第百二話 芹緒の部屋で
お風呂上がり、芹緒が有栖を見ないよう壁の方を向きながら下着を身につけていると、背後から有栖の独り言のような小声が聞こえてきた。
「着替えの仕方全然違和感ないわね……まるで女の子みたい」
おそらくブラジャーの付け方に感心したのだろう。これはつつじから丁寧に教わったこともあって美琴の前途有望な胸の発育を望むべく、芹緒が心を込めて行なっている作業なので褒められて嬉しい気持ちもあるが、それでも有栖の感心したようにつぶやいた言葉がさく、と芹緒の繊細な心を引き裂く。だが芹緒は努めて冷静に、冷静にと念じながら上下のパジャマを着ていく。
事情を知らない女性が芹緒の仕草に違和感を覚えることがないのであれば、美琴の身体で何事もなく過ごせているということだ。これは本来喜ばしいことであり、メイドたちは芹緒がそうあれるように指導したし、芹緒も努力した。
だがそれでも男性であるはずの芹緒の仕草が女の子にしか見えない、と知り合いに言われれば心にダメージがあるのは当然だ。
有栖から見れば本当に自然だった。
美琴の大きな胸ではブラジャーをしなければ寝てる間に型崩れしてしまう恐れがあるため、寝る前にもブラジャーをしているのだろう。その手際が良い。
中身が中年男性だと知っているのに、意識してその所作を観察しないと見逃してしまうほど、芹緒の少女への擬態はすでに堂に入っていた。
有栖自身としては中年男性が少女を演じるということに嫌悪感はない。
有栖のMMO歴は長く、様々なプレイヤーを見てきたためだ。
そしてMMO内でも芹緒は中性的なキャラを演じてはいたが、どちらかといえばその役は女性寄りであったと有栖は感じているし、ギルメンの多くもそうだろう。
いわゆるネカマプレイではあるが、誰かを騙すためのロールプレイではなく、本来なりたかった自分を表現しているだけだったのだと思えるし、ロールプレイとはそう言うものだと有栖だって知っている。
いつから芹緒が自身の肉体の性別と内面の性別の違和に気づいたのかは定かではないが、芹緒が若い頃はまだ時代がそのような存在に厳しい目を向ける時代だったのだろう。今ならある程度そのようなトランスジェンダーを世間は受け入れてくれるだろうに。
もしかしたら性別適合手術を受けるほどではなかったのかもしれない。どちらにしろナイーブな問題だ。
真っ赤なネグリジェを着た有栖とパステルグリーンのパジャマを着た芹緒がリビングに戻ってくる。
「おかえりなさーい」そう言いながら美琴が立ち上がる。「次は私入るから、芹緒さんお願いね」
「うん」
「何の話?」
美琴と芹緒の会話に有栖が割り込む。美琴ははあ、とわざとらしくため息を吐くと有栖に向き直って説明する。
「私の背中を流してもらうの。芹緒さんの背中を流せるのは芹緒さんだけなの」
「……なるほど」
納得して有栖は引き下がる。芹緒の肉体とはいえ、中身は美琴だ。少しだけ抵抗がある。
そこで有栖は芹緒の言いたいことに気付いた。
美琴姿の芹緒。芹緒姿の美琴。どれも『芹緒』であることに変わりはないはずなのに、接し方が変わってしまう。
だけど、と有栖が思考を続ける。精神も肉体も『芹緒』であるなら、百パーセントの芹緒と会うことが出来る。そのことに不安は一切ない。
美琴が芹緒を引き連れてリビングから消えると、つつじが有栖に声をかけてきた。
「紫苑様、髪のお手入れをさせていただきます」
「先ほどさつきにも言ったけど、私のことは有栖でいいわ。堅苦しい言葉も不要。私だってユウカの友人なのよ。あなた方と仲良くしたいわ」
「わかりました有栖様」つつじは他の少女たちと同じような態度で接すると有栖は満足気に頷く。「髪を乾かしますね」
「よろしくお願いするわ」
「はーい芹緒様は私がしますよー」
さつきがダイニングテーブルで繰り広げられる葵と姫恋の対戦に目を奪われる芹緒を捕まえるとその近くの椅子に座らせ、ドライヤーをかけ始める。
