10幕 彼の知らない、私の想い
ここから数話、水無月視点が続きます
文化祭の昼下がりの頃だったか。私は一人、模擬店の並ぶ校庭に居た。校庭では模擬店の他に、音楽コースのバンドの人たちがライブをしている。組数が非常に多いこともあってか、ライブのスケジュールはいつもギリギリらしい。
そして今は美月ちゃんと海老名先輩が所属している四人バンドが演奏をしていた。
……熱狂が凄い。色々と問題は起こしているものの、美月ちゃんも海老名先輩も人気があって、なおかつ盛り上げるのが上手だ。
『聞いているか、お前たちー!!』
『おい、なんでドラムがボーカルの役目を取ってるんだよ!!』
『女子の皆ー! 今日は海老名雪彦って名前だけは覚えて帰ってくれよ?』
『うるっせぇぞ、無駄面ぁ!!』
『まぁそんなうちの愉快なメンバーですけど、みんなよろしくー』
舞台でそんな芸……ではなく掛け合いをしていた。
……だけどそれで会場はドッと盛り上がる。文化祭という雰囲気も加味しているのかな。そうして演奏が始まり――皆、呆気を取られる。
だってさっきまであんなにふざけていたのに、演奏が始まると途端に耳が冴え渡る。他とは隔絶している、完成度の高さに会場に居る人は聴き入ってしまった。
ギター、ベース、ボーカル、ドラム。それぞれのレベルがとても高くて、なおかつそれが調和して均衡が保たれている。
掴みが良く、演奏も良い。なおかつ美月ちゃんと海老名先輩は両方とも特に容姿に恵まれている。……これで人気が出ないはずがないよね。
――演奏が終わると、何故かシンと静かになる。これも四人のバンドの恒例だ。そしてしばらくして、誰かが火蓋を切ったように……
『アンコール、アンコール!!!』
そう騒ぎ立てる。歓声が周りからどよめいて、校庭をとてつもない音の圧で包まれた。
……耳に毒だ。きっとこの声はここから一番遠い特別棟にまで届いているだろう。
「いやぁ、すごい熱気だね」
「あ、さーちゃん先生」
「……水無月ちゃん? 海老名兄妹の悪影響とは感心しないなぁ」
私が一人見ていると、隣に白衣を着たさーちゃん先生……咲良先生が来て、話し掛けてくれる。
咲良先生は相変わらず美人でスタイルが良く、背も高い。私の憧れの女性の一人だ。
「あの二人の天職よね、ああいう盛り上げ上手なところは」
「あはは、そうですね。……すごいなぁ、美月ちゃんは」
「あなたも彼女に負けない魅力があると思うのだけれど――ところで水無月ちゃん。頭痛の方は大丈夫かしら」
すると先生は私を心配してか、そう言ってきた。
咲良先生は私の事情をある程度知っていて、普段保健室でお世話になっている。だけど先生の心配は無用で、今日の調子は悪くない。
「大丈夫です! こんな楽しい日を楽しまないとか、私の流儀に反するので!」
「そう……それなら良いんだけど」
「――あ、美月ちゃんたち、アンコールに答えています」
「…………大丈夫かしら。スケジュールはギリギリで、そんな余裕ないはずなんだけど」
「「…………」」
私と咲良先生は顔を見合わせて、無言になる。
――間違いなく、後で怒られるだろう。
「ここで会ったのも何かの縁ね。何か奢ってあげましょう」
「え、本当ですか!?」
「ふむ、なら僕もご相伴に預かりましょうかね」
――不意に、私たちの後ろから声が掛けられた。振り返ると、そこには私のクラス担任の渡邊先生がいた。
温和で優しく、ルックスも整っているということで女子に大人気の先生だ。しかも漫画で有名な人で、まだ年も若い。
「れ……渡邊先生も、ご冗談がお上手で」
「いえいえ、僕の受け持つ生徒ですし。何でしたら僕が奢りましょうか?」
