勉強会
微子の憂鬱 第17話 偉大なる君主・姫昌の崩御から、息つく暇もなく。 新たなる主・姫発の元で、周はその勢力を恐ろしい速度で拡大させていた。南の大国「召」とも正式に同盟を結び、その君主である召公奭とも密に連絡を取り合って連携を強化する。商を完膚なきまでに包囲する舞台装置は、着実に整いつつあった。 そんなある日の夜、軍師・姜子牙の天幕にて、若き発と管叔鮮を交えた秘密の「勉強会」が開かれていた。卓上には、商の版図と軍の動向が記された巨大な地図が広げられている。「発殿、鮮殿。商の大規模な東方遠征が始まってから、すでに二年が経過しました。もし今、大王(帝辛)が東方の遠征軍に退却を命じた場合、およそ半年もあれば精鋭の半数は朝歌へと戻せるでしょう。――ならば、我ら反商連合が今取るべき一手は、何だと思いますか?」 姜子牙の問いかけに、次男の発は腕を組んで深く考え込んだ。「師父。では、一年後ならどうですか? 二年後なら? 遠征軍が東の奥深くへ進めば進むほど、朝歌へ引き返すための帰還時間は余計に掛かるはずです」「なるほど、良い着眼点です」 姜子牙は深く頷き、ふっと笑みを漏らした。「確かに、時間が経てば経つほど敵の帰還には時間がかかります。しかし、逆に東方の平定に目処がついてしまえば、帝辛は余裕を持って兵の半数を朝歌へ戻すでしょう。時間が経つということは、我らにとって状況が良くなる要因と、悪くなる要因の双方が存在する、ということです」 戦は常に流動的であるという教え。すかさず、隣の鮮が身を乗り出して拳を机に叩いた。「師父! ならば『今』ではありませんか! 今すぐ、召や姜族といった同盟諸侯と一斉に商へ攻め込むのです! 主力なき今の商ならば、数において我らの方が圧倒的に勝っています!」「なるほど、鮮殿。確かに、私が常々伝えている通り、戦の基本は『敵より多い軍勢を揃えること』。兵の錬度や装備が互角であるならば、数が多ければ多いほど絶対に有利になります」 うんうんと満足げに頷き合う発と鮮。しかし、姜子牙の瞳が冷徹に細められた。「……ですが、現状で五万を超える我が反商連合の軍勢が国境を越えて進軍すれば、即座に商の斥候に発見されます。例え緒戦で勝てたとしても、手薄な朝歌の防衛戦で比干らに時間を稼がれ、粘られたら……どうなると思いますか? 東方からの遠征軍の帰還が、十分に間に合ってしまう可能性があるのです」「あ……」 発と鮮は息を呑み、顔を見合わせた。数が多くても、隠密性と進軍速度が足りなければ、泥沼の持久戦の末に背後から本隊に圧し潰される。「では、一体どうすれば……」 頭を抱える二人の若き獅子を、姜子牙はどこまでも優しく、微笑ましげに見つめた。そして、懐から一枚の極秘の計画書を取り出し、卓上へ滑らせた。「発殿、鮮殿。――実は、こんな計画がございます」 二人が目を見開く。「我ら西方諸侯が、東方遠征を支援するために『大規模な朝貢(物資支援)』を行うと、商の宮廷に伝えるのです。運搬する荷の半分は、確かに穀物や財宝などの貢ぎ物。しかし……残りの半分は、『物資の護衛』を名目にした我が周の軍勢でございます。これならば、大軍であっても商の警戒を誘わずに、堂々と首都の喉元まで行軍できる」 姜子牙の言葉に、鮮がハッと息を呑んだ。「さらに、朝貢の移動という大義名分があれば、我らは行軍のための街道を堂々と整備し、補給のための『倉庫』や『宿舎』を商の領内に合法的に建設して進むことができます。これらがどういう意味を持つか、分かりますか?」 今度は発が、興奮に顔を上気させて叫んだ。「……! この『朝貢のルート』こそが、いざ本番の戦が起きた時、我らの大軍が一瞬で商の心臓部へ攻め入るための、完璧な『高速進軍レーン(兵站ベース)』になるのですね!」「その通りにございます、発殿」 姜子牙は悪魔のような、しかし最高の師としての微笑みを浮かべた。「素晴らしい策だ……! よし、鮮、すぐに細部を詰めよう!」「ああ、兄上!」 発と鮮は、血湧き肉躍る思いで計画書の細部を貪るように読み込み、姜子牙に「ここは商の関所に怪しまれる」「ならばこう偽装しよう」と細部を厳しく指摘してもらいながら、完璧な作戦を練り上げていった。 数日後、この計画は周の朝議にかけられ、満場一致で承認された。 商王朝の息の根を止めるための、空前絶後の大規模な威力偵察――『予行演習としての朝貢』が、怪物の手によってついに発動しようとしていた。(第17話 終)




