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微子の憂鬱 第6話: 羑里の檻を隔て、姫昌と箕子という時代最高峰の頭脳を引き合わせた後。 ――姜子牙は、いよいよ朝歌の表舞台へとその触手を伸ばし始めた。 彼の目的は、商の重鎮たちの認識を徐々にずらし、惑わせ、王朝を内側から狂わせること。その手始めとして姜子牙が接触したのは、誰からも認められぬ孤独の闇の中で、激しい鬱屈を溜め込んでいた男――微子であった。「――微子様。お初にお目にかかります」 豪奢な一室で、男は静かに頭を下げた。「私、氏は呂、名は牙。字を望と申します」「ほう……。貴殿があの、巷で噂の有名な占い師か」 微子は値踏みするような視線を向けた。だが、呂牙――姜子牙は、ふっと不敵な笑みを漏らして首を横に振る。「とんでもない。占いなどただの建前にすぎませぬ。私は都市部にいくつかの店舗を構え、各所へ物資を運搬する商店を経営している者にございます。商流を握れば、自然と天下の情報が集まる……。私はそれを分析し、皆様にお伝えしているだけにすぎません」「情報、だと?」 微子の目がわずかに見開かれた。ただのオカルトではない。現実的な数値を握る男だと直感したのだ。「ふむ。ならば私の評価を聞かせてくれるか? ……忖度は無しだ」 試すような微子の問いに、姜子牙は一切の躊躇なく、冷徹な一言を放った。「はっ。では率直に。――まず、微子様が担当された西方の慰撫。これは『失敗』でございます。周の勢力の急激な拡大を止められなかった」「ぬうっ……!」 図星を突かれ、微子の顔が屈辱に歪む。やっぱりこの男も私を無能と嗤うのか、と拳を握りしめた瞬間、姜子牙の言葉が続いた。「――しかし」 姜子牙の声音が、わずかに低くなる。「周の君主・姫昌を王都へ召喚したこと。これは、他ならぬ微子様の大正解にございます。実際、あなたの策によって、周の増長はピタリと止まりました」「……お、おお。続けてくれ」 微子の声が、期待に震え始める。姜子牙は罠に掛かった獲物を愛でるような目で、さらに甘い言葉を紡いだ。「ただし、召喚したならば、即座に処刑すべきでした。他の諸侯の批判など恐れず、あの場で禍根を断ち切るべきだった。大王も比干様も、実に中途半端なことをなさる」「うむ……! その通りだ!」「いえ、最後に。百歩譲って羑里に幽閉したならば、徹底的に姫昌の心を折り、二度と商に歯向かわぬよう、卑屈に頭を下げさせるように仕込むべきでした。貴人として扱うなど論外にございます」「うむ。ありがとう、呂牙殿。大いに参考になった」 胸のすくような言葉の数々に、微子は興奮を隠せなかった。その後も他愛のない雑談をいくつか交わし、姜子牙は静かに部屋を出て行った。 パタン、と扉が閉まる。 静まり返った部屋に取り残された微子は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。「……ああ」 ぽつりと、掠れた声が漏れる。 じわじわと胸の奥から湧き上がる熱い感情が、彼の全身を満たしていく。(私の考えを……私の孤独を、これほどまでに理解し、肯定してくれる人が、この世界にいたとは……!) 姜子牙の去っていった扉を見つめる微子の顔は、陰謀を企む冷酷な王族のそれではない。まるで、生まれて初めて本当の理解者に出会い、熱烈な恋に落ちてしまった「乙女」のように――頬を林檎のように赤らめ、だらしなく歓喜に身を委ねて、うっとりと緩みきっていた。




