第百八話 転校初日
それは前日に遡る。
「ねえねえ芹緒さん」美琴は中年男性姿の芹緒のことは『芹緒さん』と呼ぶ。少女姿の芹緒のことは『優香』と呼び可愛がっているが、そこは使い分けているようだ。「芹緒さんが来世にってやり残したこと、あるよね?」
「え?」
ここは美琴の部屋ではない。九条家の当主が座る当主の部屋だ。
美琴が道里と言い争って当主の座を得たと聞いた当初、芹緒は心底驚いた。芹緒にとって九条家の当主は芹緒が元々勤めていた会社の社長である道里だったからだ。
なぜ当主になったのか聞くと、美琴は執務テーブルに両肘を着きながら答えた。
「そんなの前当主が仕事忙しいことにかまけて、何もしてこなかったからだよ」
少年姿の美琴の姿はまだ少し慣れない。
元々の金髪はそのままに、身長も伸び、あの不釣り合いなほど大きかった胸は消え、年齢より少し大人びて見える美琴。
当主教育は叩き込まれていたこともあり、道里から当主の座を引き継いでまだ一週間も経っていないが、特に屋敷内に混乱は起きていない。
当主として必須の『力』の保有も、結果的に芹緒が持っていってしまったとはいえ、少女の美琴姿でも芹緒と会ったあの日、不随意のテレポートに入れ替わりと発揮している。
そして現在は少年姿、つまり性別変換をしていることもあり、誰にも美琴に当主になる資格がないとは言わせていない。
「私……僕が芹緒さんと入れ替わった時、力を発動した時は来てくれたけど、紫苑鷹秋の件では後始末も含めて後手後手、今回の芹緒さん事件でも何もしないで会社の運営に勤しんでいるとなれば、もう会社だけしてれば?って思うよね」
「立場があるとすぐ動けないこともあるよ」
芹緒がそうフォローするが
「だとしても家のことを放っておいて仕事優先なら、もういい!ってなるよ」
仕事ばかりで子どもにかまえない一般父子家庭の絵が目の前の上流社会の九条家に重なる。お金や仕える人が大勢いても子どもはそう感じてしまうのだろう。
「一条家から九条家まで九つの家を束ねる九家だって、蓋を開けてみれば後継者探しに苦労しているご老人ばかり。そりゃあいつまで経っても会議なんて開かれないわけよ。私が力を発揮した時に即紫苑鷹秋を許嫁から外していれば、紫苑は事件を起こせなかったってのにね」
美琴は興奮していて、自分が女の子の口調に戻っていることに気付いていない。
「でも紫苑鷹秋が事件を起こさなかったら、囚われていた女性たちは見つからず救えなかったんだから、物事は良いこと悪いことばかりじゃないよ」
「う……それはまあそうだけど」美琴は芹緒の反論を素直に認めて言葉に詰まる。だがすぐに「そういえば芹緒さん女性を自分から誘って一夜を共にしたそうじゃない。男として前進ね!!」
「そういうことわざわざ言わないで」芹緒は顔を赤くしながら続ける。「彼女には色々お世話になったし、そうしないと心の世界に引きこもるって言われたから……」
「ああもう」美琴は芹緒の言葉に割り込む。「お前がいい女だから抱いた。それでいいじゃない」
「そういう台詞、僕からは一生出てこないと思う……」
「まあ男芹緒さんはどんどん女を抱いて男として自信をつけていけばいいわ。だけど」美琴は立ち上がって芹緒に近付き、中年男性である芹緒の太い腰に手を回す。「可愛い少女優香は僕がしっかり躾けてあげるから覚悟してね?」
「〜〜〜///」
美琴の少年とは思えない色気に、外見の性別関係なく芹緒の心の乙女が騒ぎ出す。
芹緒と美琴はお互いが男女として睦まじい関係を持っていた。どっちの性別になっても美琴が攻めだが。
美琴が誘うことはあっても芹緒から誘ったことは一度もない。だから美琴も褒め称えたのだ。
そして今。
「やり残したこと……?」
