モノの価値を決めるのは
「お嬢様、こちらの品などいかがでしょう?」
兄さんが店の奥に消えた直後から、私たちはひっきりなしに接待を受けることになる。
「こちらの髪飾りなどよくお似合いですよ」
「わー、可愛い!」
ティキュラが綺麗な髪飾りを手渡され、目を輝かせている。
アンリにミルキィにクーナにリダリーン、皆に一人ずつ悪魔がついて、それぞれが気に入りそうな品を勧められるという優遇ぶりだ。
それもこれも……。
「兄さんはあっちで商談かしら」
「はい。しばらくかかるかと思われます」
私についた悪魔の女性は、青い肌で背が高く、にこやかな笑みの仕事のできる女って感じを醸し出している。そんな女性が言葉短かにそう言って……詮索してほしくないという気配に私はため息をつく。
はあ、やれやれね。まあこっちのお守りは任されてあげましょう。
「妹様、このような品はいかがでしょう?」
彼女がそう言って私に勧めたのはワインレッドのハンカチ。意外にもティキュラ達と違って普段使いの品を勧めてきた。
「ふうん、悪くはないわね」
ティキュラ達のように華美に飾り立てるではなく、こういう品を差し出してきたのは何か意図があるのか。いや、単純に私にはこっちの方が受けがいいと見抜いたのか。
「……おいくら?」
蕩けそうな赤の地に白と黒で上品に刺繍されている。
滑らかな肌触りに、嫌味にならないくらいの飾り、それでいてこの赤は……ああ、吸血鬼受けしそうな色してる。
「はい、こちらD銀貨一枚になります」
「……結構高いわね」
これでも生まれてからずっと吸血鬼のお嬢様やってきたのだ。正直そんな事言いたくないけれど、これは流石に高い。
買取の最中、実際にこの世界の貨幣がどの程度の価値があるのか計算してみたのだ。
で、このD銀貨は人間の世界ではそこそこいい部屋、家賃一か月分くらいの価値はあるはずだ。ハンカチ一枚の値段じゃない。
「こちらはブルーダラク領で作られた最高級品ですので。この赤は吸血鬼にしか出せないと言われております」
あら、気づかなかった。よく見ればうちの家紋と同じ柄が刺繍されてるじゃない。
何だか複雑だ。自分の家の品を欲しくなって買うところだったとは。まあここでは私は何のツテもないのだから、こうしてお金を出して買うしかないわけだけれど……。
「う、ううーん」
何かしらこの……買ったら負けみたいな妙な気持ちは。
というよりこの世界のブルーダラクもうちの家紋と同じだと分かったのは、結構な収穫じゃないかしら? 兄さんに見せるという意味でも……買っちゃっていいかしら?
「マリエどうしたの? わ、これ綺麗ー」
そんなことを考えていると、私の隣にシュルっと這い寄るティキュラ。その綺麗な瞳を輝かせ、私の手の中のハンカチをまじまじと見つめて。
「買うの?」
「どうしようかしらね」
綺麗だもんねー、なんて、あなたの方が綺麗な瞳してるくせにと思いつつ、やっぱり買おうと気持ちが固まりかけた時……。
「でも、マリエには白の方が似合うよ」
「え、そ、そう?」
「うん、そっちの方が可愛いし!」
何よそれ、あなたの基準じゃない。全く、横からしゃしゃり出て何を言うかと思えば……。
「……これの白はあるかしら」
「はい、ございますよ」
……別に、ティキュラに言われたから変えるわけじゃないわよ? ただまあ、さっきの赤はよく見たら品がないなって思っただけで。
「というかティキュラ、あなたの買い物は?」
「あーいや、私お金持ってないからさ。勧めてもらったけれど断ったの」
ふうん? クーナですら物を売ってお金にしていたというのに。
「あ、マリエ! アレなんか可愛い!」
……いや、ティキュラには例の酒がある。アレが売れないとは流石に考えにくい。
この天真爛漫な少女にしては珍しい。何か私達に隠しているようだ。
「ねえティキュラ、お金なら私の」
「ま、マリエっ! こ、これっ! これっ!」
と、そんな私の言葉を遮って、興奮気味に近づいてくるのは。
「クーナ? 一体な……何これ?」
「耳だ!」
文字にするとさっぱり分からないので説明すると、クーナが猫耳カチューシャ抱えて興奮しながら駆けてきたのだ。
いや、猫耳じゃないわねこれ。
「狼の、耳?」
「はい。ワーウルフの耳を忠実に再現したアクセサリーとなっております」
クーナについている悪魔がそう説明した。まあ、見た目通りね。
「マリエっ! 金くれっ!」
「不躾にもほどがあるわよあなた。要するにソレを買いたいのね?」
「ああ!」
クーナが未だかつてないほど興奮している。いや、あなたがあなた達を模した耳を買ってどうするのよ?
