怪物
微子の憂鬱 第34話 四男の周公旦が摂政の座に就いてから、一年と少し。 それは、私が「呂望の技術」を盗み、再び陰謀の表舞台へと動き出した期間とほぼ同じであった。 三男の兄・管叔鮮も、五男の弟・蔡叔度も、そして都で孤立する周公旦も。亡き姫昌の息子たちは皆、哀れなほど私の思惑通りに、最高の反応を返してくれている。 彼らの兄弟の絆は、私の運ぶ「角度のついた真実」によって、いまや今にも千切れそうなほどにすり減っていた。 己の知略に、私は確かな手応えを感じていた。 ――だが。東方の地から届いたある「一報」が、私の背筋を凍りつかせた。「……何だと? 呂望が、あの未開の敵地を見事にまとめあげただと?」 あの周公旦が摂政に就いて追放を告げたあの日、兵も持たされず、身内だけで東方の最前線へと追放された呂望。 都の誰もが、あの老人は現地で異民族に揉まれて野垂れ死ぬだろうと高を括っていた。 しかし、あの化け物は生きていた。それどころか、信じがたい速度で「斉」の地を席巻していたのだ。 届いた報告書には、凄まじい事実が並んでいた。 呂望は斉国内の街道を爆速で整備し、早馬や物資を中継するための駅を次々と建設。さらに、現地の海を活かして「塩」を大増産し、それを特産品として他国へ売りさばくことで、国をどんどん大きく、豊かにしているという。 私はその報告を竹簡がへし折れるほどの力で握りしめ、あまりの理不尽さに内心で猛烈な怒号をあげていた。(おいおいおい!! ちょっと待て呂望!! その手法、私の弟――亡き帝辛(辛)のやり方そのものじゃねえか!!!) 血統や身分だけに頼らず、能力がある者を異民族だろうと引き立てる。 農業だけでなく、商業や物流、製塩を盛んにして経済を爆発的に回し、国力を巨大にする。(周の連中は、あれを『商の悪辣な政策だ』『天理に背く暴政だ』と寄ってたかって全否定し、国ごと叩き潰したはずだ。それを、自分たちが追放された途端にそっくりそのまま真似をして大繁栄させるだと!? 恥を知らんのか、恥を!!) あまりの厚顔無恥さに吐き気がする。だが同時に、追い詰められてなお「勝つために敵の技術すら平然と盗んで完璧に使いこなす」、呂望という男の底知れない『怪物』っぷりに、私はガタガタと鳥肌が立つのを抑えられなかった。 ――だが、いくら奴が化け物であろうとも、今回は私の勝ちだ。「幾ら頑張って国を豊かにしようとも……現在の斉の周囲に、新興の周王朝を心から好いている諸侯など、一人も居まい」 私が都と前線に仕掛けた不信の爆弾は、すでに導火線に火がついている。 これが成就すれば、天下は周公旦を戴く「新王朝派」と、管叔鮮たち三監や商の遺民を戴く「旧王朝派」に真っ二つに分かれ、血で血を洗う大内戦へと突入する。 そうなれば、どれほど斉が豊かになろうとも、周囲の敵対諸侯に囲まれて一瞬で圧殺されるはずだ。「今度こそ終わりだ、呂望。私の手のひらの上で、今度こそ哀れに叩き潰されろ」 私は暗闇の中で冷酷に微笑んだ。 かつて自分を捨て駒にした化け物への復讐の炎を燃やしながら、私は天下を破滅させる最後の一押しへと、冷徹に歩みを進めるのだった。




