8章 その2
マスターとは、この Cafe Mon ami の店主で、このカフェは彼一人で立ち上げ30年近くやっている知る人ぞ知る名店である。
珈琲の香りが、店の中を漂って香ばしい香りが充満している。二階堂は、その香りを楽しみながら、反対側に座っている晴人に話かけた。
「天宮、今日は依頼来てるのか?」
店の中は、ガランとしていた。中にいるのはマスターと店員と晴人と二階堂だけだった。
「んにゃ。全く」
「だろうな。」
二階堂は、落胆している訳でもなく同意した。この探偵事務所、依頼が毎日あることはなく一週間に一件か二件、下手をすれば一ヶ月まるまる仕事の依頼がない時もある。平和なのは喜ばしい事なのだが、探偵という職業の都合上仕事ゼロというのは、死活問題である。それでも事務所を畳まないのは、祖父から受け継いだ探偵という職業を終わらせたくなかったからだ。
「何か起きねーかな。事件とか」
「なかなか起きないでしょ。この街平和だし」
晴人は、ソファーに寝そべりながら、ゆるく答える。彼は、お気楽というかなんというか、依頼がないのはさして、重要な問題ではないようだった。
「オイオイ…こんなんで持つのかよ、この事務所…」
「うーん。結構微妙」
「微妙ってよ…」
二階堂は、呆れたように呟く。普通の仕事場なら即退職なのだろうが、彼は晴人の相棒として傍にいる。歳も離れ性格も見た目もまるで違う二人が探偵をやっているのはやはり異質なのだ。
「へい!珈琲お待ち」
「お待ちってマスター、すし屋じゃないんだからさ」
「あ?何だ晴人。文句あんなら飲むな。」
「いや、頂きます。」
そう言って珈琲を飲む。香りを楽しんだり味を噛み締めたりしながら、飲んだ方が良いのだろうがここの珈琲は、そう言ったこだわりはなく好きなように飲んで良いことになっている。
「うん!やっぱりマスターの珈琲は美味い。」
「ああ…疲れとか色んな嫌なモンが吹き飛んじまうな。」
「って二階堂さん疲れること何かしてたっけ?」
「当たり前だろ。色々あんだよ。」
「色々って…借金取りとか、ショバ代廻りとか?」
「んな訳ねーだろ。道場だ。」
「ああ、空手のだっけ?」
そうだ。と言いながら珈琲を啜る。基本はブラック派なのだが、ここのはミルクを入れるとまろやかさが出て味に深みが増す。二階堂は、味の変化を楽しみながら飲むのが好きだった。




