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こころのいろ  作者: 如月心
第7章 雪溶けの空には虹がかかる
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9幕 最初から救われていたんだ

 俺と水無月は、再び電車に乗って、ガタンゴトンと揺さぶられていた。

 時間にして午後四時過ぎ。まだ空は明るいものの、予定よりも移動する時間が遅かった。……やっぱり、子供たちと遊んでいたのが原因か。


 だけどあの子供たちの笑顔を思い出すと、憎く思えないのがズルい。

 ――電車に揺られてしばらくするが、俺と水無月は互いに口を開かない。水無月も水無月で何か考え事をしているのか、向こうから話しかけてこなかった。


 ……俺が自分のことを話した後に考え事をする、か。水無月の考えそうなことを予想してみるか。

 ……割と高い確率で、自分を責めていそうだ。例えば、俺の事情を知らないのに、口論になったときに酷いをことを言った、とか。


 一応先に言っておこう。


「水無月、見当違いなら良いんだけど、俺の過去を知ったからって自分を責めるなよ」

「……な、なんで分かるの?」


 ……やはり考えていたのはそれか。

 ――なんて言われたか、あまり覚えていない。あの時はそれどころではなかったからな。


「なんとなく、自分が水無月の過去を知ったとき、とてつもなく後悔したから、水無月もそうかなって思って」

「うぅぅ……なんか、見透かされてる。……でも、やっぱりひどいことを言ったよ。だって、一色くんなんかに、とか、中途半端な癖にとか言ったんだよ? ……自分のことを棚に上げて、あんなに」

「それはお互い様だ。俺だってお前のことを考えず――って、これじゃ、平行線で不毛だ」

 俺が悪い、私が悪いをしばらく続けそうで、俺はそう話を切る。

「俺も水無月もどっちも悪い」

「……そう、だね――ごめんなさい、あの時、あんなひどいことを言って」

「俺も、本当に悪かった。お前のことを何も考えず、自分勝手なことを言った――そういえば、お互いに謝ってなかったな」

「そういえばそうだね」


 水無月が倒れてから保健室で話した時も、肝心の謝ることをしなかった。まずは水無月を安心させたいがために、自分が部活に行けなかった訳を話すのを優先していたから。


「でも、一色くんのことを知れて、よかった。謎の親近感の正体は、似た者同士だったことなんだね」

「……それ、前も話したことがあるぞ」

「そうだっけ? ……あ、保健室」


 そう、保健室で話した。あの時も、性格とかが正反対なのに、根本の部分は似ているという話をしたはずだ。

 ……あの時は水無月の事情も知らなかったし、俺の事情も知らなかったか。


「絵を描く原点も同じって、ある意味すごいね」

「……水無月と俺じゃあ、方向性が途中で変わったけどな」


 水無月は母親との大切な思い出で、絵を描くのは楽しいことだと前向きだった。でも俺はあの子を忘れないために、逃げないために描き続けていたから、どちらかといえば後ろ向きな理由だ。

