第3章 魔王の娘はポンコツ
頭の中で「第三の目」を意識し、思念のコントロールに集中していると、どこからか堪らなく良い匂いが漂ってきた。
ミルクの甘い香りだ。
この一週間、飢えに飢えてくたばりかけていたせいで、麻痺した胃袋は空腹感すら忘れていた。
なのに、この匂いを嗅いだ瞬間、眠っていた胃袋が急に活動を始めた。
ギュルギュル。
「にゃー……」
不覚にも、情けないほどか細い声が口から漏れてしまった。
見ると、クワンリが天幕の隅で何かを作ってくれている。
ありがたい。
転生してからこっち、泥にまみれた残飯しか口にしていないのだ。
『……出来たぞ! 良いか、病み上がりなのだから、ゆっくり少しずつ食べるのだ。飲み込むまでに二十回は噛め。できるな?』
目の前に差し出されたのは、温かいパン粥だった。
弱り切った俺の胃袋を気遣って、消化に良いものを作ってくれたのだろう。
(優しい魔族なんだな)
思念が漏れていた。
クワンリは耳まで赤くすると、手に持っていた陶器の鉢を、少し乱暴に俺の前へ置いた。
「にゃっ!」
嬉しくて、また声が漏れてしまった。
猫の手では木の匙など使えない。
鉢に直接顔を入れて舐めてみる。
美味い。
マジで美味い。
泣きそうだ。
俺はクワンリに言われた通り、頭の中で数を数えながらゆっくりと咀嚼した。
十七、十八、十九……あと一回で飲み込める。
『……気に入ったか? 熱くはないか? 気に入ってくれて何よりだ。毎食これになるからな。一日一食にはなるが、遠慮せず食べろ』
待て待て。
肉も魚も食いたいぞ。
毎食パン粥って、魔族の食事は質素すぎるんじゃないのか?
って、一日一食?
『……すまない。三日前にこちらへ来て早々、路銀を全て無くしてしまってな。贅沢はできんのだ。この天幕の宿も、二人分の食事を取れば、あと一週間も居られない。なんとか路銀を稼がないと共倒れだ』
えええええ〜〜。
なんてこった……。
旅の軍資金を全て無くしたらしい。
しょうがない。
これが異世界での最初のクエストだ。
まずは金を稼がないとならないな。
*
クワンリの話によると、魔界から人間界へ隠密視察に来たのが三日前。
軍資金として持ってきた魔性石を換金するため、慣れない街を歩き回り、やっと換金所を見つけたらしい。
すると、隣に座っていた親子が飲み物をクワンリのローブにこぼした。
染みになるといけないので拭かせてほしいと言われ、ローブを脱いだのだという。
親子は何度も謝りながら去っていった。
クワンリはローブの染みを気にして、噴水の水で布を濡らし、もう一度拭いてから着ようとした。
その時、魔性石が入った鞄が無いことに気がついたらしい。
ああああ、典型的なアレだ。
日本人観光客が外国へ行ってやられるアレだ。
なんてチョロい手口に引っかかってるんだ。
クワンリに説明してやったが、子供を連れた母親がそんなことをするはずがないと言って信じない。
『私がどこかで落としたのだ』
そう言い張っている。
絶対アレだと思うのだが、しつこく言っても仕方がない。
そういうことにして、これからのことを考えようとした。
ふと天幕の中を見回すと、萎れた花束が五つほど吊るされている。
(あれは何だ?)
『街で酷く痩せた花売りの子供を見かけてな。残っていた花を全部買ったのだ』
…………。
言葉もない。
あれだ。
この魔族は駄目な奴だ。
良い奴だが、放っておいたら、すぐに野垂れ死ぬ口だ。
人間界は、優しく良い奴が生きていくには、とても厳しい世界なのだ。
教育が必要かもしれないな。