「……お願いします」
どうやら、二人の先生の間で給与の差が歴然らしい。
――ともあれ、人気のある先生に挟まれてベンチで、模擬店で買った焼きそばやフライドポテトを食べる。
周りからは当然視線を集めた。
「いやぁ、あの子たちの演奏は圧巻だね。普段は問題行動ばかりだけど、ああいうところは危うく褒めそうになるよ」
「……やっぱり行動に問題ありますよね」
「まぁそれも含めて彼らの魅力よ――水無月ちゃんも、美術部に入ったんだって?」
すると咲良先生はそう聞いてきた。
「はい、そうですよ?」
「……大丈夫? 無茶とか言われていない?」
「無茶はない、ですね。過保護が凄いですけど」
「水無月さんは放っておけないタイプだからね。皆、親心みたいなものを抱くんじゃないかな」
「えー、私、高校生なのに」
無性に納得がいかないけど、自覚しているところもあるのであまり強く否定できない。
……だけど先生の中では二人とも、今まで接したことのないタイプの人たちだ。親しげに、ちゃんと話を聞いてくれる。それだけで私にとって十分なくらい、二人とも良い先生。
――あぁ、嫌なことを思い出しちゃった。
「すみません、奢ってもらっちゃって」
「良いよ。あ、でも他の生徒には内緒だよ? ほら、不公平だから。あとで全員に集られでもしたらキリがないし」
「ふふ、はーい――ではでは、私はそろそろ失礼します!」
私は二人を置いてその場から離れる。
……しかし少し疑問に思ったことが一つ――あの二人、いつの間にあんなに親しくなったんだろう。
そんなことを思いながら、私はそそくさと二人から離れていった。
……そして一度校舎の方に戻る。するとそこには海老名先輩と……とても綺麗な、先輩の友人と思われる人がいた。
二人で座って何かをお話ししている様子。少し聞き耳を立てると……
「……まさか、こんなとこにいるなんて、思ってもいませんでした」
「そっかー……彩華ちゃんも、まさかこんなところで想い人に会うなんて、思ってもいないよね」
……何やら真面目な会話だ。しかもどこか色恋沙汰を臭わせる、思春期の私にはとても興味をそそられる。
しかし出るタイミングを見失った。
「でも、話し掛ける勇気がなくて……私は、彼にひどいことをしたから」
「……だったら私が助けてあげる!! 大親友の彩華ちゃんのためだもん!!」
すると初香先輩がすくっと立ち上がり、その美人さんの手を握って宣言した。その美人さんは初香先輩を見上げている。
……よし、今だ。
「初香先輩、こんなところでどうしたんですか?」
「あ、こーちゃん!!」
タイミングはばっちりで、私の登場に先輩は美人さんの手を離し、私に抱き着いてくる。
……く、苦しい。だけど先輩の柔らかいお胸が、ムニュムニュ自己主張してくる。……恨めしい。
いや、美月ちゃんよりかは全然だけど、少なくとも私よりも――いや、そんな敵意は良そう。こういう時の初香先輩はたぶん無意識だろうから。
「初香先輩、苦しいです!」
「ふふふ、それはね、愛の痛みだよ」
「そ、そんな痛みは要らないです!」
いつもながらの絡みに安心してしまうのも、私が先輩たちに慣れてしまった証拠だろう。
……と、置いてけぼりになっている美人さん。しかし佇まいはなんというか――品の塊だ。儚げな微笑みは絵になって、声も綺麗。指先も細く長く、背も程良く高い。かといって完全な綺麗系でもなく……大人と少女を兼ね備えた容姿をしている。肩まで伸ばされている黒髪も綺麗で……ふむ。
美月ちゃんとはジャンル別の、しかし同等の美貌だ。
「は、はじめまちて!!」
せ、盛大に噛んでしまった! お近づきになるためには、第一印象が大切なのに!