 思い出を忘れない点では同じかも知れないけれど、俺のそれは贖罪のようなものだ。

 ……水無月の綺麗な想いと比べるものでもない。


「……私さ、絵を描くことが怖いの」


 ――水無月の弱音を聞くのは、そう多くない。こんな状態になっても、表面的には弱音だけは吐かなかった。

 それはどうしてだろうか。


「……絵を否定されるのが、怖いのか?」

「……うん。ママを笑顔でしていたのは、私の絵だって自信が持てるの――だって最後まで笑顔だったんだから」


 水無月はそれを断言する。水無月にとって、それは決して否定できないことだからだ。


「でも、だから否定されるのが怖い。昔、ママが言ってくれた私の絵には力があるって言葉を、否定されるのが辛いの。思い出を否定される気がして」

「……あいつら、か」


 水無月を否定する人を、俺は知っている。美術コースの、特に絵画コースの連中だ。

 あいつらは平気で人の作品を根本から否定する。自分たちの思うようにいかないと、良い部分までもを否定し、自信のいうものを片っ端から壊そうとする。


 ……同じ教員でも、どうして渡邊先生とああも違うのだろう。

 水無月がここまで心を弱らせた原因は、元を辿ればあいつらだと思う。自分たちの価値観で物事を決め、それが絶対に正しいと勘違いをしている。


「……水無月はそれでも、絵画コースから逃げなかったんだ。それはお前の強さだと思う」

「……こんなに弱いのに?」

「ああ、強さだ。あいつらから逃げなかったんだ。何を言われても屈しなかったんだ」


 ……俺がそう言うと、水無月は笑みを浮かべてくれた。


「一色くんに言われたんだから、疑ったら一色くんに失礼だよね」

「あぁ、そうだな。また違うとか言ったら、貴音先輩に習った関節技をするところだ」

「そ、それは嫌だから言わないよ」


 ははは、と水無月は苦笑いする。

 ……会話をして少し調子を取り戻したのか、水無月は続けて話し掛けてきた。


「一色くんの幼馴染の女の子、私も会ってみたいな」

「……気が合うと思うよ。俺と仲良くするくらいだからな」

「だったら、私も気が合うと思うな。……私もそんな一色くんと仲良くしてるから」


 水無月がそんなことを意識せず言ってくる。……無意識でめちゃくちゃ恥ずかしいことを理解していないだろ、水無月の奴。

 ……反応したら負けだ。


「そうだな、水無月も物好きだ」

「ひどいよ、一色くん」


 水無月はそう言ってくるが、でも顔は笑っている。

 ――そういえば、水無月はあのアルバムを知っているんだろうか。


「水無月は、アルバム――繭七さんが大切にしていた、水無月の絵のアルバムを見たことあるのか?」

「……うん」

「なら、その裏面って見たことあるか?」

「え? ……ないけど」


 ……そうか、あれを知らないのか。あれほどにまで娘の愛で埋め尽くされているアルバムの端から端まで見ていないのは、勿体ない。


「あの裏面に繭七さんの日記が書いてあるから、見ることをお勧めするよ」

「……どうして一色くんがそのこと知ってるの?」

「え……滝色さんに、アルバムを託されて見たんだ」


 ……俺は真実を言うと、水無月は珍しくも顔を真っ赤にする。

 ――申し訳ないとは思うけど、顔を赤くするほどのことか?


「み、見たんだ……。昔の絵って、本当に恥ずかしいくらい下手っぴだから、あんまり見られたくないのに」

「……そんなことない。あんなに良い絵は、中々見ることは出来ないよ」


 確かに最初の方はあまり上手とは思えない、子供の絵だ。だけど回数を重ねるごとに絵は着実に上手になっていったし、最後の方は本当に小学生が描いたとは思えないくらいの出来栄えだった。


「……あとでお父さんのこと、とっちめてやる」

「程々にしてあげろよ――でも、実際に感動したし、涙も出た。あぁ、水無月は本当にお母さんに愛されていたんだなって思ったよ」

「…………泣いてたんだ」


 すると水無月は少し俯きながら、そう呟く。表情は見えないから、何とも言えない気分になった。

 ……泣いたとか、言わなかったら良かったか。話を変えよう。


「俺が小学生でかなり虐められたから、和那に対して結構過保護になったんだよ」

「……和那ちゃん可愛いから、当然だよ」

「でも、それであいつってかなり人見知りになったから。……だからあいつに関しても、美術部の皆には感謝してるよ。特に水無月には」


 水無月と話すようになってから、目で分かるくらい明るくなったからな。

 俺がそれを伝えると、水無月は少し照れていた。


「……ところで、和那ちゃんは幼馴染の子は覚えているの?」

「……多分、覚えていないよ。最後に遊んでいたのは二歳くらいだったから。その時はかなり懐いていたけどな――あぁ、だから水無月には最初から懐いていたのかもな。雰囲気が似ているから」


