サキュバスの少女と向き合って
「いやあ、ここは狭いようで入り組んでいますね。どこに向かえばいいのかさっぱりですよ」
空の青と、草木の緑を混ぜたような独特な髪色。爛々と光るその金の瞳は嬉しそうにこの場を眺めて。
「ら、ラセスチャー様。ここは今個人商談の場でして。どうかお引き取り」
「おや失礼。ですが取引は終わったようにお見受けしますが?」
「ぐっ!」
ひょうひょうとした態度でエドーラをあしらうこの男は、平然と俺の前へと歩み寄り……。
「御入用でしたら、お手伝いしましょうか?」
「心強いな。お前が悪魔じゃなければ喜んでその手を取っていたところだ」
「おやおや手厳しい」
悪魔らしく巧妙な口調で、俺の心の隙へと入り込もうとする。
やれやれ、本当にいいタイミングだ。まさかお前らグルじゃないだろうな?
「ま、マスター……あなた、第七悪魔商会の長と知り合いなの?」
一方ヒューレはエドーラ達と同じようにこの男の登場に息をのんでいる。やっぱりこいつは大物なのか。人間からすれば悪魔を警戒しているだろうし尚更か。
「ちょっと取引してな。今この状況では渡りに船だ」
悪魔を信用しすぎれば痛い目にあう。さんざん現実世界で刷り込まれた感覚が心の奥で警鐘を鳴らすが……。
「一度手を結ぶと決めた以上、俺から裏切ることはない。そちらが牙をむかない限りはな」
「ええ。私どもも、大切な信頼をいただいている以上誠意でお応えしますよ。契約違反をされない限りは」
赤い瞳と金の瞳が交差する。俺達の関係を端的に表した会話だ。
俺がこいつを欲したように、ラセスチャーも俺に価値を見出した。残念ながら今のところはそれ以上でもそれ以下でもない。
こいつが悪魔じゃなければ、もう少し歩み寄りたくはあるんだがな。
「それと……君とも久しいなセサミ。今日はまた一段と綺麗だ」
「お褒めに預かり光栄です吸血鬼様。おかげさまで出世いたしました」
俺がそう言うと、何故か彼女は『出世』なんて言葉を返す。
悪魔に連れ添う少女セサミは、そういえば以前とは少し出で立ちが違う。黒髪を後ろのバレッタでまとめているのは相変わらずだが、首に巻いた布から伸びる青い帯は、豪勢な金の刺繍が施されていた。
以前のフォーマルさを残しながら下はホットパンツと少々過激に、けれど黒のサイハイソックスで露出は最小限にと上手いことバランスを取っている。
その宝石のような紫の瞳は、以前よりもきらめきを増したようにも見えて。
「吸血鬼様は……いくらか趣旨替えされたようで」
「うっ」
そして追加で丁寧な言葉と、どこか非難めいた視線を向けられる。視線の先には当然、ヒューレがいる。
「妖精串よりもいいご趣味で。女性を金で買われるのにも抵抗がなくなったようで何よりです」
こ、言葉にすると凄いな。いやまあ、的確な指摘なんだが。
「あー……その、これは」
「ふうん」
流石に返す言葉に困っていると、そんな俺を助けるように声が。
「マスターは優しいのね。はっきり言えばいいのに」
「え?」
にっこりと、爽やかで可愛らしい笑みで、俺を見つめるヒューレは……。
「私には白金貨数百枚出した、あの子には出さなかった……その事実が全てだって」
あ、違う! これ助け船じゃない!? どちらかといえば援軍の砲撃だ!
「……なかなか、上手なおしゃべりができる杖ですね」
「ふふ、そうなの。マスターはそんな私とおしゃべりしたいんですって。あなたじゃなくて」
おおおい!? 何喧嘩売ってるんだ!? セサミはヒューレの明らかな挑発にこめかみをぴくぴくさせ、紫の瞳の奥に火を灯らせて。
「そうですかそうですか。大変良いご趣味ですね吸血鬼様」
いやいや! ちょっと!? なんでこんな流れになってるの!?
「ひゅ、ヒューレ! お前何を言って」
「あら事実じゃない。マスターの杖として、マスターに群がる勘違い女はちゃあんと私が追い払ってあげるわ」
そうしてにっこり笑う彼女……えっ、ヒューレ!? お前いつの間にそんな感じになった!?
「そもそも、第七のあの子はマスターにとって特別な相手でもないんでしょ? ああいうのは軽くあしらっておかないと勘違いするわ」
「……そうですね。以前に私の胸を触らせた程度の間柄です」
「……へえええ」
おおおいおい!? 互いにドンパチ始めるな! い、いやどれもこれも大体事実なのが我ながら酷いが!
