90羽目:そばにいるよ
どこか無理をしている気がして、通話ボタンを押していた。でも、どう聞けばいいのかわからなくて、知っているはずの予定を聞いてしまった。
『ん? 明日はいつもと同じメニューだし、多分十二時前には終わると思うよ? ンンッ』
ややかすれている声。私みたいに夜型じゃないのに、箱あるを始めてからは夜更かしが続いていたし、無理をさせていたのかもしれない。
「……わかった。たまたま車を使う用事があるから、そのまま迎えにいくわ。駐車場にいるから」
車にして正解だった。顔色がいつもより悪い。家に着くころには、さらに悪化して足元がふらついてる状態だった。
「38.5℃ね」
「問題ない……って、ゴホッ」
「誰が起き上がっていいって言ったかしら?」
冷えピタを貼って、そのままベッドに押し戻すと、コロンと簡単に倒された。とりあえず、聖子さんに連絡しないと。リハビリが順調とはいえ、熱が出てる状態で一人にさせるのは危ない。確か、今はメキシコよね……十四時間差だけど、まだ起きてる時間のはず。
最後に直接話したのは入院のとき。何度目かのコール音がして、すぐ繋がった。
『もしも……ちょっと、待ってくれ。shut up guys! ん。澪ちゃん、すまない。瑠衣に何かあったか?』
どこかお店にいるのか、BGMやザワついた音がする。瑠衣の状態を説明すると、電話の向こうから安堵と呆れの混じったような溜息が聞こえてきた。
『はぁ~……鳥バカなのに、どうして風邪引くのかねぇ……。足のこともあるし……あいつには、あたしから言っておくから、澪ちゃん、申し訳ないけど泊まっていけるかい?』
「もちろん、私は大丈夫です。変わりますね。瑠衣、はい」
ボーッとしている様子の瑠衣にスマホを手渡す。こんなに弱っている彼女を初めて見る。
「鳥バカだって風邪ひくわい! ゴホッゴホ!」
あぁ、もう……大声出したら、そうなるわよ。話がすんだみたいで、瑠衣はぺしょっとした顔になっている。いつもの元気いっぱいの大型犬と違って、ちょっと可愛いと思ってしまった。
「変わりました」
『瑠衣には話をつけといたから。家は自由に使っていいし、必要なもんがありゃ費用は送金するから言ってな。あと、あいつは熱だすと布団蹴っ飛ばすんだよ……。そうならないよう、定期的に部屋を覗いてくれるかい? 本当にガキの頃となんも変わんねぇバカでよ……』
ぶっきらぼうに話しているけど、姪っ子をとても大事に想ってる優しい人。横目で見ると、瑠衣はインコの抱き枕をぎゅっと抱きしめて、布団に丸まっている。
「安心してください、そうなったら布団でぐるぐる巻きにして固定するので」
『はははっ、それくらいがちょうどいいかもな。迷惑かけちまってすまないけど、瑠衣のことよろしくな』
「はい、まかせてください」
『澪ちゃんも風邪移されないようにな。じゃ』
瑠衣を見ると、いつのまにか彼女は眠っていた。さっき、咳してたし、喉によさそうなものがあるかしら。
よかった、ハチミツと……生姜もある。でも、冷蔵庫はほとんど空っぽだった。近くの宅配できるスーパーは……これね。レトルトのお粥、ドリンクとゼリー飲料。あとは、卵と鶏肉……でなんとかなるかしら。とりあえず注文はしたし、風邪にはハチミツ生姜湯よね。
部屋のドアをノックするが、返事はない。中に入ると、布団が半分床に落ちている状態で瑠衣は寝ていた。前に泊まったときは寝相よかったのに、なんか子供みたい。布団をかけなおして、顔を覗き込む。咳を必死に抑えるかのように、抱き枕に顔を埋めている。ヒュッヒュッと短い呼吸が聞こえ、苦しそうに見えた。
嫌な夢でも見ているのかしら……。頭を撫でると少しだけ表情が和らいだけど、着替えさせようとした時よりも熱く感じた。体温計を確認すると39.4℃まで上がっていた。
スマホから兄の連絡先を探して、通話ボタンを押す。
「あ、達にぃさん? いきなりごめんね。まだ病院? お願いがあるの。瑠衣が高熱出しちゃって……オンライン受診できるかなって。うん、ありがとう」
そのまま、ビデオ通話に切り替えると、画面に二番目の兄が映し出される。診断書はメールに送ってもらった。
薬局に勤めているもう一人の兄、龍にぃさんが、薬を届けてくれることになった。足のこともあるので、市販薬は避けたい。身内の職権乱用だけど、瑠衣がよくなるなら、それでいい。
水分を取らせたいけど、揺すっても起きない。唇につけたら舐められるかしら……。零れないように片手で顔を支え、スプーンで水分を数滴だけつけると、ペロリと舐めた。よかった……けど、なんか子犬にミルクあげてる気分ね。
数滴ずつ飲ませていると、ポケットの中でスマホが震えた。画面を見ると、兄からの連絡だった。
