第9章 クワンリのお買い物
孤児院へ帰ると、院長と寮母さんが泣きながらクワンリを叱った。
無事だったからよかったものの、依頼を受けて森へ入るなら、帰る予定ぐらい伝えておけ。せめて方向の分かる者を連れていけ。帰ってこない間、子供たちがどれだけ心配したと思っているのか。
まったくもって、その通りである。
クワンリはしょんぼりと肩を落とし、何度も頭を下げていた。
それなのに、鬼人の討伐報酬の半分を孤児院へ渡すと言い出したものだから、今度は別の意味で怒られている。
薬草の露店は順調で、孤児院は以前より余裕ができた。旅を続ける者が、必要な金まで置いていくな。
院長にそう言われ、クワンリは渋々、鞄を引っ込めた。
本当に良い人たちだ。
そして、本当に懲りない魔族である。
風呂が沸くまでの間、俺は子供たちに身体を拭いてもらっていた。三日分の泥を濡れた布で落とされ、絡まった毛を櫛で梳かれる。
クワンリの説教を聞きながら、俺の瞼はだんだん重くなった。
やっと帰ってきた。
心底、疲れた。
*
鬼人の討伐報酬は、今後の旅支度を整えても十分に余る額だった。
翌日、クワンリは必要なものを買いに出かけることになった。
方向音痴であることが皆に知れ渡ったため、院長が年長の子供を二人、道案内につけた。
賢明な判断です、院長。
俺は三日間森を彷徨った心身を癒やすため、子供たちにも見つからない秘密の場所で、昼寝三昧を楽しむことにした。
ふと、あいつ一人でまともな買い物ができるのだろうかと心配になる。
だが、子供が二人もついている。
大丈夫だろう。
そう思って、また目を閉じた。
夕食前に部屋へ戻ると、クワンリはすでに帰っていた。
ベッドの上には、買ってきた品々がずらりと並べられている。その前でクワンリは腕を組み、俺が声をかけるのを待っているような得意顔をしていた。
(買い出し、お疲れさま。何か良いことでもあった?)
『分かるか、ノル! 路銀のことではお前にも心配をかけたが、もうその必要はないぞ』
(どうしたんだ? 何か良い仕事でも見つかったのか?)
嫌な予感がする。
非常に嫌な予感がしますよ。
『仕事などせずとも、これさえあれば金には困らなくなるのだ!』
クワンリは胸元のペンダントをつまみ、誇らしげに揺らした。
やっぱりだ。
いかにも怪しい光を放つ石の周りに、意味の分からない文字が彫ってある。本人の説明によれば、身につけているだけで幸運が舞い込み、金が増えるという。
そんなわけがあるか。
ほかにも、今にも壊れそうな魔術具や、何に使うのか分からない置物、ただの石にしか見えないものまで並んでいた。
値段を聞けば、どれも明らかにぼったくられている。
(一緒に行った子供たちは、何してたんだ?)
『途中ではぐれたのだ。しばらく一人で買い物をしていたら、あの子たちが見つけてくれてな。一緒に帰ってきた』
(なんではぐれた?)
クワンリは少し言いにくそうに視線を逸らした。
『見世物小屋の前で、「蛇女」という呼び込みが聞こえたのだ。……ノルよ、私は獣落ちすると、ト、トカゲになるだろう? 同胞が捕らえられて見世物にされているのかと思って、急いで中へ入ったのだ』
(それで、蛇女はいたのか?)
