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『嵌められた元王太子は、古の塔で自由に生きる 〜2000年前の魔導具師が遺した不思議な遺産〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第178話 移されたのは紙か、記録の置き場所か


 朝の光が石壁を伝って机の端まで届いたとき、俺は昨夜しまったはずの比較表が、まだ気になっていることに気づいた。窓の向こうでは葉を落とした枝がゆっくり揺れ、森の奥にある斜面が以前より広く見えている。秋が深まるにつれて景色は少しずつ姿を変えているのに、塔の中の時間だけは穏やかに流れているようだった。


 昨日、セリーと新しく作った調査用の表には、確かめた場所だけでなく、確かめても見つからなかった範囲まで書けるようにした。そこに最初の調査対象として残したのが、古い保管案内にある『保管場所の変更を記録する項目』だった。三〇八号室の少年の願いを記した紙が、その記録に載っていると分かったわけではない。ただ、資料の分類だけを追いかけても元の記載の所在は分からないのなら、次に調べる方法として筋が通っていると思えた。


(今日は場所の記録を確かめる。でも、場所が変わったという言葉にも、いくつか意味があるかもしれない。紙そのものを運んだのか、探す人のために目録を書き直したのか、その違いは最初に確認しておこう)


 そう考えながら上着を手に取ったところで、扉の向こうから控えめな足音が聞こえた。セリーは朝の挨拶をしてから、昨夜、共有の机へ置いていた赤い落ち葉をもう一度眺めたいと話してくれた。乾いた葉を小皿に載せておいたが、形を保てているかどうかは、今朝まだ確かめていないのだという。


「おはよう、セリー。葉は朝食のあとで一緒に見ようか。俺も昨日の調査表が気になってたんだけど、今日はまずセリーのやりたいことを聞いてから、順番を決めたいと思ってる」


「おはようございます、主様。ありがとうございます。私は葉の絵を少し描き足したい気持ちもございますが、昨日見つけた保管場所の記録についても、できれば一緒に確かめたいです。ただ、資料を調べるのは時間がかかりそうですので、最初にどこまで進めるか相談したいと思っております」


 彼女は布袋の口を指先で整え、少し照れたように笑った。昨日までのセリーは、気になることが見つかれば、すぐに確かめたいという気持ちを強くしていた。今朝の彼女は、やりたいことを二つ挙げたうえで、どちらにも時間を使えるよう考えている。予定を全部決めてしまうより、途中で疲れたらやめられるようにしたいという言葉も自然に出てきた。


「いいね。俺もその方が落ち着いて調べられると思う。今日は変更記録の項目が何を意味するかを確かめるところまでにして、三〇八号室の資料を新しく探し回るのは、そこから必要だと分かってからにしよう」


「はい。私も、見つけたいという気持ちだけで保管棚を次々に開かないようにしたいです。それでは、朝食をいただいてから、葉の様子を見に行ってもよろしいでしょうか」


 俺たちは頷き合い、食堂へ向かった。廊下の窓からは乾いた石畳の一部が見え、遠くで鳥が鳴く声がした。塔の外へ出なくても、毎日少しずつ変わる景色がある。セリーが落ち葉を大切そうに持ち帰った理由も、今なら少し分かる気がした。


 朝食には温かな煮込みと、セリーが昨日とは少し焼き方を変えたパンが並んでいた。彼女はパンの表面を指で確かめながら、今朝は焼く時間を長くせず、成形するときの厚さだけを揃えてみたのだと教えてくれる。俺は一つを割り、湯気と一緒に広がった香りを確かめてから口へ運んだ。


「食べやすいね。昨日は表面が少し硬いって話してたけど、今日は中まで同じくらいの柔らかさに感じる。俺はこっちも好きだな」


「ありがとうございます。私も今日は食べやすいと思いました。ただ、昨日とは大きさも少し違いますので、厚さだけを変えた結果だとは言い切れませんね。次は、ほかのところをなるべく同じにして確かめてみたいです」