すると美人さんは微笑みを浮かべる。
「ふふ、可愛らしいですね。……私はお邪魔みたいなので、失礼します――またお会いできた時に、ゆっくりとお話ししましょう」
そう言うと、美人さんは私たちに背中を向けて去ってしまう。
……後ろ姿まで美しいなんて、何者なんだろう。綺麗なセミロングの黒髪を揺らし、私たちの下から去っていく美人さんを見つめ、私はそう思った。
「……一体何者ですか、あの超絶美人さんは」
「親友だよ。中等部の一年生の頃からの親友で……心を開いてくれるのにすっごく時間が掛かったかな」
「初香先輩でそれなら、相当ですね」
とてもフランクで、誰とでも仲良くなれる初香先輩でも難攻不落って……いつか機会があれば、話してみたい。
……でも、可愛らしいって褒められたのは純粋に嬉しい。それが嫌味に聞こえないのが、あの美人さんはすごいところだ。
「こーちゃんはこんな場所でどしたの? 校庭に行った方が楽しいと思うけど……」
「熱気が凄くて、避難してきました。……チラシの捌き具合はどうですか?」
「うーん、狙って渡してるからね。全然減ってないよ! うちのノリに付いていけそうな人に渡してるけど、今のところ一人にしか渡してないよ!」
「ひ、一人だけ……って、客観的ですね、初香先輩」
「……まぁ、新入部員が全く入らない現実は受け入れないとね」
基本的に身内だけで構成されているから。部員も美月ちゃんの幼馴染の私と、海老名先輩の妹の初香先輩だけだからね。
……でも、同級生の部員は欲しいところ。でも友達を誘っても、誰も良い返事をくれない。
皆、あそこの輪の中に入る勇気がないって言う。無理強いは出来ないし、そんなことを言うなら入って欲しくもないっていうのが本音だ。
……一緒に活動するなら、どうせなら心から活動を楽しんで欲しいと思う。だけど、中々そんな人はいないから寂しいよ。
「でも、そんな初香先輩のお眼鏡に適う生徒って、どんな人なんですか?」
「んーと、静かそうで、客観的に物事を見れそうな男の子だったよ。すっごく無表情だけど、でもうちのお兄ちゃんほどじゃないけど、顔は整ってたかなー」
「男の子……」
あまり同世代の男の子と接点がないから、ピンとは来ない。基本的に美月ちゃんが全部ガードしていたからね。
だけどその情報から、どうしてもうちに適応できる人のようには思えなかった。
「意外ですね。もっとノリの軽そうな人を選んでると思いました」
「いやいや、これ以上私たちみたいな子を増やしたら、すっごいことになるよ? もうこーちゃんストレスで不登校になるよ」
「……確かに」
「私たちに必要なのは、ストッパーとツッコミ役だよ! そんな子を中心に探してるけど、中々うまくいかないなぁ」
そ、それは話してみないと分からないと思う。だけどそれは初香先輩には言わずに、私は特別棟に足を向けた。
「あれ、こーちゃんはどうするの?」
「一度、部室に戻ってみます。もしかしたら人がいるかもしれませんし、ついでに勧誘も出来たらなって」
「ふむ――変な男子には声を掛けなくて良いからね?」
……出た、先輩の過保護。でも私もそんな男の子に話し掛ける勇気はない。そんな気もない。
――特別棟の中に入る。本当に文化祭か、と思うほどに静かだ。文化部はそもそも活動的ではないのが大きいかもしれない。文化系で最大派閥は、確かお料理部だったはず。それも文化祭では模擬店に出ていて、特別棟にはいないから、ここで展示しているのは美術部を含めた少しだけだ。
私は三階の部室に向かう。そして中を伺うと――
「――い、いた」
一人だけ、男の子がいた。
黒髪の男子生徒で、背は海老名先輩より少し低い程度。遠目からはそれくらいしか分からない。
その男の子は部室の奥の方……展示の最後の方に足を延ばしていた。そして誰かの作品を見て、立ち止まっている。
――その位置は、私にとってとても重要だった。何故なら、この部室で唯一私の作品を展示しているのはその辺りだからだ。
……布を被せていた。誰も見て欲しくないから。自分を否定されたくなくて、嫌な感想をこれ以上聞きたくなくて、そうしたのに――少し嫌な気分になった。
視力が悪いから、男の子がどんな表情を浮かべているか、分からない。
