↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『嵌められた元王太子は、古の塔で自由に生きる 〜2000年前の魔導具師が遺した不思議な遺産〜』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/145

第17話 元王太子、謝罪より先に塔へ入る理由を問う

転移扉を越えた瞬間、古の塔を満たす空気が、普段とは明らかに違っていることに気づいた。


 石造りの廊下へ並ぶ魔導灯は、いつもより一段強い光を放っている。壁の奥からは一定ではない低い振動が伝わり、遠くでは巨大な歯車が噛み合うような重い音まで聞こえていた。


 収蔵室の封印。


 階段経路の切り替え。


 外壁へ埋め込まれた防衛魔導具の起動。


 二千年もの間、ほとんど使われることのなかった機構が、外から近づく複数の人間を捉え、塔全体が長い眠りから目を覚ましたように動き始めている。


「エル。外周結界の状況を」


『北東方向から三名。南東方向から十六名が接近中です』


「距離は?」


『三名は外周結界まで約一・六キロメートル。十六名は約二・四キロメートルです』


 三人の方が先に到達する。


 だが、人数が少ないというだけで安全だと判断することはできない。三人で十六人分以上の危険を持つ者だっているし、逆に十六人全員が命令されたまま動いているだけという可能性もある。


「三人の移動速度は?」


『先ほどまで使用していた馬車を森の外へ残し、現在は徒歩へ移行しています。先頭の一名が複数回、探査系統と思われる魔術を使用しています』


「王宮魔導研究所系統の反応があった者か?」


『一致します』


 塔へ戻る直前に聞いた情報と繋がる。


 研究者。


 上位貴族か王族近衛級の装備を持つ二名。


 そして、迷いなく古の塔へ近づいている三人。


「十六名の方は?」


『騎乗者十二名、徒歩四名。隊列を維持したまま接近しています。装備形状および魔力署名から、王都近衛騎士団の一部である可能性が高いです』


「近衛騎士団……」


 国王直属。


 地方の守備兵や、俺を古の塔まで連れてきた監視役とは違う。


 父上が俺の生死を確かめるために送ったのか。


 それとも、この塔に残された古代魔導具を王家の所有物として回収するためなのか。


 考えようとしたところで、隣にいたセリーが俺の顔を覗き込んだ。


「主様」


「何だ?」


「大丈夫ですか?」


「ああ」


「今、少しだけ昔の王太子殿下の顔へ戻っています」


 思わず彼女を見る。


「どんな顔だ」


「何も感じていないように見せる顔です」


 図星だった。


 王宮では、幼い頃から感情をそのまま表へ出さないよう教えられた。


 嬉しい時にも笑いすぎるな。


 怒っても声を荒らげるな。


 悲しい時ほど姿勢を崩すな。


 誰かを嫌っても顔へ出すな。


 誰に対しても公平に見え、何を考えているか簡単に読ませない。それが王太子として必要な態度だと、何度も言われた。


 そうして作った顔が、今も身体へ残っている。


「今は必要だ」


「私にまで隠す必要はありません」


「隠しているつもりはない」


「怖いですか?」


 すぐには答えられなかった。


 けれど、以前のように大丈夫だとだけ言う気にもならない。


「ああ」


 認めると、セリーの表情が少しだけ柔らかくなった。


「誰が来ているか分からないから?」


「それもある」


「王国軍が怖い?」


「ああ」


「三人の方々が?」


 俺は答えず、廊下の先へ視線を向けた。


 まだ誰なのか確定していない。


 それなのに、胸の奥ではすでにいくつかの顔が浮かび始めていた。


 王宮魔導研究所。


 上位貴族級の装備。


 俺の失踪後、わざわざ古の塔まで来る可能性がある者たち。


「知っている方々かもしれないと思っているのですね」