 思わず笑ってしまうと、セリーもつられて頬を緩めた。料理の感想まで資料調査のように扱う必要はないが、何か一つを変えても結果にはほかのことが影響するというのは、どちらにも通じる話かもしれない。俺たちは難しい説明を続ける代わりに、今朝のパンが美味しいという感想を分け合い、ゆっくり食事を終えた。


 食後、共有の机へ向かうと、小皿の上の落ち葉は昨日よりわずかに反っていた。赤い部分はまだ残っているが、茶色の縁は乾いた紙のように薄く見える。セリーは触れる前に姿を眺め、昨日の絵と見比べたあと、指先でつまめば折れてしまうかもしれないので、今日は皿に置いたまま描きたいと話した。


「主様。拾ったときにはもう少し平らだったのですが、今朝は端が少し持ち上がっております。私は、その変化も綺麗だと思いました。でも、描くために無理に伸ばすことはしたくありません」


「うん、そのまま描こう。葉が変わっていくのを見たくて持ち帰ったんだもんね。昨日と同じ形に戻すために力をかけたら、セリーが見たかったものと違ってしまうかもしれない」


 セリーは小さく頷き、窓からの光が皿へ当たる場所を選んだ。俺は隣の席で今日使う調査表の見出しだけを確認し、彼女が描き終わるまで新しい資料を広げないことにする。筆記具が紙を滑る音は穏やかで、時折、セリーが葉と絵を見比べるたびに静かな間が生まれた。


 描き終えると、彼女は皿を倒れない場所へ戻し、自分の絵を俺に見せた。昨日の絵より葉の縁が持ち上がって見えるよう線が添えられ、赤と茶色が入り交じる部分には細かな陰影が増えている。俺が変化の描き方を褒めると、セリーは嬉しそうに笑ったが、実物とまったく同じ色にはならなかったと、自分の感想も添えてくれた。


「私、この絵を見れば今朝の葉を思い出せると思います。実物と同じではございませんけれど、私が何を見て綺麗だと思ったのかは、残しておきたいのです」


「それがいいね。昨日の葉を記録した絵も、今朝の絵も、それぞれのときにセリーが見たものなんだから。どっちかを正しい形に直す必要はないと思うよ」


 彼女は紙を自分の布袋へしまい、机の前に座り直した。そこで俺たちは、昨日作った四つの欄を持つ表を広げる。探したいもの、参照した目録や場所、確認できたこと、確認できなかったこと。小さな印で現在の俺たちの判断と古代資料の記号を区別した紙は、今朝見ても読みやすかった。


「セリー、今日はこの表へ、保管場所の変更記録について調べた範囲を加えていこう。三〇八号室の元記録が見つかるかどうかを最初の目標にすると、ほかのものまで探してしまいそうだからね」


「はい。では、最初の欄には『保管場所の変更記録が何を示すか』と書きたいです。少年の記録が移されたかどうかは、まだ調べられると分かっておりませんので、別の問いとして残しておきます」


 その答えに頷き、俺はエルへ参照できる保管案内を示してもらうよう頼んだ。エルは古い分類一覧と、そこに含まれている場所の変更に関する項目を確認できると答える。ただし、記載に欠けているところがある場合、古代の記録の意味を推測だけで補うことはできないと、先に断ってくれた。


『主様。参照可能な保管案内には、保管位置に関する変更履歴を扱う項目がございます。記録の対象は複数の形式に分かれている可能性があるため、まず項目名と記載欄の対応を確認することを推奨いたします』


「分かった。実際に移動したって記録と、目録上の場所が変わったって記録を混ぜないようにしたい。今ある案内の見出しだけなら、古い個人の記録まで開かずに確かめられるかな」


『見出しと欄の構成については参照可能です。ただし、個別の資料がどの変更履歴に該当するかを判定するには、その資料に関係する識別情報の照合が必要です』


 俺たちはまず見出しだけを紙へ写した。そこには、保管対象を識別する欄のほか、変更前と変更後の位置を記す欄があった。ただし、別の箇所には、閲覧するときに参照する先を変更したことを記録する項目も並んでいる。どちらも探す場所に関係しているように見えるが、扱っているものは同じではなさそうだった。