 最初から和那が水無月に懐いていたのは、どこかであの子のことを覚えていたからかもしれない。

 あの子も和那のことはかなり気に入っていて、俺と一緒に遊んであげていたから。居なくなった当初は「いーたんは?」って言って泣いていたのを思い出す。


「……たまに俺とあの子のツーショットを見て、面白くなさそうな顔をしてる」

「……ごめん、想像できちゃった」


 ――誰かと、あの子の話題を出すのは珍しい。親ですらほとんど話題に出さないんだ。父さんも母さんも事の次第を知っているから、気を遣って出していないだけかもしれないけど。

 ……と、電車を乗り換える駅に着く。


「水無月、降りるぞ」

「う、うん――まだ教えてくれないの? どこに行くか」

「……着いてからのお楽しみで」


 俺はまだ、水無月にどこに向かっているか伝えていない。別に伝えない理由もないんだけど、先輩たちがやたらとサプライズに拘るから絶対に言うなって後押していた。

 これだけは譲れないのか、メールで再三に言ってきたから破れない――あの人たちはサプライズにどうしてあそこまで躍起になるのだろう。


 ……駅は繁華街の最寄り駅。思い出すのは、合宿前に会ったあいつだ。

 ――あいつは俺の幼稚園の時の同級生だ。そして俺の虐めの発端とも言える。……あいつのことは、幼稚園の最初の方はあまり覚えていない。それよりも、それから続く虐めの印象が強すぎるせいか。


「……さっきの話に出てきた、虐めの原因の奴とさ、合宿に行く前にここで再会したんだ」

「…………もしかして、繁華街で偶然会ったときの帰り?」

「ああ。水無月が和那を連れてお手洗いに行ってくれている間さ。……その時、貴音先輩もいて、久しぶりに会って難癖付けられてさ」


 ……あいつとは、小学校で別れた。両親が無理やり、小学校の奴がいない中学校に俺を入学させたから、虐めはそれでなくなった。

 あの時、あいつの周りにいた奴の中に、小学校の同級生は一人としていなかった。あいつは人気者ではあったから、交流が続いているものだと思っていたけど……。


「良く、美月ちゃんが殴り掛からなかったね」

「いや、掴みかかろうとはしたけど、止めた。……あいつのために、先輩に怒って欲しくなかったから」

「……でも、美月ちゃんは一度もそのことを話してくれなかったな」

「先輩は義理堅いから、俺が話されるのを嫌がっているって知って、誰にも話そうとしなかったんだ。……合宿の時にさ、そのことを軽く話したんだ」


 この際だから、話せることは話そうと思った。

 俺がそう言うと、水無月は目を丸くして首を傾げる。


「貴音先輩から何も聞いてこないから、変だなって思ったよ」

「……でも、美月ちゃんらしいよ。美月ちゃんは本当に大切な時は無理やり聞こうとせず、待ってくれて、受け止めてくれるから」

「ああ、その時も先輩は待つって言ってくれた。自分のことを話せない俺に、それはかなり効いてさ――泣きそうになったから、海に逃げた」


 やはり幼馴染だ。水無月は先輩のことを良く理解している。だから先輩が今回、水無月に対して積極的にならないのも、理解しているのかもしれないな。


「……でも、やっぱり頭に来るよ。高校生にもなって、まだ難癖付けようとするなんて」

「でも、あいつはまだマシな方だったよ。あいつは陰口とか、暴力とかは振るわなかったから」

「え、そうなの?」


 ……そう、なんだ。喧嘩っ早いし、いつも顔を合わせる度に文句や暴言を吐いていたけど、一度たりとも暴力は振るわなかった。俺を虐める時はいつも面と向かってしか暴言を吐かず、暴力を振るったとしたら、その周りばかりだ。


