第19章 魅了の効果
猫の集会が終わった。
正確には、干物を食べ終えた猫たちが、満足そうにそれぞれの縄張りへ帰っていった。
静かになった裏庭には、空になった樽と、ところどころに落ちた魚の欠片だけが残っている。
そして俺の前には、ボロボロになったクワンリとサルマがいた。
髪は乱れ、服には猫の毛がびっしりとついている。
肩や頭にまで猫に乗られたせいか、二人とも顔を上気させ、息を荒くしながらよろよろと歩いてきた。
コントのようで笑ってしまう。
『ひどい目に遭った』
クワンリはそう言いながら、俺の頭を少し乱暴に撫でた。
サルマは何も言わず、その場へ座り込んでいる。
しかし、二人へ山猫さまの話をすると、疲れていたはずの顔が急に明るくなった。
目を輝かせ、期待に満ちた顔で俺を見る。
やめてほしい。
野良猫を束ねるくらいしかできない俺が、どうやって世界を救うのだ。
これといって目立つ能力もない。
ありえない。
集まった猫たちへ、世界の危機とやらについて聞いてみたのだが、誰も詳しいことは知らなかった。
昔から語り継がれている言い伝えだというだけで、肝心の何が起こるのかは分からないらしい。
それでは情報として使い物にならない。
取りあえず、王都で何か異常な出来事が起きたら知らせてもらうことにした。
空から山猫が来るという言い伝えが当たっていたのなら、世界の危機の方も少しは気にしておいた方がよい。
気は進まないが。
チョビオには、ボス猫たちから集まった情報をまとめて俺へ伝える役を頼んだ。
チョビオは胸を張り、尻尾を真っ直ぐ立てて帰っていった。
普通の猫だと言っていたのに、もう補佐役の顔になっている。
俺よりやる気がある。
*
薬の販売を始める前に、王都の闘技場と競馬場を見に行くことになった。
忙しくなる前に、行けるところへ行っておきたいとクワンリが言い出したのだ。
この前の村で、薬を求める人に囲まれたことが、だいぶ堪えているらしい。
王都では街外れの貸家なのだから、あれほど客は来ないと思う。
今回はサルマという助手もいる。
そう説明しても、クワンリの顔はすでに強張っていた。
仕方がないので、足元へ擦り寄る。
膝へ前足をかけ、降りて、また上がる。
何度か繰り返すと、クワンリが俺を抱き上げた。
ようやく撫でてもらえる。
顔を近づけてきたので、鼻の頭をザリザリと舐めてやった。
クワンリの表情が少し緩む。
後で猫じゃらしでもして、一緒に遊んでやれば落ち着くだろう。
俺はじゃらしてもらえれば、それで満足だ。
前世では、格闘技にも賭け事にも全く興味がなかった。
闘技場も競馬場も、正直なところ楽しめそうにない。
しかし、これは異世界の社会見学だ。
クワンリとサルマについて行くことにした。
サルマが、俺の子供の姿にぴったりの服を買ってきてくれている。
せっかくなので、今日は子供ノルになって出かけることにした。
人型になってから、初めてのお出かけだ。
デートには程遠いが、猫の姿で抱かれているよりは、少しだけクワンリに近づける気がする。
そう考えると、なんだか楽しみになってきた。
*
服へ着替え、右手でクワンリ、左手でサルマと手を繋いで貸家を出た。
鏡で見た子供ノルは、やはり五歳くらいにしか見えない。
母親と姉に挟まれた、仲良し家族のようだ。
少し気恥ずかしい。
しかし、嬉しい。
二人の手を引っ張るように歩く。
調子に乗ってスキップをすると、サルマが転びそうになった。
クワンリに嗜められる。
大人しく歩くことにした。
少しだけ。
二人の顔を交互に見ていたら、また嬉しくなってスキップをした。
今度もサルマの身体が傾いた。
またクワンリに嗜められた。
そんなことを繰り返していたので、街の入口へ着く頃には、足が疲れてガクガクしていた。
猫の身体なら、これくらいの距離はなんでもない。
子供の足は、思っていたより不便だ。
『もう歩けない』
正直に伝える。
「しょうのないやつだ」
クワンリは呆れながらも、笑って俺を抱き上げてくれた。
首筋へ顔を埋める。
クワンリの匂いを嗅ぐと、幸せな気持ちになった。