「主様。こちらは保管してあるものの位置を示すのでしょうか。でも、その隣にある方は、閲覧するときの参照先を変えたことを示しているように読めます。私は最初、どちらも資料を移した記録なのだと思っておりました」


「俺もだよ。もし紙を動かさず、目録だけ新しい棚を指すようにしたなら、資料そのものが移動したとは限らない。逆に、紙を別の場所へ運んだことが記録されても、閲覧用の目録がすぐ書き換えられたかどうかは別だろうしね」


 俺は表に新しい見出しを二つ並べる前に、エルへ語の使い分けを尋ねた。目の前にある分類は二千年前の施設で用いられたもので、現代の俺たちが知っている書庫の扱い方をそのまま当てはめるわけにはいかない。見た目が似ていても、昔の管理上は違う意味だった可能性がある。


『主様。現在参照できる欄構成では、資料または保管単位の位置の変更を扱う項目と、閲覧のための案内先を変更する項目が区別されています。ただし、各記録がどのような手続を経て作成されたか、また両方を常に併記したかどうかは、この案内のみでは確認できません』


「じゃあ、区別があることまでは言えそうだね。でも、どちらかの欄があるから必ず現物も移った、とは言えない。今日はそれだけ分けて残しておこうか」


「はい。主様、もう一つよろしいでしょうか。もしも案内先だけが変わったのでしたら、前の目録にあった場所を探しても、今は別の場所へ案内されることがあるのでしょうね。そう考えると、探した場所を記録するときに、どの案内を使ったのかまで書く必要があると思います」


 セリーは自分の表へ目を落とし、四つの欄を指でなぞった。昨日は参照した目録の名前だけを残すつもりだったが、同じ資料でも古い案内と新しい案内で示す場所が変わるなら、どちらを使ったかが重要になる。俺は彼女の意図を確かめ、参照した案内の種類と、その案内の成立時期が分かる場合は別に記録する欄を加えようと提案した。


「よかったら、欄を増やす前に少し試してみよう。今の表が複雑になりすぎたら使いにくいかもしれないし、別紙に参照元だけまとめる方法もある。どっちが扱いやすそうかな」


 セリーは考え込んだあと、表の幅をこれ以上広げるより、参照した資料の番号を別の小さな一覧へまとめたいと答えた。作業机の上に紙を並べ、彼女は見出しだけを書いた試しの用紙を作る。俺も一度使ってみると、本文の記録と参照元の情報を取り違えずに済みそうだった。


 もっとも、分類の語が二つ見つかったからといって、その情報を三〇八号室の記録へ結びつけることはできない。傷んだ紙の下端は折り目の内側が読めず、そこに見える表記と今の変更履歴の間に、直接の対応を示すものは見つかっていなかった。俺はその点を声に出して確認し、セリーも同意して紙へ書き加える。


「主様。私は、何かの場所が変わったと聞くと、少年の元の記録もどこかへ移されたのではないかと思ってしまいます。ですが、今分かったのはそういう記録の種類があることだけで、少年の資料が対象だったという情報ではございませんね」


「うん。気になるのは俺も同じだけど、まだそこはつなげられない。今の案内に三〇八号室のことが出てきたわけでもないし、資料の存在まで決まったわけじゃないからね」


 セリーは少し残念そうに微笑んだあと、筆記具を握り直した。彼女は調査が進まないと落ち込むより、何を分けて書けばよいか考えるようになっている。俺はその姿を見ながら、自分も彼女に負けず、目の前の手掛かりへ丁寧に向き合わなければと思った。


 午前の終わりが近づいた頃、俺たちは案内の中に残る簡単な例示を確認した。そこには、保管単位の場所が変更された場合に使う欄の順番が示されている。しかし、個別の資料がどの棚にあったかを全件載せた一覧ではなく、移動が起こったときに何を記録するかを説明するためのものだった。例示の符号も三〇八号室と結びつくものではなく、俺たちは内容の読み取りを必要な範囲にとどめた。


