第23章 入国劇団
最初の山越えは、高度が足りずに引き返すことになった。
ベッサンを囲む山脈は、魔族領の外郭山脈ほど大きくはない。
しかし、今は雨季である。
雲の流れが速く、山肌に沿って吹き上がる風の向きも、絶えず変わっていた。
風を読むのは難しいらしい。
それにしても、よく揺れる。
大きく船体が傾くたび、荷物を固定する縄が軋んだ。
窓の外では、近づいたはずの山頂が、また遠ざかっていく。
サルマは自分が風を読み切れなかったと思っているのか、申し訳なさそうに俯いていた。
「雨季に一度で越えられる船など、よほど幸運でなければ無理だ」
タイホウは責める様子もなく、そう言ってサルマを慰めた。
一度山を下り、風が変わるのを待つことになった。
山へ近づいてから、私は身体の調子がよい。
地下に魔性石の鉱脈があるためか、辺りには濃い魔力が満ちていた。
腰の皮袋に入れた魔性石も、王都にいた時より強く感じる。
やはりここは、ノルが推測した通り、魔族の住む土地なのだろう。
私たちの祖先が乗ってきたラナのカケラは、この地にも落ちているのかもしれない。
そして、私たちとは別の船でラナから渡ってきた魔族の子孫が、山の向こうで暮らしている。
そう考えると、早く確かめたい気持ちと、知らない方がよいものを見つけてしまいそうな不安が、同時に湧いてきた。
再び風を読み、二度目の山越えに備える。
*
気球船は厄介だと思う。
前世なら、高度一万メートルを飛ぶ旅客機でひとっ飛びだっただろう。
出発したのに、風が悪ければ引き返す。
風が変わるまで待ち、また最初からやり直す。
とても不便だ。
でも、その不便さが少し楽しくなってきた。
便利すぎる世界にいた頃は、何もかもが予定通りに動くことを当たり前だと思っていた。
電車が時間通りに来ることも、遠い場所へ短時間で行けることも、ありがたいとは思わなくなっていた。
不便になって、初めて分かることもある。
二度目の挑戦で、気球船は山脈を越えた。
窓の向こうに、山々で囲まれた広い盆地が見える。
クワンリに抱きかかえられ、俺も窓の外を覗いた。
さすがタイホウとオババである。
しかし、ひどく揺れた。
強風に翻弄される大きな風船へ乗っているのだから、仕方がない。
途中で逃げようとした俺を、サルマが固定用の籠へ入れてくれなければ、船内を転げ回っていたかもしれない。
嫌がって悪かった。
後で少しだけ撫でさせてやろう。
船の中は、皆どこか興奮していた。
王宮が発行する魔性石の取引証書がなければ、ベッサンで魔性石を買うことはできない。
危険な山越えまでして訪れるのは、暇を持て余した金持ちか、ユイコリウス侯へ取り入り、おこぼれを狙う商人くらいだとタイホウが言っていた。
俺たちは、どちらでもない。
ベッサンへ入るため、身分を偽る必要があった。
クワンリは、黙っていればどこかのお嬢様に見える。
実際には魔王の娘なのだから、お嬢様どころではない。
そこでクワンリを、退屈を持て余して観光へ来た地方の金持ちという設定にした。
サルマは付き添いの侍女。
オババは乳母。
俺は、金持ちのお嬢様が飼っている珍しい黒猫である。
街で買い揃えた、それらしい服へ着替えた皆は、お互いの姿を指差して笑っていた。
オババの乳母姿は、妙に似合っている。
サルマは普段より少し大人びて見えたが、笑いを堪えて頬を膨らませているので台無しだった。
クワンリは慣れない服を気にして、何度も裾を直していた。
呆れて見ていた俺も、宝石のついた悪趣味な首輪をつけられた。
クワンリが作ってくれた魔性石の首輪を、その内側へ隠してある。
嘘が下手なクワンリには、できるだけ喋らせない。
表に立つのは、侍女役のサルマである。
サルマとは思念が通じるので、何かあれば俺が指示を出せる。
にわか劇団にしては、よく考えた配役だと思う。
「城が見えてきたぞ!」
見張りの船員が声を上げた。
クワンリと一緒に窓へ顔を寄せる。
円形の城壁に囲まれた街の両端へ、巨大な建造物が一つずつ埋まっていた。
でっかいサンダーバード二号が、二台。
俺には、そうとしか見えない。
二台の巨大な船を起点に、街を囲む城壁が作られたようだった。
人々は、その建造物をカメムシ城と呼んでいるらしい。
カメムシには見えない。
どう見ても宇宙船である。
クワンリの祖先も、きっとあれと同じような船に乗って、この世界へやって来たのだろう。
船体は苔や草に覆われ、小さな木まで生えている。
それでも、壊れたり朽ちたりしているようには見えなかった。
さすがに、もう動かないとは思うが。
宇宙船へ目を奪われていると、別の飛行物体がこちらへ近づいてきた。
ヘリコプターだ!
