第18章 山猫さま
野良猫情報網を作らないと、やっぱり落ち着かない。
早速、近所のパトロールを兼ねて野良猫を探しに行くことにした。
クワンリとサルマは、朝から薬草採取へ出かけている。
サルマはクワンリにとても懐いている。
姉のように思っているらしい。
クワンリの方も満更でもないようで、二人で楽しそうに薬草採取の準備をしていた。
見ているこっちも、頬が緩む。
まあ、俺には魅了の力がある。
サルマにクワンリを取られる心配はない。
安心して二人を送り出してやった。
本当だ。
ヤキモチなんて妬いてないからな。
貸家の裏から続く獣道へ入る。
鼻を動かすと、何種類かの獣の匂いに混じり、猫の匂いが残っていた。
この道で間違いない。
匂いを追って歩いていると、黄色い蝶が目の前を横切った。
あ、蝶々。
気がつけば、草むらを飛び跳ねながら追いかけていた。
ひらひら逃げる蝶へ前足を伸ばす。
もう少し。
あと少し。
そこで我に返った。
俺は何をしているのだ。
野良猫を探していたはずだ。
何事もなかったような顔で、元の獣道へ戻る。
誰にも見られていない。
大丈夫だ。
少し進むと、道端に小さな亀がいた。
甲羅を猫パンチしてみる。
亀は驚いて、首と手足を引っ込めた。
上から覗き込み、出てくるのを待つ。
なかなか出てこない。
行くふりをして少し離れる。
亀が恐る恐る首を出した。
もう一度、猫パンチ。
また引っ込んだ。
可哀想なので、二回でやめておく。
今度こそ真面目に匂いを追った。
しばらくすると、雄猫のマーキングの匂いが強くなってきた。
どうも、この匂いは苦手だ。
嫌な匂いなのに、身体の奥から闘志がみなぎってくる。
背中の毛が逆立ちそうになった。
落ち着け、俺。
喧嘩をしに来たわけではない。
自分に言い聞かせ、匂いの強い方へ進む。
あ、蝶々。
今はそれどころではない!
*
蛙柳の大きな木の下に、上が平らな岩があった。
その上に、一匹のハチワレが座っている。
鼻の下に、チョビ髭のような黒い模様があった。
俺に気づくと、身体を低くして警戒する。
こちらに敵意がないことを思念で伝えた。
ハチワレは岩から降り、ゆっくり俺の周りを歩き始めた。
鼻を近づけ、匂いを嗅いでいる。
俺も嗅ぎ返す。
少し緊張していたが、いきなり飛びかかってくるような猫ではなさそうだ。
ハチワレが俺の耳の後ろを見た瞬間、動きを止めた。
目を見開き、尻尾の毛を膨らませている。
『山猫さまっ!』
なんですか、それ。
『耳の後ろにある、その白い斑点。間違いない。山猫さまではないか。ありがたや、ありがたや』
いきなり頭を低くして拝み始めた。
困る。
話を聞くと、王都の野良猫社会には、昔から伝わる言い伝えがあるらしい。
いつか空から山猫がやってきて、この世界を救うのだという。
『違うと思うよ』
そう伝えてみたが、聞き入れてくれない。
耳の後ろの白い斑点も、空から来たことも、言い伝えと同じだと言い張っている。
確かに気球船で来たから、空から来たことにはなる。
まさか、本当に俺のことなのか?