「龍にぃさん、ありがとう。助かったわ」
「どうってことないさ、かわいい妹たちのためだからな。澪も飯ちゃんと食っとけよ、おにぎりあるから。瑠衣ちゃんのはお粥な」
受け取った袋の中を見ると、私の好きなシャケと五目炊き込み、そしてレトルトのたまご粥が入っていた。
「うん……ありがとう。あの子全然起きないから、食べられるといいんだけど……」
「熱高いもんなぁ……まぁ、ダメそうなら口移しでたべさ、いってぇぇ!! 目がぁぁ!!」
チョキで目つぶしをしておいた。達にぃさんにもお礼のメッセージを送ったら、同じことを言っていた。この双子の兄たちは妹をなんだと思ってるのかしら……。
夜になっても瑠衣は起きなかった。
体温はまた上がっていて、40℃を超えている。聖子さんは、よくあることだと言っていたが、不安になってしまう。何とかして薬を飲ませたいんだけど……。瑠衣は抱き枕を手放し、苦しそうに顔を歪め、何かを呟いている。
耳を近づけてみると、熱い吐息がかかった。
「ごめ、んなさぃ……いい子にするから……」
水の記憶で、子供が泣いているのを見たときに、ルーイの表情が強張っていたのを思い出す。それで嫌な夢を見てしまっているのかな。
彼女はうなされるように、またつぶやく。
「おいて、いかないで……。いなく、なっちゃ……ヤダ……」
どうしたら、瑠衣の気持ちが軽くなるのかしら……。目尻から流れた水滴を指で拭う。あなたがしてくれたように、私もしてあげたい……。
「大丈夫よ。ずっとそばにいるから」
布団に入り、ぎゅっと頭を抱えるように抱きしめると、安心したのかスヤスヤと寝息をたてた。冷え性でよかった……これで少しでも熱が下がりますように。
朝になって、熱は下がったけど、まだ38℃を超えていた。
やっぱ、薬じゃないと……。声をかけても起きないし……無理やりだけど、これしかないわ。ゼリー飲料と薬を自分の口に入れる。両手で頬を支え、顔を近づけると、瑠衣の熱が伝わった。
唇も熱い。
肩から流れ落ちた髪が、カーテンのように二人を覆った。
「ンッ?!」
唇を離しても、まだ熱さが残っている。これが瑠衣の熱なのか、私の体温なのかわからない。
夢を見ているのか、瑠衣は何かをごちゃごちゃ呟いていた。
「み……ぃ、ちがっ、鳥ハラ、じゃない……」
「もう、どんな夢よ……。でも、私が出てきてるなら、いいか」
瑠衣はうなされることなく、穏やかそうに寝息を立てている。
お昼を過ぎても、瑠衣は起きてこない。事故で搬送された時の不安が過ぎる。……大丈夫、あの時と違って今はそばにいるから。気を紛らわせるために、料理をしていたら瑠衣がやっと目を覚ました。
「瑠衣! よかった……。熱は……かなり下がったみたいね」
いつもの、優しい目つきに安心する。
「心配かけちゃってゴメンね」
本当に心配したんだから。
早く元気になって、いつもみたいに鳥を追いかけてよ。
薬のことを聞かれ、自分の大胆な行動を思い出してしまった。顔が熱い。でも、瑠衣が覚えてなくてよかった。あれは仕方がなかったから……しただけよ。
よっぽどお腹がすいていたのか、表情がぱぁっと明るくなったと思ったら、慌てて食べようとするのが子供っぽくて、いたずらしたくなった。心配かけた罰として、ちょっとくらい、いいよね。
そして、病人なのになんで洗い物しようとするの……油断も、隙もないわね。
もう一泊することを伝えると、誤魔化す時のクセで右上を見ていた。本当は居てほしいんでしょ。もっと、素直になってほしいのに。
「いなくならないで、って泣きついてきた時は可愛かったのに……」
いたずらっぽく言う。心配なのもあるけど、本当は私がもう少し一緒にいたいだけ。
あなたは風邪をうつすかもって気にしちゃうし、今夜は一緒に寝られないわよね。名残惜しいけど、部屋を出ようとした。
「澪っ」
「んー? どうしたの?」
「えっと。その……もう少しだけ澪と話してたい……ほら、いっぱい寝っちゃったから、まだ眠くないし……ダメ、かな?」
瑠衣の方が背は高いけど、今はベッドの上。もじもじしながらの上目遣いって反則でしょ……。この二日で、見たことのない瑠衣を見られた。
「ダメなわけないでしょ。もう少し素直に甘えればいいのに……でも、ちょっぴり頑張ったご褒美にナデナデしてあげる」
もっと……そばで見ていたい。なんて、欲張りよね。
澪視点を書くかどうか迷ってはいたのですが、後押しもあり、書いてみることにしました。
そして、なんと掲示板や番外編も含めると、この話がちょうど100エピソード目に!これからも頑張っていきたいと思います。いつも読んでいただいている皆様には感謝です!