「可能性はある」


「会いたくありませんか?」


「……分からない」


 塔へ送られたばかりの頃なら、会いたかったのかもしれない。


 誰か一人くらいは探しに来る。


 ブラットなら。


 アンナマリーなら。


 王宮にいた誰かなら。


 そう思っていた時期が確かにあった。


 けれど、誰も来なかった。


 一日が過ぎ。


 数日が過ぎ。


 俺はセリーと出会い、塔の部屋を開き、自分で食事をし、町へ出た。待つことをやめ、ここで生きることを少しずつ選び始めた。


 今になって過去から誰かが来ても、何を感じればいいのか分からない。


「主様」


「何だ?」


「会う前から、嫌いだと決めなくてもいいと思います」


「決めていない」


「好きだった頃へ戻らなければならない、とも思わなくていいです」


「それも思っていない」


「でしたら、話だけ聞けます」


 言葉だけなら簡単だ。


 だが、不思議とセリーに言われると、絡まっていたものが少しだけ解ける。


「外周から塔へ入れる前に、対話できる場所はあるか?」


『第一迎撃庭園を使用できます』


「名前が物騒だな」


『古代王族が敵対勢力との交渉および撃退を行うために使用した区画です』


「庭園で?」


『美観と殺傷効率を両立しています』


「後半はいらない」


 隣でセリーが僅かに身を引いた。


「どんな場所なのですか?」


『外周結界と塔本体の中間へ存在する円形庭園です。侵入者の魔力制限、武装封印、移動遮断、迎撃が可能です』


「殺傷機構は停止できるか?」


『すでに停止しています』


「いつ設定した?」


『塔へ到着した初日、主様が「勝手に人を殺す塔には住みたくない」と発言した際、恒常設定へ反映しました』


 覚えていた。


 塔の防衛能力を聞かされた直後、最初に嫌だと思ったことだ。


「第一迎撃庭園を開く。ただし、入れるのは三人だけだ」


「十六名の王国軍は?」


「外周で止める」


『強行突破を試みた場合は?』


「非殺傷。馬を転倒させるな。騎乗中に方向感覚を狂わせる場合も、急停止や衝突が起きないようにしろ」


『蔦型拘束、低強度空間誘導、帰路錯誤を優先します』


「それでいい」


 セリーが少し考えたあと、尋ねる。


「三人の方々が、王国軍と協力している可能性は?」


「ああ」


「ありますよね」


「だから、それを聞く」


「主様も迎撃庭園へ行きますか?」


「ああ」


「私も行きます」


「塔の中にいてもいいぞ」


「行きます」


 柔らかな声なのに、退く気配がまったくない。


「危険かもしれない」


「主様一人で過去の方々と会う方が心配です」


「相手は三人だ」


「人数の問題ではありません」


 俺が自分を責め始めること。


 過去の言葉だけで揺さぶられること。


 逆に怒りをぶつけること。


 そういうものを心配しているのだろう。


「分かった。一緒に来い」


「はい」


「ただし、誰が相手でも先には攻撃するな」


「主様と同じです」


「俺が危険なら?」


「必要なだけ止めます」


 頼もしい。


 だが、必要なだけの基準がセリーの場合かなり高そうなのが少し怖い。


「エル。庭園への経路を」


『承知しました』


 廊下の壁へ淡い光が走った。


 今まで何もなかった場所へ、蔦模様を刻んだ銀色の扉がゆっくり浮かび上がった。


          ◇◇◇


 第一迎撃庭園は、名前から想像していた場所とはまるで違っていた。


 銀の扉を越えると、薄い青空の下へ円形の庭園が広がっている。


 中央には水の流れていない古い噴水。


 周囲には白い花をつけた低木が整然と並び、石畳の隙間から柔らかな草が伸びていた。視線を上げれば古の塔の巨大な外壁が見えるが、反対側の森は淡い霧へ覆われていて、どちらへ進んでも同じ場所へ戻されるよう空間が折り畳まれているらしい。


