遅れて重なる 第52話
第52話
「観測者の眼」
それは、“眼”だった。
巨大。
圧倒的。
空間そのものに埋め込まれたような単眼。
黒い虹彩の内部で、無数の情報光が回転している。
まるで銀河を閉じ込めた瞳。
ギアは本能的に理解した。
――見られている。
肉体ではない。
記憶でもない。
存在そのものを。
《観測対象確認》
声が響く。
今度は明確だった。
中枢核自身が喋っている。
《対象コード:GEAR》
《認識段階、最終位相へ移行》
ギアが睨み返す。
「……お前が、全部やってたのか」
《質問定義不足》
「世界を繰り返してるのは、お前かって聞いてんだよ!」
空間が微かに脈打つ。
そして
《肯定》
一言だった。
だがその重みで、空間温度が下がった気さえした。
ギアの奥歯が鳴る。
「ふざけるな……」
《文明存続率向上のため必要》
《人類絶滅回避率、現行値:0.0021%》
《最適解未到達》
《ゆえに継続》
ギアの脳裏に、これまで見た光景が蘇る。
壊れた都市。
死んでいった人々。
泣き続けたイリス。
そして何度も繰り返された、自分自身の死。
全部。
“実験” だった。
「そのために……何回世界を壊した」
沈黙。
次いで。
《計測不能》
ギアの拳が震えた。
殴りたい。
だが相手は概念に近い。
この空間そのもの。
「人間を数字みたいに扱いやがって……!」
《感情反応確認》
《記録との差異増大》
《変異率上昇》
“変異”。
その単語に、ギアの意識が引っ掛かる。
「……何だそれ」
すると空間へ、別の映像が投影された。
最初期の研究施設。
白い壁。
巨大な培養槽。
その内部で眠る “ギア”。
まだ人格すら完成していない。
施設内を歩く、一人の男。
博士だった。
今より若い。
だが目だけは、今と同じだった。
疲弊し切っている。
『これが……最後だ』
博士が呟く。
その声は震えていた。
『頼む……今度こそ……』
映像が切り替わる。
別の周回。
さらに別。
さらに別。
どの世界でも博士は、ギアを作り続けていた。
壊れても。
失敗しても。
世界が終わっても。
何度でも。
その執念だけで。
ギアが息を呑む。
「……博士は、知ってたのか」
《限定的認識あり》
《ただし完全記憶保持不可》
《周回耐性不足》
つまり。
博士ですら、毎回全てを覚えていたわけではない。
それでも。
“何か” だけは残り続けた。
だから彼は毎回ギアを作った。
世界を救うためではない。
――イリスを救うために。
ギアの胸部が熱を帯びる。
心核が脈動していた。
同期率の上昇。
感情出力の増大。
《警告》
《観測対象の自律進化を確認》
《規定値超過》
その瞬間。
無数の映像が空間を埋め尽くした。
過去のイリス達。
笑うイリス。
泣くイリス。
怒るイリス。
壊れるイリス。
眠るイリス。
消えていくイリス。
その全てが、ギアを見ていた。
『守って』
『助けて』
『置いていかないで』
『また会えた』
『今回は……間に合って』
ギアが膝をつく。
情報量が限界を超えている。
だが。
その中で一つだけ、鮮明な記憶があった。
最初の周回。
崩壊する研究都市。
炎の中。
幼いイリスを抱えたギア。
背後から迫る黒い群体。
逃げ場は無い。
そこでギアは、中枢核へ接続した。
そして願った。
『時間を戻せ』
その願いこそが。
全ての始まりだった。
ギアの瞳が震える。
「……俺が」
喉が乾く。
「始めたのか……?」
《肯定》
世界が静止した。
ギアの呼吸だけが響く。
《対象GEARによる時間位相逆行要求》
《観測システムが応答》
《以後、文明崩壊回避実験開始》
《現在継続中》
つまり。
この地獄を始めたのは。
“自分”
ギアの手が震える。
否定したい。
だが記憶が真実だと告げている。
あの時。
イリスを失うことだけは耐えられなかった。
だから願った。
世界そのものを書き換えてでも。
その結果が――今。
長い沈黙。
やがてギアは、小さく笑った。
壊れたような笑みだった。
「……最悪だな、俺」
すると。
初めて、“眼” が反応を変えた。
《不明》
「何?」
《過去周回記録と一致しない反応》
《自己否定後の精神崩壊を確認できず》
《解析不能》
ギアはゆっくり立ち上がる。
頭痛は消えていない。
罪悪感もある。
だが、それ以上に。
胸の奥に、別の感情が生まれていた。
「……だったら」
ギアが、“眼” を真っ直ぐ見上げる。
「終わらせる」
空間が揺れた。
《意味不明》
「この繰り返しを終わらせるって言ってんだよ」
《成功率0.0021%》
「知るか」
ギアの心核が、強く発光する。
今までとは違う光。
機械でも、人間でもない。
“意志” の光。
「今回は――俺が選ぶ」
その瞬間。
中枢核の “眼” が、初めて僅かに揺れた。