「カイにっ! つけてもらうんだっ!」
「あー、そういう」
ようやく理由が分かった。要するに兄さんにソレつけて狼プレイがしたいと。いや、彼女からすると普通の格好をさせたいと……何かややこしいわね。
「絶対いいだろ!? きっと凄く格好いいぞ! カイなら絶対似合う!」
「あのねえ、そりゃあ……似合うでしょうけど」
猫耳、いや、狼耳つけた兄さん……うん、まあ、いいわね。そういうの嫌いじゃないわ。
「実は尻尾もあるんだっ! ほらこれっ!」
「この世界にもコスプレグッズはあるのね……ってこれ」
ふさふさとした上質の尻尾。これだけで動物好きなら一日モフモフしてられそうだけれど……尻尾の根本、つまり体に取り付ける場所には、金属製の栓のような……。
「これ、お、お尻に、刺すのね」
「そうだ! ちょっと苦しいかもしれないけど、カイも私たちに似たような事させてるしいいよなっ!」
大声で口走るクーナに悪魔の店員たちがぎょっとしている。ちょっとやめなさい、兄さんが恥ずかしいのはいいけれどそれ私も恥ずかしいわ。
「いやらしい話ですか?」
「違うわよ」
違わないけど違うわよ。スッと現れたミルキィに思わず突っ込んでしまう。
「これ、そんなに気持ちよくなさそうですね」
「だから違うわよ! 何の話してるのよ!?」
見ただけで分かるものなの!? このおっとり美女もこれで立派なサキュバスなのだ。侮ってはいけない。
「これ、兄さんにつけてもらって狼プレイしようかって話で」
「あー。御当主様なら格好いい狼になれそうですねー」
ほわほわとしながらほんのり頬が赤くなる。どうやらミルキィも乗り気みたいだ。
「よしっ! 買ってくれマリエっ!」
「全く、お金は私持ち? いいけれど」
これをダシにして一番最初に相手してもらおう、なんて打算的な事を考えながら支払おうとすると……。
「ちょ、ちょっと待ってっ! こ、こっちもどう!?」
そうして現れた対抗馬。
「これは……お前らの角か?」
「そうよっ! 私達古ゴート族と同じ角っ! こ、これ絶対カイ様に似合うから!」
アンリが手に持っているのは、その言葉通り半月状に伸びた麦色の立派な角。いや、その……兄さん格好いいから何つけても似合うと思うけれど。さっきのクーナみたいに大興奮でまくし立てるアンリに強烈なデジャブを感じて。
「そんなの、美味そうにしか見えないぞ?」
「そんなことないっ! ってクーナあなたまだそんな事思ってたの!?」
この温度差。さっきまで嬉しそうにはしゃいでいたクーナがそれはないみたいな顔してるのが何かおかしい。
「アンリお前、趣味悪いぞ? 流石にカイを食べたいだなんて私だって思わないのに」
「食べたいなんて発想あなただけよっ! これ超絶格好いいから! 絶対カイ様に似合うからっ!」
「似合う訳ないだろそんな角っ! こっちの方が絶対にいいっ!」
「何よその耳っ! 私達を食べちゃうぞって……あ、それはそれでいい……じゃないっ!」
アンリは新たな可能性に目覚めつつも何とか持ちこたえて。
「絶対こっちの方が似合う!」
「いいやこっちだ!」
不思議な言い争いに発展してしまった。
「あらー、何か、変な感じになっちゃいましたね」
「そうね」
さて、二つ買うのはまあ簡単だけれど。この言い争いに一応決着はつけておくべき?