 迎撃という言葉がなければ、王宮の離宮にある庭と言われても信じただろう。


 ただ、注意深く見れば、花壇の縁には細かな魔力導線が刻まれている。人型の石像もいくつか配置され、その目は俺たちが歩くたび僅かに動いていた。


「綺麗ですね」


 セリーが白い花へ視線を向ける。


「殺傷効率を考えた場所には見えないな」


『古代魔導具師セリーヌは、美観を損なう防衛施設を嫌いました』


「本人らしいのか?」


『設計記録には、景観修正要求が四百七十三件残されています』


「多すぎだろう」


「少し親近感があります」


「お前もなのか?」


「可愛い方がいいです」


「防衛施設にも?」


「はい」


「似ているのかもしれないな」


 庭園中央へ進むと、噴水のそばに石の卓と四脚の椅子があった。


「四つだけ?」


 セリーが数える。


「俺とお前、相手が三人では足りないな」


『交渉相手一名を前提とした配置です』


「今日は三人全員と話す。椅子を増やせるか?」


『可能です』


 石畳の一部がゆっくり盛り上がり、新たに二脚の椅子へ変わった。


「便利ですね」


「便利すぎる。何でも任せたら人間が動かなくなりそうだ」


「主様の場合、その心配はありません」


「褒めているのか?」


「少し呆れています」


 座らず、森側の入口を見つめる。


『三名が外周結界へ到達しました』


「様子を」


『先頭の男性が結界解析を継続しています。後方の女性が制止を求めています。残る男性は周囲を警戒しています』


「音声を拾えるか?」


『結界表面で発生した音声のみ取得可能です』


「流してくれ」


 庭園へ、遠くの声が薄く響いた。


『フェリクス、無理に触るな。塔が敵意と判断するかもしれない』


 男の声。


 聞いた瞬間、胸の奥が強く縮んだ。


 忘れるはずがない。


「ブラット……」


 何年も俺の側にいた男。


 王太子としての予定を把握し、書類を整え、剣の稽古では容赦なく俺を転がし、必要なら俺の決定へも意見した。


 そして最後には。


 俺へ剣を向けた。


『触らなければ構造が分からない。ここまで来て、森を歩き回って帰るつもりはないぞ』


 別の男の声。


 フェリクス。


 名前には覚えがある。


 王宮魔導研究所の研究員だったはずだ。直接話したことは多くない。


『もう少し慎重にしてください。アルフォンス様が本当に中にいるなら、結界を壊そうとしているように見えます』


 女性の声。


 身体が固まった。


 アンナマリー。


 忘れられるはずがない。


 長い間、婚約者だった女。


 何度も隣へ立ち。


 俺が傷つけ。


 最後には俺から離れた。


 右手が僅かに震えた。


 セリーがすぐに気づき、一歩だけ距離を詰める。


「主様」


「ああ」


「手を握りますか?」


「……今はいい」


 拒絶したかったわけではない。


 ただ、ここで握れば、自分が震えていることを完全に認めるような気がした。


 セリーは無理に触れず、代わりに俺から半歩ほどの位置へ立った。


『三名の身元照合候補を確定しました』


「言わなくていい」


『承知しました』


 もう分かっている。


「庭園へ通す」


『武装封印を実施しますか?』


「ああ。三人全員だ。魔導具も攻撃用途だけ封じろ。壊す必要はない」


『設定しました』


 森を覆っていた霧が動き出す。


 庭園正面の白い花が左右へ分かれ、その間から一本の石畳が外周結界まで伸びていった。


 外の会話が止まる。


『道が……』


『罠かもしれない』


『それでも行くしかない』


 最後はブラットの声だった。


 三人分の足音が近づく。


 一歩。


 また一歩。


 白い霧の奥から最初に現れたのは、濃紺の旅用外套を着たブラットだった。


 記憶の中より少し痩せている。


 目の下には疲れの影があり、長旅の汚れも残っていた。それでも背筋は伸び、腰の剣へ手を置かずに歩いてくる。


 後ろにはアンナマリー。


 王都の令嬢らしい華やかな服ではなく、長距離移動を前提とした旅装だった。金色の髪は後ろへ纏められ、外套の裾には乾いた泥がついている。


 最後がフェリクス。


 眼鏡をかけた細身の男で、片手には小型の魔術測定器らしきものを持っていた。


 庭園へ足を踏み入れた瞬間、その測定器の光が消える。


「魔力が止まった」


 フェリクスが低く呟いた。


「だから触るなと言っただろう」


「触っていない。勝手に封じられた」


 三人はまだ俺たちへ気づいていない。


 さらに数歩。


 庭園中央へ近づき。


 ブラットが顔を上げた。


 視線がぶつかった。


 時間が止まったように感じた。


「……殿下」


 たった一言。


 それだけで、胸の奥へ過去が押し寄せた。


 アンナマリーも足を止める。


 フェリクスは俺とセリーを交互に見る。


「本当に……生きて」


 ブラットが一歩踏み出そうとした。


「そこで止まれ」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


 彼の足が止まる。


「この庭園では、武器も攻撃魔術も使えない。それでも勝手に近づくな」


「……分かりました」


 ブラットは両手を身体の横へ下げた。


 敵意がないことを示しているのだろう。


「アルフォンス様」


 アンナマリーの声。


 喉の奥へ、昔の感情が一度に戻ってくる。


 婚約者として並んだ夜会。


 幼い頃の会話。


 俺が彼女を傷つけた日々。


 最後に向けられた、怯えと諦めの混ざった視線。


「今はアルだ」


「ですが……」


「アルと呼べ」


 アンナマリーの唇が震えた。


「……分かりました」


 それでも、すぐにはその名を呼べないらしい。


「座れ」


 石卓を示す。


 三人は一度互いへ視線を送り、ゆっくり椅子へ座った。


 俺も向かいへ腰を下ろす。


 セリーは当然のように俺の隣だった。


 しばらく誰も話さない。


 水のない噴水。


 白い花を揺らす風。


 魔力封印の低い駆動音。


 それだけが聞こえていた。


 ブラットは俺を見ている。


 アンナマリーは膝の上で両手を強く重ね、なかなか顔を上げられない。フェリクスだけは庭園構造へ時折視線を動かしていたが、今が研究を始める場ではないことくらい分かっているのか、測定器には触らなかった。