全く自覚はない。
世界を救う方法も分からない。
また面倒なことに巻き込まれそうな気がして、眩暈がした。
取りあえず、野良猫情報網を作りたいと話す。
ハチワレは二つ返事で引き受けてくれた。
三日後の昼、貸家の鹿車小屋へ集まると約束する。
ハチワレは何度も振り返りながら、嬉しそうに草むらへ走っていった。
*
猫の集会までは、クワンリとサルマが採ってきた薬草を、薬の原料へ加工する作業を眺めて過ごした。
俺は見ているだけだ。
時々、昼寝もする。
サルマは猫の集会が楽しみで仕方ないらしい。
少しソワソワしていて、作業を間違えてはクワンリにからかわれている。
何度も失敗しているのに怒らないクワンリは、とても素敵だと思う。
二人は保存用の干物を大量に買ってきた。
この前の猫集会で必要だった量を思い出し、近所の猫へ配る分を用意している。
俺の計画は二人にも話してある。
それにしても、少し買いすぎではないだろうか。
三日後。
そろそろ昼だ。
サルマは朝から何度も裏庭を覗いている。
その姿を見て、クワンリが微笑んでいる。
やっぱり素敵だ。
最初の一匹が、塀の上から顔を出した。
次に、物置の裏から二匹。
貸家の屋根にもいる。
あちこちから、ゆっくりと猫たちが集まってきた。
お互いの匂いを嗅ぎ合い、挨拶をしている。
どんどん増える。
猫。
猫。
猫猫猫猫猫。
割と広い裏庭が、見渡す限り猫になった。
毛づくろいをする猫。
じゃれ合う猫。
すでに寝ている猫。
塀の上には、まだ庭へ降りる順番を待っている猫が並んでいる。
目が合うと、揃って頭を下げた。
俺も取りあえず頭を下げる。
どういう集会なのだ、これは。
縄張りが違う猫同士なのだろう。
時々、睨み合って低い声を出す猫もいる。
すると近くにいた大きな猫が間へ入り、すぐに静かになった。
思っていたより、しっかり統率されているらしい。
とにかく猫だらけだ。
クワンリとサルマは、想像していた数と違ったらしい。
固まっている。
俺が二人を見ると、ようやく我に返った。
クワンリがサルマの肩を叩く。
二人は顔を見合わせ、慌てて干物を取りに走っていった。
この前のハチワレが、二十匹の猫を連れて俺の前へやってきた。
二十匹は、毛の長さも大きさもばらばらだった。
片耳が欠けた大きな雄猫。
小柄だが、目つきの鋭い雌猫。
真っ白で汚れ一つない猫もいる。
どの猫も、周りの猫たちとは雰囲気が違った。
俺の前へ来ると一列に座り、静かにこちらを見上げた。
『山猫さま。王都すべての縄張りボスをお連れしました』
二十匹は、それぞれ王都の縄張りを治めるボスらしい。
庭に集まっている猫たちは、そのボスの下で十番目までに入る実力者だという。
なんと、一日で王都ゼルトマンの主だった猫が、すべて集まってしまった。
王都の野良猫情報網が、一日で完成してしまった。
ハチワレ自身は、ボスでもなんでもない普通の猫らしい。
だが、最初に俺へ声をかけたということで、俺の補佐役になったと嬉しそうに話している。
名前はチョビオ。
チョビ髭柄だから、チョビオ。
分かりやすくてよい。
ボス猫たちは、俺の頼みなら何でも聞くと言っている。
まだ干物も出していないのにだ。
俺の周りを歩きながら、口々に山猫さまと呼んでいる。
やばい。
なんだか、祭り上げられている。
いきなり教祖にでもなってしまったようで、落ち着かない。
そこへ、馬鹿力女の異名を持つクワンリと、想像と違う光景に戸惑っているサルマが、干物の樽を運んできた。
一匹に二つくらいはあるらしい。
樽を開けると、何匹かの猫が飛び出しかけた。
しかし、周りの猫に止められている。
チョビオへ聞くと、俺が食べるまで、みんなも食べてはいけないらしい。
本格的に山猫さまではないか。
仕方がないので、干物を一口かじる。
『どうぞ』
伝えた途端、すべての猫がクワンリとサルマへ群がった。
サルマが小さな悲鳴を上げて固まる。
クワンリも顔を強張らせ、必死に干物を配っている。
肩へ乗る猫。
足元へ身体を擦りつける猫。
樽へ頭を突っ込もうとして止められる猫。
なかなかシュールな光景だ。
干物をねだる声が重なり、猫の大合唱になった。
これだけの数の猫の鳴き声は、生涯もう聞けないだろう。
山猫さまか。
嫌な予感が止まらない。