「あー、ええと、二人とも落ち着いて」
「あ、マリエ、ちょっとさ」
「ああティキュラ、あなたからも何か……」
言ってやって、という言葉は途切れて消える。
「こ、これなんかさ、その……すごくいいと思うんだけれど」
「あなたもなの」
ティキュラは顔を真っ赤にしながら何か細長い寝袋のようなものを持って……うんまあ、ラミア変身セットみたいなモノかしら、それ。
「こ、ここの先っぽがさ! す、凄く綺麗で格好いいって思わない!?」
「思わない」
「ええっ!? 何で!?」
何でって、あなた以外に分からないわよそんなの。
「い、いえ。それはすごく……えっちだとおもいます!」
「あっ! リダリーン分かる!?」
分かる人がいたわ。というかリダリーン、あなた系列的にはヘビなの?
「凄くよく分かります! というかちょっと刺激強すぎるくらいです! 城主様にぜひ着てもらいましょう!」
さて、これで仲良く全員参加なわけだけれど。
「ちょっと待て! 何でそんな訳分からない寝袋着ることになってるんだ!?」
「あなたの耳の方が分からないわよ! やっぱり角よ角!」
「いや、これにすべきです! 先っぽバンザイです!」
「先っぽバンザイ!」
あーあ、何だか訳分からなくなりそう。
「はあ、まとめて買ってもいいけれど……そうねえ」
私は狼耳を推すけれど、それ以前に根本的な問題として……。
「あ、あのー、そもそも御当主様がつけてくれるかどうか分からないんじゃ」
ああ、ミルキィが言ってくれたわ。そう、そもそも兄さんがつけてくれなきゃ買ってもしょうがないのよね。
「あ、あー……成程」
「え、いやでも……う、うう」
「それは……あー」
さっきまでの勢いは何処へやら、全員が自信なさげに言葉を濁していく。
こういうのって自分たちで盛り上がるのはいいけれど、いざ勢いを殺した後で相手に着てと頼むの、勇気いるわよね? 好きな相手に面と向かって狼耳つけて、なんて、落ち着いてみたらちょっとハードル高い。
ましてや自分たちの体と同じ特徴を持つなら尚更だ。断られるのが怖い。いや、兄さんは多分断らないと思うけれどね。ギリギリ狼尻尾が危ないくらいで。
「兄さんに確実につけてもらう方法……」
私達が裸で迫れば一発かもしれないけれど、私達にだってプライドがある。何かいい手は……。
「そういえば、兄さん結構気に入ってましたね」
この店の中で、そう、兄さんが間違いなく気に入っていたであろうモノ。
それを見つけて、それと、目が合って。
「……貴様、まさか我をそんなくだらん交渉に使うつもりか?」
「話が早くて助かります」
私はその剣を手に取って。
「さあ、女の戦いに力を貸してもらいましょうか、魔剣さん」
こうして私達のところに、このおしゃべりな魔剣がやってきたのだった。
――
「あの魔剣が売れたんですか」
私はゴルーゴンに引かれる馬車の中、向かいに座るガーストーン様からそんな話を聞いた。
「ええ。妹様が買われたとか。戦いに力を貸せと仰りながら」
ふうん。やっぱり見る目のある人はいるのね。あの剣口は悪かったけど実力(?)は確かだから。
「魔王軍との戦いに備えて戦力を補強したいんですね」
「そうでしょうな。しかし精鋭ぞろいと聞いておりましたが、まさかあそこまで兵が少ないとは思いませんでした」
ガーストーン様は私が淹れた紅茶を手に取って、まだ温かいソレをゆっくりと喉に流し込んでいく。
その所作一つ一つが、何というか様になっている。紳士然としておられるというかなんというか。お歳を取られても格好いいなと思う。
「うむ、今日もいい味ですね」
「恐れ入ります」
私も自分で淹れた紅茶を口につけて……うん、美味しく淹れられてる。
「そちらはどうでした? 裏商店まで案内されるとは、ラセスチャー様もよほどあの吸血鬼様を気に入っておられた様子ですが」