しがみつく腕に力が入る。
浮かれすぎて、だいぶ子供の身体に引っ張られているようだ。
まあ、今だけならよいだろう。
*
街へ入り、商店街のような通りを進む。
古くから使われている道なのだろう。
道幅は鹿車一台分ほどしかない。
両側の店が通りへ天幕を張り出しているので、さらに狭くなっている。
店先には、焼いた肉や魚、果物、菓子、布、日用品が所狭しと並んでいた。
あちこちから店主の呼び込みが聞こえる。
人と人の間を縫うように歩くのは大変だが、活気があって楽しい。
なんだか、前世のアメ横を思い出した。
よくセンタービルの地下へ、スパイスを買いに行ったものだ。
店先から香辛料に似た匂いが流れてくる。
インドカレーが食べたい。
そんなことを考えながらクワンリに抱かれていると、菓子屋の女主人と目が合った。
女主人は一度俺を見て、目を大きく見開いた。
「あらまあ、なんて可愛い子なんだい」
店の奥から走ってきたと思ったら、包み紙に入った菓子を差し出してきた。
「ほら、これを持ってお行き」
何も買っていないのだが。
戸惑いながら受け取ると、女主人は満足そうに何度も頷いた。
少し進むと、今度は惣菜屋の主人に呼び止められた。
「おっ、可愛い坊ちゃんだな。これ、食ってみな」
串に刺さった焼き肉を渡される。
隣の果物屋からも声がかかった。
「照れてるのかい。おばちゃんに顔を見せておくれ」
頬を撫でられ、赤い果物を二つ持たされた。
俺が礼を言うと、おばちゃんは胸を押さえてよろめいた。
大丈夫だろうか。
その後も、店の前を通るたびに呼び止められた。
菓子。
干し肉。
小さなパン。
果物。
なぜか子供用の靴下まで貰った。
通りの向こうから俺を見つけ、わざわざ品物を持って走ってくる者までいる。
最初は喜んでいたサルマも、途中から笑顔が引きつっていた。
両腕いっぱいに頂き物を抱え、前が見えなくなっている。
クワンリも俺を抱き締めたまま、周囲を警戒するように見回していた。
俺も少し怖くなってきた。
これが、魅了の力なのか。
親しみを持たれやすい程度だと思っていた。
誰も俺の言いなりになったりはしない。
しかし、好意の向け方が明らかに普通ではない。
少なくとも、店の売り物を次々に無料で渡したくなるほどには効いている。
もしかして、俺がクワンリに好かれているのも、この力のせいなのだろうか。
一瞬そう思い、胸の奥が冷たくなった。
クワンリを見る。
俺の視線に気づくと、心配そうに顔を覗き込んできた。
その顔を見ていたら、今考えても仕方がないと思った。
クワンリが俺を大切にしてくれている。
今は、それでよい。
それにしても、この力は便利すぎる。
食うに困ったら、子供ノルで商店街を一往復しよう。
しばらく食べていける。
クワンリとサルマが同時に俺を見た。
思念が漏れていたらしい。
冗談だ。
半分くらいは。
*
商店街を抜けたところに、小さな公園があった。
三人で長椅子へ座り、ようやく息をつく。
サルマの腕の中には、まだ頂き物の山がある。
これから競馬場へ行くのに、持って歩くのは邪魔になる。
一度、貸家へ置きに戻ってもらうことになった。
サルマは荷物の向こうから顔だけを出し、ふらふらしながら来た道を戻っていった。
転ばないか心配だ。
「ノルも猫へ戻った方がよい」
クワンリに言われた。
この先も同じように魅了が働けば、今度こそ品物に埋もれてしまう。
競馬場には商店街より多くの人が集まるらしい。
子供ノルのまま入ったら、何が起こるのか想像もつかない。
仕方がないので、物陰で黒猫の姿へ戻った。
服はクワンリに畳んでもらい、いつものように腕へ抱かれる。
初めての人型でのお出かけは、思っていたより短かった。
だが、右手にクワンリ、左手にサルマ。
二人と手を繋いで歩いた感触は、まだ手のひらに残っている気がした。
また三人で歩きたい。
今度は、誰にも品物を押しつけられない静かな道がよい。
クワンリの腕の中で丸くなる。
魅了の力か。
便利ではある。
しかし、思っていたよりずっと面倒な力なのかもしれない。