「そこまでです。セサミ」
「あうっ!?」
「……少し言葉が過ぎるぞ、ヒューレ」
「あ!?」
これ以上は……まあ、俺がやれたことじゃないんだろうが止めさせてくれ。ラセスチャーはこつんとセサミの頭を小突き、俺はヒューレを後ろに下げる。
「申し訳ありません、セサミが失礼を」
「こちらこそすまなかった、これは俺の不徳だ」
互いに頭を下げ合うそんな状況に、セサミもヒューレもさっと青い顔をして……。
「も、申し訳ありませんでしたっ! 出過ぎた真似を」
「あ、ま、マスターごめんなさい! あ、あなたもその……言い過ぎたわ」
さっきまでの剣呑さはどこへやら。というか何だこの状況。
「あー、それで……お前たちはここに何しに来ていたんだ」
話題を逸らす意味も含めてラセスチャーに問いかける。よくよく考えれば、敵対している商会にトップが乗り込んでいる時点で結構な事だと思うが。
「いえ、他の商会の視察……という建前でセサミとデートを」
「ふぁいっ!?」
なんて俺が硬く考えていたら、返ってきた答えは存外軽いモノで。
「いやー、分かってはいましたが大して心を動かされる品もありませんし。セサミを連れていなかったらずっと退屈しているところでしたよ」
「あっ、わ、わ」
そう言って肩を引き寄せるように、ラセスチャーは顔を赤くしたセサミを自分の方へ。ほう? お前たちそういう関係か。
「この分だと目玉の競りとやらにも期待できませんねえ」
「……お、お眼鏡にかなう品をご用意できず申し訳ありませんが」
そうして絶妙な皮肉の振り方でラセスチャーがエドーラに喧嘩を売ると、エドーラも張り付けた笑顔で応える。
「もうじき競りが始まりますので、ご案内させていただきたいのですが」
精いっぱい怒りを抑えた口調で、彼女は告げた。
ああ、何かここまでのシリアスな空気が吹き飛んでいたが、まだ敵の陣中にいるのだった。
そうして俺も足を動かしかけ……。
「だ、そうですね。私達も参りましょうか」
「いや、先に行っていてくれ。エドーラ、ユーニオング達とヒューレの案内も頼む」
「っ! マスター、私はあなたの護衛を」
「今はいい。それよりいざという時のために、ユーニオング達を頼む」
俺のやろうとしていることを察してかどうか、食い下がろうとするヒューレを強引に引き下がらせる。ヒューレがちらりと俺から視線を逸らして……ああ、気づいているな。
「そういえば、一人で立てるか?」
「……大丈夫よ。マスター以外に握らせたりはしないから」
彼女は俺の手から離れるとスーっと宙に浮いた。手袋を飛ばせるのだからそれくらいやってのけると思っていたが、飛行魔法自体も高度な魔法だ。
天の魔女の肩書きは、やはり伊達ではない。
「でも……早く来てね」
「ああ」
後ろ髪を引かれる様子のヒューレは、けれど俺の言葉に従って、鬼達と共にその場を後に。悪魔達も雰囲気を察してか黙って立ち去ってくれた。
「……俺に罵られるまで、ずっとそうしているつもりか?」
そうして俺は一人立ち尽くす、まだシリアスな空気の中にいる美女に語りかける。
「ユーニオング、随分と顔色が良くなった」
「……流石鬼ですね。あんなにすぐ元気を取り戻すとは思いませんでした」
背の高い彼女は俺の顔を見ず、落ち着いた声を部屋の中に響かせて。
「私、森で御当主様に指摘されるまで……ああいう事がイケナイ事だって、知りませんでした」
「まあ……うん、ちょっとこたえたな」
「もし知らなかったら、さっきだって直に乳を飲ませていたと思います」
お、おう!? それは中々にワイルドな……。
「バカな女です。だから……」
「引っぱたかれるような話なら、俺もあるぞ」
俺はミルキ・ヘーラの言葉を遮るように、告白する。
「マルエラの事だが、ずっと可愛いと思っていた」
「っ!」
「うちに連れ帰ることは全く考えてなかったが、別れ際にその唇ぐらいはさらってやろうと思っていた。機会があれば、それ以上も狙っていた」
一途に健気に俺のことを想ってくれて、最後も俺を吸血鬼と知ったうえで受け入れてくれた。
もし出会い方が違えば、順序が違えば、或いは俺は今もあの森に……。
「ぶん殴っていいぞ」
「……殴れません」
「俺も、ミルキ・ヘーラが顔を向けてくれないと引っぱたけない」
俺がそう言うと、彼女はようやく俺を見て。
「御当主様、本当に……本当にあなたは女たらしで見境ないですね!」
ミルキ・ヘーラはそうやって初めて俺に……明確に怒気を向けた。
「行く先々であちこち女の子を惚れさせて! いい加減にしてくれませんか!?」