「これを見ると、変更前の位置だけじゃなく、変更後の位置を確かめる欄もあるね。でも、実際の変更記録が全部残ってるかどうかは別なんだな。使い方の説明と、実際に誰かが書いた履歴を混同しないようにしよう」


「はい。それに、例に書いてあるものが現実に移された資料だとは限らないのでしょうね。私、最初はそこに番号があるだけで、何かの手掛かりだと思ってしまいそうでした」


 俺は頷き、例示であることを大きく注記した。古い番号が現れると、これまで見た資料のどれかと結びつけたくなるが、説明のために置かれた数字なら、実際の保管場所を示しているとは限らない。今はその違いを確かめられただけで、十分に意味のある時間だった。


 そこでセリーが筆記具を置き、少し肩を動かした。俺も目録へ視線を落としたまま長い時間を過ごしていたことに気づき、ひと息つくことを提案する。資料を傷めないよう保管したあと、作業表だけを机へ残し、二人で厨房へ向かった。


 昼食の準備では、セリーが野菜を洗い、俺が切り分けを手伝うことにした。窓から入る光は朝より暖かく、鍋の表面に薄い湯気が上がり始めると、厨房の中に穏やかな香りが広がる。さっきまで細かな記号を追っていた目には、野菜の色や器の形が妙に鮮やかに映った。


「主様。私は、今日あの変更記録を見られたら、少年の元の記録がどこへ行ったのか、少しは分かるかもしれないと思っておりました。ですが、まだ対象の資料にたどり着いておりません。残念だと思う気持ちもございますけれど、それでも今日は調べてよかったと思います」


「俺も残念だよ。何か直接の手掛かりがあれば嬉しかった。でも、場所の変更と案内先の変更が別々に扱われてるなら、これから古い目録を読むときに取り違えずに済む。それは今日初めて確かめられたことだしね」


 セリーは鍋の中を見ながら頷いた。俺たちは食事を運ぶ順番を相談し、卓上が混み合わないよう器を分けて置いた。以前、塔の入口近くで昼食を取ったときには、包みをどこへ置くかだけでも考えなければならなかった。今は使い慣れた食卓があるからこそ、料理を温かいうちに味わえる。


 食べ始めると、セリーは今日の野菜の切り方が少し不揃いだったことを気にした。俺が自分の切ったものも混じっていると話すと、彼女は慌てて謝るのではなく、形が違うと食感も変わるのですね、と穏やかに笑った。二人で作る食事は、どちらか一方の出来栄えだけで決まるものではない。俺たちはその違いを楽しみながら昼食を終えた。


 少し休んでから作業部屋へ戻ると、セリーは朝描いた葉の絵を取り出していた。今朝は皿の上で少し反っていた葉が、午後にはさらに端を持ち上げているように見える。彼女は触らずに比べるため、小皿を動かさず、窓の光が変わったことも一緒に記録することにした。


「主様。葉は今も少しずつ変わっているようです。私は、今日はもう一度描いてみたい気持ちもございますが、調査の紙も整理したいので、絵の続きは夕方にいたします。それでよろしいでしょうか」


「もちろん。俺にも、どっちを先にしたらいいか決める理由はないからね。セリーがそうしたいなら、今は調査表を片づけよう。葉は無理に触らず、あとでまた見ればいい」


 机へ並んで座ると、俺たちは午前中に確認したことを読み返した。保管単位の位置の変更と、閲覧のための案内先の変更が区別されていること。変更履歴の例示は実際の移動を示す証拠ではないこと。そして、そのどちらにも三〇八号室の少年の資料を直接結びつける情報は得られていないこと。セリーの提案で、確認済みと未確認の印をそれぞれの行へ付け、古代の記号とは別の欄に説明を残した。


 俺は資料の出どころを整理する別紙へ目を向けた。昨日までは、どの目録を使ったのかを記録するだけだった。しかし今日の調査で、同じ場所を示す情報にも成立時期や用途の異なる案内があり得ると分かった。そこで、資料を探した経路を矢印で結ぶのではなく、どの案内を見た結果なのかを一行ずつ書くことにした。