 暴力を振るわれる時は常にあいつはいなかったし……原因はあいつだけど、主犯格はあいつじゃなかったってことなのか。

 過去のことを思い出して、ふとそう思い耽った。


「……でも、合宿に行ってよかったよ。色々あったけどさ」

「そうだね……色々、あったね」


 水無月は和那との一件を思い出してか、少しげんなりとした笑みを浮かべているが。

 ――その時、俺たちの乗る電車が到着する。この繁華街の駅は、県下の中では有数の都市区で(それでも他県に比べたら賑わいが少ない)、何本かの路線が出ている。ここからじゃないと虹北高原に行く方法がなかった。

 車で行けばそれほど時間が掛からないのだが、電車だと二倍ほど時間がかかる。


「……この路線って」


 水無月は何かに気付いたのか、そう呟く。この路線は俺たちが普段使っているもので、このままこれに乗れば数十分もすれば家に帰れる電車だ。ここで海老名兄妹はいつも乗り換えをしている。


 ……だけど俺と水無月は、共通の家の方面とは逆の電車に乗る。

 ここからは大して時間は掛からない。だから水無月も気付いているのだろう――俺たちがどこに向かっているのかを。


「……一色くん、もしかして――」

「……水無月、サプライズは至高だ。サプライズをしてこそ意味がある。むしろサプライズ以外の何に意味があるんだ」


 あの人たちの考えそうな言葉をまとめてみた。驚くほどに中身がない。すると……


「…………どこかで聞いたことのある台詞を言うね――分かりました、これ以上は野暮なことは聞きません」


 水無月は呆れたようにそう言った。

 ……たぶん、俺の歓迎会をする前段階の時に、こんなセリフを吐いたんだろうな。


「……頼む」


 俺は苦笑いしながら、そう言った。

 ――電車に運ばれること十数分。俺と水無月は、目的の駅に到着する。日曜日だから、降りる人は極端に少ない。


 目的の場所への道のりを歩く。俺は先行することなく、水無月と肩を並べながら歩いてた。

 しばらくすると、目的の建物が見えてくる。時間は午後の五時前ほどで、俺には分からないものの、夕日が綺麗に見える時間帯だ。

 ……ギリギリだけど、間に合ったか。

 ――目的の場所の前に着き、俺は立ち止まった。


「……先輩たちにはロマンがないだの色々言われたよ。デートでそれはないだろうって」

「そう、だね。デートだったら普通に赤点ものだよ」


 自分でも理解している。だけど、最後の話をするのに、ここほど最適な場所はない。


「……じゃあ行こう」


 俺たちはそうして、入っていく――通い慣れた、虹陸芸術専門高等学校の校門をくぐり、校舎の中へと入っていった。


●○●○

 

 休日の学校というものは、どうにもいつもと違う雰囲気があった。運動部も大会前でなければ原則日曜日に活動はしないから、本当に静寂に包まれている、

 学校は一部の教師が来ているから一応は開いているものの、校舎を歩いていても誰とも会うことはない。そうして水無月と歩いている時、唐突に水無月があることを聞いてきた。

「休日に私服で学校に居ても大丈夫なの?」

 最もな意見だ。休日の学校に私服で居る経験なんて、まず無いに等しい。実際に俺もこんなことは初めてで、場違いである感じは否めない。

 だけど一々家に帰って制服に着替えるのも面倒臭い。


「学校に入るのは問題ないよ。渡邊先生が警備の人に連絡してくれて、許可は貰ってるから」

「……私服は?」

「いいか、水無月。ばれなきゃ規則なんて、ないのも同然なんだ」

「――一色くんが美月ちゃんみたいなこと言ってる!? 駄目だよ、あれは本当に悪影響だから!!」


 止めてやれ、それを聞いたら貴音先輩は三日は寝込む。

 それに俺も本意じゃない。でもそれ以外に言葉が思いつかなかったんだ。

 ――そうして二人校舎を歩いていると、俺は水無月に、思い付いたことを話し掛けた。


「でも、こうやって校舎をゆっくりと歩き回るのも中々ないよな」

「普段何気なく過ごしているからね。私は中等部からだから馴染み深いけど、一色くんは高等部からの転入組だから」


 中等部の校舎は高等部の隣の敷地にあるから、水無月も中学生の時に何度かこっちの校舎に来ていたのだろう。確か美術部が発足してから放課後は良く遊びに来ていたということを聞いたことがある。