あの、森で自分を頼ってくれと怒った感じではない。もっともっと、心をむき出しにして、俺に牙を向けるように。その目に燃える火を灯して。
そんな姿に……。
「お前こそ、寄ってくる男をどいつもこいつも惚れさせてるくせに」
何故か無性に、腹が立ってきた。
「へええ? そうやって人の事言えるんですか? 鍛冶師が欲しいなんて言って、ホントはドラーニャさんが可愛いから口説いてたんじゃないんですか?」
「誰かさんは男に胸触らせるような真似させてたな。おまけに兵士もお前に一瞬で夢中だったか。あれか? 流し目一つで男を落として回っているのか?」
「そんな事しませんっ! 御当主様だって気がないならマルエラさんを最初から遠ざけられましたよね!?」
「っ! お前だって、ジャンジャーと隙あらばするつもりだったくせに!」
「人間の国に入るためです! 御当主様のためです!」
「俺だってマルエラよりお前たちを選んだんだ!」
はあ、はあと目の前の美女は息をつく。俺も、まあ、興奮度合いでは似たようなモノか。
「……言いたいことは、もうないか」
「……まだ、あります」
震える声で、それでも冷静さを少し取り戻したミルキ・ヘーラは続ける。
「その言葉が嘘でないと、証明してください」
「……望むところだ」
そう言って屈んでくる彼女の唇を……。
「んっ」
俺は、容赦なく貪った。
「あっ、さい、てい、ですっ、あな、たは!」
「お前、こそ……っ!」
いくら俺が最強の吸血鬼でも、こういう分野ではサキュバスの彼女にかなう筈がない。
俺を手玉に……取れるはずなのに、彼女は俺に合わせ、優しく甘く、蕩けるキスを。
「あい、してますっ!」
「俺も、だ」
いつの間にか、俺達は夢中になって、互いを愛おしむように舌を絡めていた。ちゅ、ちゅと恋人になりたての男女のように、ちょっぴり怯えながら、けれど好きだという思いを込めて、相手を味わって。
「はあ、はあ」
「好きだ、ミルキ・ヘーラ」
口を離した後も、未練たらしくそう告げて口付ける。
「私も、大好きです」
「愛してる」
「はい」
すっかり、優し気な声に戻ったミルキ・ヘーラと、目を合わせ。
「俺は……まだまだ世間知らずのガキだな」
「私なんて、常識知らずのサキュバスですよ?」
「ああ」
俺達は、なんだかんだ言いつつも歩み始めたばかり。
「お前は、素直なお前のままでいい。俺はそんなミルキ・ヘーラが好きだ」
「私も、かっこよくて、優しい御当主様が好きです」
互いに手を取って、背の高さも目線も違う俺達は、同じ道を歩んでいる。
困難がないわけがない。
「お互い、知らないことを知っていこう」
「はい」
それでも……。
「教えてくれるか? ミルキ・ヘーラ」
「はい、喜んで」
この手を、離したくはない。
ああ、全く。
敵地でやることじゃないな。
「この後は、どうされるおつもりで?」
「ユーニオングの恋人を競り落とす。が、そんな単純にはいかないはずだ」
俺は問いかける彼女の瞳を見つめて。
「それこそ、ここからは悪魔だけでなく魔王軍も絡んでくる。荒事になるやもしれん」
「そうなっても、ご心配なく。自分の身ぐらい自分で守ってみせますので」
彼女もまた、俺の視線に頼もしい笑みで応える。
「遠慮なく……ぶん殴ってきてください」
「ああ、そうしよう」
互いに互いの心を触れ合わせながら、俺達は進むのだ。
「続きは、帰ってからだな」
「ふふっ、あの日から数えるとだいぶ長いお預けになっちゃいましたね」
森に行った日から換算すれば随分経つ。寝ていた俺はともかく、ミルキ・ヘーラの体感時間はもっと長いだろう。
「今夜は寝かさないからな」
「はい、御当主様」
本当に、敵地でやることじゃないんだろうが。
女たらしの吸血鬼と男たらしのサキュバスで、これがちょうどいい歩み方なのかもしれないと、心の中で自分を納得させる。
「さっさと、決着をつけよう」
先延ばしにしてきた結末は、今日ここで。
ヒューレと、ユーニオングら鬼たちと、俺達と悪魔と魔王軍とのしがらみに、決着を。
<現在の勢力状況>
部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名、ワーウルフ21名、ワーダイル60名
従者:ベーオウ
同盟:大魔王ガルーヴェン
従属:なし
備考:第七悪魔商会と契約中
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




