第12章 家畜の気持ち
旅へ戻って三日目の昼
雨季のぬかるみに車輪を取られた魔道荷車を見つけた。
荷台には
子供の髭山羊が数頭乗っている。
私たちは鹿車を停めた。
御者と助手が車輪の前後を掘り、石を敷く。
私も泥の中へ入り
助手と二人で荷車を押した。
身体強化を使う。
伊達に馬鹿力女と呼ばれているわけではない。
前後へ何度か揺らし
勢いをつける。
車輪が泥を跳ね上げ、穴から抜けた。
皆、泥だらけになりながら喜び合った。
御者は、脇道の先にある牧場の主人だった。
汚れを落としていけと
風呂へ招いてくれる。
そろそろ湯に入りたいと思っていたので
ありがたく受けた。
牧場へ着くと
主人は礼の品だと言って木箱と小さな樽を持ってきた。
髭山羊の乳は栄養価が高く、手に入りにくい高級品らしい。
乳のほかに
干し肉や乳製品まで入っていた。
最近、旅の疲れが出ているノルへ
ミルク粥を作ってやれる。
乳は日持ちしない。
旅へ戻ったら
最初の日に使い切らなければならないだろう。
牧場主は寝室と夕食まで用意すると言ってくれた。
何か手伝えることはないかと尋ねると
翌朝、髭山羊を潰すので、人手があると助かるという。
私は手伝いを引き受けた。
*
風呂を済ませ、食卓へ着いた。
この牧場の肉料理は驚くほど臭みがなく柔らかい。
処理の仕方が上手いのだろう。
ノルの分を細かく切り、皿へ置いてやる。
二人で味の理由を思念で考えていると
牧場主がパンを持って近づいてきた。
「なんだ。お嬢さんも動物と話ができるのかい?」
私とノルは同時に顔を上げた。
「その黒猫は、ずいぶん頭が良いみたいだ。それに、二人はとても仲が良い」
『私は、この猫としか意思を通わせられない』
そう答えると
ノルが話してもよいかと目配せをした。
許可を出す。
ノルは驚いた顔をしたあと、嬉しそうに尻尾を動かした。
私以外の人型の者と話せることが嬉しいらしい。
牧場主は、物心がついた頃から家畜と意思を通わせることができたという。
幼い時に親へ話すと、それは自分だけの力だから、決して他人へ明かすなと厳しく言われた。
それ以来
今日まで誰にも言えずにいた。
家畜の病気や苦痛が分かるので、早く処置することができる。
そのため、この牧場の家畜は健康に育った。
だが、親の代に行われていた屠殺だけは、耐え難かったという。
嫌がる家畜を無理に連れていき、怖がって泣き叫ぶ声を聞きながら、命を奪わなければならない。
自分の代になってから
牧場主はやり方を変えた。
定期的に家畜を屠殺場へ連れていく。
大好物の薬草を腹いっぱい食べさせて
また牧場へ戻す。
それを繰り返すうちに、屠殺場は怖い場所ではなく、ご馳走をもらえる場所になった。
家畜は自分から喜んで入るようになったという。
出荷する時は、一頭ずつ連れていく。
撫でながら薬草を食べさせ、謝り、感謝し、首の神経が集まる場所へ刃を入れる。
できる限り痛みを少なくするためだ。
その方法へ変えてから、肉や加工品の味まで良くなった。
今では遠い街から買い付けに来る商人も多いらしい。
「それでも、何頭かに一頭は、最後に叫ぶ。あの声だけは、どうしても消せない」
牧場主は俯いた。
『魔族領では、魔術具で痛覚を麻痺させてから行う』
そう説明すると、牧場主は身を乗り出した。
「その魔術具を、作ってもらえないだろうか」
魔性石の残りは少ない。
だが
作れないわけではない。
このように優しい人族がいたことが、私は嬉しかった。
『分かった。作ろう』
ノルがお人好しだと笑った。
構わない。
とびきり効く魔術具を作ると約束した。
私は部屋へ戻りすぐに制作を始めた。
ノルと牧場主は、夜が更けるまで男同士で話していたようだ。
月のない夜。
机の上の魔性石を削りながら、私はノルのことを考えていた。
早く、人型へ戻らせてやりたい。
*
牧場主との話を終えて部屋へ戻ると、クワンリが机へ突っ伏していた。
一瞬焦ったが、寝落ちしているだけだった。
猫パンチを食らわせる。
起きない。
頭突きがてら頬を擦り、ニャーニャー鳴き、敷物を少し齧った。
ようやく起きた。
寝台で寝ろと足元へ絡みつく。
俺を踏みそうになったクワンリは、そのまま寝台へ倒れ込んで眠った。
最近は足元ではなく、頭の近くで寝ている。
毛繕いをしてやれるからだ。
乱れた髪を自慢のざらざらの舌で整える。
安心した。
俺も寝よう。
どれほど眠ったのか
扉を叩く音で目が覚めた。
寝ぼけていたので、思わず扉へ向かって威嚇の声を出してしまう。
牧場主が呼びに来たのだろう。
クワンリは
まだ眠っている。
鳩尾へ飛び込んだ。
『ぐふっ……ノルよ。なぜ毎回、そこなのだ』
ぶつぶつ文句を言っているが、構わず鼻の頭をざらざら舐めてやる。
次の瞬間
腕の中へ捕まえられた。
耳の後ろ、首、背中、腹まで、容赦なく撫で回される。
あああ、クワンリさん。
寝起きにしては、少し激しいのですが。
どうにか腕から抜け出し、二人で朝食へ向かった。
食卓には
コーヒーによく似た香りの茶が出ていた。
猫の身体では飲まない方がよいだろう。
前の世界のコーヒーが
ひどく恋しくなった。
*
翌朝、クワンリの作った魔術具は、十分すぎるほど効果を発揮した。
髭山羊たちは痛みもなく、静かに息を止めた。
牧場主は一頭ずつ身体を撫で、声をかけていた。
最後まで、髭山羊たちが怯えて騒ぐことはなかった。
俺は心の中で手を合わせ、感謝した。
今の俺には、それくらいしかできない。
前の世界にも、家畜の苦痛を減らす取り組みがあった。
アニマルウェルフェア。
日本では、まだ十分に広がっていなかったと思う。
欧米では、家畜にも生きている間の快適さを保障しようとする考え方があり、五つの自由として整理されていた。
空腹と渇きからの解放。
不快からの解放。
痛み、損傷、病気からの解放。
恐怖と苦悩からの解放。
そして、その動物らしい行動をする自由。
そこまで思い出し、不思議になった。
なぜ、俺はこんなに詳しいのだろう。
前世では、動物に関わる仕事でもしていたのか。
思い出せない。
クワンリへ話すと、ひどく驚かれた。
『お前の前の世界は非道な場所だと思っていたが、そのような優しい考えを持つ者もいたのだな』
本気で地獄のような場所だと思っていたらしい。
失礼なやつだ。
牧場主が提案があると呼びに来たので、草むらを跳びながら向かう。
あ、蝶々。
いかん。
気が散った。
「二日後に、行商人の小型気球船が来る。カイゼルまで乗せてもらえるよう話すから、待ってみないか?」
気球船。
異世界の空路です。
陸路にも少し飽きていた。
ぜひお願いします。
俺が即答すると、クワンリは楽しそうに笑った。