一人乗りで、操縦している者の身体はむき出しだが、どう見てもヘリコプターである。
飛行機を飛ばして、いきなりヘリコプターを作っていたとは。
「気球港の水先案内人だ」
タイホウが説明してくれた。
俺たちは、想像していたよりも危ない相手へ、ちょっかいを出してしまったのかもしれない。
クワンリを見上げると、表情が強張っていた。
大丈夫だ。
俺が必ず、お前を無事に故郷へ帰してやる。
全部解決してからな。
*
入国審査では、サルマが俺の考えた設定を説明している。
間違えて、ぼろが出ないか心配だった。
思念で教えることもできるが、ここでは簡単に使えない。
魔族が暮らす土地なら、思念へ使った魔力を感じ取られる可能性がある。
ここへ来る途中、俺とサルマはクワンリから「魔力の絞り方」を教わった。
相手へできるだけ近づき、眉間へ意識を集中させる。
思念の魔力を周囲へ放つのではなく、話したい相手だけへ、少しずつ染み込ませるように送る。
言葉で聞いても難しい。
練習して、どうにかクワンリから合格をもらったが、なるべく使わない方がよいだろう。
サルマは緊張しながらも、侍女らしい口調で審査官の質問へ答えていた。
オババは、さすが年の功である。
打ち合わせにない話まで自然に加え、乳母になりきっている。
入国劇団で一番の女優だ。
その場で増えていく設定へ、サルマが時々あたふたしている。
台詞が飛び、口を開けたまま固まるたび、オババが何事もなかったように助け舟を出した。
クワンリは、強張った顔で上品なお嬢様を演じている。
黙って澄ましていればよいと言ったのに、何か演技をしなければ落ち着かないらしい。
膝の上にいる俺を、やけに優雅な手つきで撫でている。
少しぎこちないが、健気で可愛らしい。
笑いを堪えるのが大変だった。
観光客として申請できる最長の十五日間、滞在を許可された。
結構稼いだつもりだったのに、入国と滞在の費用だけで、持っていた金の三分の二が消えた。
滞在中は案内人が付き、旅行者用の宿泊施設へ連れていくという。
案内人とは言っているが、どう考えても監視役だ。
国家機密だらけの土地なのだろう。
前世にも、こんな国はあった。
嫌な記憶と、嫌な予感に包まれる。
監視付きでは、クワンリもサルマも自由に動けない。
俺が動くしかないのだが、王都のような野良猫情報網は作れそうにない。
何を、どうやって調べればよいのだろう。
さっぱり分からない。
てか、なんで来たんだ?
ここが魔族の暮らす土地だと確認できたのだから、それだけでよいのではないか。
全部解決してから帰る、なんて格好をつけたのが、少し恥ずかしくなってきた。
焦っても仕方がない。
まずは観光客らしく街を見ながら、怪しいものを探してみよう。
ヘリコプターと、二隻の宇宙船だけは調査から外せない。
カッコいいからね。