自信たっぷりの美琴にそう言われるが、芹緒には皆目見当もつかない。首を捻っている芹緒の様子に、美琴は生温かい視線を向ける。『優香って手のかかる娘だよねえ』的視線だ。
「芹緒さんは美少女になりたかっただけなの? 美少女になってしたかったこととかあるんじゃないの?」
困っている可愛い芹緒に美琴が助け船を出す。目の前の芹緒が自分より年上でもお構いなしだ。
その美琴の言葉に芹緒の顔が真っ赤になる。芹緒がもじもじする。
「いやいや」美琴は芹緒の淫らな勘違いに気付くと意地の悪い笑みを浮かべる。「芹緒さんが思い描いているような女の快楽は僕がもう何度も与えてるじゃない。まだまだ欲しいの? 優香は欲しがり屋さんだなぁ。今夜してあげるから大人しく待っててね」
芹緒の内面を見透かしたかのような美琴の台詞に、芹緒の乙女心はクラクラきている。
芹緒はずっと誰かに愛されたかった。
無条件に愛される対象として、芹緒は『美少女』を見出した。
そして実際美少女となり、美琴や時折少年となった桜子たちにこれでもかと愛情(物理)を注ぎ込まれ、芹緒はようやく心身満たされた。
確かに男性として女性と事を為す時、自分の行動で相手が反応してくれるのは嬉しい。男性の本能として女性を支配し、自分のものにする感覚はとても甘美だ。
だが芹緒は自分自身に男性としての魅力があるとは信じていない。それは今までの人生からであったり、男性器のサイズからであったりする。
確かに芹緒の真摯な態度は少女たちを陶酔させ、芹緒の小さいサイズは少女たちにはちょうど良いサイズである。だから芹緒は少女たちは自分との行為に満足してくれていると思っている。
ただ本当のところ、女性たちは芹緒と心の世界で自分だけのために心と時間を割いて真正面に向き合ってくれた芹緒を愛している。そんな愛する男性と全てを曝け出して愛し合うことで多幸感を味わっており、芹緒のサイズなんて気にも留めていない。それは美琴たちも同じだ。
美琴が少女の芹緒を抱くのは、芹緒にも男性器のサイズが全てではない、多幸感に溺れて欲しいのもある。ただ悲しいかな美琴のテクニックは芹緒に多幸感を感じさせる前に性的興奮を高め切ってしまい、美琴による思春期特有の性的興奮の勢いのまま、芹緒は毎回ひっくり返ったカエルのような無様な姿を晒している。
それでいて美琴は芹緒に多幸感を覚えてほしいと思っているのだから見事なすれ違いである。
「思春期取り戻さない?」
美琴の言葉は芹緒にとって想像だにしない突拍子もないものだった。美琴はいつも芹緒の想像の枠外の発想をする。
「楽しい青春を謳歌してみない? 私になってた時ってどこ行くのもガチガチに護衛されてて自由なんてなかったでしょ? 友達と買い食いしたり好きな人のことでお話したり。どう? 体験してみたくない?」
「それは美琴さんがしたいことじゃないの?」
すかさず芹緒が美琴に反撃する。芹緒にとって思春期は一度過ごしたものだが、美琴は今がそうだ。
「うーん」芹緒に指摘された美琴は眉をひそめてしばし考える。が「僕としては堅苦しい家の女として好きでもない男と結婚させられそうになっていたあの時から思えば、男になって自由を得られた今が一番最高だね。芹緒さんとのデートはいずれしたいけど、僕たちもうそういう甘酸っぱいの飛び越えちゃってるし」
「美琴さんたちが我慢出来ないから……」
「ふーん、それでも最後に自分でヤるって決めたのは芹緒さんでしょ? それはダメだよ」
「うう」
「まあそういう訳で」美琴は芹緒に決定事項を言い渡す。「明日から姫恋が元通っていた中学校に転校してもらうから。頑張ってね」
「はああ!?」
寝耳に水すぎる。
明日、明日と言ったか!?
