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微子の憂鬱  作者: 日和見


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予行演習

微子の憂鬱 第15話: しょうの空前絶後の東方遠征が始まってから、瞬く間に歳月が流れていた。 王都・朝歌ちょうかのいつもの高級社交場の一室。微子びしは、対面に座る男の顔を見るなり、嬉しそうに声を弾ませた。「おお、久しいな! 呂望ろぼう!」「こんばんは、微子様。最近は少々忙しく、中々顔を出せず申し訳ありません」「気にするな。我らが商の東方遠征に伴う物資の運搬など、今や天下の商人は幾らでも仕事があろう。大変だな」 微子は上機嫌で、愛する理解者を気遣った。姜子牙きょうしがは恭しく感謝を述べながら、今回も「極秘の情報分析」として、微子の目の前に木簡を広げた。「微子様、実は前回の東方遠征より十年の間に、商が蓄えてきた物資の数々……。それら全てを注ぎ込んでも、この遠征は五年も持たないという試算が出ました」「な……何だと? 五年も持たぬ、とはどういうことだ」 困惑する微子に対し、姜子牙は冷徹な数値を並べて詳細に説明していく。莫大な兵糧の消費、気の遠くなるような補給線の維持費。朧気ながらその危機的な現実を理解した微子は、「ああ、我ら商はそれほどの覚悟を持って東を撃っているのだな」と、他人事のように感嘆するばかりだった。 数日後。朝歌に滞在していたしゅうの高官から、新たなる君主・姫発きはつの名において、西方担当官である微子へ驚くべき申し出がなされた。 ――東方遠征を続ける商王朝の一助となるべく、周を中心とした西方の諸侯を総動員し、穀物を中心とした大規模な朝貢(物資の無償提供)を行いたい、というのだ。「これぞ私の功績だ!」微子は快哉を叫び、すぐさまこの案件を朝議へと持ち込んだ。「大王(帝辛)! 我が担当する西方より、周を中心とした諸侯達の大規模な朝貢の申し出がございます! ただちに朝歌への受け入れ許可を!」 微子が胸を張って上奏したその時、横から鋭い「待った」がかかった。宰相の比干ひかんである。「お待ちくだされ大王! 今の朝歌は東方遠征により、普段と比べ格段に手薄! そのような状況で、西方の諸侯軍を物資運搬の名目で首都の喉元まで呼び寄せるなど、あまりに危険極まりませぬ!」「何だと!? 周は忠誠を示しているのだぞ!」 比干の真っ当な危機感に対し、手柄を潰されたくない微子は激昂し、議論は激しく紛糾した。だが、玉座の帝辛は底知れぬ無表情のまま、冷淡に沙汰を下した。「……ならば、商とすうの国境にて、荷の受け渡しを行え。朝歌への立ち入りは禁ずる。――これは決定だ。微子、よくやった。見事な交渉だ、褒美を取らす」 それだけを言い残し、帝辛は奥へと消えた。形の上では褒められたものの、朝歌への誘引という「本来の計画」を比干に潰された微子の腹の虫は、決して収まらなかった。 その夜、いつもの社交場。微子は激しい怒りとともに、姜子牙の前で杯を叩きつけた。「なぜだ! なぜ比干叔父上は、何時も何時も私の邪魔をするのだ! せっかくの私の大功績を!」 青筋を立てて憤る微子を見つめ、姜子牙は心の中で冷酷に口元を吊り上げた。そして、耳元で甘く、決定的な毒を囁く。「微子様。比干様の懸念も、一応は理解できます。……が、やはり。これほど優秀な微子様に対する『嫉妬』、あるいはご自身の地位を脅かされることへの『対抗心』なのではないでしょうか」「……! やはりそうか! やはりあの男は、私を妬んでいるのだな!」 脳内を支配していた劣等感が、姜子牙の言葉によって「比干への憎悪」へと完全に書き換えられる。合点がいったと納得する微子に、姜子牙はさらに深く、破滅への手招きをした。「ええ。ですから微子様、ここは今回の国境での朝貢を完璧に成功させ、実績を積み重ねるのです。チャンスは必ず来ます。……いずれは比干様に代わり、微子様が新たな宰相の座に就き、この商を正しく導かれてはいかがですか?」「私が……宰相に……!」 甘美な誘惑に、微子の顔が歓喜で緩み、赤らんでいく。「では、私はこれにて。また次の有意義な時間をお待ちしております、微子様」「ああ、呂望。今回も本当に有意義だった! 次回を楽しみにしているぞ!」 全幅の信頼を寄せる呂望を見送った微子は、全財産を叩いた以上の万能感に浸っていた。 その後、国境沿いにて、西方諸侯による大規模な朝貢が滞りなく成された。 後世の歴史書には、こう記されることになる。『周の武王、かつて諸侯を率いて一度商へ進軍するも、「天命いまだ至らず」と言い残し、不自然に軍を引いた』と。 一度目はなぜ戦わずに撤退したのか。謎とされたその歴史の真実を、この時の商の人間は誰も知らなかった。 商にとっては、ただのありがたい物資補給。 しかし姜子牙にとっては――有事の際、西方の軍勢がどれほどの速度で商の防衛線を突破し、首都へと迫ることができるか。そして商の防衛体制がどう反応するかを正確に測るための、完璧な『易姓革命の予行演習(威力偵察)』に他ならなかったのである。(第15話 終)

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