……表情を見るのが、怖い。だってそれだけで答えが分かってしまうから。もし私の絵を見ていたとしたら……反応を知るのが、怖かった。
だけど、私は踏み出してしまった。男の子に気付かれないように、ゆっくりと。
――そんなときだった。
「――すごい」
……息をすることを忘れてしまったように、胸の鼓動が一瞬止まった。
今、彼は何を言ったのか、良く分からなかった。すごいと、言ったのか。何がすごいんだろう。いったい私の絵の何を見て、すごいと言ってくれたのだろう。
分からない。
何が起きているのか、私はさっぱり分からなかった。
……彼の表情が見たい。それで、どうしてそう言ったのか分かるはずだ。
怖いはずなのに、私はどうしても知りたかった。
……私が近づいても、彼は決して気付かない。夢中で見ている――私の、絵を。
表情が見えた。その表情は――驚きの顔だった。……どうして驚いているのかは、私には分からない。だけどそれ以上に私の目に、信じられないものが映ったのだ。
「……っ」
――涙を流していた。
その男の子は、私の絵を見て、泣いていたのだ。自分でも気づいていないのだろう。
今、涙に気付いたのか、頬に触れた。
――あぁ、なんだ、この気持ちは。
気付くと、私も涙で溢れていた。止まらない、涙が、止まってくれない。
――ずっと、否定されてばかりだった。いつしか、誰も私の絵を見て、綺麗だと言ってくれなくなった。表面的には上手と言ってくれる人もいるけど、心からそう思ってはくれなかった。
でも、それは仕方ないことだ。実際に、その人の心を動かすことが出来なかったのだ。
だけど――本当はずっと、望んでいた。
「……っ!」
ずっと、私の絵を、少しでも良いなって思ってくれる人を、望んでいた。
だけど、それは高望みで、そんな人は現れなかった。
だから絵を見せることが嫌になった。否定されるのが怖いから。私にとって、絵を否定されることは自分を否定されるように思えたから。
――どうしてだ。なんで、こんなに私の心は救われた気分になっているのか。
こんなにも、今すぐに絵を描きたいと思ったのは久しぶりだ。
こんなにも、人に声を掛けたいと思ったのは初めてだ。
声を出そうとするも、涙のせいでままならない。ダメだ、泣いたままでは変に思われる。涙を抑えないと。声を普通にしないと。
「……水無月、虹」
男の子が、私の名前を呼ぶ。展示されている絵の作者欄を見たのか。
少しじっと見つめて、私から背を向けてしまう。
――ダメだ、話しかけないと。今、あの子がどこかに行ってしまったら、私は二度と、彼と話せないかもしれない。
……ふと、彼が立ち止まる。出口近くに置かれている入部届を手に取っていた。
想像する。もしも彼が私たちの部活に入ってくれたとして。
私は、あの男の子のことを知らない。どんな性格かも、どんな人なのかも。
だけど――私の絵を見て泣いてくれた。その時の顔が、どうしても私の世界で一番大切な人に似ていた。
「……っ」
ママに……似ていたんだ。
――勇気出せ! 今いかないと、一生後悔する!
「……っ」
なんでもいいから、声を出して!
――心で叫んで、ようやく涙が止まった。そして声が出せるようになった。
男の子のところへと、足を一歩踏み出す。そして人一人分近くに寄って、私は、
「――もしかして、入部希望ですか?」
そんな、当たり障りのないことを言った。その瞬間、男の子は私の存在に気付いたようで、バッと私の方を振り返った。
その男の子は、近くで見ると容姿がそれなりに整っていた。もしかしたらさっき初香先輩が言っていた男の子なんじゃないかなって思う。
男の子は私の登場に驚いていて、口篭っている。
――内心で、私も何を話せば良いか、纏まっていない。
彼に聞きたいことは山ほどある。どうして私の絵を見て泣いていたの、とか。どんな風に思ってくれたの、とか。
でもそんなことを突然聞くのは変で、だから言葉に迷った。
すると男の子はぷいっと顔を背け、
「ちょっとだけ、興味があるだけだ」
ぶっきらぼうに、そう返答した。
――ダメだ、このままじゃ、興味だけで終わってしまう。そんなの、嫌だ。私は、もっとこの男の子と話してみたい。
そうしたら、また……楽しく、絵が描けるかもしれないから。
「じゃあ、俺はこれで」
待って。お願い、足を止めて! 私の話を聞いて!