「大丈夫、姫恋も準備出来てるから」
「僕の準備が出来てない!!!」
「芹緒さんに時間の猶予あげたら伸ばし伸ばしにしちゃうでしょ?」
「……」
いつの間に美琴は芹緒のことをここまで知り尽くしてしまったのだろうか。身体は許しても心はそこまで開いていないはずなのに。
「芹緒さん分かりやすいから。可愛いなぁもう。ああ今夜楽しみ! 仕事も頑張れる!!」
美琴がトリップしてしまった。こうなったら話は続けられない。
背後からさつきが近付いてきた。手には白いセーラー服に紺色のプリーツスカートを持って。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして翌日早朝。
前日九条邸に泊まり美琴にたっぷり愛された芹緒は、あれよあれよという間に高速道路を走る送迎用リムジンの車中の人となっていた。
「芹緒様大丈夫ですか?」
ハンドルを握るつつじが芹緒に話かける。
「んーダメっぽい?」
そんな芹緒の隣に座るのは姫恋だった。芹緒と同じ制服を着ている。
「姫恋様良くお似合いですね」
さつきの言葉に姫恋は嬉しそうに頷く。
「元々この学校には少しだけ通ってたからね! 制服見つかって着れて良かったよぉ」
「つまり、姫恋さんもグルなんだね」ようやく口を開いた芹緒から出てきたのは恨みの言葉だった。「知らないのは僕だけ……。ひどいや」
「だって優香さん始めから話聞いてたら絶対嫌がったでしょ?」「当然」「でもアタシたちは優香さんのしたいこと叶えてあげたいんだ。6P? とかも叶えたじゃない」
「僕はそんなことしたいなんて言ってない」
「まあまあまあ」さつきが割って入る。「皆様が芹緒様のしたいことを叶えたいって気持ちは本当なんですよ? 心機一転、心も中学生に戻って青春過ごすのも素敵なことじゃないですか」
「あのね」芹緒は彼女たちの勘違いを正すべく発言する。「百歩譲って僕が青春やり直したいとしてだよ? この姿で青春するってことは相手男の子じゃん」
「それが何か?」
「さつきさんはBL方面にも造詣が深いからそうなるかもしれないけど、実際問題、精神は男の僕が男の子の性的対象になるのはゾッとするんだけど」
「別に女の子と青春したらいいんじゃない?」
「女の子姿で女の子と青春とか、それは真っ当な青春なんだろうか……」
「芹緒様はとても頭がよろしいですが、行動する前に考え過ぎて閉まって動けなくなるのは悪いクセだと思いますね」つつじがそう投げかける。「姫恋様もこれから行く学校の皆様も、そんな難しいことは考えていません。ただ一日一日を一生懸命生きる。そうしてみてはいかがでしょうか?」
「うんうん!! アタシたちと一緒に青春しよう!!!」
そして芹緒はやり込められた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ねえねえ優香さん、どこから来たの?」
「姫恋さんと一緒に転校してきたのってどういうこと!?」
「芹緒さんクラスのSNS交換しよ!」
「綺麗な銀髪〜。外国の血が入ってるの?」
「何か入りたい部活ある?」
ホームルームが終わると授業が始まるまでの短い時間にわっと芹緒の周囲に男女関係なく生徒が集まってくる。
「京都です」
「姫恋さんとは友達で、私が外で勉強したいと話したらここを紹介していただきました」
「SNSですね……これでいいですか?」
「私は良くわかりませんが祖父方に入ってるそうです」
「部活はごめんなさい、時間がなくて入れません」
「「「……」」」
芹緒のよどみない返しに周辺が静まり返る。
しまった、と内心焦る芹緒。聞かれそうなことは事前に設定が作られており、それを暗記してきたが、あまりにもスラスラ答え過ぎたか。
「優香さんアタシと違ってめちゃ頭いいからね!!!」
そんな空気を姫恋の元気な声が打ち破る。
姫恋が芹緒の転校に着いてきたのは、芹緒を守るためだ。
ここは公立の中学校、姫恋が転校した美琴や桜子、葵の通う聖桜女学園のような上流階級の子女が通う学校ではない。控えのメイドなど入ってこれない。
かといって上流階級にとって芹緒優香は、芹緒優香の力は喉から手が出るほど欲しいものである。
そんな芹緒に護衛をつけずに一般社会に入れるのは危険すぎる。
という訳で白羽の矢が立ったのが姫恋だった。元々この学校の生徒で中学生であるため馴染みやすい。
裏から何人か護衛もつけている。問題ないはずだ。
「あっあの、色々準備してましたからっ」
「授業始めますよ〜」
慌てたように弁明する芹緒だが、女性教師が教室に入ってきたため周囲の生徒たちはばたばたと自分の席に戻る。芹緒の自己弁護は聞こえたかどうか。
困ったように芹緒が姫恋の方を向くと、振り返った姫恋は笑顔のまま無言で親指を立ててきた。
姫恋の底抜けな明るさに芹緒の気持ちが落ち着く。
