第13章 風読みと赤龍
気球船は、予定より一日早く牧場へやってきた。
食料品や日用品を降ろしていた船長は、タイホウと名乗った。牧場主とは、馬車で行商をしていた頃からの長い付き合いらしい。
私たちをカイゼルまで乗せることも、快く引き受けてくれた。
船賃は牧場主から受け取っていると言い、湯浴みのできる便所までついた個室へ案内される。
随分と奮発してくれたらしい。
鹿車と一角鹿も一緒に載せられる。
乗組員は十人ほど。ほかに、四人部屋へ獣人が三人、二人部屋へ穀物商人と助手、もう一つの二人部屋へ風読みの老婆と孫娘が乗っていた。
今日は荷を降ろし、明日、牧場の加工肉や乳製品を積み込んで出発する予定だという。
久しぶりの地上だから、今夜は牧場の肉で焼肉をすると船長は喜んでいた。私たちも誘われた。
ノルへ伝えると『バーベキューだ』と訳の分からない言葉を使った。
だが、とても嬉しそうなので、私も頬が緩んだ。
そこへ、風読みの孫娘が訪ねてきた。
私が薬や魔術具を作ると聞き、話をしてみたかったらしい。
少女の名はサルマ。祖母はミノルバ。二人はコロボックルという種族で、天候を見極め、気球船の運航を助けているという。
サルマの背丈は、私の腰ほどしかない。子供だと思ったが、すでに成人しているらしい。
『気球船は高度を変え、目的地へ向かう風の道へ乗る。風読みの腕で、着くまでの日数が大きく変わるのだ』
サルマは誇らしそうに胸を張った。
彼女の故郷は、外郭山脈の麓にある大樹海だという。コロボックルは昔から、農業、漁業、海運など、天気に左右される仕事場へ派遣されてきた。
風読み協会が仕事を斡旋し、最近は気球船が増えたことで、腕の良い者は引っ張りだこらしい。
サルマは、祖母が引退する前に一人前になるため、同行して修業をしている。
『いろいろな場所へ行けるから、私はこの仕事が好きだ』
照れながら言う姿が、微笑ましい。
薬草にも詳しく、私とは話が合いそうだった。
猫が好きなのでノルへ触ってもよいかと尋ねられたが、ノルの機嫌次第だと答える。
ほかの女へ撫でられるノルを想像すると、なぜか心がざわついた。
自分の心の狭さを恥じていると、サルマが薬の調合を見たいと言った。二人で鹿車の荷台へ向かう。
孤児院で使うために作ったが、効果が今ひとつだった魔術具を譲ると言うと、サルマは高価な物は受け取れないと涙目になった。魔術具がなければ薬を作れないと説明し、ようやく受け取らせる。
それでも祖母に怒られると心配していた。
二人で薬を作っていると、ノルが呼びに来た。もうそのような時間になっていたらしい。
サルマと顔を見合わせ、笑った。好きなことをしていると、時間が過ぎるのを忘れてしまう。
サルマがノルへ手を伸ばし、猫パンチを受けた。可哀想なので、少しだけ触らせてやってくれと頼む。
先ほどのざわつきは、不思議なほど消えていた。
ノルは私以外には懐かない。
少し誇らしい。
私も心が狭いな。
精進しなければ。
*
バーベキューと聞き、猫の身体になったことを悔やんだ。
人の身体なら、もっと楽しめたはずだ。
猫の胃では、少ししか食べられない。食べ過ぎれば胃がもたれるし、吐くことになる。
毛玉を吐くのも苦しいが、美味い物を吐くのは勿体ない気持ちまで加わるので、もっと苦しい。
会場を巡回していると、準備ができたらしく船長がクワンリを捜していた。鹿車の荷台へ迎えに行く。
クワンリと小さな女が楽しそうに薬を作っている。
なんだかクワンリを取られたようで面白くない。