男の子は背を向ける。部室から去って、どこかに行ってしまう。
――何か、声を掛けないと。なんでもいい! あなたの名前を教えてとか、なんでもいい! 彼の足を止めて、美術部にもっと興味を抱く何かを!
彼の事を知りたい。なら何を知りたいのだ? 私が知りたいのは――
「――あなたの色は、なに色ですか?」
――不意に出たその台詞に、男の子は足を止め、私を見た。
その目は私を見て、心底驚いた表情を浮かべている。何かに縋るような目で、私を見つめていた。何が彼をそうさせるのかは、私には分からない。
だけど足を止めてくれた――湧いて出たものは、意味の分からない珍妙な質問だった。
あなたの色はなに、って本当に何を言っているんだろう。
――でも、私の聞きたいことがそこにあるのじゃないかなって、思った。私の口走った「色」の正体は、今は分からないけれど。
ただ私は彼のことが、知りたかった。
……それが、私と彼の最初の出会いだった。
●○●○
文化祭が空けた週明け、私は誰よりも早く部室に来ていた。
気分がとっても晴れやか。文化祭が終わってからというもの、創作意欲が湧くのだ。理由なんて分かりきっている。
――でも、あの時、男の子は私から逃げるように去って行った。だけどその手に入部届が握られていたことを、私は知っている。
……とはいえ、不安だ。逃げられたから、もしかしたらもう会えない可能性だってある。そもそも名前も聞けなかったし、彼が一年生かどうかも分からない。もしかしたら上級生の可能性だってあるし……
「ふんふんふんふーん」
それでも抑えきれない陽気さは、私に鼻歌を歌わせる。そうして部活の準備をしている時だった。
「失礼、します」
――その時、誰かが部室の扉を開け、入ってくる。その声を聞いた瞬間、胸がドキッと高鳴った。
視線を向けると、そこには私の待ち望んだあの男の子がいた。
「あ、君は確か、あの時の入部希望の人!」
何が確か、だ。しっかりと覚えている癖に、何を今しがた思い出したように話している。
……私は彼の近くに寄る。近くに寄らないと、中々顔が見えないからだ。顔を見て話さないと不安になるから、私は近寄る。
すると男の子は少し私から視線を外し、来た理由を話してくれる。
「その、一応入部希望で。活動を見に来たんだけど」
――そう言ってくれた時、私は飛んで跳ねたいって思うほどに嬉しかった。内心ではドキドキが止まらなかった。
だって、私の希望が叶ったのだから。だけどまだ油断は禁物! ここでしっかりとしないと、彼が入部を止めてしまうかもしれない。
「え、本当に!? だったら不肖だけど私が部活について説明するよ!」
「そうか……。あ、一つ聞きたいんだけど……水無月って、君のことなのか?」
――驚いた。もしかして、あの絵の作者が私だってことに勘づいていたのかも。だとしたら余計に嬉しい。もう、勝手に笑顔になってしまう。
私はすぐに肯定した。
「あ、そっか。まだ自己紹介もしてなかったね――はい、私は水無月虹です! 良く分かったね?」
私は姿勢を正し、そう自己紹介をした。すると彼もそれに倣い、
「俺は……一色千尋」
……一色千尋。一色くん、か。とても良い名前で呼び易いし、綺麗な名前だ。私は彼を一色くんと呼ぶことにした。
――本当は下の名前で呼びたいけど、もしも呼んだときのことを考えたら、面倒臭くて敵わない。面倒臭いことというのは……ほら、先輩たちが、ね?
「うちの部活なんだけど、基本的には部長の貴音美月ちゃんって人が考えた企画を、皆でするの! 一色くんもどんな雰囲気か、今日体験してみてよ!」
「……分かった。ちなみに、他の人たちは、その……大丈夫か? 俺、あんまり他人と会話するの、得意じゃなくて。……あと、先生に聞いてみたら気を付けろって言われて」
「――」
その教師、なんて余計なことを! 一色くんが少し警戒しているから、誤解を解かないと!