「……その吸血鬼様は、ほとんどの品をお気に召さなかったようで」
いくらかいい反応を示したものはあったけれど、ほとんどを気に入らないと一蹴していた。
クールで美しく鋭い目をした、けれどどこか甘いというか、妙に優しい雰囲気を感じさせる、不思議な吸血鬼。
「私もフラれました」
「それはそれは、珍しいこともあるものですね。きっと心に決めたお相手がいらっしゃったのでしょう」
ガーストーン様はそう言って私を慰めてくれる。フラれたのは私のせいだと言ったりしない。うちの商会は基本、皆優しい。
「ちょっと悔しいです。胸まで揉ませたのに」
「ぶほっ!?」
と、私の言葉に思わずといった感じで噴き出すガーストーン様。そういえばガーストーン様、あんまりこういう話に耐性ないんだった。
「大丈夫ですか?」
「い、いや失礼。セサミさん、あなたの種族は存じていますが……あまり自分を安売りするものではありませんよ」
ガーストーン様はそんな風に良心的な言葉で私をいさめる。今更だけれど、悪魔なのに私を気遣うなんて、何だか変な感じ。
「安売りなんてとんでもないです。言いつけ通り、金貨二枚って吹っ掛けてますから」
「ああいや、そういう事ではないのですが」
ガーストーン様が頭を抱えるのを、私は複雑な思いで眺めた。
本当はもっと安売りしたい。
皆が私を大切にしてくれるのは嬉しいけれど、私はそんな、いい子じゃない。
場末で飲んだくれ相手に娼婦をやっていたような子供を、うちの商会は優しく迎え入れてくれた。すごく嬉しかったし、そんな皆のために私も何かしたいと思った。
だから手っ取り早く体を売ってお金を稼ぐことが、皆の恩に報いることだと思っていたけれど……そうじゃないのだと、私は教えてもらったのだ。
それはとてもありがたい。けれど、私は……。
「ねー。折角いい男だったのにねー」
「……グリル、余計な口挟まないで」
私の、ちょうど首の裏あたりから聞こえた声に、そっけなく返す。
「何よ、ガーストーン様も見ましたよね? あの吸血鬼サマ、すっごい美形でしたよね」
「ええ、そうですね。そういえばグリルさんはずっと外にいましたね」
「そうですよー、ってそうだ! 私ガーストーン様の戦いも見てたんですから!」
私の首の裏の声……グリルは何故か不満そうな口調で続ける。
「今回はちょっとサービスしすぎじゃないですか? いくらラセスチャー様が接待しろっておっしゃっても、わざと負けることなんてなかったじゃないですか」
「……負けた?」
「そうなのよセサミ! 金髪女にガーストーン様ったらわざと負けてみせたんだから!」
それは意外だ。グリルの言っているのは、恐らくいつもの賭け試合だろう。D銀貨一枚でガーストーン様に挑戦して、時間まで戦っていられたら金貨五枚という催しだ。
ガーストーン様は普段から手を抜いて戦うのだけれど、それでも負けた事は私が知る限りでは一度もなかった。
「ああ、いや……あれはですね」
ガーストーン様は何と答えたらいいかと思案するように馬車の天井を見上げて……。
「ふぅー、一仕事終えてきましたよ」
「! お帰りなさいませ、ラセスチャー様」
「お帰りなさいませ」
ガーストーン様と私は、黒い闇を纏って突如私の隣に現れた主に、首を垂れる。
グリルも口だけはお帰りなさいませ、と主に対する忠誠を示す。
「いやあー、久しぶりに気をはる相手でしたよ。見た目は子供でも、あまり侮らない方がよさそうですね。さて」
口ではそう言いつつ上機嫌に、ラセスチャー様は用意していたパンケーキに手を伸ばす。仕事が終わると決まってそうしている。
「予定されていた商談はどうなりましたか? ラセスチャー様」
「ええもう、上手くいきましたよ。第四悪魔商会の奴らが迫っていることを伝えたら、二つ返事で撃退すると」