その女が俺の頭を撫でようとしたので、猫パンチで断った。クワンリに少し触らせてやってくれと頼まれ、仕方なく背中だけ許す。
本当は、頭は信頼できる者にしか触らせない。孤児院の子供たちは例外だ。
子供には甘い猫なのだが、この女は見た目だけが子供で、実際は違うらしい。
だから頭は触らせない。
机から降りる。
「んにゃっ」
どうしても着地の時に声が漏れてしまう。
『可愛い!』
背中で声を聞きながら、会場へ向かった。
俺はクワンリにしか懐かないのだ。
俺も心が狭いな。
精進しよう。
*
翌朝、ミノルバの指示で気球船が浮き上がった。
最初は進行方向とは逆へ流されたが、高度を上げると船首がゆっくりカイゼルへ向いた。魔道機関のプロペラは、離陸時の微調整に使っただけだった。
あとは風へ乗り、風切り音だけを残して静かに進んでいく。
船体は気球から吊られているのではなく、直接取りつけられているため、これでも揺れは少ないらしい。
船酔いで寝台へ沈むクワンリへ、サルマがそう説明していた。
窓の外では、小さな雲の群れが同じ速さで流れている。
幻想的な景色だった。
俺は船内を巡回し、荷室の一角鹿も見てきた。これといって問題はない。
この一角鹿は寡黙で男前だ。
ネズミも見つけたが、後ろ髪を引かれる思いで見逃す。無駄な殺生はしたくない。
だが、猫じゃらしの時のように本能へ支配されたら、止められるか少し不安だ。
気がついたらネズミを咥えていた、では洒落にならない。
カイゼルまでは、うまく風の道へ乗れれば二日ほどらしい。
障害物のない空は、やはり早い。
クワンリの様子を見に戻ると、少し良くなったのか、魔草をふかしていた。
一鳴きして足首へ擦り寄ると、いきなり抱き上げられ、全身を撫で回される。嫌いではないが、今はそういう気分ではない。
身体をくねらせて逃げた。
俺は猫じゃらしで遊んでほしいのだ。
まだ本調子ではないと断られたので、窓辺の小机へ飛び乗った。
雲の切れ間に、大きな鳥のような影が見えた。
数羽が船と一定の距離を保って飛んでいる。
第三の目で視力を強化した。
翼竜だ。
さすが異世界。
感動している場合ではない。
(クワンリ! 翼竜が並走してる。どうしよう)
クワンリは魔草を深く吸い窓の外を確認した。
『ノルはここにいろ。私が船長へ話してくる。いいな、ここにいるんだぞ』
ふらつく足で部屋を出ていく。
心配だ。
気づかれないようあとを追った。言いつけを破るが、心配なのだから仕方がない。
船長と短く話したクワンリは、航行中立入禁止の甲板へ向かった。
何をするつもりだ。
魔術で翼竜を攻撃するのか。
だが、魔族は攻撃魔術を使わないはずだ。
甲板を見渡せる窓を探し、様子を窺う。
クワンリは服を脱ぎ始めた。
全裸になった。
均整の取れた身体だ。
どぎまぎしながら幸せに浸っていると、クワンリは目を閉じ何かを唱えた。
赤い霧が身体を包み、激しく渦を巻く。
見えなくなった。
残念だ。
霧が一斉に散った。
甲板の上に、赤黒い鱗を持つ巨大な龍が立っていた。
龍というより、ドラゴンだ。
ドラゴンは甲板を蹴り、翼竜の群れへ一直線に飛んだ。
何がトカゲだ。
レッドドラゴンじゃないか。
獣落ちの正体は、トカゲではなかった。
クワンリは翼竜の周囲を旋回し、腹へ響く声で吠えた。
次の瞬間、口から青と黄色の混じった光を吐いた。
光は翼竜のすぐ脇を走った。
当てていない。
脅しただけだ。
翼竜たちは叫び声を上げ、雲の向こうへ逃げていった。
それを見届けたクワンリは、船の死角から甲板へ戻る。
すげえ。
クワンリ、無敵じゃねえか。