「何をしに来た」


 最初に聞いた。


「あなたを捜しに来ました」


 ブラットが答えた。


「なぜ?」


「生きている可能性を知ったからです」


「生きている可能性が分からなければ、来なかった?」


 ブラットの顔が歪む。


「そう聞こえる答えしかできません」


「実際そうだろう」


「……はい」


 否定しなかった。


「塔へ送られたあと、すぐには捜さなかった」


「はい」


「俺が死ぬと思っていた?」


「生きて戻れる可能性は、ほとんどないと」


「なら、確認もしなかった」


「はい」


 アンナマリーの指がさらに強く組まれる。


「殿下」


「アルだ」


「……アル、様」


 無理に言い直した声が痛々しい。


「私たちは――」


「まだ、お前には聞いていない」


 言葉が思ったより強くなった。


 アンナマリーが黙る。


 傷つけたいわけではない。


 けれど今すぐ優しく受け止める余裕もなかった。


「ブラット」


「はい」


「王国軍が別方向から来ている」


 三人の表情が変わった。


「人数は十六」


「もう、そこまで……」


 フェリクスが反射的に立ち上がりかける。


 瞬間、石畳へ淡い光が走り、彼の椅子が腰回りを固定した。


「動くな」


「すみません」


 フェリクスはすぐに身体の力を抜く。


「お前たちは、あの部隊と一緒なのか?」


「違います」


 ブラットが即答した。


「王都を出た時点では、軍がこの塔へ向かっていることを知りませんでした」


「途中で気づいた?」


「はい。私たちとほぼ同じ方向へ近衛の一隊が北上していました」


「なぜ先に来た」


「軍より先に、あなたへ知らせるためです」


「何を?」


 ブラットは一度、アンナマリーとフェリクスを見る。


「王宮で、あなたへ精神干渉が行われていた可能性があります」


 庭園の空気がさらに重くなった。


「知っている」


 三人の目が同時に見開かれる。


「知って……いる?」


「塔の魔導具で調べた。俺自身の記憶にも、不自然な箇所がある」


 もちろん、すべてが確定したわけではない。


 だが、何かがあったことは確かだ。


「誰が干渉したかは?」


 フェリクスが思わず尋ねる。


「分からない」


「残滓の術式構造は?」


「お前は質問する側か?」


 彼の口が止まる。


「……すみません。研究者として聞いたつもりではありません」


「では何だ」


「確認したかっただけです」


「先にお前のことを話せ」


 フェリクスは背筋を伸ばした。


「王宮魔導研究所所属、フェリクス・アーデンです」


「俺を検査したことがあるな」


 彼の顔が硬くなる。


「はい」


「何を見つけた?」


「精神系魔術の残滓です」


「いつだ」


「卒業舞踏会の八日前」


 胸の奥が跳ねた。


「報告は?」


「提出しました」


「誰へ?」


「研究所長を通じ、国王陛下と王宮医務局へ」


「俺には?」


「知らされませんでした」


「なぜだ」


「私には分かりません」


「報告が止められた?」


「可能性は高いと思っています」


 父上は知っていたのか。


 知っていて、俺を裁いたのか。


 それとも父上まで届かなかったのか。


 考え始めると、いくらでも悪い可能性が出てくる。


「証拠は?」


「原本は研究所へ提出しました。私が持っているのは、検査時に取った補助記録だけです」


「持ってきたか?」


「はい」


 フェリクスが外套へ手を入れようとした瞬間、庭園の封印が反応し、彼の腕を止めた。


「勝手に動くな」


「申し訳ありません」


「エル。所持物を確認」


『書類束、筆記具、魔力測定器、簡易護符。攻撃用途の魔導具はありません』


「書類だけ出せるようにしろ」


『一部制限を解除します』


 フェリクスはゆっくり外套から紙束を取り出し、卓上へ置いた。


 俺はまだ触らなかった。


「あとで読む」


「はい」


「軍の目的は?」


「古の塔の確保だと思います」


 ブラットが答えた。


「俺の救出ではなく?」


「命令書そのものを見たわけではありません」


「推測か」


「道中、近衛の者が『遺産を王家へ戻す』と話しているのを聞きました」


 隣でセリーの目が細くなる。


「この塔は王家のものではありません」


「ああ」


 俺もすぐに答えた。


 ここはセリーヌから俺へ託された場所だ。


「この塔は俺のものだ」


「はい」


 ブラットは迷わず頷いた。


「なぜ、そう言える」


「あなたがそう言うからです」


「それだけか?」


「以前の私なら、王家の命令を優先したと思います」


 声が重くなる。


