさせてくれる、初恋の甘酸っぱさを、水無月は今は味わっていたい。
「(今はこの距離感でいい……なんて、ちゅっとだけ嘘。ほんとは少し、この距離感が変わってしまうのが怖いだけ――まだこの想いを伝えるほどの勇気がないだけだ)」
だから今は普通の友達よりも近い距離で。でも恋人よりも少しだけ控えめに。
そんな一色の心をグラグラ揺らせる距離感で、水無月は彼の隣を歩く。
境内の賽銭箱の前に立つと、水無月はふとあることを思い出した。
「一色くん、この神社ってどんなご利益があるか知ってるかな?」
「知らないよ。なんのご利益があるんだ?」
「――縁結び、だよ」
水無月は恥ずかしくて顔を背けながらそう言うと、水無月をジト目で見つつ、
「…………そんなので俺が恥ずかしがると思ったら、大間違いだからな」
「……うん、そうだよね――そうだよねぇー」
……少しは意識してくれるものだと思った水無月だったが、一色はそれをいつもの弄りと受け取ってしまう。
全くもって色恋沙汰には疎い一色に対し、水無月はこの恋が前途多難であることを悟った。
「な、なんだよ、何か言いたげだな」
「べっつにー? 一色くんは天然さんだから、いつか痛い目みたら良いと思う!」
水無月はべーと舌を出して、せめてものやり返しをする。
一色はなお首を傾げるが――水無月は賽銭箱にお金を投げ入れる。
そして目を瞑り、合掌のちに両手の平を合わせ、強く願った。
「(この想いが、いつか実りますように――この病気が、いつまでも続きますように)」
そんな彼女らしい言葉遊びをしていると、空から雪が降り始めた。
「――帰ろっか、一色くん!」
「おい! ほんとお前は……」
腕に全力で抱きついてきた水無月に、一色は困った顔をする。
しかしすぐに仕方ないと言いたげに溜息を吐いて、彼女から離れることを諦めた。
「先輩たちにみられたら面倒だから、家までだぞ」
「私は別にみられても問題ないよ?」
「――俺が問題なんだよ、ばーか」
少し砕けた言葉遣いを受けて、やはり水無月は胸が高鳴る。
本当にこの男は、となんとも悔しい気持ちになった。
「……そんな言葉遣いの子には、こーだよ!」
その悔しさをぶつけるように、水無月は一色の腕を強く抱きしめる。
――降りしきる雪は夜空を白く染め上げる。
それはまるで白いキャンバスのようだと、水無月は思った。
今、彼らが向き合うキャンバスは、未来に向けての作品だ。
二人三脚による合作。その完成形は未だ未確定で、想像もつかない。
「……明日、早速だけどコンクールの作品を進めないか?」
「――もちろん! 一色くんとなら何時間の作業でもへっちゃらだよ!」
一色からの提案を、水無月は二つ返事で頷く。
まだこの想いは伝えられてないけど、でも――きっといつか伝えてみせる。水無月は心の中でそう強く思うのであった。
真冬の夜中にも関わらず、水無月は寒さを感じない。心も身体も、その全てはポカポカ模様だ。
……そんな冬のある日は、緑豊かな恋模様である。
これにて番外編の冬編が終幕です。
時系列的に、12月〜1月のお話で、ここから第9章に繋がるちょっとした裏話ですね。
次回からは番外編の春編で、今回の話よりかは長めの話になりますので、またお時間が許す時にお読みいただけたらなと思います!