「この方が、あとから読み返したときに分かりやすいかな。矢印で結ぶと、何かの関係が確定したように見えてしまうかもしれない。今は『この案内を参照した』って事実だけを残しておこう」


「はい。私はその書き方が好きです。関係があると確かめられたときには、そのときに改めて書き加えればよいのですね。今は違う資料を見たという事実だけを大切にいたします」


 セリーは新しい一覧の端へ小さな印を添え、書いた日付を記した。俺は横で控えを作り、今後もし変更履歴を実際に参照するとしたら、個別の資料の内容を無理に読む前に、どの範囲が対象になっているか確かめようと提案した。ほかの人々の生活や病状が残るかもしれない資料を、少年の記録を探すためだけに片端から開いていくことは避けたい。


『主様。移動履歴の記載が存在するとしても、移動対象の範囲をどの単位で記録していたかは確認が必要です。棚や保管区画単位の変更であれば、個別の資料名を列挙していない場合も考えられます』


 エルの補足を聞いて、俺は少し考え込んだ。実際に移された資料の名前がすべて書かれているとは限らないのなら、場所の変更記録を調べても、原記録の所在が直接分かるとは限らない。だが、その限界を知ってから探す方が、今の俺たちには合っている。


「ありがとう、エル。次に調べるときは、どんな単位の変更を扱ってるか先に見よう。部屋番号や資料名が並んでないからって、そこに関係するものがなかったと決めつけないようにしたい」


「はい。私もそうしたいです。今日の調査で、見つからなかったことを記録する意味が、前よりよく分かった気がいたします。調べた範囲が限られているなら、結果についてもその範囲だけを記せばよいのですね」


 彼女はそう言って、表の空欄を指でなぞった。以前なら空欄を残すことに不安を覚えたかもしれないが、今の彼女はそこを埋めるために資料を無理に開こうとはしない。自分で判断し、必要なら止めることができるようになった姿を見て、俺は彼女に任せられることが確かに増えているのだと感じた。


 整理を終えたあと、セリーは窓辺の葉をもう一度見に行った。俺も一緒に立ち、夕方へ近づく光の中で小皿を眺める。赤い葉の端は反ったままで、朝より色が濃く見えるところもあったが、光の条件が違うため実際に色が変わったとは判断できなかった。


「主様。私はこの葉を持ち帰ってから、同じものを何度も見ております。でも、同じ形のまま残したいというより、今どんな姿なのか知るのが楽しいのだと分かりました。もう少し眺めたら、庭へ戻してもよいと思っております」


「うん。それはセリーが決めていいことだよ。今日みたいに絵を残しておけば、葉を手放しても思い出せるだろうし。もしまだ見ていたいなら、明日まで置いておいてもいい」


 セリーは少し迷ってから、今夜はまだ皿に置いておきたいと答えた。俺は頷き、彼女が自分で決めたことをそのまま受け止める。そうした何気ない選択の積み重ねが、二人の暮らしを少しずつ作っているのだろう。


 夕食の準備を始める頃には、窓の外の森が薄暗くなっていた。セリーは鍋の火加減を見ながら、今日見つけた変更記録の区別について、まだ少し気になるところがあると話してくれた。保管場所が変わったとしても、そこに残されたものを探す人に知らせるための記録がなければ、元の場所を知っている人は困るのではないかという。


「主様。私は、資料を移すことだけでなく、移したあとに誰がそれを探すのかも考えてみたいです。でも、昔の方々がどのような方法で知らせていたのかは、まだ分かりませんね」


「そうだね。今日見つけた案内先の変更がそのためのものだった可能性はあるけど、実際にどう使われたかは確認できてない。いつか説明が見つかったら、そのとき考えよう。今は『何のためにあるか不明』って残しておけばいいよ」