「ですが今は、まずあなたの言葉を聞きたい」


「都合がいいな」


「はい」


 また認める。


 言い訳をされないことが、逆に腹立たしい。


「俺を見捨てたあとで?」


「はい」


「アンナマリーとの婚約を選んだあとで?」


 アンナマリーの肩が震えた。


 ブラットは目を閉じる。


「婚約は、現在停止されています」


「何?」


「正式には、成立手続きが完了していません」


 アンナマリーが小さな声で補足した。


「舞踏会で発表された婚約は、王家の最終承認前でした」


「それが何だ」


 自分でも分かるほど声が冷たくなる。


「成立していないから、何もなかったと言いたいのか?」


「違います」


 アンナマリーが顔を上げた。


 目には涙が溜まっている。


「そんなことを言うために来たのではありません」


「なら、なぜ来た」


「謝るためです」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥へ強い拒絶が湧いた。


「謝れば終わると思っているのか」


「思っていません」


「俺がお前へしたことも?」


 アンナマリーの顔から血の気が引く。


 精神干渉があった可能性。


 だからといって、俺の口から出た言葉がなくなるわけではない。


「俺はお前を傷つけた」


「はい」


「お前も俺を見捨てた」


「はい」


「片方だけが謝って、全部元へ戻るような話ではない」


「分かっています」


「本当に?」


「分かっている、つもりです」


「つもりか」


 涙が一筋、彼女の頬を伝った。


「私は、あなたが怖かったです」


 静かな声だった。


「卒業舞踏会よりずっと前から、話しかけても以前のように目を合わせてくださらなくなりました。約束を忘れ、私が誰と話していたのかを何度も尋ね、返事が少し遅れただけで裏切ったのかと……」


 記憶が戻る。


 廊下。


 書庫。


 夜会帰りの馬車。


 ブラットと話していた理由を問い詰めたこと。


 彼女の腕を強く掴んだこと。


 怖がらせたこと。


「精神干渉があったと知った時、私は混乱しました」


 アンナマリーは続ける。


「あれがすべてあなたの意思ではなかったのなら、私は被害者だっただけではなく、あなたを見捨てた側にもなる」


「すべてではない」


 俺は言った。


「干渉があったとしても、俺の口から出た言葉だ」


「はい」


「お前が怖かったことも本当だ」


「はい」


「だから、無理に俺を許すな」


 アンナマリーが息を呑む。


「俺も、今はお前を許せない」


 言葉にした瞬間、胸が痛んだ。


 けれど、許せるふりをする方がもっと嫌だった。


「……分かりました」


 アンナマリーは涙を流したまま頷いた。


「それでも、いつか謝らせてください」


「今でなくていい」


「でも」


「今日は謝罪を聞くために、お前たちを入れたわけではない」


 彼女は口を閉じた。


「何をしに来たのかを聞いている」


 俺はブラットへ視線を戻す。


「私は、あなたへ危険を伝えるためです」


「伝えたあとは?」


「望まれるなら帰ります」


「王都へ?」


「はい」


「俺が生きていたことを報告する?」


 ブラットは少し黙った。


 それだけで、答えの難しさは分かった。


「言わないとは約束できません」


 苦しそうに言う。


「近衛がここまで来ている以上、あなたの生存を完全に隠し続けることは難しい」


「だから報告するのか?」


「違います」


「では?」


「あなたが生きていることを、誰へ、どこまで、どのように伝えるか。それをあなた自身に選んでいただきたいと思っています」


 予想していなかった答えだった。


「俺を軍へ引き渡すつもりは?」


「ありません」


「父上の命令でも?」


「今は、ありません」


「今は?」


「私は、あなたを見捨てた時、命令へ従ったことを理由にしました」


 ブラットの声が僅かに震える。


「もう一度、同じ理由であなたの意思を無視すれば、ここまで来た意味がありません」


「その言葉を信じろと?」


「いいえ」


 ブラットは首を振った。


「信じなくて構いません」


 グレゴル。


 トーマス。


 そして俺自身も、何度か言った言葉。


 信じなくていい。


 行動を見て決めろ。


「フェリクスは?」


「私は精神干渉の原因を調べたいです」


「俺を研究対象にしたいのか?」


「そう見えると思います」


 フェリクスは自嘲するように笑った。


「ですが、自分の検査結果が握り潰され、その後あなたが古の塔へ送られた可能性があります。研究者としてではなく、報告を提出した一人として確認する責任があると思っています」


