第26章 テキマキマヨコン
『テキマキマヨコン』
なんだそれは!!
昭和のあのアニメの、
「テクマクマヤコン」
みたいで、何か胡散臭い。
人の姿になれる方法を知りたいと族長へ伝えると、教えられたのがこの呪文だった。
人化の呪文というから、もっと難しくて長いものを想像していた。
それが、テキマキマヨコン。
何度聞いても、ふざけているようにしか思えない。
しかし、目の前にいる族長は、どう見ても人族の男の姿をしている。
冗談で言っているわけではないらしい。
俺は苦笑しながら、教えられた通りに唱えてみた。
『テキマキマヨコン!』
その瞬間、俺の身体から黒い霧が勢いよく噴き出した。
濃い霧は小さな家の中を一気に満たし、族長も、周りに集まっていた猫たちも見えなくなる。
おおお!!!
あちこちから驚きの思念が伝わってきた。
よっしゃ!
人の姿に戻れるぞ!
長かった。
ついに猫の身体から解放される。
いや、猫の生活も悪くなかった。
クワンリに抱いてもらえるし、昼寝もできるし、干物も美味い。
だが、やはり人の姿になれるなら、なりたい時もある。
期待して自分の前足を見つめていると、部屋を覆っていた黒い霧が急激に収束した。
広がった時よりも速い。
渦を巻きながら俺の身体へ吸い込まれ、最後の一筋まで残さず戻ってきた。
後に残ったのは、いつもの黒い前足だった。
おかしい。
あと一歩だった気がする。
発音が悪かったのかなあ。
『テクマクマヤコン!!』
もう一度、力を込めて唱える。
再び黒い霧が噴き出し、部屋中を覆った。
しかし、一度目と同じように、すぐ俺の中へ戻ってくる。
もっと思念を使わなければ駄目なのだろうか。
今度は額の辺りへ意識を集め、クワンリから教わったように魔力を込める。
『テクマクマヤコン!!』
さっきよりも濃い霧が広がった。
足元どころか、自分の鼻先さえ見えない。
これなら成功するかもしれない。
そう思った直後、霧は無情にも俺の身体へ戻った。
駄目だ。
成功しない。
もう一度試そうと息を整えていると、後ろから族長の思念が届いた。
『山猫様、呪文が違います。テキマキマヨコンです』
『そんなことは分かっている。さっき、しっかり覚えたからね』
少しだけ腹を立てながら答えた。
俺は間違えていない。
頭の中では、ちゃんとテキマキマヨコンと言っている。
『山猫様。私どもには、テクマクマヤコンと聞こえます』
『え?』
『しかも、通常では考えられないほど濃く、大きな霧です。テクマクマヤコンと唱えたため、このように失敗しているのではないでしょうか』
俺は焦った。
自分の頭の中では、テキマキマヨコンと言っているつもりなのだ。
それなのに、周りの者にはテクマクマヤコンと聞こえているらしい。
なんだ。
ここへ来て、前世の記憶縛りってか……。
神様。
あまりにも、
それは……。
がっくりと肩を落としていると、族長も周りの猫たちも、同情するような目で俺を見ていた。
同情するなら、
人間の身体をくれ!!
前世の記憶に邪魔されて人化できないというギャグが、自分でも悲しかった。
諦めは肝心だ。
なかなか諦めはつかないが、いつまでも黒い霧を出しているわけにもいかない。
今は情報収集を優先しよう。
それにしても、神様は俺を普通に人間へ戻してくれる気がないらしい。
族長から聞いた話では、山猫族に真っ黒な猫はいないのだそうだ。
黒っぽく見えても、身体のどこかに必ず縞模様が入っている。
そういえば、前世でも真っ黒な山猫は見たことがなかった。
族長は、昔から山猫族へ伝わっている伝説の一節を教えてくれた。
周りにいる猫たちは、王都で知り合ったチョビオと同じ、きらきらと期待の混じった目で俺を見つめている。
嫌な予感しかしない。
族長が、ゆっくりと思念を送ってきた。
黒き山猫
赤き龍に乗り、地に舞い降りる
約束の地の道標となり
母なる船を目覚めさせ
母なる船は、降り立つ地を楽園と変えるであろう
今までも、黒っぽい山猫族と赤っぽいワイバーン族が、何度も伝説を再現しようとしたらしい。
だが、母なる船と呼ばれるカメムシ城は、一度も動かなかったという。
やっぱり、あのカメムシは船だったんだ!