『髪を振り乱した人族の女が、蛇の死骸を咥えていただけだった。あのようなものを金を払って見て、人は何を得るのだろうな』
北野武さん。
あなたのネタは、この異世界でも元気に生きています。
思いがけないところで前の世界を思い出し、俺は遠い目になった。
『どうした、ノル。何かいるのか? 猫には、我々には見えないものが見えるというが……』
クワンリが不安そうに俺の視線の先を覗き込んだ。
(人が良いのは君の魅力だ。俺は、そんな君を素敵だと思っているよ)
『そ、そうか?』
クワンリの頬が、分かりやすく緩んだ。
まず褒める。
それから本題だ。
(でも、人族の中には、他人を騙して金を取る奴もいる。このままだと、いつか奴隷商人にまで騙されて、君自身が売られかねない。人の多い場所で思念を拾うのが難しいのは分かるから、これから買い物をする時は、なるべく俺と一緒に行動しよう)
クワンリは、なぜかとても嬉しそうに頷いた。
説教したはずなのだが、まあ、伝わったのならいい。
俺たちは翌日、二人で旅の足を買いに行くことにした。
*
院長に教えてもらった市場には、大きさも形も様々な馬車が並んでいた。
魔性石を動力にして自力で走る車もあったが、高すぎて手が出ない。この世界では、魔性石の利用法が広がったことで、ここ数年、急激に技術が発展しているらしい。
街では人が荷車を引き、畑では家畜が鋤を引いている。その横を、魔性石で動く車が音もなく通り過ぎていく。
古い暮らしと新しい技術が、同じ道の上に並んでいる。
前世の歴史でいえば、産業革命の途中に近いのかもしれない。ただし、こちらは石炭と蒸気ではなく、空から降ってきた魔性石で一足飛びに進んでいる。
俺たちが狙うのは、一角鹿が引く小型の車だった。
御者台は一人分だが、後ろには荷台があり、野営道具も積める。クワンリ一人と柴犬ほどの猫が旅をするには、ちょうどいい大きさだ。値段も現実的だった。
俺は並んでいる一角鹿へ思念を送り、気が合いそうな奴を探した。
大人しくて、人の話をよく聞く鹿がいい。
方向音痴の御者に引かれることになるのだから、できれば道も覚えられる奴がいい。
一頭ずつ話を聞いていると、いつの間にかクワンリがいなくなっていた。
嫌な予感がして辺りを見回すと、少し離れた場所で、商人から貴族用の大きな馬車を勧められている。クワンリは真剣な顔で説明を聞き、今にも金を払いそうになっていた。
(おい、やめろ! さっきの話をもう忘れたのか!)
全速力で駆け寄り、どうにか止めた。
油断も隙もない。
いろいろあったが、気性の穏やかな一角鹿と、その鹿が引く小型の車を適正な値段で買うことができた。
馬車ではないから、鹿車とでも呼べばいいのだろうか。
御者台の後ろには幌のついた荷台があり、三輪なので小回りも利く。揺れを和らげる仕組みもよくできていて、乗り心地は悪くない。
俺たちは水の樽や野営道具、携行食を積み込み、クワンリが薬を調合するための小さな机と棚も取りつけた。
魚の干物と燻製肉も忘れずに買い込んだ。クワンリは薬草より先に積もうとしていたが、そこは俺も反対しなかった。
移動薬局の完成である。
旅の途中で薬を売れば、路銀を稼ぎながら人族の話も聞ける。俺の提案に、クワンリは何度も感心していた。
最初の目的地を相談すると、クワンリは少し恥ずかしそうに言った。
『私は、海というものを見たことがない。できれば行ってみたいのだが……』
魔族領には大きな湖がいくつもあるが、海はないらしい。
俺たちは、ここから二週間ほどの場所にある港町カイゼルを目指すことにした。
海。
港町。
新鮮な魚。
(美味い魚が食べられるニャン!)
思念が漏れた。
クワンリは楽しそうに笑いながら、俺の頭を撫でた。
こうして俺たちは、しばらく世話になった孤児院を後にした。
出発の日、院長と寮母さん、それに子供たちが門の前まで見送りに来た。
クワンリは、薬草の見分け方と魔術具の扱いをもう一度しつこいほど確認している。院長は笑いながら、そちらこそ道を間違えないようにと釘を刺した。
子供たちは鹿車の周りへ集まり、俺を代わる代わる撫でた。
最後まで荷台についてこようとする小さな手から逃れ、幌の奥へ避難する。
寂しくないわけではない。
だが、これ以上撫でられたら、出発する前に毛並みがなくなる。
一角鹿が歩き出し、孤児院が少しずつ遠ざかっていく。
クワンリは何度も振り返って手を振っていた。
俺は荷台から顔だけを出し、見えなくなるまで静かにまばたきを返した。