「原因が分かったら?」


「証拠を残します」


「王都へ持ち帰る?」


「あなたが許可すれば」


「許可しなければ?」


「ここへ残します」


「研究成果を手放せるのか?」


 フェリクスは少しだけ迷った。


「惜しいとは思います」


 正直だ。


「ですが、あなたの身体も記憶も、私の研究成果ではありません」


 少なくとも、研究者として超えてはいけない線は理解しているらしい。


「アンナマリー」


「はい」


「お前は、謝ること以外に何をしに来た」


 長い沈黙があった。


「……分かりません」


 ブラットが彼女を見る。


 だがアンナマリーは続けた。


「本当は、謝れば少し楽になれると思っていました」


 涙を拭かないまま、こちらを見る。


「あなたが生きていた。精神干渉もあった。それを知れば、私が選んだことも少しは許されるのではないかと」


「自分のためだった?」


「はい」


「正直だな」


「ここまで来て、綺麗な理由だけを並べる方が卑怯だと思いました」


 声は震えている。


 それでも、今度は目を逸らさなかった。


「でも、今のあなたを見て、謝って終わりにできる話ではないと分かりました」


「なら?」


「あなたが今、何を望んでいるのかを知りたいです」


「望んだら、何でもするのか?」


「できないこともあります」


「それでいい」


 従わせたいわけではない。


 グレゴルにも命じなかった。


 なら、彼女たちにも同じだ。


「俺は、今の生活を守りたい」


 隣でセリーが静かにこちらを見る。


「この塔も。町で関わった人たちも」


「町?」


 ブラットが反応する。


「それは今、話すつもりはない」


「分かりました」


「そして、王家へ戻るつもりもない」


 三人の表情が変わった。


「王太子へ戻るつもりもない」


「殿下」


「アルだ」


「……アル様」


 ブラットが言い直す。


「もし精神干渉と隠蔽が事実だと公になれば、王国が大きく揺れる可能性があります」


「それでも戻らない」


 迷いはなかった。


 以前なら。


 父上へ真実を突きつけ。


 レオンハルトから王太子の座を取り戻し。


 自分が正しかったことを証明しようとしたかもしれない。


 だが今は違う。


「俺は、ここで生きる」


 静かな庭園へ、その言葉が落ちた。


 隣でセリーの表情がふっとほどけた。


「主様」


「何だ」


「嬉しいです」


「今は静かにしていろ」


「はい」


 返事をしながら、まったく嬉しさを隠していない。


 ブラットは俺たちのやり取りを見ていた。


「その方は?」


「セリーだ」


「塔の管理者です」


 本人が先に答える。


「そして、主様と一緒に暮らしています」


「そこまで言わなくていい」


「大切な説明です」


 アンナマリーが、初めて真正面からセリーを見る。


 二人の視線が重なった。


 敵意はない。


 けれど、何もないわけでもない。


「あなたが……」


 アンナマリーが小さく言う。


「アルフォンス様を助けてくださったのですか?」


「今はアルです」


 セリーが先に訂正した。


「……アル様を」


「主様は、ご自分でこの塔へ辿り着きました」


「でも、一人では」


「一人ではありませんでした」


 セリーの声は穏やかだった。


「今もです」


 アンナマリーの表情が僅かに揺れた。


 自分がいなかった時間。


 そこに別の誰かがいた。


 そう理解したのかもしれない。


 だが、そのことを責める権利は、誰にもない。


「軍へは、どう対応するのですか」


 ブラットが尋ねた。


「外周で止める」


「交渉を?」


「向こうの目的を聞いてからだ」


「近衛隊長は王命を持っている可能性があります」


「王命でも塔は渡さない」


「戦うのですか?」


「先に攻撃はしない」


 ブラットが僅かに息を吐いた。


「あなたらしい」


「今の俺を知っているように言うな」


「……失礼しました」


 少し言いすぎたかもしれない。


 だが、今すぐ取り繕う気にもなれなかった。


『主様』


「何だ?」


『王都近衛騎士団が外周結界へ到達しました』


 一気に空気が張り詰める。


『先頭の騎士が、王家の紋章を掲げています』


「音声を」


 結界を通して、拡声魔術の声が庭園へ響いた。


『古の塔にいる者へ告ぐ! 我らは国王陛下の命により、この地の調査および王家遺産の回収に参った! 結界を解き、代表者を出せ!』


 王家遺産の回収。


 先に出た言葉は、俺の救出ではなかった。


 セリーの顔から柔らかさが消える。


「この塔は、王家のものではありません」


「ああ」


『応答がなければ、結界解除を開始する!』


 フェリクスが顔を上げた。


「近衛には、結界術師が同行しているはずです」


「破れるか?」


「現代魔術だけなら難しいでしょう。ただ、王家には古代遺構へ干渉するための権限杖があります」


「そんなものがあるのか?」


「王宮宝物庫に保管されています」


「王命なら、持ち出せる」


「はい」


 その直後。


 エルの光が強くなった。


『外周結界へ未知の権限干渉を検出』


「攻撃か?」


『解析中』


 庭園の白い花が一斉に閉じる。


 石像の目へ青い光が灯り、地面を走る導線も明るさを増した。


『古代王家系統の権限鍵を確認しました』


「結界を通過される?」