「だ、大丈夫だよ! 皆、ちょっと騒がしいけど良い人ばっかりだよ! 特に新入部員はずっと欲しがってたから、きっと大丈夫!!」
自信はないけど、ここは言い切らないといけない。
一色くんは「そうか」って言って一応は納得してくれる。あとは私の立ち回りに左右されている。どうにか部活に入ってもらえるようにして――
「わぁぁぁたぁぁぁしぃぃぃぃはぁ!! こうがすきだぁぁぁぁああ!!!」
「おれもすきだぁぁぁぁ!!!」
――私、青筋がピクリとなるのは、生まれて初めての経験だった。
部室に響くのは、美月ちゃんと海老名先輩の大きな叫び声。なんとも聞くに堪えない大声の内容は、私への告白であった。
「な、なんだ……」
「…………えー、私、何も聞こえなかったよ?」
「いや、それはないだろ? どう考えても――」
一色くんが動揺しているけど、私は知らないふりを全力でする。
……ダメだ、掴みから最悪! っていうかあの二人はどうしていつもこう!!
「ふぅ、やはり一日一回は大声で愛を叫ばないとな――ところで雪彦、何をどさくさに紛れて宣っている」
「うぐぅ、やめろ、美月っ。首が、しまって、息が……っ」
「み、美月ちゃん止めて!! 新入部員の候補の子が引いてるから!!」
「――何ぃ!? 新入部員候補だとぉ!?」
美月ちゃんはそこでようやく一色くんの存在に気付き、海老名先輩を床に捨てた。
……そして私と一色くんの前に、ズンズン、と歩いてくる――忘れてた。美月ちゃん、私に近づく男の子には容赦ないんだ。
これは上手いこと一色くんを持ち上げないと――
「……ふむ。君、名前は?」
「い、一色千尋です」
「一色か……よし、君を美術部に歓迎しよう!!」
――そんな考えも束の間、美月ちゃんは不思議なくらいに快活な笑みを浮かべて、一色くんの肩を持ってそう言った。
「いやぁ、ようやくうちにも身内以外の部員が出来てうれしいな!」
「一応、候補のはずですけど……」
「あはは、細かいことは気にするな! おい雪彦、いつまで寝ているんだ! 起きろ!!」
美月ちゃんは上機嫌にそう言いながら、海老名先輩の首根っこを掴んで立たせた。当然それに海老名先輩は文句を言うけど……
「てめぇがしたんだろうが、あぁ!? ……って、後輩だと!?」
そして面白いくらいに美月ちゃんのような反応をする。海老名先輩は一色くんを観察するように見つめた。
なんていうか、品定めをしている様子。女の子の品定めは良くするのを見るけど、まさか男の子にもするとは思わなかった。
「……ほぅ、中々ポテンシャルが高いな、お前」
「は、はぁ。何のことを言っているかは分かりませんけど、ありがとうございます」
「――先輩たち! 一色くんにちゃんと自己紹介!!」
私は先輩たちに小声でそう耳打ちをした。すると二人ともそのことにようやく気付いたのか、「悪い」と謝った。
そして一色くんの前に立ち……
「遅れてすまないな、私は美術部の三年生で部長の、貴音美月だ! よろしく頼む!!」
「そして見ても分かる通りかなりイケイケな俺は、同じく三年で副部長の海老名雪彦だ。よろしくな!!」
「は、はぁ……よろしくお願いします、貴音先輩と、海老名先輩」
一色くんが二人の呼び方を決めたようだ。
……だけど、少し問題がある。それは海老名先輩も気付いているようで……
「悪い、俺のことは下の名前で呼んでもらえるか?」
「え? ……どうしてですか?」
「ちと紛らわしいんだわ。俺の妹もこの部活に所属しててな――それとも、妹の方を名前呼びするか? あいつは喜ぶと思うが」
「――いいえ、よろしくお願いします、雪彦先輩」
……おや。一色くん、もしかして美術部に適正があるのかな? 最初にあんなパンチをもらって、普通に接してくれるなんて。……一色くんの懐の深さに驚きつつ、感動していると……廊下の方から、走る音が響いて聞こえた。
