#12 箱庭の主
白い扉に入ると、シルクハットを被った人がいた。黒いマントを羽織り、格子状の窓の外を見ている。窓の外にはバルコニーが広がり、空が崩れ落ちている光景をありありと見せつけた。マントの人は静かに世界の崩壊する様を見ている。
「…………待っていたよ。■■■■」
落ち着いた声で、マントの人はボクに呼びかける。その人は夜空のようなマントを翻してボク達の方に歩み寄った。
「私がこの屋敷の主、アドレムだ。君に会う日を楽しみにしていたよ」
沈むような深い口調のアドレム。この人が、ボクがずっと会いたがっていた人。穏やかな雰囲気の奥に、どこか無機質な冷たさを感じる。
「ケーキを食べてお話しでもしようかと思ったけど、時間は待ってくれなさそうだね」
アドレムの姿を天井のシャンデリアが映す。シルクハットで隠れてよく見えなかった顔は、白い仮面をつけていた。雫のペイントが施され、笑顔に切り取られている仮面。まるでサーカスのピエロみたいだ。赤い巻毛の隙間からは、金色の鋭い目が覗いていた。笑顔とは不釣り合いな程、ボク達を睨みつけている。顔こそピエロだけど、深い紫色のスーツとネクタイは屋敷の主人らしく堅苦しそうだ。この人と向かい合っていると、心臓を掴まれたような感覚が襲ってくる。
「アドレムさん、箱庭がもう消えそうなの。アドレムさんなら止めることができるでしょ?」
「……残念だけどね、ルーソ。この崩壊は私にすら止めることができないんだ」
アドレムの言葉に、ルーソは立ちすくむ。
「この世界において、一つの答えを出すことができるのは、■■■■、君だけなんだ」
アドレムは真っ直ぐボクを見る。表情とは裏腹に真剣な眼差しで。どういうことなんだろう。
「君は記憶を取り戻す為にここに来た。だけど、それは何も今に限った話じゃないんだ」
アドレムは屋敷の外に目をやる。箱庭の町は完全に暗闇に飲み込まれていた。まるで黒い空間に屋敷だけが残っているようだ。住民は……マーテルさんもバネイさんも、みんな飲み込まれてしまったのかな。
「この世界は、死を逃れようとしたある人間によって作られたんだ。その人間が幸せだった時間だけを切り取ってね。その人間は何度も、この箱庭の中で朝を迎えたんだ」
アドレムが話す度に、ボクの頭に叩かれたような衝撃が響く。まるで頭の内側から何かが出てこようとしているみたいだ。
「でも、その人間は何度も死に近づいた。時には騎士に戦いを挑んで倒され、時には水の迷路に迷い、溺れ死んだ。本の中に引き摺り込まれて、彷徨った末に命を断とうとした時もあったよ」
ボクの脳裏に死の記憶が流れ込む。レーゲンに叩き潰された時の痛み。水の中で死で満たされていく肺。ボクはハートから色が消えていくのを何度も見てきたんだ。
「その人間が死に近づく度に、世界は始めに巻き戻った。何度もね。だけど死は確実に近づいているんだ」
アドレムはマントの中に両手を隠した。アドレムの口調はどんどん無機質なものに変わっていく。部屋の壁が軋み、ヒビが入り始めた。
「今のその人間が、君なんだよ。君はこの箱庭の中で、何度も私に会いに来たんだ」
アドレムは深く息を吸う。アドレムは仮面の中ではどんな表情をしているのだろう。ボクにはそれがひどく恐ろしく思えた。
「そして、君は決めなければならないんだ。この世界の果てを」
アドレムのマントの中が鋭く光る。アドレムはボクに一気に詰め寄り、マントの中からレイピアを取り出した。レイピアは紅色の軌跡を描き、ボクに斬りかかる。ボクは咄嗟にアドレムの一撃を交わした。情けも手加減も無い。ただボクに死をもたらすだけの斬撃だ。
「決めなさい。君にとっての死である私を打ち破るか、死を受け入れてこの世界を終わらせるか」
アドレムは機械的な太刀筋でボクを追い詰める。レーゲンより無慈悲な斬撃に、ボクは逃げるしかなかった。今まで死から逃げてきたように。ボクが床の瓦礫に足を取られると、アドレムはその隙を逃さなかった。ボクの心臓を突き刺すように、レイピアを振り上げる。
「最後に私に会いに来た時も、君はこんな風に這いつくばっていたよ。死を目前にした時、君はどうしたと思うかい?」
レイピアの影はボクの胸を離さない。ボクは恐怖に足を囚われていた。胸に冷たい感覚が広がっていく。そうだ、あの時のボクは……。
「自分の無力さに絶望して自ら死を望んだよ」
アドレムは冷徹に言い放ち、レイピアを振り下ろす。死がボクの脈を絶とうとした。