リビング内は上流社会のご令嬢たちが思い思いの格好でわいわいと楽しそうにカードゲームに興じている。
その年相応の少女たちの様子にさくらは嬉しそうに目を細める。
「皆さん生き生きとしてらっしゃる……」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「いや、あなたたちいい加減にしなさい? これじゃあ本当にユウカのプライベートなんてないじゃない!」
「まあまあ」
「ユウカは黙ってて!」
「はい」
寝る時間になり、この数日ルーチンと化した少女たちと芹緒の同衾。
それを聞いた有栖がまた爆発した。それを宥めようとした当事者の芹緒を黙らせるあたり、かなりお冠のご様子だ。
「あなたたちみたいな子たちが清いユウカを汚すなんて許せないわ」
だがやはりその怒りの方向性はおかしい。傍観者に回った芹緒はそう思う。
「優香はロリコンだから、問題ない」
「未成年の当事者が居直るのは論外よ!」
「優香様は受け入れてくれておりますし」
「ただでさえ押しに弱いユウカが、本当にロリコンだったらその申し出を否定出来る訳ないじゃない!」
「えっと」
「優香さんは優しいからね。私たちは優香さんが好き。優香さんは私たちが好き。問題ないよ!」
「あなたたち成長したらロリコンのユウカの射程範囲から外れちゃうのよ? そうなった時ユウカを訴えられたらたまらないわ」
「私たちは芹緒さんを訴えたりしないよ。だって芹緒さんのこと好きだもん」
「ユウカは上流社会の男じゃないのよ? 私たちの論理では片付けられないのよ?」
「有栖、ストップ。ちょっと相談がある。こっち来て」
「私は話なんてないわ」
「いいからいいから」
凄まじい勢いで少女たちの舌戦が繰り広げられ、芹緒は口を挟めない。そうこうしている間に有栖は美琴に手を引かれて芹緒の部屋から出て行ってしまった。
「えっと僕はロリコンじゃないよ?」
改めて芹緒は些細な反撃を試みる。
「優香は守備範囲が広い。了解」
「そういうことじゃなくてね……」
「アタシたちのこと嫌い?」
「姫恋さん、今その聞き方はズルいよ……。人としては大好きだけど、恋人とかそういうのは考えてないというか……」
「むう。どうやったら優香さんと恋人同士になれるのかなぁ」
「みんなが成人したらかな。僕はやっぱり法律怖いし」
みんなが成人する頃にはもっと素敵な男性を見つけているだろうし、とは言わないでおく。
特に桜子がこれを聞いたらむくれるか落ち込むかしてしまうだろう。何せ彼女には許嫁がいる。
「やはり昔からの伝統芸、既成事実でいかがでしょうか」
「桜子さん怖いこと宣言するのやめて。まあ今の美琴さんを襲うのは無理だと思うけど。さくらさんがいるからね。僕が元に戻って襲ってきたら流石に通報するから」
「国家権力如きで伊集院家をどうこう出来るか、楽しみですわね」
「だから怖いこと言わないで」
「美琴もさくらさんも既成事実?を作るって言ったら案外協力してくれるかも?」
「姫恋さんもやめて。そんなことで初体験したくないでしょ」
「まあ美琴様が私の身体を見て性行為出来るとなると、美琴様との今後の付き合い方を考え直さなくてはなりませんが」
「私たちは男女どちらでもいける」
「それはそうですけれども……」
「二人ともすごいね!? 女の子同士のエッチってどうやるの!?」
葵の言葉に桜子が同意し、その内容に姫恋が飛びつき、ようやく芹緒をからかうのが止まる。ほっと胸をなでおろす。
姫恋が飛びついた話題自体問題があるが、このくらいの子たちは大人の目を逃れて色々知りたがるお年頃だ。姫恋が芹緒と一緒に実践しよう!と言い出さないことを祈るばかりだ。
「ただいま」
「ただいま」
「おかえり」
美琴が有栖を伴って芹緒の部屋に戻ってきた。有栖は何か釈然としない表情である。対照的に美琴の顔は朗らかだ。一体何を話し合ってきたのやら。
