その心を叫んで
『うおああああああっ!』
試合開始と同時に吠えたのは……赤褐色の巨人!
『っだあ!』
『ぐ!?』
「っ!?」
次の瞬間には、まるでゴム鞠のように地面に叩きつけられて跳ねる、鬼の姿が。
『い、いきなり決まったあ!? 開始速攻で距離を詰めて殴りかかったオークの一撃を、まともに受けっ……!?』
オークとユーニオング、そして実況者の言葉が拡声され響く中、それを上回るどよめきがこの場を支配する。
実況の通り開始の合図で駆けたオークが、先制パンチでユーニオングをふっ飛ばす。それこそ肝の冷える瞬間だったが……。
「受け、身、いや」
「まさか、あ、あんなに完璧に捌き切るなんて」
俺とセサミが端的に起こった事を口にした直後。
地面を派手に跳ね、転がったユーニオングは、何一つ堪えた様子もなくオークに向かって駆け……。
『っ! す、すごいっ! これが鬼っ! 凄まじい攻撃にびくともせずっ!?』
『この野郎っ!』
強烈な勢いで駆けてくる鬼を、オークは再び拳で迎え撃った。その強靭で力任せに振りぬいた腕に、あろうことか、ユーニオングは両腕と左ひざを盾に飛び込み……。
『なっ!? ごばあっ!』
続けての回し蹴りで、今度は赤褐色の巨人を、ぶっ飛ばした!
『な、ななななあああっ!? 何だこれは!? す、凄まじい力と力の……い、いや! 鬼が、オークを圧倒しているのか!?』
実況が混乱するのも無理はない。はた目には、いや、俺でさえ何が起こったのか把握するのに時間がかかった。
「凄い凄いっ! 流石お頭ぁ!」
「あ、凄い……! ユーニオングさん、圧倒してますよ!」
この場で無邪気にはしゃいでいるのは鬼娘達とミルキ・ヘーラくらいだ。周りは今の異様な戦いに、困惑しながら目を見開いているのだから。
「……きゅ、吸血鬼様、今のは」
「ああ……とんでもないな」
「マスター、な、何が起きたの?」
ヒューレは恐らく他の観客たちと同様の疑問を、俺にぶつける。今の瞬間何が起きたのかと。
「受け身、は、分かるなヒューレ」
「え、ええ。力を地面に逃がして落下の衝撃をおさえること、よね?」
「そうだ。ユーニオングがやっているのは、その受け身だ」
「え?」
「あっ、それ、前にリダリーンがやっていたっていう」
ミルキ・ヘーラは話を聞いて思い当たったのだろう。そう、以前も説明したな。
例えばトラックにはねられた人間はその場では即死せず、吹っ飛んだ勢いで壁や地面に叩きつけられた瞬間に死ぬ、と。
力というのは、物体に伝わればそれを何らかのエネルギーに変換する。この場合は体が吹っ飛ぶという力に変換されるが、体が壁に叩きつけらた瞬間、エネルギーは行き場を失いその力を物体の破壊に変える。
だから理論上、エネルギーを逃がし続けられれば、物体が破壊されることはないのだ。
「かかる力を全て受け流し、それを一点、別の場所に叩きこんだんだ」
「っ!? そ、そんな! あり得ない!」
ヒューレは思わずといった様子で叫ぶ。
「そんな事不可能よ! 生き物の体は単純な構造をしていない! 様々な部品が組み合わさってるのよ! そこには隙間も引っかかりも存在する! 力を都合よく全部受け流すなんて」
「だろうな。体を血と一体化させた吸血鬼でさえ、完全な力の受け流しは困難だ」
例えば風に揺れる柳の枝。あれは強い風にしなるように力を逃がしている。一見すると完璧な受け流しができているように見えるが、では木の本体はどうだ?
柳の枝が揺れるのは、それを支える幹があるからだ。
そして幹は枝と違い……強風に折れる。
生き物は、体のどこかで『頑丈さ』という構造を獲得している。それがなければ地に立つことすらできぬから。
「正確には受け流し……というより、力の方向を調整して利用しているんだ」
「り、利用?」
「初めは殴られた衝撃を利用して地面に体当たりした。次は正面から飛び込む力と殴られる力を絶妙にずらし、回転に変えて回し蹴りだ」
「っ!?」
受け身では力を逃がそうと脱力するのが基本中の基本。さらに力を逃がしやすいように転がったり、姿勢を制御することで力を分散させるのだ。リダリーンも、複数回にわたって地面を転がることで衝撃を分散させていただろう?