実際一人でないのは芹緒にとってとてもありがたかった。
伊集院家で初めて桜子や葵、姫恋と会ったときも正体がバレないように立ち回るため、心が追い詰められていたが、さくらやつつじは物理的に近くにいた。
紫苑鷹秋の前に一人でいたときも、扉の向こうにはみんながいた。
先日有栖を凶刃からかばった時も九条邸の中だった。
いくら年下ばかりの中学校とはいえ、本当の自分のことを知らない人ばかりだと精神的に参ってしまう。
その点姫恋がいるのは心強い。
彼女のポジティブさは間違いなく芹緒を引っ張っていってくれるだろう。
もちろん芹緒も姫恋におんぶに抱っことはいかないことは理解している。
美琴が言うような『青春』を過ごせるかは芹緒自身にかかっている。
「ここの場面、主人公はどういう心境だったでしょうか? 皆さん考えてくださいね〜」
一限目は国語だった。
芹緒が学生の頃とは違い、机の上にはタブレットがありプロジェクターに映し出された映像はリンクしている。
まだ若い女性教師が自分のPCの文章に赤線を引くと、タブレットにもそれが表示される。
タブレットの半分の画面にはノートアプリが立ち上がっており、生徒はそこに記述していく。もちろんキーボードでだ。
配布された用紙もあるため筆記用具は最低限必要だが、黒板に記述された事柄をひたすらノートに書いていた芹緒としては戸惑いも大きい。
タブレットの使い方は姫恋が教えてくれたが、やはりデジタルネイティブとの違いを思い知る。初めて触るアプリは操作方法から覚えなければならない。
それでも文字入力は『○○打』のようなフリーソフトやMMOでタッチタイピングはお手のものだ。
芹緒は文章を読んで感じたことをそのまま打ち込んでいく。
「芹緒さんは転校生よね。それでは芹緒さんに発表してもらおうかしら」
「はい」
芹緒は立ち上がって自分が記入した文章を読み上げる。その内容に女性教師は笑顔でうんうんと頷く。
「はい、いいですね。座っていいですよ」
ふう、と芹緒は心の中で息を吐いて椅子に座る。国語は得意とはいえいきなり当てられるとは思わなかった。
と、芹緒の席の後ろがざわつく。ん? と内心小首を傾げるひまもなく、背後から女子生徒から小声で囁かれる。
「スカート、スカート!!」
「!!!」
芹緒は慌てて立ち上がるとスカートをお尻の下に置いて座り直す。長い銀髪も巻き込んで座る際首が後ろにのけぞるがそれどころではない。
やってしまった。
今まで芹緒は基本ワンピース、それも丈の長いものを着ていた。それはスカートはさすがに恥ずかしいという思いと、それはそれとしてワンピースという服が着たり脱いだりするのが本当に楽だったからだ。
制服のプリーツスカートの裾は膝上だった。
芹緒の着こなしを見た美琴が「もっとスカート上に上げた方が可愛い!!」と力説してやまなかったのだ。
芹緒としても姿見で見たその姿は確かに可愛いものだった。
金髪少女の美琴とは髪の色が銀ということだけが違う、美琴と瓜二つの容姿。
公立中学校のありふれたセーラー服にプリーツスカートというありふれた制服だったが、銀髪美少女である芹緒が着ることで上品な装いに変えていた。
芹緒もまるで女装しているようでドキドキした。芹緒の肉体は少女そのものなので女装ではないのだが、精神的には女装だった。
そんな訳で可愛いを遂行するために校則違反にならない程度にはスカートを上に上げていた、上げてしまっていたのだ。
それが災いして、座る際にスカートの端が椅子に引っかかってしまった。
プリーツスカート自体、芹緒が今まで穿いたスカートの中で一番固い生地だったのも不幸だった。
今まで芹緒が着ていたワンピースはどれだけ大人しいデザインでも芹緒がおいそれと買える値段ではない。生地からして高級なのだ。とても着心地の良いものしなやかなものばかり着ていた。
今までも芹緒は女物の服を着てはいたが、誰でも着るような『制服』というカテゴリーは初めてだ。
だからおろそかになった。
制服は案外固い。
「大丈夫だよ、髪長いからほとんど見えてないよ」
背後の女子生徒がなぐさめの言葉をかけてくれる。だがクラスの後方では
「緑だ……」
「なんか大人っぽかったな」
「ラッキー」
と男子生徒たちがどよめいていた。
「うるさいですよ〜」
何も気付いていない女性教師が教室の後ろを注意する。どよめきはすぐ収まったが芹緒は頭を抱えて俯いていた。
(転校初日から何を……)
精神が男なら下着くらい見られても平気、と思いたいが顔は理性とは関係なく熱くなっている。
(男でもスカートめくれて下着見られたら恥ずかしいって!!)
こうして芹緒の学校生活は波乱のスタートを切るのだった。
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