「ユウカ」有栖は肩をすくめて頭を振ると、努めて明るく芹緒に話しかける。「さ、一緒に寝ましょ」
「……うん」
芹緒からすれば明らかにおかしい話だ。そして先ほどまでは有栖も芹緒の側についていた気がする。
その有栖も相談から戻ってきたら美琴たちの意見に賛成の立場のようだ。
「大丈夫よ」有栖は諦観した様子の芹緒を見て微笑む。「私はあなたを抱き枕にしちゃうけど、ユウカは好きなことをしていていいわ。私に構わなくても結構」
「譲歩……なのかなぁ」
「少なくともユウカにプライベートな時間をあげるわ。スマホしてていいわ。後ろから覗き込んじゃうけど」
「プライベートないなぁ」
「いいからいいから」
なお口で抵抗する芹緒を有栖はひょいと抱き抱えるとベッドに乗り横になる。
有栖は芹緒の背中に身体を密着させ、両手は芹緒のお腹辺りで組まれている。
有栖のブラジャーをしていない温かく柔らかな二つの大きな膨らみが、お風呂との時と同じように芹緒の頭に当てられる。
まるで有栖の妹にでもなったかのような安らぎを体感する芹緒。
「毛布かけてあげる。芹緒さんはいスマホ。それじゃあおやすみなさい芹緒さん、みんな」
「「おやすみー」」
美琴が芹緒と有栖のベッドに横たえた身体に毛布をかけ、おやすみの挨拶を交わして部屋から出ていく。
その態度からは有栖と言い争っていたのがウソのようだ。……本当に一体どんな話し合いを二人はしたのだろうかと芹緒は訝しむ。
芹緒は美琴から渡された自分の黒いスマホをぎゅっと両手で握りしめる。
スマホでできることしたいことはたくさんあるが、流石に女の子の監視下で見ようとする度胸はない。
芹緒は二次元のイラストキャラが大好きだ。
現実の女性と関わることの出来ない芹緒でも身近に感じることができる。
あまりにも二次元キャラと過ごす時間が長すぎて、三次元の女性から『生理的に無理』と言われる前に芹緒から興味を示さなくなった。
芹緒は『女性』という存在がコンビニ店員などしかいなかったため、すっかり捻くれた性格に育ってしまった。
だと言うのにおせっかいは男女関係なく焼いてしまうのだから手に負えない。
本当に三次元の女性に興味がないのなら、あの日美琴に会った時無視して自死すればよかったのだ。そうすれば芹緒の人生はあの時点で終わっていた。
見過ごせなかった結果、今こうして三次元の少女たちに愛されているのだから、事実は小説よりも奇なり、だ。
今までの人生で何度も起きてきたように、芹緒は『愛想を尽かされること』を期待している、のかもしれない。
芹緒はスマホを充電コードに繋ぐと深呼吸して寝る体勢に入る。すると有栖が芹緒の胸を両手で触ってきた。
「ちょ」
「スマホもういいの? ユウカがどんなものが好きなのか知れるかもしれないって楽しみにしてたのに」
有栖は芹緒の、美琴の年不相応な大きさの胸をやわやわと触る。この触り方は良くない触り方だ。
このまま有栖の好き勝手にさせるわけにはいかない。
芹緒は身体を反転させると、敢えて自ら有栖の胸に顔をうずめた。
「んっ!?」
有栖が小さく身じろぎをするが気にしない。有栖の胸を枕にして芹緒は寝ることに集中する。
今日だけで何度有栖に好き放題身体をさわられたことか。少しくらい反撃をしてもバチは当たらないだろう。
「最近の優香、反撃して偉い」
「少しずつ反撃を増やしていただいて、いつか優香様から触ったり襲ったりしてもらえるといいですわね」
「強気な優香さんも素敵かも♡」
ベッド下の布団組が小声で何か言っているが、有栖の豊満な胸に両耳が塞がれた芹緒には届かない。
有栖もそっと芹緒の頭を撫で、それぞれの思いが交錯する夜は更けていくのであった。
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