だがユーニオングは……あろうことかこいつは『力んで』いる。
「圧倒的な身体操作術。というより、理屈が分かっても、できるとしても普通はやらない」
当たり前だ。例えるなら、トラックにはねられた勢いで飛び蹴りを繰り出すようなモノ。
そんな蹴り、誰も使おうなどとは思わん。
「見ろ。ユーニオングが叩きつけられた地面が爆ぜている。オークの力に自分の力を上乗せしたんだ」
「し、信じられないっ……そんなことして、いえ、仮にそれができたとして!」
ヒューレはその地面に立つ鬼を、ユーニオングを戦慄しながら見つめて。
「痛くないわけないじゃないっ! 体が壊れなかったとしても、そんなの、気力の方がもたないわよ!」
「っ!?」
ヒューレの言葉に、ミルキ・ヘーラだけでなく鬼娘ですら目をむいた。随分と気楽にはしゃいでいると思ったが……やはり知らなかったのか、そのデメリットを。
「……それに関しては、難しいことはない。至極単純だ」
ああ、俺には分かるさ。
お前が何を犠牲にして、それを可能にしているのかがな。
「痛みは、我慢すればいい」
トラックに跳ねられる痛みを我慢すれば、その力を利用した蹴りが放てる。なら我慢すればいい。たったそれだけの理屈で、あの男はオークに殴られる道を選んだのだ。
一応原理としては受け身や受け流しを使っているので、想像しているよりはダメージは少ないはずだ。かといって、肉体が無傷でいられるはずもない。
「え……嘘、でしょ? だってお頭、今までそんな事、一言も」
「あまり言いふらすことでもない。それに、それだけの代償を払わなければ、あのオークに勝てないと踏んだんだ」
あいつは敵の力量を見抜き、躊躇なくその手を選んだ。その決断は今、地面に寝ころぶオークという結果を出している。
だが……。
『立て』
ユーニオングの拡大された声が、会場に静かに響く。
『これしきでくたばる相手とは思っていない』
『へへ……いや、ビビったぜ』
「っ!?」
むくりと、涼しい顔をして起き上がる、赤褐色の巨人。
『ぶっ倒されるなんて生まれて初めてでよ。信じられなくて固まっちまったぜ』
『なら、そんな夢からは覚めたな』
そうして立ち上がるオークに、ユーニオングは苦痛を感じさせない声で、告げる。
『お前が起き上がる限り何度でもぶっ倒す、それが現実だ。それが嫌なら』
『寝てろってか? 冗談じゃねえ』
そうしてその言葉を、オークは気軽に笑い飛ばして。
『いてえのは我慢すりゃいい、だろ?』
『……そうだな』
『た、立ち上がったあああっ! 圧倒した鬼もさることながら、それでもびくともしないこのオーク! 勝負はまだまだ分からないっ!』
「頑丈さなら、恐らくあのオークだって折り紙付きだ」
巨大な図体はそれだけで衝撃を分散させる。わざわざ受け身など取らなくとも、奴は平気で耐えるのだ。
「ここからは、我慢比べになる」
「っ!」
鬼娘達には、もはや先ほどの興奮はない。
口に手を当て、ふるふると震えながら。
圧倒的な力を誇るオークの前に立つ、自分たちのお頭を見つめて。
『はああああっ!』
今度はユーニオングが吠える。
一気に突進し、振りかぶる勢いで思い切り右腕を振りぬいて。
『ぐぶぅっ!?』
『強烈うううっ! 鬼のフックを腹にまともに受けたああっ!』
『ごのおっ!』
『がっ!』
『しかし反撃っ! このオークは止まらない! 鬼の頭上から両腕を振り下ろす!』
興奮する観客とは逆に、鬼娘達の何人かは目を伏せる。
地面に顔面から叩きつけられたユーニオングは……いや、その勢いで地面に頭突きを繰り出し跳ねた彼は、空中で体をひねって再び蹴りを。
『す、凄まじいいいいっ! どちらも全くのノーガード! オークは地に足をつけ、鬼は自在に跳ねながら! 互いの肉体をあらん限りにぶっ叩くぅううっ!』
バギン、ドゴン、と、おおよそ殴る音というより大砲が直撃するような音を響かせ、二人の戦いは続く。
力を溢れさせるオークと、気力だけで耐え続けている鬼との、死闘が。
『強い強い強いいいいっ! 一体この攻防はいつまで続くんだああっ!? 互いに一歩も引かず、互いに止まらず、容赦せず! あたりが既に血に染まっているっ!』