ラセスチャー様はそんな事よりも目の前のケーキが大事といわんばかりにフォークを入れる。私が焼き上げたソレを口に頬張って嬉しそうにするのは……ああ、うん、作った側としてはこの上なく嬉しい。
「それは重畳でございます。これで良き関係を築けることでしょう」
「ま、そうなればいいんですけれどね。あの吸血鬼達がこの先生き残れればいいんですが」
ラセスチャー様は他人事みたいにそう言って、二口目を頬張る。
「ラセスチャー様は……あの吸血鬼様が魔王軍と敵対して生き残れるとお考えですか?」
「うーん、どうでしょうねー? ああセサミ、今日もこのケーキは絶品ですね」
「恐れ入ります」
ラセスチャー様は悪魔らしくはぐらかすような口調で、けれどどうやらケーキを美味しいと思ってくださっているのは本当のようで、私も心の中でグッと拳を握り締める。
「少数精鋭……聞こえはいいですがたったあれだけの数では魔王軍が本気を出せばすぐにでも蹴散らされてしまいそうです。幾人かは飛びぬけた強さを持っていましたが」
「んー、まあ、何とかするんじゃないですか? それよりガーストーン、あれはやりすぎですよ」
ガーストーン様の見解に適当に答えつつ、それで思い出したと言わんばかりにラセスチャー様はガーストーン様にフォークを向ける。
「負けるのは構いませんが、まさかあんなになるまであのお嬢さんをボロボロにするなんて」
「い、いえ、その、あれは」
ボロボロ?
ガーストーン様と戦ったという、さっき話に出た金髪女のことだろうか。ガーストーン様はグリルがその話題を出した時と同じように、何と答えたものかと思案して……。
「別にとやかく言いませんが、まさかガーストーンにあんな趣味があったとは」
「いえあれは手を抜いたわけではなく実は……趣味?」
「あの子をいたぶって喜んでいたのでしょう?」
「なあっ!?」
と、ガーストーン様は思わず声をあげる。
「そういう趣味もあることは知っていますが……程々にしてくださいね?」
「ち、違いますっ! 誓ってそのような趣味はございませんっ!」
「あの子もとびきり可愛らしかったのですから、ついついやりすぎてしまったのかもしれませんが」
「ほ、本当です! 本当にそうではないのです!」
何やらガーストーン様が必死に弁明している。状況が分からない私には何が何やらさっぱりで。
「あの娘の実力は本物です! わ、私はあの娘に完敗したのです!」
「えっ」
けれどガーストーン様のそんな叫びには、声をあげずにはいられなかった。
「あの娘、実力を隠したうえでわざと演出してみせたのです! 私は彼女の剣技に終始踊らされていたのです!」
「が、ガーストーン様が、まさか」
ガーストーン様の言葉に信じられない思いだった。
ガーストーン様の実力はよく知っている。今では私達の方が上だけれど、戦い方の基本を教えてくださったのは、間違いなくこのお方なのだ。
お歳で衰えたとはいえ、ガーストーン様を手のひらで弄ぶように戦える者など……。
「はっはっは、またまた冗談を」
「えっ!? い、いえラセスチャー様! 事実で」
「あんな可愛らしいお嬢さんが歴戦の悪魔を手玉に取るなんて、誰が信じるんですか?」
「い、いえですからっ!」
ラセスチャー様は楽しそうに笑ってまるで相手にしていない。まあ、ラセスチャー様はガーストーン様の実力をよく知っているし、私も同じ思いだけれど。
「ね、ねえセサミ、ガーストーン様の言ってること、どう思う?」
小声で話しかけるグリル。
「私も信じられないけれど……ガーストーン様はそんなつまらない嘘をつくお方じゃないわ」
ましてやラセスチャー様への報告に虚偽を述べるような真似は絶対しない。
となればあの吸血鬼様の陣営には……とんでもない使い手がいることになる。