 だけど、俺が思い付いたことは、それではなく……


「……こんな風に歩いていたら、俺は文化祭を思い出すよ」

「……文化祭、か。懐かしいなぁ~」


 こうやって色々なところを歩き回っていた。

 校庭は模擬店などが所狭しと並んでいたから寄り付いていない。俺が居たのは、作品を展示している場所ばかりだ。

 そもそも文化祭なのに、どうして模擬店をするのかは疑問を抱くが……そもそも客が来ないと作品も見て貰えないからか。模擬店などのお祭り騒ぎで人を呼び、ついでに見て貰おうというのが魂胆なのかもしれない。


「私は高等部に入ってすぐに美術部に入ったから、部活の宣伝ばかりしてたよ。……って言っても、チラシを配っていたばかりなんだけどね」

「……俺は、見回ってたよ。模擬店の方は興味無かったから、校舎の中ばっかり歩いてた」

「それが文化祭の目的なんだけどね――あ、でも来年は私と一色くんで模擬店をしても良いかも。行列作ってみたいね!」


 それは少し興味深いけど、人数的に厳しくないか?

 ともかく、……どうやら彼女も概ね俺と同意見のようだ。だけど、水無月はしっかりと模擬店に行っている姿が容易に想像できる。

 ……俺と水無月は、特別棟の中に入っていく。


「特別棟……」


 そう呟く声は、聞かなかったことにする。

 一階にある保健室を横切る。一応確認してみたが、扉には鍵がかかっていた。


「流石に咲良先生が居たら驚くけど、やっぱり閉まってるか」

「運動部が居るなら、来てそうだけどね……咲良先生にもしばらく会ってないな」

「すぐに会えるだろ」

「そうだけど……私が咲良先生と会うときは、いつもご迷惑をおかけしてばかりだから」


 少しだけ声のトーンを下げながら、水無月はそう言った。……本当に、すぐにマイナス方向に感情が揺さぶられるな。

 …………人のことは言えないか。


「じゃあ、ちゃんと恩返ししないといけないな」

「……うん。ちゃんと謝って、お礼も言うよ。でも、恩返しって何が良いかな?」

「そうだな……二人の子供が出来た時のために、子供服を買ってあげるとか――下世話過ぎるから無しだな」

「自分で言っておいて否定するんだ」


 水無月は苦笑いを浮かべつつ、でも小声で「でもそれも良いかも」とか言っている。

 ……もし仮に渡されたら、咲良先生は反応に困るんだろうな。

俺たちは保健室を抜けて、その近くの階段の前に来た。

 俺は階段の一段に足を踏み入れた。


「文化祭の時でもここは静かだったぞ。校庭はあれだけ賑わっていたのにな」

「校庭は音楽コースの人たちが盛り上げていたから――美月ちゃんと海老名先輩も、物凄くはっちゃけてたよ」

「だろうな。想像できる」


 あの二人の音楽活動を見たことがない分、興味はある。でも来年の文化祭の頃には二人は卒業しているから……卒業か。

 今は良いけど、来年になれば二人はいない――あぁ、今はそんなことを考える場合じゃないのに、辛いな。たったの一年じゃ、やっぱり物足りないよ。


「……本当にさ、色々な作品が展示していたよ。二年生と三年生の作品展示のところは凄い高クオリティのものがたくさんあった――でも、俺は上手とは思っても、一つとして美しいとは感じなかった」