「そ、そんな……痛みを我慢するって、お頭……」
耐えかねたのか、鬼娘の一人がそう呟く声が、歓声と打撃音にかき消される。
二人の足元がお互いの吐き出す血にまみれて池を作り始めていた。匂いを嗅ぐに、オークにも疲労が見え始めている。
あの赤褐色の巨人だって無敵じゃない。このまま続けていれば、いつかは崩れる瞬間が訪れる。だが……。
『も、もはやどちらが勝ってもおかしくはない! これほどまでの戦いを誰が予想できたか! どっちだ! 最強のオークが最強の鬼を倒すか! 最強の鬼が、最強のオークを潰すか!』
「お頭、も、もう、やめて……」
「お、お頭……お頭が、し、死んじゃう!」
鬼娘の言葉通り、漂う血の匂いは、もはやあの鬼が気力と本能だけで戦っていると告げていた。あの精神力は驚嘆に値する。
だが肉体はもう、限界に差し掛かっていた。
「マスター、これ以上は、もう……」
ヒューレも、この戦いに見切りをつけていた。傍にいるセサミも同様だろう。
確かにオークに限界が見え始めた。それは事実。
けれどユーニオングの方はとっくに……その限界を、超えている。
「お、おね、お願いします大お頭っ!」
そんな気配を、恐らくは鬼娘達も感じている。耐えかねたように、涙を流しながら、一人が俺に縋りつき……。
「お頭を助けてっ! このままじゃ、お頭はっ!」
その心のまま、叫ぶ。
「……助けてやりたいところだが、どうやら俺では、助けられそうにない」
「っ!? そんなっ!?」
あの男は、今気力だけで戦っている。
そこに俺が横やりを入れたところで、今度はそれを支える精神の方が折れてしまうだろう。下手に殴り合いから救出するより、そちらの方がよっぽど危険だ。
「お、おね、お願い! 何でもするからっ! だ、だから、だからぁっ」
「なあ、何故ユーニオングが……お前たちのお頭が、必死になって戦うか、分かるか?」
「えっ」
俺は、そう言って静かに、俺に縋りついてきた鬼娘に語りかける。
「文字通り死ぬほど痛いのに、苦しいのに、倒れれば楽になれるのに。それでもあの巨人に挑むのは、何故だと思う?」
『これでっ……終わりだあああああっ!』
『ぐっ!? ぐううううっ!』
『オークが戦法を変えたあっ! 鬼を後ろから羽交い絞め! このまま締め落とす気だぁ!』
いくら殴っても倒れないユーニオングに焦らされたか、オークは力を利用されにくい締め技に攻め手を変えた。
『このまま、てめえの腕ごとっ! 肋骨と背骨ごとっ! 心臓もろとも潰してやらあああ!』
『がっ、あ……あ……』
『決まるか!? 決まってしまうかあっ!』
その丸太のような太い腕で締め上げられ、メキメキと嫌な音を響かせるユーニオングの体。これまで散々殴られてきたダメージも合わさり、アレを振りほどく力は、もはや無いだろう。
それでも……。
「な、なんで? お、お頭、なんで」
「もう少しだけ、信じてやったらどうだ」
痛みは、我慢すればいい。
そんな簡単に言うが……痛いのは、嫌に決まってるだろう?
首を斬られたり心臓刺されたり脳の血管破裂したり、背中刺されたり股間踏みつぶされたりはらわた引き千切られたり、そりゃあそんなことされたら痛いに決まってるじゃないか。思い出したら背筋が寒くなる。そんなもの嫌さ。冗談じゃない。御免被るに決まってる。
だから、そんな痛みすら覚悟しているって時は……。
『こ、れでっ! こんど、こそっ! 俺の勝ちだ! 俺の、俺達オークの時代の幕開け』
『コニオラああああああああああああああっ!』
『っ!?』
あたり一帯に響き渡るほどの大声が、この場にいる全てに、前を向かせる。
『俺はもうお前を手放したりなんかしないっ! 俺は、お、れはあっ! もうっ! 諦めたくなんかないっ!』
鬼は、絶体絶命の中、死ぬほどの痛みに耐えながら、その心の内を叫び続けて。
『全部、全部っ! お前も仲間も! 勝って全てをっ! 取り戻すっ!』
「お、かしら……」
『絶対にっ! 取り戻すっ!』
そう……。
痛みと引き換えにしてでも、守りたいもののために。
掴みたい未来のために、全力で吠えた!