『本来であれば、一部区画の通過許可が成立する可能性があります』


「本来なら?」


『現在の塔所有者は、主様です』


 エルの声が、いつもよりはっきりと響いた。


『最終権限は王家ではなく、現所有者である主様へ移行しています』


 胸の奥へ、静かな何かが落ちた。


 俺が元王太子だからではない。


 国王の息子だからでもない。


 セリーヌからこの塔を託された一人として。


「通すな」


『承知しました』


 外から強い光が走った。


 霧の向こうで、何かが結界へ叩きつけられる。


 庭園が僅かに震え、乾いた噴水の縁から細かな砂が落ちた。


 アンナマリーが椅子を掴む。


 ブラットは立ち上がらず、俺を見る。


「迎撃を?」


 セリーが尋ねる。


「まだだ」


「でも、向こうは結界へ干渉しています」


「先に話す」


 王国軍の兵も、人間だ。


 命令を受けて来た。


 それだけで罪がないとは言わない。


 だが、選ぶ余地を与えず塔の力で叩き返す前に、何を命じられているのか聞きたい。


「代表者一人だけを庭園へ入れる」


 ブラットの眉が動いた。


「危険です」


「お前たち三人を入れた」


「私たちは――」


「同じだ」


「ですが、近衛は王命を遂行します」


「だから、何を命じられているのか本人へ聞く」


「嘘をつくかもしれません」


「その時は止める」


 セリーは短く頷いた。


「一人だけですね」


「ああ。武装と攻撃魔術は完全封印」


『代表者を指定しますか?』


「近衛隊長本人だ」


『承知しました』


 庭園上空へ、声を外へ届けるための魔法陣が形成される。


 話す前に、一度息を吸った。


 王太子として命じるのではない。


 塔の所有者として。


 ここで暮らしている一人として話す。


「こちらは古の塔の現所有者だ」


 声が森へ響く。


 ブラットたち三人が息を呑んだ。


 外の近衛隊も、一瞬だけ静まり返る。


「塔への侵入は許可しない。話があるなら、代表者一名だけを通す」


『名を名乗れ!』


 外から怒声が返る。


「先に、そちらが名乗れ」


『我らは王都近衛騎士団第三小隊! 隊長、ガルム・レイスだ!』


「ガルム一人なら通す。武器は封印する」


『王命を受けた我らへ、武装を捨てろと言うのか!』


「捨てろとは言っていない。使えなくするだけだ」


『同じことだ!』


「嫌なら帰れ」


 沈黙。


 フェリクスが小さく息を呑んだ。


 ブラットは一度俯き、僅かに口元を緩める。


「何だ」


「いえ」


「言え」


「以前より、交渉が早くなったと思いまして」


「無駄な言葉を減らしただけだ」


 外から再び声が響く。


『我々には、国王陛下の王命がある!』


「内容を言え」


『古の塔を調査し、内部に存在する王家遺産を回収する! 加えて、元王太子アルフォンス・ガイゼンの生死を確認する!』


 最後になって、ようやく俺の名が出た。


 優先順位は分かりやすい。


「俺が生きていたら?」


『王都へ保護する!』


「本人が拒否したら?」


 外が静かになった。


『王命だ!』


「答えになっていない」


『元王太子殿下は、国王陛下の御子である!』


「王子ではなくなったと裁いたのも、その国王だ」


 庭園にいる三人の顔が変わる。


 外からも、すぐには返事がない。


「ガルム・レイス」


『何だ!』


「話をするなら一人で来い。王命を盾に全員で踏み込むつもりなら、通さない」


『結界を破れないと思っているのか!』


「やってみろ」


 セリーが隣から小さく俺を見る。


「主様」


「何だ?」


「少し挑発的です」


「事実だ」


 外周で再び権限鍵の光が膨らむ。


 だが今度は、庭園はまったく揺れなかった。


『権限干渉を完全遮断しました』


 エルの声が落ち着いて響く。


『外部鍵を無効化。現所有者権限を最優先へ固定します』


 結界の向こうから、驚いた声が漏れる。


『鍵が効かない!』


『もう一度だ!』


『無理です! 権限そのものが上書きされています!』


 しばらくして、ガルムの怒鳴り声も止んだ。


「選べ」


 俺は外へ向けて言う。


「一人で話しに来るか。全員で帰るか。それでも力で入ろうとするなら、傷つけず森の外へ戻す」


『我らを愚弄しているのか!』


「選択肢を出している」


 グレゴルへ言ったのと同じだ。


 どの道も簡単ではない。


 だが、選ぶ余地はある。


 しばらく、外で低い相談の声が続いた。


 庭園の中では誰も口を開かない。


 アンナマリーが俺を見ている。


 ブラットも。


 昔の俺なら。


 王命に逆らうことなど考えなかった。


 父上の言葉は国の言葉。


 近衛騎士団は王家の手足。


 その命令へ従わないことは、王家への反逆。


 そう教えられていた。


 だが。


 今、ここは俺の家だ。


 誰かから奪った場所ではない。


 セリーヌから託された場所。


 セリーと食事をし、眠り、出かけ、帰ってくる場所。


 王命であっても、勝手に踏み込ませるつもりはない。


『分かった』


 やがて、ガルムの声が返る。


『私一人で行く』


「武器は入口へ置け」


『断る』


「なら、こちらで封印する」


『……好きにしろ』


「道を開く」


『主様』


 エルが静かに割り込んだ。


「何だ?」


『別方向から、新たな緊急反応です』


「まだ何か来たのか?」