「それは、色が見えないから」

「そう。色が分からないからだ。他人が評価する絵を、俺は美しいとは思えないんだ」


 それが理由で、随分と思い悩まされてきた。

 割り切ろうと思っていても、周りが自分とは違うと言うから、「あぁ、自分は一人ぼっちなんだ」と諦めてしまっていた。


「過去を話したから知っていると思うけど……俺は、色を知りたいんだ。見たいんじゃなくて、知りたい」

「知りたい?」

「見るのは、その……視覚的なものはどうしても、現代の科学じゃ無理なんだ。だけど色を概念を知り、どういうものか――それが美しいものだって、納得できる理由が欲しかったんだ」


 ……そう、知りたかった。だけどそれはもう、とっくの昔に叶えられている。

 ――そうして俺たちは、部室の前にいた。


「……部室」

「ああ。やっぱりここじゃないといけないって、思ってさ」


 俺は扉の取っ手を掴み、そして開けた。


「――……っ」


 水無月は驚きで言葉を失う。

 俺たちの視線の先にある景色は、普段の部室ではない。しかし決して真新しいものでもなく、記憶に残る景色であった。


「どうしてもここじゃなきゃダメな理由は、ここが全ての始まりだったから。だから最後は、ここで君と話したいって思ってた。先輩たちには無理を言って、頑張ってもらったよ」

「……文化祭の時の」


 ――俺たちの目の前には、文化祭の時の、美術部の部室の光景が広がっていた。

 イーゼルに立て掛けられたキャンバスで、人が二人通れるくらいの道が作られている。黒板にはチョークを使った黒板アートや、美術部歓迎の文字が描かれていた。


 ……間に合って、安心した。かなり急を要するお願いだったのに、遂行してくれた先輩たちには感謝しても仕切れないな。


「……見て回ろうか。せっかく先輩たちが用意してくれたんだし」

「そう、だね」


 手を取り合い、ゆっくりと一枚ずつ鑑賞する。

 あの時も思っていたけど、本当に先輩たちは上手だ。コースは皆、絵画から離れているのに、とても秀逸で絵画コースって言われても可笑しくない出来であると思う。

 もちろん色の把握が出来ないから、俺の視界上での意見だけど。


「ここに来た時、みんな上手いなって思ったよ。部員の数に作品数が比例していなくて、熱心に活動しているんだなって思った」

「……でも、一色くんは」

「……ああ。それでも、感動は薄かった。前はこんなにゆっくり見てはいなかったよ」


 貴音先輩の描いた高クオリティの絵画を見た後、次の絵を見ると――何の悪戯か、俺の絵があった。


「……再現してくださいって言ったのに」

「ま、まぁまぁ。先輩たちなりの、一色くんも仲間だよってメッセージだよ」

「…………なら、良いか」


 一応納得はする。……俺の作品はこれまで白黒だけの墨絵ばかりだ。この作品もその例に漏れず、なんというか……美術部らしい作品とは言い難い。


「でも上手だよね。色が見えなくても、人を感動させられる作品を描ける一色くんは、本当に努力を重ねているんだなって思う」

「……っ。それを水無月が言うのは、なんかズルいな」


 誰よりも頑張っている人にそう言われると、認められた気がして気分が変になる。

 ……絵の道も、半分を超える。視界には出口が見えた。


「なぁ、水無月。俺は、色が知りたかったんだ。他人が……水無月が美しいって思う、そんなありふれた美しさを求めていた」

「……いた?」

「そうだ。俺は求めていて、そして――」


 そうして、俺たちは出口付近に置かれている、二つのキャンバスの前に立った。

 そのキャンバスは二枚とも、布が被さっている。……二枚とも、か。

 これは先輩たちなりのメッセージなのだろう。どちらを先に見るべきか、一瞬考える。……もちろん、答えは手前だった。


「俺は、一枚の絵に出会ったんだ」

「……これって、もしかして」


 水無月は、その布の掛かった絵を見て、心当たりがあるのかそう呟いた。

 ――彼女自身が蓋をした一枚の絵を、俺は無意識に無理やり剥がした。

 ……興味本意だった。あの時、どうして展示をしているのに、この絵には布が被せられているのだろうと疑問に思った。そして悪いと思いながらも布を引き剥がして、衝撃を受けたのだ。