「か、し……ら」
「がん、ばれ……」
「おかしら……頑張れえええええええっ!」
その声は、確かに届いた。
さっきまで失う恐怖に震えていた鬼娘達の心に。
彼が何のために……いや。
誰のために戦っているのかを、理解した彼女たちの心に!
「頑張れええええええええええええええっ!」
『ああああああああああっ!』
『無駄だっ! もうてめえには! これを振りほどく力なんてっ!?』
オークの叫びは、けれど、最後まで続かなかった。
『が、あああっ!?』
『な、何だあっ!? 鬼は振りほどくでもなく、ぎゃ、逆に締め上げるオークに、て、手を貸しているっ!?』
実況も、いや、俺やセサミも何をしているのか理解できない手だった。
「ちょ、何してるのよアレ!? 自殺行為じゃ……」
「え……」
「止まっ、た、だと?」
ヒューレにセサミに俺に、困惑する声が三つ続くころには、オークの締めつけは止まっていたのだ。
『な、何だ!? う、腕が動かねえっ!? てめえ何しやがった!?』
『ああ……悪いな。俺の体に固定させてもらった』
固定、だと?
『これなら力は逃げない。俺が今から全力でぶっ叩いても、お前はもう、ぶっ飛ばないんだ』
「お、お頭の……鬼の眼っ!」
あれが……ユーニオングの、切り札。
『耐えてみろよ。お前に守りたいものがあるなら。通したいものがあるなら』
鬼はオークに絞められたまま、両足を、振りかぶるように持ち上げて……。
『俺はそれでも、諦めたりはしないっ!』
オークの腹に向かって、振り下ろした!
『がっ!? ご、ぼっ!』
ドズンッ! と、地面を揺らすほどの衝撃が走る。
オークの、もうほどけないと思われた腕が、それで外れて。
『らあああああっ!』
頭を低くしたオークに向かって、鬼は全力で振りかぶり。
『がばああああっ!』
その頭上から、ぶっ叩いた!
『が、ば、お……』
「あ……お頭っ」
ドゴン、と、これまでより一際大きな音を立て、時は止まる。
そうして鬼娘の声が、一瞬訪れた静寂の中で響いて。
『ああああああああああああああああああああああっ!』
鬼は、倒れたオークの前で、天に向かって吠えたのだ。
『……き、き、決まったあああああああああっ!』
そうして観客からも、世界が震えるほどの大歓声。
『凄まじい一撃! お、オークは……白目を向いています! これで決着! 凄まじい攻防を制したのは、最強の鬼っ!』
そうして、誰もがこの戦いの勝者をたたえる空気の中……。
「待ったああっ! まだだっ!」
「っ!?」
「え!?」
「あいつ……トッポリンキー!?」
勝利の宣言を、そう、あの男は最悪の形で遮る。
「こ、この勝負は無効だっ! こんな、こんな結果はあり得ないっ!」
「あ、あいつ何を言ってるの!?」
「ここで横紙破りだと!?」
この場にいる誰もが困惑する中……そう、懐からソレを取り出し。
「我らの、わ、我らの最強のオークに! 我ら魔王軍に、敗北などあり得ない!」
「っ!? ご、御当主様っ! アレっ!」
「なっ!?」
その手には黄色に光る宝玉。
そう、かつてゴブリンテイマーのエドーラが掲げた、不思議な力を持つ宝玉。
「この『死者蘇生の宝玉』の前に、敗北など無いっ!」
「ッ!?」
その叫びで、あたりを強烈な光が覆ったのだった。
<現在の勢力状況>
部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名、ワーウルフ21名、ワーダイル60名
従者:ベーオウ
同盟:大魔王ガルーヴェン
従属:なし
備考:第七悪魔商会と契約中
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