第37話 エピローグ② 神は沈黙し、人は歩き続ける(第一部完)
第一部はこれで終わりです。
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夜明け前の空は、まだ色を持たない。
世界が始まる直前の、その曖昧な時間帯を、勇者は好んだ。
騎士は黙って歩いている。足取りは一定で、迷いはない。
裁判を終え、すべてを失ったはずの背中は、不思議なほど真っ直ぐだった。
勇者は、その背を見ながら思う。
――ああ、この男は、まだ人を信じている。
「ねえ」
勇者が声をかける。
「はい」
返事は、変わらない。敬意があり、距離があり、そして揺らがない。
「君さ」
勇者は歩調を緩め、少しだけ真面目な声になる。
「自分が何を選んだか、分かってるかい?」
騎士は立ち止まらない。
「……理解しているつもりです」
「神に逆らった」
「はい」
「聖国を敵に回した」
「はい」
「聖女を、人として救えなかった」
一瞬だけ、間が空いた。
「……はい」
勇者は息を吸い、ゆっくり吐いた。
「それでも、君は間違ってないって顔をしてる」
騎士は、少し考えてから答える。
「俺のすべてが正しかった、とは言いません。ただ――人であろうとしました」
勇者は小さく笑う。
「ほんと、そこだよ。……ぶきっちょ」
足を止め、騎士の隣に並ぶ。
「君はさ、世界を救おうとしなかった。でも」
勇者は、前を見据える。
「人類を、裏切らなかった」
その言葉に、騎士は初めて足を止めた。
「……勇者様」
勇者は、真っ直ぐに騎士を見る。
その瞳に、冗談はない。
「僕は、人類の守護者だ。……そう決められた」
それは、称号でもない。この人もまた、背負った立場だった。
「人類を守るために、何を切り捨てるかを、僕はずっと考えてきた」
騎士は、黙って聞いている。
「秩序、神意、世界。いつかは捨てなきゃって思ってた」
勇者は一度、拳を握る。
「でもさ。君は、最後まで否定しようとしなかった。自分を切り捨てられてまでも。それらはさ、世界で一番大きなものと言っていいものだと思うからさ」
「……」
勇者は、少しだけ声を落とす。
「それができた人間を、僕は知らない」
風が吹く。
二人の間を、冷たい空気が通り抜ける。
「だから」
勇者は、はっきりと言った。
「君を、人類の側に立つ者として、僕だけは最後まで認めるよ」
称号は与えない。
剣も、旗も、命令もない。
ただ、認める。
騎士は、ゆっくりと頭を下げた。
「……過分なお言葉です」
その言葉は、静かで、重かった。
再び歩き出す。今度は、二人並んで。
進む先に、救いはないかもしれない。
神は振り向かない。
聖国には、もう戻れない。
それでも。
「ねえ」
勇者が、いつもの調子に戻る。
「これからどうする?」
「……分かりません」
「そっか」
勇者は笑う。
「じゃあ、しばらく一緒に行こう。人類代表として」
「……代表、ですか」
「うん。君みたいなのが一人だとさ、また同じこと繰り返すから」
空はまだ低く、色を持たない。
夜は終わったが、朝は、世界は祝福を約束しない。
それでも、騎士は歩いた。
かの国で名を奪われても。
誰にも正しさを証明できなくても。
勇者は、隣を歩く。守るべき人類が、そこにいるからだ。
二人の足音だけが、世界に残る。
神は沈黙したが、人は歩き続けた。