『古い礼拝堂跡へ渡した通信石が起動しました』


 グレゴル。


 夜まで考える時間を渡した。


 まだ、その時間には早い。


「声を繋げ」


 右手首から荒い呼吸が聞こえる。


『アル……聞こえるか』


「聞こえている」


『礼拝堂が……見つかった』


 背筋が冷えた。


「誰に?」


『領主府の兵だ。六人いる』


「逃げられるか?」


『分からない』


 通信の向こうで、木が軋む。


 何かを強く叩く音。


 礼拝堂の扉を壊そうとしている。


『私は……決めた』


 グレゴルの声が震えていた。


『逃げない。証言する』


 庭園へ重い沈黙が落ちる。


『だから、記録を渡したい。捕まる前に』


「捕まる前提で話すな」


『ですが――』


「今から行く」


 セリーが即座にこちらを見る。


「主様」


「ああ」


「私も行きます」


 答えようとして、庭園を見回す。


 外には王国軍。


 今から近衛隊長を一人通すところだった。


 目の前にはブラット、アンナマリー、フェリクス。


 礼拝堂にはグレゴル。


 領主府の兵が六人。


 一人で全部へ対応しようとするな。


 今日だけで、何度も言われた。


「エル。ガルムは庭園入口で待機させろ」


『対話は延期しますか?』


「少しだけ待たせる」


『承知しました』


 俺はブラットを見る。


「ブラット」


「はい」


「一つ、選べ」


 彼の表情が変わる。


「何をですか?」


「ここで待つか。俺を手伝うか」


 ブラットだけではない。


 アンナマリーもフェリクスもこちらを見た。


「手伝えば、近衛から敵側と判断される可能性がある」


「はい」


「これから何をするのかも、全部は説明しない」


「はい」


「それでも来るか?」


 ブラットは迷わなかった。


「行きます」


 アンナマリーも立ち上がる。


「私も行きます」


「危険だぞ」


「分かっています」


「俺へ謝るためではない」


「はい」


 涙の跡を残したまま、それでも目を逸らさない。


「今、助けを求めている方がいるのでしょう?」


「ああ」


「なら、行きます」


 フェリクスも身体を起こそうとした。


 まだ椅子の封印が残っているため、途中で止まる。


「私は戦闘向きではありませんが、魔術記録の保護ならできます」


「研究のためか?」


「半分は」


「正直だな」


「残り半分は、自分の報告を届け切れなかったことへの責任です」


 すぐに信じるつもりはない。


 許したわけでもない。


 過去が消えたわけでもない。


 それでも。


 今、三人は自分で行くと選んだ。


「エル。三人の移動制限を解除。攻撃魔術と武装封印はそのままだ」


『承知しました』


「主様」


 セリーが隣へ並ぶ。


「王国軍は?」


「待たせる」


「怒りますよ」


「もう怒っている」


「塔へ攻撃を続けた場合は?」


「エルが止める」


『非殺傷防衛を継続します』


 庭園の奥へ、銀色の扉が現れた。


 その向こうは一度塔の転移室へ繋がり、そこから礼拝堂へ向かう。


 ブラットたちは、見たこともない扉を警戒するように見ていた。


「一度だけ言っておく」


 俺は三人へ向き直った。


「これから見ることを、勝手に王都へ持ち帰るな」


「はい」


「塔のことも、俺の許可なく話すな」


「はい」


「守れないなら、ここへ残れ」


 誰も残らなかった。


 俺はまだ、謝罪を最後まで聞いていない。


 許してもいない。


 信頼も戻っていない。


 ブラットが俺を見捨てたこと。


 アンナマリーが俺ではない道を選んだこと。


 フェリクスが俺の異常を見つけながら、結果として止められなかったこと。


 どれも、今すぐ消せるものではない。


 だが。


 人を過去の一度の選択だけで決めつけるな。


 俺はここ数日、それを何度も考えてきた。


 トーマスも。


 グレゴルも。


 そして、俺自身も。


 なら、この三人だけを過去の一点で止めるわけにはいかない。


 もちろん、今一度正しいことをしただけで、全部許すつもりもない。


 だから見る。


 言葉ではなく。


 今、何を選ぶのか。


 グレゴルは、自分で証言すると決めた。


 その選択が、領主府の兵によって踏み潰されようとしている。


 なら、先にそちらへ行く。


 王国軍が塔の外へいる。


 過去から来た三人が俺の後ろへいる。


 町では、領主府の不正が動き続けている。


 一度にすべてが押し寄せている。


 それでも、優先する順番は決まっている。


 今、助けを求めている人からだ。


「行くぞ」


 俺は銀色の扉へ足を踏み入れた。


「はい」


 セリーが隣へ並ぶ。


 少し遅れて。


 ブラット。


 アンナマリー。


 フェリクス。


 三人分の足音も続いた。


 古の塔まで来た理由を、言葉だけで信じるつもりはない。


 謝ったから。


 後悔しているから。


 責任を感じているから。


 それだけで、過去をなかったことにはできない。


 けれど。


 だからこそ、これから選ぶ行動を見る。


 過去だけで裁かず。


 言葉だけでも信じず。


 今、何を選ぶのかを。


 この目で確かめる。


 銀色の扉が、俺たち五人を飲み込むように閉じていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。