土と草木に覆われていても、気球船から見た形は、どう考えても宇宙船だった。
母なる船が降り立った土地を楽園へ変える。
もしかすると、環境調整機能のようなものも付いているのだろうか。
前世の知識から考えると、伝説はそんなふうにも読み取れる。
しかし、船を目覚めさせて、何をしようとしているのだろう。
族長たちは、地方の街や王都で猫たちを束ねている黒い山猫の噂を聞き、俺を捜していたのだそうだ。
そして、タイホウの気球船が赤かったため、伝説の赤き龍に乗って現れた山猫だと思ったらしい。
あああ……。
嫌な予感は的中した。
便利だからと調子に乗り、野良猫情報網を派手に広げたことを少しだけ後悔する。
それに、気球船が赤いというだけではない。
本当に赤い龍もいるんだよ。
魔王の娘がね!
そんなことを言ったら大変だ。
クワンリまで伝説へ巻き込まれ、余計に面倒なことになる。
今は黙っておこう。
思念へ漏れないよう、動揺を押さえ込むのが大変だった。
ベッサンには、山猫族とワイバーン族という二つの大きな勢力がある。
それぞれが、二つあるカメムシ城を一つずつ管理している。
ところが最近、ワイバーン族の動きがおかしいらしい。
船が動かないのは魔性石が足りないからではないかと考え、大量の魔性石を集め、自分たちが管理する城へ運び込んでいるという。
新たな魔性石の採掘地が見つかったことで、その動きはさらに活発になった。
ワイバーン族には、ルナへの帰郷を掲げる宗教が広く信じられている。
現在のワイバーン族長は、その教団の長も兼ねていた。
そのため最近は、強引な手を使ってまで魔性石を集めるようになり、山猫族との間に対立が生まれているのだと族長は説明した。
最初は協力していた黒っぽい山猫族の仲間たちも、今では監禁され、戻って来られない状態だという。
『何が原因で対立しているんだい? 魔性石の取り合いということは分かった。でも、君たち山猫族は、どうして魔性石が必要なんだ?』
族長は少し考えてから答えた。
『我々は、人族と関わりを持ちました。彼らは、自分たちと異なるものを簡単には受け入れません。しかし、利用する価値があると考えれば、排除せず共存してくれます』
族長は、人の姿をした自分の両手へ目を落とした。
『ですから我々は、便利な道具を作り、人々の暮らしを豊かにする。そうやって生き残るしかないのです。そのために、魔性石が必要です』
『なるほどね。では、言い伝えの文章については、どう考えているんだい?』
『ワイバーン族は、ルナへ帰りたいのです。帰りたければ、帰ればよい。帰れるのであれば、ですが』
族長の思念に、少しだけ冷たいものが混じった。
『我々が目指しているのは、降り立ったこの地を楽園にするという部分です。今いるこの場所を豊かにし、安定した暮らしができる土地にしたい。それだけなのです。帰る者たちは、後に残される者たちのことを、あまり考えていないようです』
遠い故郷へ帰ることを願う者と、今いる土地で生きていこうとする者。
同じ伝説を信じていても、目指す先は全く違う。
『それで、君たちの仲間はワイバーン側に監禁されているということだね?』
『はい、その通りです。彼らには、少し強引なやり方をするところがあります。山猫様が現れたことで、何か新しい進展があるのではないかと、我々は期待しております』
また、その目だ。
チョビオと同じ、期待に満ちた目。
俺はまだ、人の姿になることさえできていない。
だが、ここまで話を聞いてしまった以上、何も見ずに帰るわけにはいかない。
『では、とりあえず、君たちが管理しているカメムシの船へ俺を連れていってくれるかい?』
族長は、深く頭を下げた。