「この絵を最初に見た時、目を疑ったよ」


 布を剥がし、その絵を見る。

 そこにあるのは、懐かしい。とても懐かしい――美しい一枚の絵だった。布を取り払った瞬間、俺の目には……色が飛び込んできた。

 こうして見るのは二度目だ。二度目に見たこの絵は、相変わらず綺麗で、温もりに溢れた一枚だ。


「――だって、この絵からは美しさを感じたんだから」

「――」


 俺は水無月の方を見ずに、そう呟いた。

 ……その絵は、水無月の描いた絵だ。文化祭のあの日、布が掛かっていた、湖畔の近くで寄り添う親子鳥の絵。


 ――水無月を家から追い出した本当の理由は、この絵を探すことにあった。

 これがなければ何も始まらない。俺にとっての変化の始まりは、これだから。


「ごめんな、勝手に持ち出して――でも、水無月にはちゃんと言いたかったんだ」


 俺がどうして、水無月をこんなにも助けたいと思っているのか。

 彼女に伝えたかった。ずっと言えなかったことを。ずっと言いたかったことを。


「初めてこの絵を見た時、この絵には、美しい色があるって、そう思ったんだ」


 目に見えていたわけではない。視覚情報に新しい情報はなく、あるのは一枚の絵だけ。

 ――でも、俺の心は、この作品に囚われた。なんて美しい世界なんだろうと。心を打たれ、そして、


「俺はその時さ。大げさなんかじゃなく本当に――本当に、君に救われたんだ」

「すく、……った?」


 水無月は目を丸く見開き、顔を真っ赤にしてそう言葉を紡いだ。

 なんとか縫い合わせたその言葉と、そして彼女の表情にはどんな意味があるかは分からない。だけど、俺の口はそのことは置いて、勝手に動いた。


「そうだ。あの時、君が俺に色を教えてくれたんだ。この絵はとても綺麗で、なんていうか――すごく、気持ちが篭っていた。何を伝えたいかは分からなかったけど、でも……美しい世界だって、思ったんだ」


 俺は身体を水無月の方に向けた。彼女は未だに自分の絵を見つめ、そして下を向く。


「……俺は、君のことを知りたくなった」


 言いたいことは、まだある。感謝の言葉は言っていてはキリがない。きっとそれをすれば永遠に話しは進まない。


「これを描いた人は、どんな思いで、どんな表情で描いていたんだろうとか。きっと楽しんで描いていたに違いないとか。……一瞬の時間で、次々と知りたいことが生まれたんだ」


 それで彼女の名前を知った。……感謝に、今は言葉はいらない。行動で示さないと、水無月のためにならない。


「水無月虹の描く作品を知りたかった。でも君のいた美術部に、足を踏み入れる勇気が持てなかった」


 俺一人で考えていたら、きっと踏み出さなかった。それでも俺は、踏み出すことが出来たんだ。

 その一歩さえも、背中を押してくれたのは水無月だった。


「そんな時に、俺は君に出会ったんだ。水無月は初対面から親しげに、俺に話し掛けてくれた。それが恥ずかしくてさ。誰かに親しげに話されるのは慣れてなくて、ここを去ろうとした時、君は――」


 全ては、あの時の意味不明な台詞から始まった。

 初対面に言うには、謎が多い台詞。だけどあの台詞は俺の中で不思議と溶けていき、そしてとても考えさせられたフレーズだった。

 その台詞は、確か――


「――あなたのいろは、何色ですか。君は俺に、そう問い掛けた。あの時は、俺の色ってなんだって思った。……答えは出なかった。だけど、君との会話で、俺は足を踏み込む勇気が持てた」