「グリル、あなた見てたんじゃないの?」
「ええ!? え、ええと、あの金髪女、なんか途中から凄く強くなったけれど……あれでガーストーン様が負けるなんて思わなくて」
見ていたグリルにも分からないとなると、その実力は私達を上回っているという事か。
「ま、何にせよあの場は吸血鬼が上手くまとめてくれて助かりましたが」
焦燥するガーストーン様に対して、ラセスチャー様はまあいいかと軽くその話題を流してしまう。このお方にとってはそんな事よりもケーキをつつく方が大切なのだろう。
でも、もし、ガーストーン様が言っていることが事実なら……。
「ああそうそう、セサミ」
「ッ! は、はい、何でしょうか」
「これを」
そんな思いに駆られていた私の思考を遮って、ラセスチャー様は手から黒い闇を生み出して……。
「これ、どう思います?」
「え……何ですか、これは」
黒い闇の中から出てきた筒状の何かを手渡され、私は首を傾げた。
「金属の筒、ですか? 随分綺麗に彩られていますが」
吸血鬼様から買い取ったという美術品の類だろうか? 写実的な、雪を被った山の絵に、読めないけど、恐らくは文字が刻印されている。
特に魔力の類も感じない。おおよそ見たことのない品だけれど……。
「珈琲の缶詰、だそうですよ」
「……え?」
何でもない事のように仰るラセスチャー様の言葉に……しばし思考を停止する。
「その缶に珈琲が詰めてあるらしいんですよ。液体の状態で」
「え、えええ!? 珈琲を、ですか!?」
つ、つまりは珈琲の水筒? い、いやいや何でそんなものが。
「豆ならともかく、既に淹れたものをここに?」
ガーストーン様も不可思議な話に首をかしげている。挽きたての珈琲を味わわず、わざわざこんな缶に詰めてどうするというのだろう? 出先で飲むため? い、いや、それにしてもこの頑丈な造りは……。
試しに指でつついても、この容器はびくともしない。すぐに飲むわけじゃないというのなら、一体何のために……。
「その筒に入れておけば最低一年は保存が効くとか」
「……は?」
一年? いや、何をおっしゃって……。
「その状態で加熱も冷却も必要なく、開ければすぐに飲むことができるそうですよ」
「……ええええ!?」
ま、まさかっ!? い、いや、一年!? いくら何でもそれは無理だ。
「そんなに放置しては……いえ、液体の状態ではすぐに腐ります」
「こ、固形物にして水分を飛ばせば長期保存できるとは聞きますが、まさか液体でそれが可能だとは、とても思えません」
私とガーストーン様はそう言って疑問を述べるが、ラセスチャー様はご機嫌にケーキをつつき続ける。
「本格的に試してみるには時間が必要ですが……飲んでみます?」
ラセスチャー様はにっこり笑って私を見る。
「こ、これを、ですか?」
「ええ。あの吸血鬼達を信頼できるかどうか、物は試しで」
そんな、気軽に言ってくれる。
もしこれが腐っていたら私がお腹を壊すことになる。けど、ラセスチャー様は基本私達にそんな無理をさせることはない。少なくとも、ラセスチャー様はこの品を信用しているわけだ。
なら、私もラセスチャー様を信じなければ。
「で、では、いただきます……あの、どう開ければ?」
「そこの取っ手を指で起こしてください」
カシュ、という小気味いい音と共にふたが開く。な、成程? てこの原理で押し開ける形なのね?
「……」
ごくりと、一度覚悟を決めてから、それを喉に流し込んで……。
「……え」
おい、しい。
「……これ、ミルクが入ってます」
私のよく知る珈琲とは少し違う。この独特の甘みは……恐らく動物の乳だ。
「どうです? 面白いでしょう?」
「……馬鹿な」
動物の乳。それは、鮮度が最も必要とされるものの一つだ。
基本的に栄養価が高く同時に腐りやすい。それを、長期保存? 液体の状態で?
