第16章 痛い
……痛い。
全身の関節が、ギシギシと悲鳴を上げている。
なんだか、寝るとこんなのばかりだ。
寝るのが怖くなる。
そんなことを言っている場合じゃない。
全身が鈍い痛みに包まれていた。
また変身でもするのだろうか。
変身する能力があるのか?
身体を痛めるだけで、役に立たない変身能力。
そんなもの、いらんわ!
*
ノルが苦しそうにしている。
様子を見に来たサルマは、ノルの異変に気づくと、オババを連れてくると言って走り出した。
風読みの名は、ミノルバだったか。
あの老婆なら、この状況を打開する方法を知っているのだろうか。
私には何もできない。
藁にもすがる思いでノルを抱き締め、背中を撫でながら待った。
やがて、サルマがミノルバを連れて戻ってきた。
儀式に使うような道具を、いくつも抱えている。
ミノルバはノルの額へ自分の額をつけ、ぶつぶつと何かを唱え始めた。
呪文だろうか。
しばらくすると顔を離し、大きく頷いた。
「だいたいのことは分かった」
「どういうことなのだ。ノルは助かるのか?」
「焦りなさんな。今から説明してやる」
ミノルバは、コロボックルのシャーマンを務める術師らしい。
意識を神の領域へ飛ばし、天啓を聞くことができるという。
ノルがこの世界の魂ではないことも、最初から分かっていたそうだ。
「この世界にある魂の総数は決まっている」
人が山を切り開き、動物や植物が減ると、人の魂が増える。
逆に人が減れば、草木が生い茂り、野生の動物が増える。
そうして、人と自然の魂の釣り合いが保たれているのだという。
だが、ノルはその摂理に組み込まれていない。
大人の猫なら問題は小さかった。
しかし、成長途中の子供になったことで、身体の成長速度に異常が起きているらしい。
「このままでは身体がもたない。猫に戻す呪術を行う」
人や動植物には、それぞれ神が宿っている。
ミノルバは、その神と話すことができるそうだ。
本当かどうかは分からない。
だが今は、信じるしかない。
呪術はコロボックルに伝わる秘術なので、私は部屋の外へ出なければならない。
ノルを強く抱き締め、頭へ口づけた。
「必ず、助けてやってくれ」
ミノルバは黙って頷いた。
私はノルから手を離し、部屋を出た。
どうか神よ。
ノルを助けてくれ。
*
オババに額をくっつけられた。
誰と話しているのかは分からない。
少なくとも、俺ではない。
クワンリへ魂の総数がどうとか説明しているが、頭が回らない今はどうでもよい。
とにかく、この痛みをなんとかしてほしい。
俺の周りを、オババとサルマがうろうろしている。
顔へ布を被せられ、そのまま全身をぐるぐる巻きにされた。
何をされるんだろう。
ちょっと怖いんですけど。
クワンリ、助けて。
口元だけ開いた隙間から、渋くて青臭いものを流し込まれる。
鼻をつままれ、苦しいので仕方なく飲み込んだ。
すると、少しずつ痛みが和らいでいく。
身体が熱くなり、意識がぼんやりしてきた。
また、黒い霧が見える。
変身するのか。
それとも、このまま死ぬのだろうか。
理想とは、だいぶ違う死に方だな。
そんなことを考えながら、意識を失った。
*
どれほど待っただろう。
部屋の扉が開き、ミノルバが出てきた。
「秘術は終わったよ」
私は立ち上がり、駆け寄った。
「強制的に猫へ戻す呪術を使った。しばらく経過を見たい」
ミノルバによれば、この船はカイゼルへ寄ったあと、そのまま王都まで向かうらしい。
「カイゼルでは降りず、王都まで乗っていな。タイホウには、ワシから話を通しておく」
「しかし、そこまでしてもらうわけには……」
「サルマは、お前から高価な魔道具をもらったのだろう。気にせず、こやつの面倒を見てやることだ」
そう言うと、ミノルバは行ってしまった。
部屋へ入る。
ノルは布で巻かれたまま、ベッドに寝かされていた。
サルマが、その傍らについている。
布の隙間から、黒い霧が漏れていた。
『心配しなくて大丈夫。猫の姿へ戻っている途中だから』
サルマはそう言うが、不安は消えない。
私はベッドの横へ座り、布の上からノルの身体へ手を置いた。
黒い霧が消えるまで、ただ祈りながら待ち続けた。
*
母を思うと子供に。
恋しい女を思うと猫になれる。
ふざけてないですか、神様。
見ていて、さぞ楽しいでしょうね。
あれから三日。
四回ほど変身を繰り返した結果、ようやく分かった。
最初に猫から子供になった時、俺はクワンリを母親のように感じていた。
一人で目を覚まし、心細くて泣きそうになった時は、
俺はおじさんだから泣かないもん。
そう自分を励ましながら、猫の姿でクワンリへ告白した夜を思い出した。
すると黒い霧に包まれ、猫へ戻った。
あとの二回は、クワンリとサルマとオババの前で試した。
どう使えというのだろう。
猫の身体は役に立つ。
子供の身体は、まったく使い道がない。
クワンリは、俺のことをオババと相談すると言って部屋を出ていった。
一緒に行くと言ったのだが、病み上がりなのだから安静にしていろと止められた。
今は猫へ戻り、慣れ親しんだ身体でご機嫌だ。
カーペットをガジガジする。
ソファーの下へ仰向けに潜り込み、底へ爪を立て、背中を床に擦りながら進む。
なかなか楽しい。
大きな蜘蛛と目が合った気がする。
固まっている蜘蛛へ、早く逃げろと思念を送った。
虫には通じないらしい。
仕方ない。
続きをやろう。
逆ガジガジ、気持ちいい。
遊び疲れて昼寝をしていると、クワンリが戻ってきた。
オババと俺の身体について考えていたらしい。
本人の前では言いづらい話もあるので、置いていったという。
正直なやつだ。
だが、なんかむかつく。
(クワンリさん。俺を見てもらえませんかね)
クワンリは、なかなか目を合わせようとしない。
話によれば、俺の人型は今の子供の姿で、黒猫が獣落ちした姿らしい。
子供の姿で長く過ごすと、身体が異常な速さで成長する。
あの痛みは、骨や筋肉が急激に成長していたためだった。
身体へ負担をかけないよう、少しずつ人型へ戻り、また猫になる。
それを繰り返せば、長い時間はかかるが大人の姿になれるという。
ただし、年を取れば老化も異常な速さで進み、すぐに死を迎える。
これが、クワンリが目を合わせてくれない理由なのだろう。
なら、人型にならなければよい。
そう考えたが、獣落ちした姿で長く過ごせば、今度は心が獣へ引っ張られる。
人であったことを忘れ、本当の獣になる。
それが、魔獣だという。
人型が死なないため、不死身に近い。
傷はすぐに治り、首を落とさなければ死なない。
長く生きる魔獣は、狡猾で賢い。
そして、人型への渇望から、人を食う。
ネズミも追いかけなかった。
さっきだって、蜘蛛を逃がしてやった。
逆ガジガジは、ちょっと気持ちよかったけど……。
何を動揺しているんだ、俺は。
それでも、八方塞がりではないか。
人の姿なら、身体が急激に老いていく。
猫の姿なら、心が獣になっていく。
おいおい……。