 彼女は頷き、鍋から立ち上る湯気を見つめた。俺はその横で器を並べながら、少年の願いが記録に残されてから、どれほど多くの人の手を経て今に至ったのだろうと考えた。しかし、それは想像であって、記録された経緯を知っているわけではない。今夜の食事にその想像を持ち込んで答えを急ぐより、二人で温かな料理を味わうことを選びたいと思った。


 食卓へ着くと、セリーは自分の分をよそい、今日の野菜は少し柔らかく煮えたようだと話してくれた。俺も同じように感じたので、次に作るときは切り方を変えてみても面白いかもしれないと答える。彼女は嬉しそうに笑い、今日の味が気に入っていることも忘れずに伝えてくれた。


 片づけを終えたあとは、窓辺で穏やかな時間を過ごした。塔の外には夜の冷気が降り、遠くの枝が小さく揺れている。セリーは今日の調査が終わったことに少しほっとしているようで、手を差し出す前に俺の顔を見上げ、まだ考えごとをしているかと尋ねた。


「少しだけね。でも、もう今日は調べないよ。保管場所の変更と案内先の変更が別々に記録される可能性があるって分かった。それだけで、次に確かめる順番が少し見えた気がするから」


「はい。私も、昨日より調べ方が分かってきたように思います。それから、主様。私は自分の考えを途中でもお話しできることが嬉しいです。全部確かめてからでなければ相談してはいけないと思わずに済みますので」


 俺は彼女の差し出した手を取り、静かに握った。言葉を先に整えなくても話してよいというのは、俺にとっても大切なことだった。王宮では曖昧な考えを口にすると、それがすぐに命令や約束として受け取られることもあった。今はセリーと一緒に、分からないまま話し、あとから考え直すことができる。


「俺も助かってるよ。セリーが途中で気づいたことを教えてくれたから、今日みたいに調べ方を変えられた。俺一人なら、移動の記録を見つけたってだけで、すぐ資料の名前を探し始めてたかもしれないな」


「主様が私の言葉を聞いてくださるから、私も考えたことをお伝えしやすいのでございます。ですが、今日の区別を見つけたのは主様も一緒です。私、どちらか一人が全部考えたことにしなくてもよいと思っております」


 彼女の言葉に、俺は笑みを浮かべた。二人で作った表には、どちらが最初に何を言い出したかまで書いていない。必要ならその経緯を記録することもあるだろうが、今は一緒に考えた結果として残しておければ十分だった。


 夜が深まり、休む時間になると、セリーは机に置いた葉の小皿を最後にもう一度見てから、自分の部屋へ戻ることにした。明日の朝、葉の形がどのように変わっているかを見てから、庭へ戻すか考えたいという。俺はその希望を聞き、倒れない位置に皿があることを一緒に確かめた。


 自室へ戻った俺は、今日作った参照元の一覧へ目を向けた。保管場所の変更を記録する欄と、閲覧の案内先の変更を記録する欄。似た言葉の間には、今まで考えていなかった違いがある。けれど、三〇八号室の少年が何をどう伝えたのか、元の記録がどこにあるのか、今の状態がどうなっているのかは、まだ何一つ確定していない。


(今日分かったことを、あの子の資料が移された証拠みたいに扱わないようにしよう。今は記録を探す道の作り方を学んでいるところなんだ。そう考えれば、何も見つからなかったことを急いで埋める必要はない)


 灯りを落とすと、窓の向こうで秋の枝が揺れた。塔の中にはまだ古い謎が数多く残されているが、明日すべてを調べる必要はない。セリーと一緒に、知らないことを知らないまま話し、確かめられる範囲を選んで進む。その暮らしの中でなら、古い誰かの言葉にも、少しずつ丁寧に向き合っていけるだろう。


 俺は寝台へ身を横たえ、朝の窓辺で葉を描いていたセリーの姿を思い返した。彼女の絵が昨日の葉そのものではなく、今朝見た葉の姿を残しているように、俺たちの記録も、今の自分たちが知っている範囲だけを正しく残していけばいい。そう思いながら、静かな夜の中でゆっくりと目を閉じた。


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