「空気を締め出して完全に密封する、基本的な原理はそれだけのようです。人間達が使う瓶詰と仕組みは同じ、というより発展させた形でしょうね。はるか先まで発展していますが」
「あ、こ、これは……と、とんでもないものを」
仮に。
仮に吸血鬼様が私たちに買い取らせる直前にこれを作ったのだとして……乳は沈殿していないし味も悪くない。
もし……もし本当に、それよりはるか前に作られたのだとしたら……。
「歴史が……食の歴史が、変わります」
「でしょうね。随分と吹っ掛けられたようですが、まあその価値はあるでしょう。その缶はもうドワーフ工房に回して再現を命じましたが……セサミ」
ラセスチャー様は、そうして商売の話をするときの口調で……。
「味の方は、再現できますか?」
「え、ええ。それなら、問題なく」
これと同じような味の珈琲ならすぐにでも淹れられる。勿論、新鮮な材料があれば、だけれど。
「では、頼みましたよ」
「はい……はい?」
「一連の再現の指揮をあなたに任せますので。ドワーフ工房も好きに使っていいですよ」
ええっ!? い、いやそれは……それって。
「ま、かせて、いただけるのですか?」
「ええ。成功すればしかるべき地位をお約束します」
「ッ!? か、必ずや成功させて御覧に入れますっ!」
まさか、こんな流れで重要な案件を任されるなんて!
「や、やったねセサミ! や、やったっ! やった!」
「う、うん……グリルも、手伝って」
興奮するグリルに、私も同じ気持ちで頷く。
ぜ、絶対に成功させなきゃ。
「ははっ、これは……セサミさんがこれを再現できれば、莫大な利益になりましょう! 食品の保存に革命が起きます! 戦場での兵糧の常識も変わりますし、そうなれば人間側からとんでもない量の注文が見込めます!」
そう、今は戦時下。ガーストーン様がおっしゃるように、とんでもない利益が見込め……。
「何言ってるんです。その保存技術をモノにできれば、全ての季節の果物を保存できるという事でしょう? そうなれば……ふふ、全ての季節の果物を乗せた夢のタルトを味わえるという事じゃないですか!」
と、興奮気味にまくし立てるラセスチャー様。あ、ああ、ラセスチャー様はそっちですよね。とはいえそれは本当に贅沢な品になるだろうし、買い求める富豪は山ほどいるだろう。
どう転んでも、この技術は商売に繋がる。
「いやはや、吸血鬼様様ですね」
ラセスチャー様はそんな事を呟いて、馬車から星の瞬く夜空に視線を移して。
「あなたはこの世界に……さて、何をもたらすつもりなのですかね」
馬車の中の小さな呟き。それは、広い広い夜空に、溶けて消えていく。
「……」
吸血鬼様……いや、銀の髪の、吸血鬼。
血の海に染まった瞳に宝石のような銀の髪を持つ、世にも美しい少年。
この珈琲の缶を見ても、彼の来歴はさっぱり想像がつかない。荒野に城を構えて、どういうわけか魔王軍と敵対している。どう生きてきたら、そんな道を歩むことになるのだろうか。
彼の言葉が、不意に耳に蘇る。
魅力的なお誘いだが、君を金で抱きたくはないな、と。
「……的外れな口説き文句」
子供の頃から娼婦として生きてきた私にとって、そんな言葉は、何の意味もなさない。
明日を生きるために必要だったのは、そんな愛の囁きじゃない。もっと現実的なモノ。
ラセスチャー様が、私に与えてくれたもの。
今になって、どうしてそんなことが気にかかるのか……。
「……」
私の胸を揉ませたとき。その手のひらから伝わった温かさは、本物だった。
それでも彼は私を拒んだ。あんな言葉は、私を体よく断るために口をついただけ……それとも彼は、本当に私を……。
なんて、それこそ。
「分不相応な望み、ね」
私もラセスチャー様と同じように、そんな言葉を星空に溶かして消していくのだった。