 ……あぁ、何を言っているのか、頭でも分からなくなる。俺の口は勝手に開き、思ったことを、感じたことを全て話してしまう。


「――俺は救われたんだ。君に、水無月に救われた。君が見せてくれた色は、一人ぼっちの世界を壊してくれた」

「――っ」


 水無月は顔を上げた。身体が震えている。

 それでも俺は言葉を続ける。決して言葉を止めるわけにはいかない。


「この世界で自分は誰とも分かり合えない。孤独は永遠に付き纏う――君がくれたきっかけで、俺はそれを間違いだって、そんなことはあるはずがないって気付いたんだ!」


 ついに声が抑えられなくなった。声音が強くなって、感情がむき出しになる。


「俺は水無月に救われた。救われたんだから、俺は水無月を救わないといけない……違うな――俺は水無月を救いたいんだ!!」


 心の底から、本音という心根を吐き出す。

 伝わっているかは分からない。でも伝わっていることを信じて、水無月を想って話すんだ。


「他の誰でもない水無月を助けたい! ――君にまた、笑顔で楽しく、一緒に絵が描きたい……っ!!」

「…………一色、くん」


 水無月の、俺の名を呼ぶ声が耳に澄み渡る。

 ……水無月は顔を上げて、俺を見ていた。その表情を見て、俺の言葉が少し途切れる。


「…………みな、づき?」


 そして、呆然と彼女の名前を呟いた。

 水無月は、泣いていた。顔を真っ赤にして、鼻先まで真っ赤で……涙を流していた。ポタポタと滴が床に落ちていく。

 でもその顔はとてもじゃないけど不安に満ち溢れているものには見えない。

 それを象徴するかのように、水無月は、


「――違うよ……っ」


 ――笑っていた。だけどその言葉は俺の言うことを否定するものだ。

 ……何が違うんだ。俺の言ったことに、嘘偽りはない。ふざけるな、俺は自分の本音を君に――そう思った時、彼女は加えて口を開く。


「違うの、一色くん……っ。君だけが、救われたんじゃ、ないの……っ」

「何を、言って」


 何を言っているのか、本当に分からない――救われたのが、君だけじゃない?

 だったら誰が……なんて、そんなことを考える必要もない。だって今、この場に居るのは俺と、そして水無月しか居ないのだから。


「水無月は、どうして笑って……」


 ……分からない。どうして水無月はそう言って、嬉しそうに泣いているのだろう。泣きながら、笑顔を浮かべているんだろう。


「あの時、救われたのは、私も同じなの」


 あの時…………それは、


「知ってたよ。君が、一色くんが私の作品に感動をしてくれてたこと。期待してくれていたこと」


 水無月は、そう真実を告げる。


「あぁ、もう……どうして君は、こんなに私を助けてくれるんだろ……っ。いつも、君の言葉は、思いは心に響くよ……っ」

「水無月……ごめん、頭が、回らないんだ。君が何を言っているのか、全然理解できない。俺は、君に救われてばかりだから、だから今こうして」

「……違うよ。一色くんは確かに私を救ってくれた。無意識かもしれない。ううん、たぶん無意識だと思う。一色くんが知らないのも当たり前――でも私は、ずっと覚えてた」


 そう言って、水無月は俺の手を離し、一歩離れた。そして両手を後ろにして――初めて会った時と同じ状況を作り出した。

 あの時も俺は涙を流しながら絵の前にいた。そんなところに水無月が話し掛けてくれた。

 そしてその時の彼女の表情は――今と同じで、瞳に涙を溜めながら、嬉しそうな笑顔を浮かべて……


「私が欲しかったものも、本当はもう近くにあった」

 そう、水無月は話す。そして、

「それをくれたのは――――一色くんなんだよ?」


 ――お、れ?

 ……駄目だ、考えても分からない。だから俺は、考えることを止めた。

 水無月は俺が何も言わないことを確認すると……自分のことを、話し始める。

 懐かしむように、思い出しながら彼女は俺に話し掛ける。それを俺は……静かに、聞き続けた。

次回から水無月の話が始まります。

本編中、基本的に一色目線で物語が動いていましたが、その裏で彼女がどんな風に思い、どんな風な感情であったのか。その辺をご期待くださいませ!


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