――ここが最大難所だ。私は気を引き締める。ここを突破しないと、中々安心できない。
「みんなー、やっほー!!」
バッと、初香先輩が満面の笑みで現れる。その可愛らしい仕草やルックスに、きっと先輩はクラスでは、それはもうモテているだろう。
……あ、でも初香先輩の親友に、あの美人さんがいるんだ。意外と、そんなになのかな。
そんなことを思っていると、初香先輩は他の二人とは違い、すぐに一色くんに気付いた。
「――あー!! 君、私がチラシ渡した子!!」
「……先日は、どうも」
……やはり初香先輩が最初に目を付けていた男の子は、一色くんだったのか。それなら先輩の勘と観察眼はとてもすごいものだ。
――初香先輩は私以上に一色くんと距離が近い。一色くんはどうしたら良いか分からず、戸惑っていた。
「は、初香先輩! そんなに近いと、一色くんが戸惑っちゃいますよ!」
「えぇ~、後輩くんと仲を深めたいのに、こーちゃんは分かってないね~。君もそう思うよね?」
「いえ、特には……」
「ええー!!」
わざとらしい驚き加減に、一色くんは苦笑いを浮かべた。
……よし、この雰囲気はいける。一色くんを部活に入部してもらえる道筋が見えたと思っている時、初香先輩は一色くんに自己紹介をした。
「私の名前は海老名初香! 二年生で、そこの無駄にイケメンな人の妹です! 私のことは、気軽に初香ちゃんって呼んでね?」
「はい、よろしくお願いします。……海老名先輩」
「あー、紛らわしいから、さっきも言った通り初香って」
「――雪彦先輩に同じことを言われたので、大丈夫です」
……一色くんがその真実を言った時、初香先輩の笑顔がパキッと凍てつき、ヒビが入る。
そしてゆっくりと海老名先輩の方に顔を向けた。
「……お兄ちゃん、ちょっと表に出よっか」
「あ、お前何を怒って――」
「あ、美月ちゃん、手伝って」
「ふっ、任せろ」
海老名先輩の隣に立っていた美月ちゃんは不敵な笑みを浮かべ、そっとその腕を絡み掴む。ガッチリとホールドをしていて、決して離すつもりは無いみたいだ。
……海老名先輩は、初香先輩と美月ちゃんに連れられて無理やり部室の外に連れ出される。
「ちょ、お前ら、何を――助けてくれ、虹ちゃん、千尋ぉぉぉ!!!」
「あ、二人は交流を深めておいてねー。じゃあこーちゃんにちひろん、少々お待ちになって♪」
「――覚悟しろ」
「いやだぁぁぁぁぁああ――……」
…………廊下中に、海老名先輩の叫び声が響き渡り、そして聞こえなくなる。
私は恐る恐る一色くんの方を見た。……とても見事な、引き笑いを浮かべていた。
「……なんていうか、愉快な人たちだな」
「言葉、選んでくれてありがとね。でもいいよ、本音言っても」
「――凄まじく騒がしくてうるさい人たちだな」
……確定だ。一色くんは、この美術部に必要な人材である。
ならば私のすることはただ一つ――
「一色くん、ここに一枚の紙があります。あ、もちろん怪しい勧誘の紙じゃないよ? とりあえずここに名前を書こっか。私、一色くんのお名前の漢字、知りたいな!」
「……入部届なんだけど――」
「何も心配することないんだよ? ほらほら、綺麗な字で書いてね。それにしても一色千尋って綺麗な名前だよねー」
「…………はぁ、分かったよ」
……一色くんには多少無理やりの方が効果的ということが、今ので証明できた。
――そうして一色くんは、美術部への入部が決まったのだった。多少無理やりなのは、否めない……っ!
今までの話を水無月の視点で断片的に描写していきます。
1章から順に遡って行きますが、もしかしたら描写不足でわかりにくいかもしれません。




