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微子の憂鬱  作者: 日和見


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裏工作

微子の憂鬱 第8話: 西伯・姫昌きしょう羑里ゆうりの地に幽閉され、すでに五年の月日が流れていた。 この頃の姫昌は、姜子牙きょうしがの手引きで引き合わされたしょうの最高賢者・箕子きしと共に開発していた『八卦はっけ』の思想もようやく形になり、最近は砦の中でいささか暇を持て余していた。「では西伯、また。次なる仕込みへと移ります」 羑里の砦を訪れていた姜子牙は、檻の奥の姫昌と短い打ち合わせを済ませると、足早にその場を立ち去った。すべては二年後の「放免」に向けた、壮大な盤面の整理である。 ――それから三日後の夜。 王都・朝歌ちょうかの高級社交場の一室で、微子びしは満面の笑みを浮かべて姜子牙を迎えていた。「やぁ呂望ろぼう! お前からの連絡を受けてから今夜が楽しみでなぁ、興奮して夜しか寝れなんだよ。はははは!」 本当の理解者である「呂牙(姜子牙)」に会える喜びで、微子の声は弾んでいた。「こんばんは、微子様。ありがたいお言葉、恐悦至極にございます。今夜の情報も、微子様のお役に立てば喜ばしい限り。……それと、こちら、今回のお土産にございます」 姜子牙が恭しく差し出したのは、地方の珍しい装飾品が入った美しい箱だった。「おお! いつもいつも各地の極上品をありがとう、呂望!」「滅相もございません。店を営む私なりの誠意にございます」 姜子牙は静かに微笑み、いつものように天下の情勢、そして微子の自尊心を大いに満たす分析を一通り伝えた。そして、他愛のない雑談へと移行した時、姜子牙はごく自然な口調で、仕込んでおいた「餌」を投げかけた。「……そういえば微子様。羑里に幽閉されている周の姫昌ですがね。最近、少々呆けてきていると、私の店の者が肉を卸しに赴いた際に耳にいたしました」 ピキリ、と室内の空気が凍りついた。 楽しげだった微子の顔に、あからさまに暗い陰が落ちる。「……ん? 微子様、いかがなされましたか?」 何も知らぬ風を装い、怪訝そうに首を傾げる姜子牙。微子は周囲をキョロキョロと警戒するように見回すと、声を潜めて椅子の距離を詰めてきた。「……呂望。ここだけの話にしてくれ。実はな、前にあの姫昌に対して、妲己と共に少々やらかしてしまってな……。それを弟(帝辛)に見咎められ、きつい釘を刺されているのだ。奴の話題は、あまり大っぴらにはできん」 微子の脳裏には、あの血の滴る生首の山がよぎっていた。恐怖を埋めるために妲己と泥沼の不倫関係に溺れていることなど、口が裂けても言えない。 怯える微子を見つめ、姜子牙は心中で冷酷にわらった。すべては自分の描いた絵図の通りだ。「なるほど、左様でございましたか。……ならば、もし今度ご予定が合えば、私と二人だけで、羑里の砦へ『見学』に赴きませんか? 他人に知られぬよう、隠密に」「おお、二人きりでか! よし、予定が決まったら、お前の経営している酒場に伝言を残しておこう」こうして後日、二人は人目を忍んで羑里の砦へと向かった。 高い見張り台から、檻の奥にいる姫昌を遠目から観察する。「……ずっと、窓の外の虚空を眺めておりますな」 姜子牙の言葉通り、姫昌はただぼんやりと天を見つめていた。我が子の肉を食わされたショックで、魂が抜けてしまった老人のように見える。「ふむ……。本当にボケているかは分からんが、心ここに在らず、といった様子だな」 微子が安堵と侮蔑の混ざった息を吐いた瞬間、姜子牙の口元がニヤリと歪んだ。「微子様。あんな牙の抜けた老人のために、貴重な商の兵たちを割いて監視を続けるなど、それこそ人員の無駄・・でございましょう?」「あ……。ああ、確かに。比干ひかん叔父上あたりに報告して、少し監視を緩めさせても良いな」「そこで、西方の担当官たる微子様にご相談が。――これを機に、周の重鎮たちに商への『朝貢』を呼びかけ、微子様の元へ莫大な貢ぎ物を持ってこさせるよう仕向けてはいかがでしょう。もし姫昌を放免する流れを作れれば、彼らも全財産を叩くはず。……成功すれば、私にもいくらかの分け前をいただければと」 姜子牙の俗っぽい提案に、微子はカッと目を見開いた後、我が意を得たりと大笑いした。「はははは! 呂望、今回の見学はお前、それが狙いだったか! 抜け目のない商人め!」「お恥ずかしい限りです」 頭を下げる姜子牙の肩を、微子は機嫌よくバンバンと叩いた。 自分が恐怖する帝辛の目を欺き、同時に無能な比干を動かし、さらに大金まで手に入る。何より、呂望が自分の利益のために、自分を頼ってくれている。 微子は幸福感に満たされていた。 自分が言われるがまま「姫昌を釈放するためのレール」の上に載せられ、周の反撃の手助けをさせられていることなど、恋する乙女のごとく呂望を信じ切った微子には、もう何も見えてはいなかった。(第8話 終)

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